ライカMシリーズボディー
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「ライカのレンジファインダーカメラ製品一覧」の記事における「ライカMシリーズボディー」の解説
ライカMマウントのレンジファインダーカメラ。ただしレンジファインダーを搭載しない機種もある。フランジバックは27.8mmとバルナック型と比較してちょうど1mm短く、1mm厚のアダプターを使用しライカLマウントのレンズも使用できる。レンズに関してはライカマウントレンズの一覧を参照のこと。 ライカM3(Leica M3 、1954年4月3日発売) - 1954年のフォトキナで発表され、ドイツ国内ではズミクロン50mmF2つき1159マルクにて即日発売された。日本での価格は約23万円でまさに高嶺の花であった。新型のバヨネット式Mマウントを備え迅速にレンズ交換でき、50mmのファインダー枠が常時表示され、装着レンズに従い90mm、135mmのファインダー枠が自動で表示される。ファインダー枠はパララックスを自動補正する。ファインダーは等倍とする資料も多いが0.91倍であり、両目を開いての撮影時、人によっては違和感を覚える原因となる。距離計は有効基線長68.5mmで135mmレンズにも充分な測距精度を持つ。レチナ式のレバー巻上により迅速に巻上できる。クリックストップのある一軸不回転ダイヤルを備えて迅速にシャッター速度が設定でき、メトラワット製でセレン光電池式の外付け露出計「ライカメーターM」を使用できる。裏蓋が一部開き、フィルム装填が迅速簡単になった。スプールを抜くとフィルムカウンターは自動で「-2」に復帰する。広角レンズを使用する際は焦点距離35mmのレンズにある「眼鏡付き」のレンズを使用するか、外付ファインダーを使用する。当初は「2ストローク」「ダブルストローク」と呼ばれる二回巻き上げ方式、シャッタースピードは国際系列でB、1、1/2、1/5、1/10、1/25、1/50、1/100、1/250、1/500、1/1000秒の11スピードだが中間速度も使用できる。シンクロ速度は1/50以下。フィルムの平面性を向上するためガラス製圧板を採用した。製造は製造番号700000から始まった。1955年4月製造番号785801から手動でブライトフレームを選択できるフレームセレクターレバーが付き、装着されていないレンズの枠を呼び出し画角を確認できるようになった。1956年外付け露出計がワイドレンジ化された「ライカメーターMC」となった。ガラス製フィルム圧板が乾燥した環境下で急速な巻き戻しをすると静電気の発光がフィルムに写ったり高温多湿下で貼り付いたりといった事故の原因になったため製造番号844001からプレス金属製となり、それに伴い裏蓋自体もダイキャスト製から板金製に変更された。1957年ライカIIIg発売と同時に製造番号854001から倍数系列でB、1、1/2、1/4、1/8、1/15、1/30、1/60、1/125、1/250、1/500、1/1000秒の12スピードとなり、これに伴い「ライカメーターMC」も倍数系列となった。1958年ライカM2発売と同時に製造番号915251以降「1ストローク」と呼ばれる分割巻き上げも可能な一回巻き上げになり、測距フレームの上側辺にF16時下側辺にF5.6時の焦点深度を示す凸型指標が入り、またライカM2で採用された新型シャッターブレーキを装備した。1959年中頃ライカM2の巻き戻し切り替えがボタンからレバーに変更されたことに伴い製造番号963001からライカM2と共通の小さいレバーに変更され、これと同時にネックストラップアイレットが独特の耳型から旧来の半球型になった。製造番号115万台中頃にバヨネットロック解除ボタン保護リングが省略された。1966年最終機1206999までクローム仕上げ2111120台が生産され、うち約7,000台がカナダライツ製である。ウェツラーと刻印している製品の中にもカナダライツ製の個体があり、「M3」刻印のMの文字がわずかに大きいことで識別できる。個体差はあるものの、初期の製品の方がシャッター音が静かで操作が滑らかな傾向にあるという。クラシックカメラの内でも最高のものとされる。ライカM3ヌル型 - 試作機で、1952年から1953年にかけて製造された。一般のライカM3にある「M3」の刻印はなく、0035、0041といった4桁の番号が付けられている。フィルムカウンターが外部に露出していること、巻き戻しノブが一般機と逆の反時計回りであること、撮影カットの覚えのためパンチ機構がついていること、トッププレートの"Leica"の文字のうち"eica"の文字が大きい旧タイプのロゴを使っていることがなどが特徴として挙げられる。約65台が製造されたが現存は一説によれば6から7台ともいう。 