ライカMシリーズボディーとは? わかりやすく解説

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ライカMシリーズボディー

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ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事における「ライカMシリーズボディー」の解説

ライカMマウントレンジファインダーカメラ。ただしレンジファインダー搭載しない機種もある。フランジバックは27.8mmとバルナック型と比較してちょうど1mm短く、1mm厚のアダプター使用しライカLマウントレンズ使用できるレンズに関してライカマウントレンズの一覧参照のこと。 ライカM3(Leica M3 、1954年4月3日発売) - 1954年フォトキナ発表されドイツ国内ではズミクロン50mmF2つき1159マルクにて即日発売された。日本での価格は約23万円でまさに高嶺の花であった新型バヨネット式Mマウント備え迅速にレンズ交換でき、50mmのファインダー常時表示され装着レンズ従い90mm、135mmのファインダー自動表示されるファインダーパララックス自動補正するファインダー等倍とする資料も多いが0.91倍であり、両目開いて撮影時、人によっては違和感覚え原因となる。距離計有効基線長68.5mmで135mmレンズにも充分な測距精度を持つ。レチナ式のレバー巻上により迅速に上できる。クリックストップのある一軸回転ダイヤル備えて迅速にシャッター速度設定でき、メトラワット製でセレン光電池式外付け露出計「ライカメーターM」を使用できる。裏一部開きフィルム装填迅速簡単になった。スプールを抜くとフィルムカウンター自動で「-2」に復帰する広角レンズ使用する際は焦点距離35mmレンズにある「眼鏡付き」のレンズ使用するか、外付ファインダー使用する当初は「2ストローク」「ダブルストローク」と呼ばれる二回巻き上げ方式シャッタースピード国際系列でB、1、1/2、1/5、1/10、1/25、1/50、1/100、1/250、1/500、1/1000秒の11スピードだが中間速度使用できるシンクロ速度は1/50以下。フィルム平面性向上するためガラス製圧板を採用した製造製造番号700000から始まった1955年4月製造番号785801から手動ブライトフレーム選択できるフレームセレクターレバーが付き装着されていないレンズ呼び出し画角確認できるようになった1956年外付け露出計ワイドレンジ化された「ライカメーターMCとなったガラスフィルム圧板が乾燥した環境下で急速な巻き戻しをすると静電気発光フィルム写った高温多湿下で貼り付いたりといった事故の原因になったため製造番号844001からプレス金属製となり、それに伴い自体ダイキャスト製から板金製に変更された。1957年ライカIIIg発売同時に製造番号854001から倍数系列でB、1、1/2、1/4、1/81/151/30、1/60、1/125、1/250、1/500、1/1000秒の12スピードとなり、これに伴い「ライカメーターMC」も倍数系列となった1958年ライカM2発売同時に製造番号915251以降「1ストローク」と呼ばれる分割巻き上げ可能な一回巻き上げになり、測距フレームの上側辺にF16時下側辺にF5.6時の焦点深度を示す凸型指標入り、またライカM2で採用され新型シャッターブレーキを装備した1959年中頃ライカM2の巻き戻し切り替えボタンからレバー変更されたことに伴い製造番号963001からライカM2と共通の小さレバー変更され、これと同時にネックストラップアイレットが独特の耳型から旧来の半球になった製造番号115台中頃にバヨネットロック解除ボタン保護リング省略された。1966年最終機1206999までクローム仕上げ2111120台が生産され、うち約7,000台がカナダライツ製である。ウェツラー刻印している製品中にもカナダライツ製の個体があり、「M3」刻印のMの文字わずかに大きいことで識別できる個体差はあるものの、初期の製品の方がシャッター音が静かで操作滑らかな傾向にあるという。クラシックカメラの内でも最高のものとされるライカM3ヌル型 - 試作機で、1952年から1953年にかけて製造された。一般ライカM3にある「M3」の刻印はなく、0035、0041といった4桁番号付けられている。