江商設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 14:28 UTC 版)
明治38年(1905年)京都平安紡績の工場買収に際して、伏見工場は金巾製織が買い受け、京都工場は匿名組合が設立され引き継ぐこととなった。この匿名組合は田附政次郎・阿部房次郎・藤井善助、滋賀県(現彦根市高宮)出身で輸入綿糸の仲立業等を行っていた北川与平の4人が中心になり出資し設立した。その後、北川が所有していた紡績工場と合併し『北川京都紡績所』とし、明治38年(1905年)12月匿名組合を江商合資会社に改編した。江商は大阪市東区に本社を置いた(この後、江商は昭和42年(1967年)兼松と合併、兼松江商(現兼松)となった)。 なお、大阪での活動とは別に故郷でも政次郎・房次郎・善助は様々な活動を共に行った。明治41年(1908年)には故郷に『神崎実業倶楽部』を設立し、明治41年5月の帝国議会衆議院議員選挙に藤井善助を擁立し当選させた。大正8年(1919年)には『日本カタン糸生産会社』を故郷神崎郡能登川に設立し故郷の産業育成に尽くした(昭和4年(1929年)に湖東紡績会社と改名し、太平洋戦争前には従業員数千人を超える企業に成長したが、戦時下の企業統合により日清紡へ統合した)。 昭和8年(1933年)4月26日、兵庫県芦屋の伊藤邸で政次郎は心臓麻痺のため死亡した。終生俳句を趣味にしたと伝えられる。
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