テレビの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:27 UTC 版)
1950年代後半には、急速に勃興するテレビに対抗し、映画会社の既得権を守ることが主目的となる。1956年10月@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(9月末という説もある)[要出典]には、5社からテレビへの劇映画提供を打ち切り、専属俳優のテレビ出演も制限する。ただし、東宝は専属スターをテレビに出演させ続けていた。5社は1958年3月に改めて同様の申し合わせを行っている。日活は日本テレビの開局以来、同局へ劇映画を提供し続けていたが、同年9月1日に提供をやめ、6社の足並みが揃った。6社専属俳優のテレビドラマ出演が制限された結果、テレビ局は自主制作ドラマなどに新劇や児童劇団の俳優を多く起用するようになった。またアメリカ合衆国などからテレビ映画を輸入して日本語に吹き替えて放映することも増加した。 ただ、同じテレビでもドラマ以外の番組への出演については比較的制限が緩く、『スター千一夜』の製作局であるフジテレビの設立に関わった東宝・大映・松竹専属俳優のように「俳優ではなく、トーク番組へのゲスト出演」という形で協定を回避する例もあった。
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