フィルムカウンター外部露出していること、巻き戻しノブ一般機と逆の反時計回りであること、撮影カット覚えためパンチ機構ついていること、トッププレートの"Leica"の文字のうち"eica"の文字大きい旧タイプロゴ使っていることがなどが特徴として挙げられる。約65台が製造されたが現存一説によれば6から7台ともいう。 ライカM3-700型 - 上述のようにライカM3は製造番号700000から製造開始した初期製品のトップカバーは他にない形状であり、片山良平ライカM3ヌル作成した時の残り使用したではないか推定している。片山良平製造番号700575を所有し700700番台見たことがあることから、750台くらいはあるのではないかという。 ライカM3ブラック - アンリ・カルティエ=ブレッソンクローム仕上げライカに黒いビニールテープ貼って目立たなくして使っていたのを見かねたエルンスト・ライツ黒塗り製作したのが最初と言われる。ただしブレッソンは「やはりこの方使いやすいので」とその黒塗りボディーに黒いビニールテープ貼っ使ったという。エルンスト・ライツ製造番号表によれば黒塗りは3,010台が生産されたが、番号表から外れた黒塗り個体もあり、また純正でない後塗りもある。 ライカM3オリーブ - 当時西ドイツ国防軍用として1957年製造番号910501から910600の100台、1958年に920501から920521の21台、1966年に1158996から1159000の5台、1968年に1206962から1206999の38台、計164台が生産された。 ライカM3 Betriebsk - 社内使用用のライカM3。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカM3E - アルフレッド・アイゼンシュテットの求めにより、ライカビットMP装着できるよう巻上げ軸を改造しフィルムカウンターを後に発売されるライカM2形式の手リセットとし、セルフタイマー省いた特殊モデル。「ライカM3E-1」1台のみ生産された。 ライカM3D - デビッド・ダグラス・ダンカン求めライカM3Eと同様の機能で「ライカM3D-1」から「ライカM3D-4」までの4台が黒塗り製造された。「ライカM3D-4」は後に三木淳譲渡された。 ライカM3ライカビット装着モデル - 普通のライカM3を純正改造しライカビットMP装着したモデル一見ライカMPのようだセルフタイマー装備しており、製造番号通常品同様の通し番号である。製造台数数十と言われるライカMPLeica MP1956年発売) - ライカM3E、ライカM3D存在知った有名カメラマンから製造要望があったため生産された。Pはプロフェッショナルの意。ライカM3との違いはライカビットMP装着していること、フィルムカウンターが後に発売されるライカM2形式になっていること、セルフタイマーがないことなどが挙げられる。「ライカMP-1」から「ライカMP-12」までの12台はシャッタースピード国際系列クローム仕上げ1957年入って生産された「ライカMP-13」から「ライカMP-150」までの138台は倍数系列黒塗り、「ライカMP-151」から「ライカMP-300」までの300台は倍数系列クローム仕上げレバーによるフィルム巻き上げも可能で、全て2回巻き上げプロ酷使耐えるべく硬化処理したスチール機構部品使用している。当初ロット500台を割り当てその後生産続行する予定であったが、ほぼ同仕様ライカM2発売により売れ行きがは芳しくなく早々に生産打ち切った450台の中にはユーザー要望ライカM2のトップカバーとファインダーシステムを用いた個体セルフタイマー装備した個体や一巻上げ改良した個体もあり、これらの個体製造番号の後にはスペシャル仕様を示すSP文字入っている。生産台数少ないためライカM3やライカM2のパーツ寄せ集めた偽物存在するライカMPダミー - 店頭展示用のデモ機。ブラック仕上げクローム仕上げがある。製造番号機種を示すMP文字の後に600番台数字、ダミーモデルを示すAを組み合わせた「MP6**A」である。1980年代後半頃から普通のライカM3やライカM2の部品組み込み動作するようにし、本物ライカMP3分の1程の価格販売される個体市場出て来ている。 ライカM2(Leica M2 、1957年発売) - 50mm、90mm、35mmファインダー備え装着レンズ従い自動切り替わるこれに伴いファインダー倍率は0.72倍に低下しそれに伴い有効基線長も51.4mmに短くなっている。測距フレームの上側辺にF16時下側辺にF5.6時の焦点深度を示す凸型指標入った以降ほとんどのMシリーズライカのファインダーはこのファインダー基本とする。