ライカM3-700型 - 上述のようにライカM3は製造番号700000から製造を開始したが初期製品のトップカバーは他にない形状であり、片山良平はライカM3ヌルを作成した時の残りを使用したのではないかと推定している。片山良平が製造番号700575を所有し700700番台も見たことがあることから、750台くらいはあるのではないかという。 ライカM3ブラック - アンリ・カルティエ=ブレッソンがクローム仕上げのライカに黒いビニールテープを貼って目立たなくして使っていたのを見かねたエルンスト・ライツが黒塗りを製作したのが最初と言われる。ただしブレッソンは「やはりこの方が使いやすいので」とその黒塗りのボディーに黒いビニールテープを貼って使ったという。エルンスト・ライツの製造番号表によれば黒塗りは3,010台が生産されたが、番号表から外れた黒塗りの個体もあり、また純正でない後塗りもある。 ライカM3オリーブ - 当時の西ドイツ国防軍用として1957年に製造番号910501から910600の100台、1958年に920501から920521の21台、1966年に1158996から1159000の5台、1968年に1206962から1206999の38台、計164台が生産された。 ライカM3 Betriebsk - 社内使用用のライカM3。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカM3E - アルフレッド・アイゼンシュテットの求めにより、ライカビットMPを装着できるよう巻上げ軸を改造し、フィルムカウンターを後に発売されるライカM2形式の手動リセットとし、セルフタイマーを省いた特殊モデル。「ライカM3E-1」1台のみ生産された。 ライカM3D - デビッド・ダグラス・ダンカンの求めでライカM3Eと同様の機能で「ライカM3D-1」から「ライカM3D-4」までの4台が黒塗りで製造された。「ライカM3D-4」は後に三木淳に譲渡された。 ライカM3ライカビット装着モデル - 普通のライカM3を純正改造しライカビットMPを装着したモデル。一見ライカMPのようだがセルフタイマーを装備しており、製造番号も通常品と同様の通し番号である。製造台数は数十台と言われる。 ライカMP(Leica MP 、1956年発売) - ライカM3E、ライカM3Dの存在を知った有名カメラマンから製造の要望があったため生産された。Pはプロフェッショナルの意。ライカM3との違いはライカビットMPを装着していること、フィルムカウンターが後に発売されるライカM2形式になっていること、セルフタイマーがないことなどが挙げられる。「ライカMP-1」から「ライカMP-12」までの12台はシャッタースピードが国際系列でクローム仕上げ、1957年に入って生産された「ライカMP-13」から「ライカMP-150」までの138台は倍数系列で黒塗り、「ライカMP-151」から「ライカMP-300」までの300台は倍数系列でクローム仕上げ。レバーによるフィルム巻き上げも可能で、全て2回巻き上げ。プロの酷使に耐えるべく硬化処理したスチール製機構部品を使用している。当初のロットに500台を割り当てその後も生産を続行する予定であったが、ほぼ同仕様のライカM2発売により売れ行きがは芳しくなく早々に生産を打ち切った。450台の中にはユーザーの要望でライカM2のトップカバーとファインダーシステムを用いた個体やセルフタイマーを装備した個体や一回巻上げに改良した個体もあり、これらの個体の製造番号の後にはスペシャル仕様を示すSPの文字が入っている。生産台数が少ないためライカM3やライカM2のパーツを寄せ集めた偽物が存在する。 ライカMPダミー - 店頭展示用のデモ機。ブラック仕上げとクローム仕上げがある。製造番号は機種を示すMPの文字の後に600番台の数字、ダミーモデルを示すAを組み合わせた「MP6**A」である。1980年代の後半頃から普通のライカM3やライカM2の部品を組み込み動作するようにし、本物のライカMPの3分の1程の価格で販売される個体が市場に出て来ている。 ライカM2(Leica M2 、1957年発売) - 50mm、90mm、35mmのファインダー枠を備え、装着レンズに従い自動で切り替わる。これに伴いファインダー倍率は0.72倍に低下し、それに伴い有効基線長も51.4mmに短くなっている。測距フレームの上側辺にF16時下側辺にF5.6時の焦点深度を示す凸型指標が入った。以降ほとんどのMシリーズライカのファインダーはこのファインダーを基本とする。フィルムカウンタ−リセットが手動なのでフィルムを装填したら「-2」に合わせなければならない。シャッター速度ダイヤルは当初から倍数系列であった。ライカM3の廉価版という位置づけであったが実際にはあまり価格は変わらず、一般には広角型として扱われた。