赤色軍
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「レッド (山本直樹)」の記事における「赤色軍」の解説
新左翼党派の一つ(共産主義者同盟赤軍派に相当)。関西で大きな影響力を持ち、関西訛りで話すメンバーも多い。1969年秋から「大阪戦争」、「東京戦争」など先鋭的な闘争を主張するが、実態は不発であり、岩木の友人からは「言うことだけはデカイ」と言われている。その後1969年末の関東地方■■■峠での武装訓練中の大量逮捕、翌年3月のリーダー石鎚の逮捕、「国際根拠地論」による主力メンバーの国外脱出などで組織は混乱し「ほぼ壊滅」とすら言われている。内部でも方針を巡る中央と地方組織の対立が顕在化する中、革命者連盟の交番襲撃作戦を高く評価し、提携関係を模索、1971年初めには合法組織である「前衛連合」(赤軍派の大衆組織「革命戦線」に相当)が、革命者連盟の合法組織「共闘戦線」と初めての合同集会を開催。さらに同年2月からは「G(ギャング)作戦」と称する金融機関強盗により活動資金調達を行う。東大・京大レベルの頭の持ち主でないと入れてもらえないと言われており、革命者連盟の宮浦からは「エリート主義丸出し」と揶揄されている。メンバーへの懲罰として「禁煙禁酒」が存在し、岩木や革命者連盟メンバーからは不評を買っている。機関紙は『赤色』(『赤軍』に相当)。 岩木泰広(いわき やすひろ) モデルは植垣康博。名前の由来は岩木山から。この物語のもう一人の中心人物。青森の■■大学(理学部)の全共闘学生活動家。静岡県出身。1969年夏、大学バリケードストライキと本部棟占拠に参加するが、参加学生は少なく方向性も定まらず、全共闘内ではストの自主解除まで検討される。そんな最中、■■大学を訪れた赤色軍の荒船(後述)にオルグされ赤色軍への参加を決意、■■大学を退却し上京する。しかし、赤色軍から指示らしい指示は与えられず、同年10月21日の国際反戦デーでは赤色軍と関係なく■■■■■■の部隊に参加し新宿での投石戦により検挙、以後1年あまりにわたって投獄される。1970年末にようやく保釈されたのち、ほどなくして上京し赤色軍での活動を再開する。潜伏先のアジトでは赤色軍の女性活動家4名と寝起きし、雑魚寝で悶々とした夜を過ごす。また収入も途絶え、貧乏生活を余儀なくされているが、半ばそのような生活を楽しんでいるように見える。共闘戦線(革命者連盟)との初めての合同集会で司会を担当。その後「組織再編」に伴って非合法部入りし、志賀の指揮する部隊の下でG作戦に従事しながら東日本各地を転々とするようになる。革命者連盟の非合法部隊に爆弾の製造方法を教えに行った際、宮浦と赤城に痴漢行為をして問題視される。新倉ベースでの合同軍事演習で白根と仲良くなり、寝ている彼女にキスをするなどしたがこの時点では咎められず、白根も気にする様子はなかった。 榛名ベース合流後は、白根と恋仲になる。北からは白根のことばかり気にしていて問題だと思われている。安達の処刑に積極的に関わり、新たな山岳ベース建設の中心人物として北からは信頼されつつあった。しかし恋仲である白根が縛られる事態となり、谷川から総括を要求されてしまう。翌日は自ら正座をしていたが、ベース建設に加わるよう促された。北らが合流した際、白根に新倉ベースでキスをしたことを咎められ、白根への殴打に無理矢理同意させられるが、白根は既に事切れていた。迦葉山ベースの放棄など目まぐるしく状況が変わるなか、妙義山を越えて山越えを決行することを提案。谷川から先導を頼まれた際には陽気に同意した。 靴底が剥がれ凍傷が悪化するなか山越えに成功するが、地図に記載されていなかった軽井沢レイクタウンに迷い込む。軽井沢駅から小諸までの脱出を試みたものの、身なりがひどく汚れていたために車内で警察隊の詰問を受ける。