フィルムカウンタ−リセット手動なのでフィルム装填したら「-2」に合わせなければならないシャッター速度ダイヤル当初から倍数系列であったライカM3の廉価版という位置づけであった実際にはあまり価格変わらず一般に広角型として扱われた。製造製造番号926001から始まった1958年ライカM3と共通だったファインダー窓が製造番号929001以降13条の縦溝内側入った乳白色樹脂製に変更になった当初セルフタイマー装備されなかったが製造番号949101からアメリカ向けには装備されるようになった1959年製造番号959501以降ファインダー窓の縦溝外側7条になった1960年製造番号1004151からはセルフタイマー全数装備した新型シャッターブレーキが採用されシャッター動作がさらに安定した。ライカビットMP使用できる1970年まで87,576台が製造された。ライカM2ブラック - 約2,000台が製造された。 ライカM2 Betriebsk - 社内使用用のライカM2。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカMP2Leica MP21958年発売) - ライカM2に3コマ/秒のフィルム巻き上げモータードライブ組み込んだモデル製造番号935501〜935512、952001〜952015の2ロット27台が製造された。電源単3×8本。セルフタイマー省略されている。ライカM2グレー1960年製造) - 当時西ドイツ空軍用ともアメリカ空軍用とも言われグレー仕上げ製造番号1005751〜1005770の20台が製造された。ファインダーは後のライカM4と同じ50mm、90mm、35/135mmとなり、セルフタイマー省略されている。 ライカM2-MLeica M2-M1966年発売) - ニューヨーク・ライツがノーマン・ゴールドバーグの開発したM型ライカ用モーターワインダーの製造取得1965年当初ユーザー持ち込みモーター部とボディー改造用部品と改造セット販売された。1966年にニューヨーク・ライツ製モーター組み込んだ状態で本社製造番号1163771〜1164046の275台を製造したライカM2-R(Leica M2-R 、1966年発売) - ライカM2末期ライカM4のラピッドローディング機構組み込んだマイナーチェンジ型。アメリカ軍KS15-4として製造番号1163150〜1163770、1164046〜1164300の2ロット876台が製造されたがキャンセルになり市場流れて話題になった。これは軍艦部機種名も「M2」のみであったが、後にニューヨークライツがドイツ本社に同じ物を発注し軍艦部にある機種名は「M2-R」となり製造番号1248201〜1250200が割り当てられ生産された。 ライカM1(Leica M1 、1959年発売) - ライカM2から距離計とファインダーセレクターレバーを除いた製品で、その後マイナーチェンジライカM2に準じるファインダー35mmと50mmで両方常時表示される距離計窓は「M1」と刻印のある盲塞がれている。パララックス自動補正セルフタイマー装備しない。ライカビットMP使用できるエルンスト・ライツではライカM2への改造引き受けていたが実例確認されていない1964年までに9,442台または9,650台が製造された。ライカM1オリーブ - 1960年西ドイツ国防軍用に製造番号980451〜980500の50台、1961年に1035926〜1036000の75台、1964年に1098101〜1098183の83台、合計208台が生産された。ファインダーは50mmと135mmに変更されており、ファインダーアイピースの上に「5+13.5」の文字があり、オリーブ仕上げエルマー50mmF2.8、ヘクトール135mmF4.5とセットになっていた。ただし最終ロット一部通常のライカM1と同様35mmと50mmのファインダー持ちズマロン35mmF2.8とエルマー50mmF2.8がセットになっている個体少数ある。 ライカM1ライカMD型トップカバーつき - ライカMDと同じトップカバーを使用する特殊型製造番号980300から980400と、980401から980450の2グループがあり、前者製造番号刻印前にM1の刻印入りであるのに対して後者製造番号のみでM1の刻印はない。 ライカMDLeica MD1963年発売) - ライカM1からさらにファインダー除いた機種で、バルナックライカで言えばI系列であるが、大きさライカM2と変わらない画面の端にデータ記録用のスリット設けられており、Dはドキュメンテーションイニシャルという。