製造は製造番号926001から始まった。1958年ライカM3と共通だったファインダー窓が製造番号929001以降13条の縦溝が内側に入った乳白色樹脂製に変更になった。当初セルフタイマーは装備されなかったが製造番号949101からアメリカ向けには装備されるようになった。1959年製造番号959501以降ファインダー窓の縦溝が外側7条になった。1960年製造番号1004151からはセルフタイマーを全数が装備した。新型シャッターブレーキが採用され、シャッター動作がさらに安定した。ライカビットMPが使用できる。1970年までに87,576台が製造された。ライカM2ブラック - 約2,000台が製造された。 ライカM2 Betriebsk - 社内使用用のライカM2。「Betriebsk」の刻印がある。 ライカMP2(Leica MP2 、1958年発売) - ライカM2に3コマ/秒のフィルム巻き上げ用モータードライブを組み込んだモデルで製造番号935501〜935512、952001〜952015の2ロット約27台が製造された。電源は単3×8本。セルフタイマーが省略されている。ライカM2グレー(1960年製造) - 当時の西ドイツ空軍用ともアメリカ空軍用とも言われ、グレー仕上げで製造番号1005751〜1005770の20台が製造された。ファインダー枠は後のライカM4と同じ50mm、90mm、35/135mmとなり、セルフタイマーが省略されている。 ライカM2-M(Leica M2-M 、1966年発売) - ニューヨーク・ライツがノーマン・ゴールドバーグの開発したM型ライカ用モーターワインダーの製造権を取得、1965年当初はユーザーの持ち込みでモーター部とボディー改造用部品と改造のセットで販売された。1966年にニューヨーク・ライツ製モーターを組み込んだ状態で本社が製造番号1163771〜1164046の275台を製造した。 ライカM2-R(Leica M2-R 、1966年発売) - ライカM2末期にライカM4のラピッドローディング機構を組み込んだマイナーチェンジ型。アメリカ軍KS15-4として製造番号1163150〜1163770、1164046〜1164300の2ロット876台が製造されたがキャンセルになり市場に流れて話題になった。これは軍艦部の機種名も「M2」のみであったが、後にニューヨークライツがドイツ本社に同じ物を発注し、軍艦部にある機種名は「M2-R」となり製造番号1248201〜1250200が割り当てられて生産された。 ライカM1(Leica M1 、1959年発売) - ライカM2から距離計とファインダーセレクターレバーを除いた製品で、その後のマイナーチェンジもライカM2に準じる。ファインダー枠は35mmと50mmで両方が常時表示される。距離計窓は「M1」と刻印のある盲蓋で塞がれている。パララックス自動補正。セルフタイマーは装備しない。ライカビットMPが使用できる。エルンスト・ライツではライカM2への改造を引き受けていたが実例は確認されていない。1964年までに9,442台または9,650台が製造された。ライカM1オリーブ - 1960年西ドイツ国防軍用に製造番号980451〜980500の50台、1961年に1035926〜1036000の75台、1964年に1098101〜1098183の83台、合計208台が生産された。ファインダー枠は50mmと135mmに変更されており、ファインダーアイピースの上に「5+13.5」の文字があり、オリーブ仕上げのエルマー50mmF2.8、ヘクトール135mmF4.5とセットになっていた。ただし最終ロットの一部に通常のライカM1と同様35mmと50mmのファインダーを持ちズマロン35mmF2.8とエルマー50mmF2.8がセットになっている個体が少数ある。 ライカM1ライカMD型トップカバーつき - ライカMDと同じトップカバーを使用する特殊型。製造番号980300から980400と、980401から980450の2グループがあり、前者が製造番号の刻印の前にM1の刻印入りであるのに対して後者は製造番号のみでM1の刻印はない。 ライカMD(Leica MD 、1963年発売) - ライカM1からさらにファインダーを除いた機種で、バルナックライカで言えばI系列であるが、大きさはライカM2と変わらない。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられており、Dはドキュメンテーションのイニシャルという。1966年までに3,216台が製造された。ライカMDポスト(Leica MD Post ) - 電話の通話数を示すカウンターを記録するための電話局仕様で、コマ数計が自動リセット式であることとデータ写し込み機構を備えないこととフィルム感度メモ用円盤を備えないのが通常モデルとの相違点。