このとき行き先を適当に答えたことで怪しまれ、逃走や拳銃の奪取を試みるが失敗、逮捕された。 鳥海(とりうみ) モデルは青砥幹夫。名前の由来は鳥海山から。岩木と同じ大学(医学部)の活動家。彼を赤色軍の荒船に紹介する。大学のバリケードストライキの件で逮捕・投獄されていたが、ほどなくして保釈され活動に復帰。組織のサブリーダーとなり、前衛連合を指導、「革命者連盟に続くのは赤色軍」と意気込む。1971年6月、■■公園で機動隊に爆弾を投げる。 榛名ベース合流後は北から度々注意を受けるものの、暴力を振るわれる事態には至っていない。神山が総括を要求され、彼の髪を切り優しく話しかけるがこのことを神山が「逃がしてくれると思った」と喋った際には激怒、彼を殴打しナイフで処刑に加わっている。しかし彼の埋葬の際には人目を忍んで合掌し、本心ではなかったかのような態度をとった。榛名ベースで留守役をした際、猟銃をこめかみに当て自殺を考えるが思い直した。医学部出身のため、宮浦の腹から赤子を取り出す計画を打ち明けられ、容態を確認した。宮浦の死後、赤子の様子を改めて確認したがすでに冷たくなっていたため、赤子の摘出は断念された。 その後は主に岩木と行動を共にし、軽井沢駅で岩木らとともに逮捕された。 月山 幸子(つきやま さちこ?) モデルは玉振佐代子。名前の由来は月山から。都内のアジトで岩木と同居していた4女性のうちの一人。恋人と別れたばかりで、岩木に好意を持つ。アジトではガリ版切りと電話中継という地味な任務に従事し、倦怠感を抱いている。「組織再編」後に三里塚闘争(第一次強制代執行)に参加した後、G作戦従軍に旅立つ直前の岩木と肉体関係を持つ。その後、赤色軍の川崎アジトに他のメンバーといたところを警察に襲撃されるが、お湯を沸かしていたヤカンを投げつけ脱出。バンドホテルに潜伏していた岩木らと再び合流するが、程なく逮捕される。革命者連盟の平らは月山に憧れる様子を見せていた。 金峰(かなみね) 岩木と同居していた4女性のうちの一人。ビートルズの解散を知らず仲間に「遅れてる」とからかわれる。 アイコ 岩木と同居していた4女性のうちの一人で、アジト提供者。快活で姉御肌。組織の方針を「大衆路線の欠落した武装闘争」と批判していたためか「組織再編」と共に党派を除名され、岩木ら4人をアジトのアパートから追い出す。 太平(たいへい) 赤色軍合法部隊「前衛連合」副委員長。保釈中の岩木を半ば強引に故郷から連れ戻し、組織の裏方仕事にこき使う。他のメンバーからは「官僚的」と陰口を叩かれている。一方で自身も雑用をしたり料理をしたりするなど、家庭的な面もある。 荒船(あらふね) モデルは梅内恒夫。ストライキ中の■■大学にオルグ活動にやってきた赤色軍の理論家。市街戦(ゲリラ闘争)を主張するも組織の中では次第に疎外されつつある。モデルとなった梅内同様行方不明となったことが紹介された。 普賢秀雄(ふげん ひでお) モデルは高田英世。最初に革命者連盟との接触を図ってきた赤色軍からの使者。革命者連盟の交番襲撃作戦を高く評価し合同の会議を持つことを提案する。組織に極めて忠実で、札幌での革命者連盟との会合で酒がふるまわれようとした時も懲罰中で禁煙禁酒であるとして拒否し、革命者連盟側からつまらなそうに見られる。1971年6月、逮捕される。 志賀邦夫(しが くにお) モデルは坂東國男。名前の由来は志賀山から。赤色軍の代表の一人として革命者連盟との合同会議に出席。弾圧を逃れるための変装として眉毛を剃っている。中央軍との連絡が途絶えがちな中、部隊を指揮してG作戦を実行する。 榛名ベース合流後は指導部に加わり、序列は4番目。メンバーへの厳しい追及にも冷徹に加わっている。北から赤色軍時代に彼の側近となって活動していたためかなり信頼されており、度々「志賀がいれば大丈夫」「やっぱり志賀は信頼できる。」