1966年までに3,216台が製造された。ライカMDポストLeica MD Post ) - 電話通話数を示すカウンター記録するための電話局仕様で、コマ数計が自動リセット式であることとデータ写し込み機構備えないこととフィルム感度メモ円盤備えないのが通常モデルとの相違点シャッター速度1/50秒固定型全速備える型がある。製造番号1067871から1068000、1114976から1115000、1141897から1141968の3ロット227台は通常通り24×36mm(ライカ)判だが、製造番号1141969から1142000の32台は24×27mm判。 ライカMDグレー - 灰色塗装されモデル16製造された。 ライカMDシンクロなし - 顕微鏡撮影などシンクロ必要な撮影用にコスト下げるため製造されモデルライカMSLeica MS ) - アメリカ合衆国海軍からの注文製造され特殊型航空機パイロットヘルメットかぶったままで使用できるハイアイポイントファインダーを採用している。ファインダーは90mmと135mmで、ピント無限遠固定されたMズミクロン90mmF2、Mエルマリート135mmF2.8とセットにされていた。シャッタースピードは1/250、1/500、1/1000秒のみ。フィルム巻き上げはライカビット式で、グリップ浅く引くとシャッター落ち、さらに強く引くとフィルム巻き上げられるようになっているモータードライブ装着型存在している。製造台数10台以下。 ライカMDaLeica MDa1966年発売) - ライカMD後継機種でありベースライカM4になっている、と説明するのが分かりやすいが、正確にライカM2がライカM4に交代する前にライカMDライカMDa交代している。フィルム巻き上げレバー万能複写装置IIa型と干渉するという理由ですぐにライカM2と同型にされた。画面の端にデータ記録用のスリット設けられている。1976年まで特殊モデル除き14308台製造された。ライカMDaポストLeica MDa Post1967年生産開始) - 電話通話数を示すカウンター記録するための電話局仕様。ポストライカは戦前から製造されていたが電話局コンピューター制御されるようになって需要なくなりこの機種最後となった1967年生産され製造番号1164866から1164940の75台、1969年生産された1206892から1206941の50台、1971年生産された1273926から1274000の75台、計200台は通常通り24×36mm(ライカ)判だが、1968年生産された1185291から1185300の10台、1969年生産された1206942から1206961の20台、1971年生産された1273922から1273925の4台と1274001から1274100の1000台、1972年生産された1286701から1286760の60台と1293878から1294000の132台、計217台は24×27mm判。 ライカMDaブリッツスペシャル - 24×36mm(ライカ)判のライカMDaポストライカM4-M用モータードライブ組み合わせた製品1972年製造番号1293673から1293770と1293776から1293877の2ロット100台が生産された。 ライカM4(Leica M4 、1967年6月発売) - ファインダ−は基本的にライカM2を踏襲したが135mmのファインダー装備され装着されレンズに従って自動で50mm、90mm、35/135mmの切り替える。巻上レバープラスチック製の指当てがつき、巻戻はノブからクランクとなりライカメーターMR装着時でも楽に巻き戻せるよう斜めに取り付けられている。シンクロターミナル一般的なDIN式に変更されている。裏を開くとフィルムカウンター自動リセットされる。製造番号は1175001から始まり1975年生産中止までにクローム仕上げ47,191台と、少数焼付ブラック生産された。巻上げ軸が改良されたためライカビットMP使用できないライカM4-M(Leica M4-M 、1968年発売) - ライカM4をニューヨーク・ライツがモータードライブ装着対応とした型。モーター対応するためラピッドローディング機構外されている。軍艦部刻印当初「M4-M」で製造番号1185001から1185150の150台が生産された。1969年には軍艦部刻印が「M4-MOT」となり、製造番号1206737から1206891の154台、1248101から1248200の100台、1970年製造番号1267101から1267500の400台、1971年製造番号1274001から1274100の100台、計904台が全て黒塗り仕上げ生産された。 