シャッター速度1/50秒固定型と全速度備える型がある。製造番号1067871から1068000、1114976から1115000、1141897から1141968の3ロット227台は通常通り24×36mm(ライカ)判だが、製造番号1141969から1142000の32台は24×27mm判。 ライカMDグレー - 灰色塗装されたモデルで16台製造された。 ライカMDシンクロなし - 顕微鏡撮影などシンクロが必要ない撮影用にコストを下げるため製造されたモデル。 ライカMS(Leica MS ) - アメリカ合衆国海軍からの注文で製造された特殊型。航空機パイロットがヘルメットをかぶったままで使用できるハイアイポイントファインダーを採用している。ファインダー枠は90mmと135mmで、ピントを無限遠に固定されたMズミクロン90mmF2、Mエルマリート135mmF2.8とセットにされていた。シャッタースピードは1/250、1/500、1/1000秒のみ。フィルム巻き上げはライカビット式で、グリップを浅く引くとシャッターが落ち、さらに強く引くとフィルムが巻き上げられるようになっている。モータードライブ装着型も存在している。製造台数は10台以下。 ライカMDa(Leica MDa 、1966年発売) - ライカMDの後継機種でありベースがライカM4になっている、と説明するのが分かりやすいが、正確にはライカM2がライカM4に交代する前にライカMDはライカMDaに交代している。フィルム巻き上げレバーが万能複写装置IIa型と干渉するという理由ですぐにライカM2と同型にされた。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。1976年までに特殊モデルを除き14308台製造された。ライカMDaポスト(Leica MDa Post 、1967年生産開始) - 電話の通話数を示すカウンターを記録するための電話局仕様。ポストライカは戦前から製造されていたが電話局がコンピューターで制御されるようになって需要がなくなりこの機種が最後となった。1967年に生産された製造番号1164866から1164940の75台、1969年に生産された1206892から1206941の50台、1971年に生産された1273926から1274000の75台、計200台は通常通り24×36mm(ライカ)判だが、1968年に生産された1185291から1185300の10台、1969年に生産された1206942から1206961の20台、1971年に生産された1273922から1273925の4台と1274001から1274100の1000台、1972年に生産された1286701から1286760の60台と1293878から1294000の132台、計217台は24×27mm判。 ライカMDaブリッツスペシャル - 24×36mm(ライカ)判のライカMDaポストとライカM4-M用モータードライブを組み合わせた製品。1972年に製造番号1293673から1293770と1293776から1293877の2ロット100台が生産された。 ライカM4(Leica M4 、1967年6月発売) - ファインダ−は基本的にライカM2を踏襲したが135mmのファインダー枠も装備され、装着されたレンズに従って自動で50mm、90mm、35/135mmの枠を切り替える。巻上レバーにプラスチック製の指当てがつき、巻戻はノブからクランクとなりライカメーターMR装着時でも楽に巻き戻せるよう斜めに取り付けられている。シンクロターミナルが一般的なDIN式に変更されている。裏蓋を開くとフィルムカウンターが自動リセットされる。製造番号は1175001から始まり、1975年の生産中止までにクローム仕上げ47,191台と、少数の焼付ブラックが生産された。巻上げ軸が改良されたためライカビットMPは使用できない。ライカM4-M(Leica M4-M 、1968年発売) - ライカM4をニューヨーク・ライツがモータードライブ装着対応とした型。モーターに対応するためラピッドローディング機構は外されている。軍艦部の刻印は当初「M4-M」で製造番号1185001から1185150の150台が生産された。1969年には軍艦部の刻印が「M4-MOT」となり、製造番号1206737から1206891の154台、1248101から1248200の100台、1970年に製造番号1267101から1267500の400台、1971年に製造番号1274001から1274100の100台、計904台が全て黒塗り仕上げで生産された。 ライカM4-M/Da(Leica M4-MDa ) - ライカMDa同様データ記録用スリットがある。モータードライブ装着は不可能。