と言われる。安達と日光方面の山岳調査に向かった際、「総括というものがよくわからない」と迷いを打ち明けられる。安達の総括要求時、彼の腕にナイフを突き刺して追及したことを北は高く評価した。迦葉山ベース建設中には、谷川とともに苗場を追及、殴打し、白根のことを気にかける岩木に厳しい態度をとるようになった。北と赤城が都内アジトに潜伏している最中には谷川とは対照的に霧島に厳しい態度をとった。 谷川らとともにあさま山荘に籠城した際には料理の腕を披露したほか菓子のつまみ食いを吾妻に見つかり抗議されたため、谷川に促されて自己批判した。狙撃で警察隊を負傷させたほか、強行突入の際には第二機動隊隊長石刈警視を狙撃、死亡させた。 北盛夫(きた もりお) モデルは森恒夫。名前の由来は北岳から。「組織再編」により、赤色軍で獄外に残っている者のリーダー(中央軍議長)となる。かつて「中央派」(さらぎ徳二らの共産主義者同盟関東派に相当)との闘争から逃げ出したことに負い目を感じており、その分、活動には人一倍懸命である。1970年12月の最初の革命者連盟との合同会議において、革命者連盟からの銃器援助の要請をやんわりと断る(実は赤色軍は銃器を持っていなかった)。後、逆に革命者連盟から銃器を援助され、その際に赤城から自党派と共に中国に渡航することを勧められるが「むしろ共に日本で殲滅戦を戦うべきだ」と反論し、また「いずれ内通者や裏切り者を殺さなくてはならなくなるときが来る」と述べる。 榛名ベースにて赤色連盟の結成を宣言、最高幹部となる。黒部一郎と薬師の問題を追及し正座の強要や食事制限、遂には「総括を深化させるために同志を殴って気絶させる必要がある。気絶から意識が戻った時には革命戦士となり、共産主義についての理論を受け入れる」と独自の理論を展開し、総括=暴力の基準を作った。安達を追及した際には、彼の行動が反革命と言わざるをえないとして死刑に処し、さらに死刑に動揺した神山を追及。彼が逃げようとしていたことを打ち明けると、同じく死刑を言い渡して殺害。その後は赤城に同調するかたちで白根と宮浦を追及。2人の総括が進んでいないと判断して柱に縛り付けた。迦葉山ベースでは霧島へ厳しい追及を課した後、カンパ集めのため東京アジトへ潜伏。そこで霧島の死を悲しそうに告げた谷川を問題視し、総括を要求。また自らの共産主義化の追求のため妻と離婚し、赤城と結婚することを決定した。警察の包囲網が迫るなか、妙義ベースへと向かうがメンバーと合流できず、遂に警官隊に包囲される。弱気な発言をしつつも、必死の形相で警官に襲いかかるが逮捕された。 天城(あまぎ)8 モデルは遠山美枝子。逮捕された政治局員、開聞(高原浩之に相当)の妻。前衛連合の全国代表者会議に出席し、中央組織が地方組織を軽視していることを激しく批判する。ロングヘアが印象的な美人。後に「山」に加わるが、指輪を嵌めているなどの態度を赤城を始めとする革命者連盟メンバーから激しく糾弾され、それに応じた他の赤色軍メンバーからも厳しく自己批判を求められる。 榛名ベース合流後、厳しい追及を受け「死にたくない」と涙を流して訴えた。薬師の遺体を埋めることで総括するよう求められるが、結局総括できていないと判断されてしまう。北に「総括を深化させるために、自分で自分の顔を殴れ」と命令され自己殴打し、束縛された。さらに、これまでの異性経歴を告白するよう強要された挙句「破廉恥だ」と罵られて殴打される。1月7日深夜に死亡。 蓼科(たてしな) モデルは逆井隆樹。名前のみ登場。1971年2月、鳥海と共に前衛連合のサブリーダーになる。 舵折(かじおり) モデルは松田久(第十二話以降)。赤色軍指導部の一人。いつも大きなサングラスをかけている。岩木と月山が肉体関係を持った翌朝、二人に次なる指示を出しに来る。