ライカM4-M/Da(Leica M4-MDa ) - ライカMDa同様データ記録スリットがある。モータードライブ装着不可能。Mの文字の横に白丸マーク入っているものはツァイスから注文受けて眼底検視記録装置として製造されたもの。 ライカM4オリーブ1970年生産) - 西ドイツ軍向けに製造番号1266101から1266131の31台が生産された。 KE-7A(1972年もしくは1973年生産) - アメリカ軍向けにカナダライツで生産された。機能的に通常のライカM4と同様だ気温-20までの耐寒性回転部の耐塵性が考慮されている。製造番号試作が1293771から1293775の5台、軍に納入された1294501から1294250の250台、一般向けに市販された1294251から1294500の250台、計505台が生産された。全てブラッククローム仕上げでMエルカン50mmF2レンズ装着されていた。 ライカM4ブラッククローム(1974年発売) - ライカM5不評受けてカナダライツにてライカM4がKE-7Aと同じブラッククローム仕上げ製造番号1380001から再生産された。当時軍用ライカと同じ仕上げで、激し撮影でも塗装剥離しないため、黒塗りより人気高かった製造ロット138番台141番台144番台にある。 ライカM4ライカ発売50周年記念モデル1975年発売) - 製造番号L-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750生産された。うちC-刻印350台はカナダライツ刻字製品使用された。 ライカM5Leica M51971年発売) - CdS素子によるTTL露出計装備するそれまで端正なデザイン壊した大型カメラで「弁当箱」と揶揄され発売当初不人気だったが、1975年製造中止後しばらく経ってから人気出た異形見えるがファインダー系は以前のもの踏襲している。露出計受光部レンズ装着感知してフィルム前面降りて来、シャッターレリーズすると上がる。21mmレンズ使用時には50mmの、28mmレンズ使用時には90mmの、35mmレンズ使用時には135mmのファインダー測光範囲を示す。測光30秒まで可能だが1秒を超える長時間露光はBでシャッター開いてストップウォッチなどで計測しなければならない当初ストラップ金具が2ヶ所で縦位置状態で釣る方式だったが後に横位置状態でも釣ることが可能な3ヶ所に改められ従来製品改造工場でも受け付けた1975年までにクローム仕上げ10750台、ブラッククローム仕上げ23150台が生産された。ライカM5ヌル型 - 本格生産に入る前に製造番号1287001から1287050の50台が新型発表会広報サンプル用として製造された。黒塗り仕上げライカM5ライカ発売50周年記念モデル1975年発売) - 製造番号L-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750生産された。全てウェツラー製。 ライカCLLeica CL1973年9月発表発売) - 提携先であったミノルタ(現コニカミノルタ)からのOEMで、最終組立調整のみドイツ行なったため"Made in germany"の刻印がされている。機能的にライカM5小型軽量化したものファインダー0.6倍で40mmの常時表示されており、通常は50mmの出ているが、90mmレンズ装着すると50mmの消えて90mmの表示される距離計実像式基線長31.5mm。シャッターは布幕縦走りフォーカルプレーン式。露出計受光部フィルム巻き上げるフィルム前面降りて来て、シャッターレリーズすると上がるドイツ国内では999マルク販売され雑誌などで「1000マルク切った最初ライカ」として宣伝されていた。日本には輸入されず、ミノルタから直接ライツミノルタCLとして販売されこの分製造番号ミノルタ独自の番号になっている発売時にオート露出カメラ続いて発売される旨も併せて発表され、ミノルタブランドでは1980年ミノルタCLE発売になったが、結局OEM化されなかった。ライツミノルタCL含まない製造番号は1300001から133500の35,000台、1395001から1410000の15,000台、1425001から1440000の15,000台、合計65,000台。ライカCLライカ発売50周年記念モデル1975年発売) - 製造番号L-001からL-700、E-001からE-700、I-001からI-700、C-001からC-700、A-001からA-700の計3500生産された。 