Mの文字の横に白丸マークが入っているものはツァイスから注文を受けて眼底検視鏡記録装置として製造されたもの。 ライカM4オリーブ(1970年生産) - 西ドイツ軍向けに製造番号1266101から1266131の31台が生産された。 KE-7A(1972年もしくは1973年生産) - アメリカ軍向けにカナダライツで生産された。機能的には通常のライカM4と同様だが気温-20℃までの耐寒性、回転部の耐塵性が考慮されている。製造番号は試作が1293771から1293775の5台、軍に納入された1294501から1294250の250台、一般向けに市販された1294251から1294500の250台、計505台が生産された。全てブラッククローム仕上げでMエルカン50mmF2レンズが装着されていた。 ライカM4ブラッククローム(1974年発売) - ライカM5の不評を受けてカナダライツにてライカM4がKE-7Aと同じブラッククローム仕上げで製造番号1380001から再生産された。当時は軍用ライカと同じ仕上げで、激しい撮影でも塗装が剥離しないため、黒塗りより人気が高かった。製造ロットは138万番台、141万番台、144万番台にある。 ライカM4ライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - 製造番号L-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750台生産された。うちC-刻印の350台はカナダライツ刻字の製品が使用された。 ライカM5(Leica M5 、1971年発売) - CdS素子によるTTL露出計を装備する。それまでの端正なデザインを壊した大型のカメラで「弁当箱」と揶揄され発売当初は不人気だったが、1975年に製造中止後しばらく経ってから人気が出た。異形に見えるがファインダー系は以前のものを踏襲している。露出計受光部はレンズ装着を感知してフィルム前面に降りて来、シャッターレリーズすると上がる。21mmレンズ使用時には50mmの、28mmレンズ使用時には90mmの、35mmレンズ使用時には135mmのファインダー枠が測光範囲を示す。測光は30秒まで可能だが1秒を超える長時間露光はBでシャッターを開いてストップウォッチなどで計測しなければならない。当初はストラップ金具が2ヶ所で縦位置状態で釣る方式だったが後に横位置状態でも釣ることが可能な3ヶ所に改められ、従来製品の改造を工場でも受け付けた。1975年までにクローム仕上げ10750台、ブラッククローム仕上げ23150台が生産された。ライカM5ヌル型 - 本格生産に入る前に製造番号1287001から1287050の50台が新型発表会や広報、サンプル用として製造された。黒塗り仕上げ。 ライカM5ライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - 製造番号L-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750台生産された。全てウェツラー製。 ライカCL(Leica CL 、1973年9月発表、発売) - 提携先であったミノルタ(現コニカミノルタ)からのOEMで、最終組立と調整のみドイツで行なったため"Made in germany"の刻印がされている。機能的にはライカM5を小型軽量化したもの。ファインダーは0.6倍で40mmの枠が常時表示されており、通常は50mmの枠も出ているが、90mmレンズを装着すると50mmの枠が消えて90mmの枠が表示される。距離計は実像式で基線長31.5mm。シャッターは布幕縦走りフォーカルプレーン式。露出計受光部はフィルムを巻き上げるとフィルム前面に降りて来て、シャッターレリーズすると上がる。ドイツ国内では999マルクで販売され、雑誌などで「1000マルクを切った最初のライカ」として宣伝されていた。日本には輸入されず、ミノルタから直接ライツミノルタCLとして販売され、この分は製造番号もミノルタ独自の番号になっている。発売時にオート露出式カメラが続いて発売される旨も併せて発表され、ミノルタブランドでは1980年にミノルタCLEが発売になったが、結局OEM化されなかった。ライツミノルタCLを含まない製造番号は1300001から133500の35,000台、1395001から1410000の15,000台、1425001から1440000の15,000台、合計65,000台。ライカCLライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - 製造番号L-001からL-700、E-001からE-700、I-001からI-700、C-001からC-700、A-001からA-700の計3500台生産された。 