その後も岩木に指示を出すが、1971年3月に逮捕される。モデルの松田久は志賀(坂東國男)と同様に国外逃亡を果たしているが、本作ではこれについての言及はない。 久住充(くすみ みつる?) モデルは穂積満。岩木らと共に太平隊に加わり、愛知県での金融機関の調査を行う。後に岩木らと共に志賀隊に移る。車の運転ができ、1971年3月の仙台市近郊でのG作戦に運転手として参加する。1971年5月の■■■小学校襲撃にも参加するが、同月大阪の部隊に移ることになり、翌月逮捕される。 雨飾(あまかざり) 岩木らと共に太平隊に加わり、愛知県での金融機関の調査を行う。 高千穂三郎(たかちほ さぶろう)5 モデルは進藤隆三郎。無所属の立場で横浜の■町を拠点に活動していたが、赤色軍のオルグを受け岩木らと行動を共にする。北との掛け合いは、岩木達から『キッカイくん』(を始めとする永井豪作品スター・システムキャラクター)のポチとアルフォンヌに喩えられている。奔放な性格で、活動に積極的な岩木を茶化すこともあり、北に問題視されていた。 榛名ベース合流後、同じく問題視されていた天城や磐梯の中で最初に追及を受け「縛ってくれ。僕はその中で総括する」と誠意を見せたが受け入れられず、北の独断によって殴打が決定。腹部が緑色になるほど殴られ続けた。その後外に縛られるが、程なく安田講堂の籠城や九重との出会い、G作戦などの走馬灯を見ながら力尽きる。殴打の最中「革命戦士になるために、なんでこんなことが必要なんだ!!」と激しく抗議するが、同調する者はいなかった。 九重良子(ここのえ よしこ?) モデルは持原好子。高千穂の引っかけてきた彼女。そのまま高千穂と共に岩木らと行動することになる。元芸者で人妻。左翼運動とは無関係だった人物で、月山からは不安視されている。岩木も当初は不安視していたが、間もなく楽観的に見るようになる。岩木らは九重を部隊から外し合法生活を送れるようにしようとするが、本人はそのことに不満に思っていた。 銀行襲撃の下調べでミスをしたために作戦から外され、次第に荒んだ様子を見せ始める。北はそのような九重(と高千穂?)の処刑を志賀に指示するが、志賀と岩木の判断で組織からの追放となる。高千穂への想いは強いようで、高千穂と共に組織についていこうとし、最後には高千穂と共に組織をやめようとしたが、結局かなわなかった。1月中旬、高崎で逮捕されたというニュースがラジオで流れ、これが赤色連盟のベース移動のきっかけとなった。 会津(あいづ) 仙台市近郊にアジトを設置しており、1971年3月に志賀隊と合流。その後志賀の命令で東京へ行く。 本富(もととみ) 名前のみ登場。1971年3月、逮捕される。北は本富と石割の逮捕と同時に指名手配される。 石割(いしわり) モデルは新谷富男。名前のみ登場。1971年3月、本富と同時に逮捕される。 高平(たかひら) W大の部隊に所属。マルクス経済学を行列式を使って書き直せないか考えている。 神山純(かみやま じゅん?)11 モデルは山崎順。高平と同じくW大の部隊に所属。合法の免許証を持っているため、岩木らと行動を共にすることになる。運転技術はかなり高く、横浜でのG作戦を大成功に導いた。一方で、8月に兵站部の女性と関係を持ったことが問題視されており、本人もこれは総括すべき問題と認識している。 榛名ベースには岩木と同じく1月2日に合流。既に榛名ベースにいたメンバーが過酷な総括に立ち向かっているのを見て圧倒され、自分たちの総括が遅れていることを自覚する。北からはメンバーの指示を仰ぐことで総括を深めるよう言われている。革命者連盟が使用していた井川ベースの解体を平とともに担当。帰還後に彼女と結婚したいことを打ち明けた。 しかし、安達の死刑に動揺していたことを北から追及されると「安達の問題が自分と似ており殺されると思った」と発言してしまい、北やメンバーから大きく問題視される。