関東派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:21 UTC 版)
斎藤新太郎(2代目・斎藤弥九郎)の弟子であった長岡藩士・根岸信五郎は、北越戦争を生き残り、明治13年(1880年)頃、東京に有信館という道場を開いた。根岸から流儀を継承した中山博道によって、有信館は修道学院(中西派一刀流高野佐三郎道場)と並ぶ戦前の剣道界の二大勢力となった。 中山博道の高弟のうち中倉清、羽賀準一、中島五郎蔵は「有信館三羽烏」と呼ばれた。このうち、中倉は剣道の公式戦69連勝という前人未踏の記録を打ち立て、「昭和の武蔵」と呼ばれた。羽賀は戦後も、足払いや投げ技などの組討ちを行う戦前のままの剣道を指導した。羽賀の弟子たちは、昭和41年(1966年)に一剣会羽賀道場を設立し、後には日本剣道協会を設立し、全日本剣道連盟の剣道では禁止されている足払いや組討ちなどの有効な、戦前のままの剣道を稽古し続けている。 関東派の道統は、中山博道の子息・中山善道に師事し、剣術および居合の全伝を教授された佐伯宗一郎が九代目を継承した。佐伯宗一郎の死去に伴い、その道統は同じく中山善道に師事し剣術、居合の全伝の免許を授けられ、中山家から有信館の館名を受け継いだ小川武に継承された。他にも善道の弟子で免許者はいるため、道統は他にもあろうが、日本古武道協会や日本古武道振興会に加盟し、公に中山善道の伝系として活動しているのが確認できるのは小川武の有信館道場のみである。 系譜 福井兵右衛門嘉平―戸賀崎熊太郎暉芳―岡田十松吉利―斎藤弥九郎善道―斎藤新太郎龍善―根岸信五郎―中山博道―中山善道―佐伯宗一郎―小川武
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