ライカM4-2(Leica M4-2 、1976年秋フォトキナで発表、1978年製造開始、1978年発売) - 1974年ウィルドへの売却に伴う混乱の中で発表、発売された。ライカM4のマイナーチェンジモデルで、ホットシューが装備されセルフタイマーが省略された。単3電池×4で駆動されるライカワインダーM4-2が使用でき、本来はどのボディーとも組み合わせ可能であるはずであり製造番号1502001以降は実際にも互換性があるが、初期製品はいちいち調整が必要であった。初期には検査部門の存在自体が疑われるような不良品が流通したが1979年頃には安定して生産されるようになった。製造番号は1480001から1533350で、少数の限定モデルを除き全てブラッククローム仕上げ。ライカM4-2ゴールド(1979年発売) - オスカー・バルナック生誕100年記念で24金メッキ仕上げ。当初製造番号1527201から1527700の500台が割り当てられたが購入希望者が多く1528151から1528650の500台が追加され、計1000台が生産された。同じく金メッキ仕上げのMズミルックス50mmF1.4が付属する。 ライカM4-2クローム - アメリカのディーラーからの注文でコレクター向けに同色のMズミクロン35mmF2、Mズミクロン50mmF2とのセットで販売された。 ライカM4-2オリーブ - アメリカのディーラーからの注文でコレクター向けに同色のMズミクロン35mmF2、Mズミクロン50mmF2とのセットで販売された。片山良平によると1991年頃「イスラエル戦車隊仕様」との肩書きでカメラ店の広告に出たがこれは嘘だという。 ライカM4-2グレー - アメリカのディーラーからの注文でコレクター向けに同色のMズミクロン35mmF2、Mズミクロン50mmF2とのセットで販売された。 ライカMD-2(Leica MD-2 、1976年発表、1977年製造開始、1980年発売) - ライカMDaの後継機種でありベースがライカM4-2になっている。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。製造開始と発売に差があるのは当時の社内事情による。ライカワインダーM4-2使用可能。1987年まで製造された。1985年までに2,593台が製造され、うち951台がカナダライツ製であるがその後のデータが発表されていないので生産総数は不明であるが、人気もなかったためその後も多数出ていないことは間違いない。仕上げは全てブラッククローム仕上げ。ライカMDa同様データ記録用スリットがあるが、ブラッククローム仕上げのベースプレートは製造されなかった可能性がある。ライカMD-22(Leica MD-22 、1976年発表) - ライカMD-2の24×18mm(ハーフ)判仕様。ライカMD-2と同時に発表され、エルンスト・ライツの総合カタログに記載されてコードも与えられていたにも拘らず発売されず、その後試作品さえ確認されていない。 ライカM4-P(Leica M4-P 、1980年フォトキナで発表、1981年生産開始、1981年発売) - 28mmと75mmのファインダー枠が加わり、装着されたレンズに従って自動で50/75mm、28/90mm、35/135mmの枠を切り替える。ファインダーの数が多いこと、倍率が高く28mmを見渡すのが困難であることから見にくいと批判もあり、特に眼鏡使用者からは外付け28mmファインダーを懐かしむ声が聞かれた。組み合わされるワインダーは電子式インターロック機構を持つライカワインダーM4-Pになり、1984年にライカM6が発売されると共用のライカワインダーMになった。ボディーは真鍮プレス加工。ボディーカラーは当初ブラッククロームのみであったが1983年ライカM4-Pウル・ライカ70周年記念発売と同時にクローム仕上げが加わった。生産台数はブラッククローム18,057台、クローム4,334台。ライカM4-Pエベレスト登頂記念(1982年発売) - カナダの登山隊がエベレストに登頂したことを記念しトッププレートにその旨のロゴマークをつけ、カナダライツ社長の署名入り証明書を付属し、北米向けに200台が限定生産された。 ライカM4-Pウル・ライカ70周年記念(1983年発売) - ウル・ライカ完成70周年記念モデル。製造番号L-001からL-500、E-001からE-500、I-001からI-500、C-001からC-500、A-001からA-500の計2500台生産された。 ライカM4-Pダイキャスト型(1984年発売) - ライカM6発売と同時または少し遅れて、製造番号1643500頃からライカM6と共通の亜鉛合金ダイキャストボディーになり、強度が上がるとともにトップカバーエッジがシャープになりまた均一化された。