翌日指導部メンバーからの追及の最中に唐松が帰還するが、同行していた仙丈がいないのを見て「逃げたな」とつぶやいてしまい、北に正座を命じられ見張りをつけられてしまう。指導部は彼に対し偽の死刑宣告をしたうえで総括を要求。このとき「死刑にされて当然です。」と言い涙を流したため、北からは「今までの7名のような死を拒否し、生きる道を選べ」と諭される。しかし縛られた後の態度が良くなかったという報告により再び問題視される。翌日谷川にアイスピックで足を刺されるなど厳しい追及が始まり、逃げようと思ったことや赤色連盟の情報を売って暮らそうとしていたことを半ば強制的に白状させられ、死刑に処された。 磐梯(ばんだい)9 モデルは行方正時。かつて東大闘争にかかわっていた。革命者連盟の非合法部隊との連絡役を務めている。山岳アジトの景観を気に入っているような発言をするなどのんびりした性格であり、北から自分の消極的な態度について総括をするよう言われる。 榛名ベース合流後は改めて総括が遅れていると判断される。「僕はどんなことをしてでも総括しなければならないと思っている」と鬼気迫る態度を見せたが、北からの追及に上手く答えられず、束縛される。その後の追及で逃げようと考えていたことを告白したため、肩と太ももを激しく殴打された。1月9日の深夜に死亡。死亡する数日前から「ジャンケン、ボン…」「総括するよう。許してくれよう」などと譫言を言っていたのを岩木が聞いている。 霧島(きりしま)15 モデルは山田孝。赤色軍の元最高幹部。しばらく活動から離れていたが、一兵卒からやり直すとして活動に加わる。子持ち。 榛名ベース合流後の指導部での序列は5番目。総括の援助として殴打することに疑問があったらしく、薬師が死亡した際に北に「死を突き付けても革命戦士にはなれない」と問題視するが、その後の北の持論に納得した態度を示した。黒部一郎や薬師らの遺体を別の場所に埋葬する時、人影を見たと誤認、不要な警戒心を示したことで安達から問題視され、後に追及の材料となってしまうことが示唆されている。 1月中旬は、主にカンパ集めのために出かけることが多くなる。妻を山に連れてくると意気込んでいたが北からは反対されるなど、僅かに考え方の違いが生まれつつあった。白神とともに高崎で車の修理に向かった際、銭湯に入ったことを迦葉山ベースで問題視され、北から厳しい追及を受け、CCを解任される。総括できる可能性は0.1%しかないと断ぜられたうえで薪拾いを命じられ、結局総括したとみなされず、殴打の末縛られた。しかし北と赤城が東京アジトへ向かった際、谷川に促される形で「銃を持って闘います!」と宣言したことで総括したとみなされ、四肢が凍傷で動かせない状態ながらも束縛をほどかれた。 ところが谷川不在時に、彼が総括したことを知らない岩木らメンバーによって再び縛られてしまう。次第に衰弱し「総括しろだって、ちくしょう!」という言葉を吐き捨てて絶命した。山岳ベース最後の死者。 キム モデルは金廣志。天城の知り合い。オシャレをした天城に「もれなく私服もついて来るって評判」と揶揄される。 石鎚(いしづち) 塩見孝也に相当。赤色軍のリーダーで、1970年3月都内で逮捕。名前のみの登場。北からは信頼されており、赤色連盟結成の際も「石鎚には出獄後に総括してもらう。石鎚は総括できる男だ」と評されている。 十勝(とかち) 重信房子に相当。指導部の一人で、「国際根拠地論」に基づき日本国外へ脱出し、アラブへ向かう。名前のみの登場。天城の親友で自身が使っていたセーターを彼女に渡すが、天城が榛名ベースで縛られた際、セーターは赤城によって燃やされてしまった。
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