ライカM4-2Leica M4-21976年フォトキナ発表1978年製造開始1978年発売) - 1974年ウィルドへの売却に伴う混乱の中で発表発売された。ライカM4のマイナーチェンジモデルで、ホットシュー装備されセルフタイマー省略された。単3電池×4で駆動されるライカワインダーM4-2使用でき、本来はどのボディーとも組み合わせ可能であるはずであり製造番号1502001以降実際に互換性があるが、初期製品はいちいち調整が必要であった初期には検査部門の存在自体疑われるような不良品流通した1979年頃には安定して生産されるようになった製造番号は1480001から1533350で、少数限定モデル除き全てブラッククローム仕上げライカM4-2ゴールド1979年発売) - オスカー・バルナック生誕100年記念24金メッキ仕上げ当初製造番号1527201から1527700の500台が割り当てられたが購入希望者が多く1528151から1528650の500台が追加され、計1000台が生産された。同じく金メッキ仕上げのMズミルックス50mmF1.4が付属するライカM4-2クローム - アメリカディーラーからの注文コレクター向けに同色のMズミクロン35mmF2、Mズミクロン50mmF2とのセット販売された。 ライカM4-2オリーブ - アメリカディーラーからの注文コレクター向けに同色のMズミクロン35mmF2、Mズミクロン50mmF2とのセット販売された。片山良平によると1991年頃「イスラエル戦車隊仕様」との肩書きカメラ店広告出たがこれは嘘だという。 ライカM4-2グレー - アメリカディーラーからの注文コレクター向けに同色のMズミクロン35mmF2、Mズミクロン50mmF2とのセット販売された。 ライカMD-2Leica MD-21976年発表1977年製造開始1980年発売) - ライカMDa後継機種でありベースライカM4-2になっている画面の端にデータ記録用のスリット設けられている。製造開始発売に差があるのは当時社内事情よる。ライカワインダーM4-2使用可能。1987年まで製造された。1985年までに2,593台が製造され、うち951台がカナダライツ製であるがその後データ発表されていないので生産総数不明であるが、人気もなかったためその後多数出ていないことは間違いない仕上げ全てブラッククローム仕上げライカMDa同様データ記録スリットがあるが、ブラッククローム仕上げのベースプレートは製造されなかった可能性がある。ライカMD-22Leica MD-221976年発表) - ライカMD-224×18mm(ハーフ)判仕様ライカMD-2同時に発表されエルンスト・ライツ総合カタログ記載されコード与えられていたにも拘らず発売されず、その後試作品さえ確認されていないライカM4-PLeica M4-P1980年フォトキナ発表1981年生産開始1981年発売) - 28mmと75mmのファインダー加わり装着されレンズに従って自動で50/75mm、28/90mm、35/135mmの切り替えるファインダー数が多いこと、倍率高く28mmを見渡すのが困難であることから見にくい批判もあり、特に眼鏡使用者からは外付け28mmファインダー懐かしむ声が聞かれた。組み合わされワインダー電子式インターロック機構を持つライカワインダーM4-Pになり、1984年ライカM6が発売される共用のライカワインダーMになったボディー真鍮プレス加工ボディーカラー当初ブラッククロームのみであった1983年ライカM4-Pウル・ライカ70周年記念発売同時にクローム仕上げ加わった生産台数はブラッククローム18,057台、クローム4,334台。ライカM4-Pエベレスト登頂記念1982年発売) - カナダ登山隊がエベレスト登頂したことを記念しトッププレートその旨ロゴマークをつけ、カナダライツ社長署名入り証明書付属し北米向け200台が限定生産された。 ライカM4-Pウル・ライカ70周年記念1983年発売) - ウル・ライカ完成70周年記念モデル製造番号L-001からL-500、E-001からE-500、I-001からI-500、C-001からC-500、A-001からA-500の計2500生産された。 ライカM4-Pダイキャスト型(1984年発売) - ライカM6発売同時または少し遅れて製造番号1643500頃からライカM6と共通の亜鉛合金ダイキャストボディーになり、強度上がるとともにトップカバーエッジがシャープになりまた均一化された。