また窓が外側から接着されるようになり表面がフラット化されて塵がつきにくくなった。シンクロ接点はM接点が廃止されX接点のみとなった。 ライカM4-Pオリーブ - アメリカのディーラーからの注文でコレクター向けに発売された。 ライカM6(Leica M6 、1984年フォトキナで発表、1984年発売) - ライカM4時代のデザインのままTTL露出計を組み込み、すなわちライカM5発売時のクレームにようやく応えた形となった。ライカR4から採用されたダイキャストボディーとなり強度が上がるとともにトップカバーエッジがシャープになりまた均一化された。また窓が外側から接着されるようになり表面がフラット化されて塵がつきにくくなった。メーターはシャッター幕上12mmのドットをシリコンフォトダイオードにて測光する。仕上げは当初ブラッククロームのみであったが1985年クローム仕上げが加わった。1988年会社組織変更に伴いトップカバーの文字が「ライツ・ウェツラー」から「ライカ」に変更された。また「ライツ」だったロゴマークも「ライカ」になっている。ライカM6LHSA(1988年製造) - ライカ・ヒストリカル・ソサエティー・オブ・アメリカ20周年記念としてメンバーに配布された。トッププレートにそのロゴマークが彫刻されている。 ライカM6プラチナ(1989年発売) - ウル・ライカ完成75周年、写真発明150年周年記念モデル。75プラチナメッキ、蛇革張り。同じ仕上げのズミルックス50mmF1.4とのセット販売。製造番号L-001からL-250、E-001からE-250、I-001からI-250、C-001からC-250、A-001からA-250の計1250台生産された。 ライカM6ブルネイ王国記念モデル - ブルネイで賓客のお土産として贈呈された。金メッキで同仕上げのMズミルックス50mmF1.4が付属する。 ライカM6パンダ(1990年発売) - 1991年までの生産分にクロームのボディーにブラッククロームの部品を使った個体があり「パンダ」と俗称されている。 ライカM6コロンボ'92(1992年発売) - クリストファー・コロンブスアメリカ大陸発見500周年記念モデル。イタリアの代理店の注文で製造番号I-01からI-40、T-01からT-40、A-01からA-40、L-01からL-40、Y-01からY-40の計200台生産された。 ライカM6G - スイスのライカ代理店の特注品。ロゴマークが金色で、アクセサリーシュー前部にエルマーの構成図が彫刻されている。 ライカM6SH - シイベルヘグナー設立125周年モデルで、125台が生産され各方面に贈呈された。 ライカM6チタン(1992年フォトキナで発表、1992年発売) - チタン仕上げで、トップカバーがチタンでできているわけではない。ボディー製造方式はライカM6に採用されていたダイキャストではなく真鍮プレスに戻っている。同じ仕上げのズミルックスM35mmF1.4も同時に発売された。 ライカM6香港シュミット鳥マーク入り(1993年発売) - 香港のシュミットが干支の鳥と「ライカ・吉祥」の文字をトップカバーに刻印した300台限定品。 ライカM6J(Leica M6J 、1994年フォトキナで発表、1994年発売) - ライカM3発売40周年を記念して1640台が生産された。外観はライカM3に似せてあるが巻き戻しは斜めクランク。露出計もライカM6と同様装備する。ファインダーはライカM3の0.91倍でもライカM2からライカM6まで使用されて来た0.72倍でもない0.85倍。ファインダー枠は50mm、90mm、35/135mm。 ライカM6 0.85(Leica M6 0.85 、1998年発売) - ライカM6のファインダーを0.85倍にした。ファインダー枠は35/135mm、50/75mm、90mm。 ライカM6TTL(Leica M6TTL 、1998年発売) - TTLフラッシュに対応した。 ライカM7(Leica M7 、2002年発売) - 絞り優先AEを装備した電子シャッター機。ファインダーは0.72倍。枠は50/75mm、28/90mm、35/135mmを自動で切り替える。ライカM7 0.58 - ファインダーは0.58倍。枠は50/75mm、28/90mm、35mmを自動で切り替える。 ライカM7 0.85 - ファインダーは0.85倍。枠は50/75mm、90mm、35/135mmを自動で切り替える。 ライカM7エディション・エルメス(Leica M7 Edition Hermes 、2009年12月発売) - 貼革がオレンジ、またはエトゥープのカーフスキンで各100台、計200台が限定販売された。 ライカMP(Leica MP 、2003年発売) - ライカM3の特殊モデルとして生産されたライカMPと名称は同一であるが別物。ライカM6のトップカバーを真鍮製にし、レバーやノブをライカM3様にしたモデル。ライカMPエディション・エルメス(Leica MP Edition Hermes 、2003年発売) - 貼革がオレンジ、またはエトゥープのカーフスキンで各100台、計200台が限定販売された。 ライカM8(Leica M8 、2006年発売) - ライカMシリーズ初のデジタルカメラ。金属幕・縦走りシャッター機 詳細は「M8 (カメラ)」を参照 ライカM8.2(Leica M8.2 、2008年発売) - ライカM8をベースにシャッターを静粛化したが最高シャッタースピードはライカM8の1/8000秒から1/4000秒に低下した。背面液晶カバーにサファイアを使用している。 ライカM8.2サファリ(2009年2月発売) - 世界500セット限定発売。 ライカM9(Leica M9 、2009年発売)- 35mmフルサイズセンサーを採用したデジタルカメラ。旧来のレンズをフィルムと同じ画角で使用できる。ボディはライカM8と同サイズを維持し、2009年現在世界最小の35mmフルサイズ・デジタルカメラである。1800万画素のCCDセンサーを搭載。背面液晶はゴリラガラス。ライカM9-P(Leica M9-P 、2011年発売)ライカM9から、赤バッジや機種名ロゴを除いた代わりにトップカバーのロゴを彫り込み、液晶モニターをサファイアガラスにしたモデル。 ライカM モノクローム(Leica M Monochrom, 2012年8月発売)- ライカM9をベースとしたモノクローム専用デジタルカメラ。 ライカM-E(Leica M-E , 2012年10月発売)- ライカM9をベースとした廉価版デジタルカメラ。 ライカM Typ240(Leica M Typ 240, 2013年3月発売)- 35mmフルサイズセンサーを採用したデジタルカメラ。2400万画素のCMOSセンサーを搭載。動画撮影が可能になり、EVFをつけられるようになった。ブライトフレームがLEDになったため、採光窓がなくなるという外観上の違いもある。背面液晶はゴリラガラス。ライカM-P Typ 240(Leica M-P Typ 240, 2014年9月発売)ライカM Typ 240から、赤バッジや機種名ロゴを除いた代わりにトップカバーのロゴを彫り込み、液晶モニターをサファイアガラスにしたモデル。 ライカMモノクローム Typ 246(Leica M Monochrom Typ 246, 2015年5月発売)ライカM Typ 240をベースにしたモノクローム専用デジタルカメラ。2400万画素のCMOSセンサーを搭載。 ライカM-D Typ 262(Leica M-D Type 262, 2015年5月発売)ライカM Type 240 をベースに、背面の液晶画面および操作ボタンを一切排除したモデル。 ライカ M10(Leica M10, 2017年1月発売)フィルムのMシリーズに近い厚みを実現した35mmフルサイズセンサーデジタルカメラ。ISOダイアルがつき、背面のボタンが簡素化された。動画機能はない。2400万画素のCMOSセンサーを搭載。ライカ M10-P(Leica M10, 2018年8月21日発売)デザイン面はライカM10ベースに赤バッジが黒いネジに変更され、代わりにトップカバーにLeicaの彫り込みが追加された。機能面ではM10に対しタッチスクリーン、電子水準器、M10に比べより静かなシャッターが搭載された。ライカM-D Typ 240の後継機種である。 ライカM10-D(Leica M10ーD, 2018年10月24日発売)デザイン面はライカM10-Pベースに液晶モニターが無くなり黒の露出補正ダイヤルと電源ダイヤルに変更されている。また、フィルムの巻き上げレバーをオマージュしたサムレストが追加されている。機能面は露出、ISO、絞り、シャッタースピードの設定を除いて、ライカフォトアプリから行う仕様となっている。ライカM-D Typ 262の後継機種である。 ライカM10モノクローム(Leica M10 Monochrom, 2018年1月17日発売)デザイン面はライカM10-PベースであるがトップカバーのLeicaロゴの彫り込みがなくなりシンプルなデザインになっている。機能面はライカM10-Pベースにモノクロームの4000万画素CMOSセンサーとなっている。ライカM-D Typ 246の後継機種である。 ライカM10-R(Leica M10, 2020年7月24日発売)デザイン面はライカM10を踏襲している。機能面でM10-Pをベースにカラーの4000万画素CMOSセンサーとなっている。
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