また窓が外側か接着されるようになり表面フラット化されて塵がつきにくくなった。シンクロ接点M接点廃止されX接点のみとなったライカM4-Pオリーブ - アメリカディーラーからの注文コレクター向けに発売された。 ライカM6(Leica M6 、1984年フォトキナ発表1984年発売) - ライカM4時代デザインのままTTL露出計組み込み、すなわちライカM5発売時のクレームにようやく応えたとなったライカR4から採用されたダイキャストボディーとなり強度上がるとともにトップカバーエッジがシャープになりまた均一化された。また窓が外側か接着されるようになり表面フラット化されて塵がつきにくくなった。メーターシャッター幕上12mmのドットをシリコンフォトダイオードにて測光する。仕上げ当初ブラッククロームのみであった1985年クローム仕上げ加わった1988年会社組織変更に伴いトップカバーの文字が「ライツ・ウェツラー」から「ライカ」に変更された。また「ライツ」だったロゴマークも「ライカになっているライカM6LHSA(1988年製造) - ライカ・ヒストリカル・ソサエティー・オブ・アメリカ20周年記念としてメンバー配布された。トッププレートにそのロゴマーク彫刻されている。 ライカM6プラチナ1989年発売) - ウル・ライカ完成75周年写真発明150年周年記念モデル75プラチナメッキ、革張り。同じ仕上げのズミルックス50mmF1.4とのセット販売製造番号L-001からL-250、E-001からE-250、I-001からI-250、C-001からC-250、A-001からA-250の計1250台生産された。 ライカM6ブルネイ王国記念モデル - ブルネイ賓客お土産として贈呈された。金メッキで同仕上げのMズミルックス50mmF1.4が付属するライカM6パンダ1990年発売) - 1991年まで生産分にクロームボディーにブラッククロームの部品使った個体があり「パンダ」と俗称されている。 ライカM6コロンボ'921992年発売) - クリストファー・コロンブスアメリカ大陸発見500周年記念モデルイタリア代理店注文製造番号I-01からI-40、T-01からT-40、A-01からA-40、L-01からL-40、Y-01からY-40の計200生産された。 ライカM6G - スイスライカ代理店特注品ロゴマーク金色で、アクセサリーシュー前部エルマー構成図が彫刻されている。 ライカM6SH - シイベルヘグナー設立125周年モデルで、125台が生産され各方面贈呈された。 ライカM6チタン1992年フォトキナ発表1992年発売) - チタン仕上げで、トップカバーがチタンでできているわけではないボディー製造方式ライカM6に採用されていたダイキャストではなく真鍮プレス戻っている。同じ仕上げのズミルックスM35mmF1.4も同時に発売された。 ライカM6香港シュミットマーク入り1993年発売) - 香港シュミット干支と「ライカ吉祥」の文字をトップカバーに刻印し300限定品ライカM6J(Leica M6J 、1994年フォトキナ発表1994年発売) - ライカM3発売40周年記念して1640台が生産された。外観ライカM3に似せてあるが巻き戻し斜めクランク露出計ライカM6と同様装備するファインダーライカM3の0.91倍でもライカM2からライカM6まで使用されて来た0.72倍でもない0.85倍。ファインダーは50mm、90mm、35/135mm。 ライカM6 0.85(Leica M6 0.85 、1998年発売) - ライカM6のファインダーを0.85倍にした。ファインダーは35/135mm、50/75mm、90mm。 ライカM6TTL(Leica M6TTL 、1998年発売) - TTLフラッシュ対応したライカM7(Leica M7 、2002年発売) - 絞り優先AE装備した電子シャッター機。ファインダーは0.72倍。は50/75mm、28/90mm、35/135mmを自動切り替えるライカM7 0.58 - ファインダーは0.58倍。は50/75mm、28/90mm、35mm自動切り替えるライカM7 0.85 - ファインダーは0.85倍。は50/75mm、90mm、35/135mmを自動切り替えるライカM7エディション・エルメス(Leica M7 Edition Hermes2009年12月発売) - 貼革がオレンジ、またはエトゥープのカーフスキンで各100台、計200台が限定販売された。 ライカMPLeica MP2003年発売) - ライカM3の特殊モデルとして生産されライカMPと名称は同一であるが別物ライカM6のトップカバーを真鍮製にし、レバーノブライカM3様にしたモデルライカMPエディション・エルメス(Leica MP Edition Hermes2003年発売) - 貼革がオレンジ、またはエトゥープのカーフスキンで各100台、計200台が限定販売された。 ライカM8Leica M8 、2006年発売) - ライカMシリーズ初のデジタルカメラ金属幕・縦走シャッター詳細は「M8 (カメラ)」を参照 ライカM8.2(Leica M8.2 、2008年発売) - ライカM8ベースシャッター静粛化したが最高シャッタースピードライカM8の1/8000秒から1/4000秒に低下した背面液晶カバーサファイア使用している。 ライカM8.2サファリ2009年2月発売) - 世界500セット限定発売ライカM9(Leica M9 、2009年発売)- 35mmフルサイズセンサー採用したデジタルカメラ旧来のレンズフィルムと同じ画角使用できるボディライカM8と同サイズ維持し2009年現在世界最小35mmフルサイズ・デジタルカメラである。1800万画素のCCDセンサー搭載背面液晶ゴリラガラスライカM9-P(Leica M9-P 、2011年発売ライカM9から、赤バッジ機種ロゴ除いた代わりにトップカバーのロゴ彫り込み液晶モニターサファイアガラスにしたモデルライカM モノクロームLeica M Monochrom, 2012年8月発売)- ライカM9をベースとしたモノクローム専用デジタルカメラライカM-E(Leica M-E , 2012年10月発売)- ライカM9をベースとした廉価版デジタルカメラライカM Typ240(Leica M Typ 240, 2013年3月発売)- 35mmフルサイズセンサー採用したデジタルカメラ2400万画素のCMOSセンサー搭載動画撮影可能になり、EVFつけられるようになったブライトフレームLEDになったため、採光窓がなくなるという外観上の違いもある。背面液晶ゴリラガラスライカM-P Typ 240Leica M-P Typ 240, 2014年9月発売ライカM Typ 240から、赤バッジ機種ロゴ除いた代わりにトップカバーのロゴ彫り込み液晶モニターサファイアガラスにしたモデルライカMモノクローム Typ 246Leica M Monochrom Typ 246, 2015年5月発売ライカM Typ 240ベースにしたモノクローム専用デジタルカメラ2400万画素のCMOSセンサー搭載ライカM-D Typ 262Leica M-D Type 262, 2015年5月発売ライカM Type 240ベースに、背面液晶画面および操作ボタン一切排除したモデルライカ M10Leica M10, 2017年1月発売フィルムMシリーズに近い厚みを実現した35mmフルサイズセンサーデジタルカメラ。ISOダイアルがつき、背面ボタン簡素化された。動画機能はない。2400万画素のCMOSセンサー搭載ライカ M10-P(Leica M10, 2018年8月21日発売デザイン面はライカM10ベースに赤バッジが黒いネジ変更され代わりにトップカバーにLeica彫り込み追加された。機能面ではM10対しタッチスクリーン電子水準器M10比べよ静かなシャッター搭載された。ライカM-D Typ 240後継機種である。 ライカM10-D(Leica M10ーD, 2018年10月24日発売デザイン面はライカM10-Pベース液晶モニター無くなり黒の露出補正ダイヤル電源ダイヤル変更されている。また、フィルム巻き上げレバーオマージュしたサムレストが追加されている。機能面露出ISO絞りシャッタースピード設定除いて、ライカフォトアプリから行仕様となっている。ライカM-D Typ 262後継機種である。 ライカM10モノクロームLeica M10 Monochrom, 2018年1月17日発売デザイン面はライカM10-PベースであるがトップカバーのLeicaロゴ彫り込みなくなりシンプルなデザインになっている機能面ライカM10-Pベースモノクローム4000万画CMOSセンサーとなっている。ライカM-D Typ 246後継機種である。 ライカM10-R(Leica M10, 2020年7月24日発売デザイン面はライカM10踏襲している。機能面でM10-Pをベースカラー4000万画CMOSセンサーとなっている。

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