文化3年 (ひのえとら 丙寅)
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年(年号) |
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●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 |
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●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 |
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1806年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 06:11 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
十年紀: | 1780年代 1790年代 1800年代 1810年代 1820年代 |
年: | 1803年 1804年 1805年 1806年 1807年 1808年 1809年 |
1806年(1806 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
他の紀年法
- 干支 : 丙寅
- 日本(寛政暦)
- 文化3年
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元 : 2348年 - 2349年
- イスラム暦 : 1220年10月10日 - 1221年10月20日
- ユダヤ暦 : 5566年4月11日 - 5567年4月20日
- ユリウス暦 : 1805年12月20日 - 1806年12月19日
- 修正ユリウス日(MJD) : -19313 - -18949
- リリウス日(LD) : 81528 - 81892
カレンダー
できごと
- 1月1日 - バイエルン選帝侯国がバイエルン王国、ヴュルテンベルク公国がヴュルテンベルク王国となる。
- 1月8日 - イギリス領植民地としてケープ植民地が発足。
- 2月11日 - イギリス首相小ピットの死で代わってウィリアム・グレンヴィル内閣が成立(-1807年)
- 3月15日(文化3年1月26日)- 江戸幕府が文化の薪水給与令(撫恤令)を出す。
- 3月23日 - ルイス・クラーク探検隊が復路の探検に出発。
- 3月29日 - トーマス・ジェファーソン米大統領がカンバーランド道路の建設を承認。
- 3月30日 - ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがナポリ王に即位。
- 4月8日 - バーデン大公カールとステファニー・ド・ボアルネが結婚。
- 4月22日(文化3年3月4日)- 江戸で文化の大火が発生。
- 6月5日 - ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトを王としてホラント王国が建国。
- 7月12日 - 神聖ローマ帝国に属していたドイツの諸侯が帝国を離脱、ライン同盟を結成する。
- 8月6日 - 神聖ローマ帝国、終焉。
- 8月14日 - ナポレオンによってヘッセン=ダルムシュタット方伯が大公に格上げされ、ヘッセン大公国が成立。
- 8月18日 - ニュージーランド南島の沖合いで「発見」された無人島がオークランド諸島と命名。
- 9月23日 - ルイス・クラーク探検隊が出発地のセントルイスに帰還。
- 10月6日 - ライン同盟に危機感を抱くプロイセンらによって第四次対仏大同盟が結成される。
- 10月9日 - プロイセンがフランスに宣戦布告。
- 10月14日 - イエナ・アウエルシュタットの戦い勃発。
- 10月22日(文化3年9月11日)- ニコライ・レザノフの部下フヴォストフが樺太に上陸、松前藩の番所などを襲撃。(文化露寇)
- 10月27日 - ナポレオン軍がベルリンに入城。
- 10月29日-12月17日 - イギリスで総選挙。グレンヴィル内閣の与党の勝利。
- 11月7日 - リューベック近郊でゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘルが率いる部隊が降伏。
- 11月21日 - フランス、大陸封鎖令を発布。
- 12月11日 - ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト3世を王としてザクセン選帝侯国がザクセン王国となる。
- 12月23日 - ウィーンでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が初演。
誕生
- 1月14日 - マシュー・フォンテーン・モーリー、海軍士官・海洋学者(+ 1873年)
- 1月27日 - ホアン・クリソストモ・アリアーガ、作曲家(+ 1826年)
- 2月18日 - エドゥアルト・ハイス、天文学者(+ 1877年)
- 2月22日 - アントワーヌ・ヴィールツ、画家・彫刻家(+ 1865年)
- 3月6日 - エリザベス・バレット・ブラウニング、詩人(+ 1861年)
- 3月10日 - エドゥアルト・ヴェーバー、解剖学者・生理学者(+ 1871年)
- 3月21日 - ベニート・フアレス、メキシコ大統領(+ 1872年)
- 3月27日(文化3年2月8日)- 島津忠剛、今和泉島津家当主(+ 1854年)
- 4月9日 - イザムバード・キングダム・ブルネル、技術者(+ 1859年)
- 4月27日 - マリア・クリスティーナ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス、スペイン王フェルナンド7世の妃(+ 1878年)
- 5月4日(文化3年3月16日)- 藤田東湖、水戸藩の政治家、学者(+ 1855年)
- 5月20日 - ジョン・スチュアート・ミル、イギリスの哲学者、経済学者、論理学者(+ 1873年)
- 5月29日 - カルル・ベッティッハー、建築家・美術史家(+ 1889年)
- 6月14日(文化3年4月28日)- 松平容敬、第8代会津藩主(+ 1852年)
- 6月19日 - ヨハン・ネポムク・ホーフツィンザー、奇術師(+ 1875年)
- 6月27日 - オーガスタス・ド・モルガン、数学者(+ 1871年)
- 7月21日 - 土岐村路、曲亭馬琴の筆記助手。
- 8月10日 - ユリウス・ワイスバッハ、数学者・工学者(+ 1871年)
- 9月7日 - クリスチャン・A・F・ペーテルス、天文学者(+ 1880年)
- 10月16日 - ウィリアム・フェッセンデン、アメリカ合衆国財務長官(+ 1869年)
- 10月17日(文化3年9月6日) - 野村望東尼、歌人・尊皇攘夷運動家(+ 1867年)
- 10月25日 - マックス・シュティルナー、哲学者(+ 1856年)
- 11月24日 - ウィリアム・ウェッブ・エリス、ラグビーフットボールの発明者(+ 1872年)
- 12月3日 - ヘンリー・アレクサンダー・ワイズ、バージニア州知事(+ 1876年)
- 12月4日 - ヨハン・ブルグミュラー、作曲家・ピアニスト(+ 1874年)
- 月日不詳 - 西郷吉兵衛、薩摩藩士(+ 1852年)
- 月日不詳 - 瀬川如皐 (3代目)、歌舞伎狂言作者(+ 1881年)
死去
- 1月16日 - ニコラ・ルブラン、化学者(* 1742年)
- 1月23日 - ウィリアム・ピット(小ピット)、イギリスの首相(* 1759年)
- 2月15日(文化2年12月27日) - 松平容住、第6代会津藩主(* 1779年)
- 3月1日(文化3年1月12日) - 荒木田麗女、女流文学者(* 1732年)
- 3月23日 - ジョージ・フレデリック・ピント、作曲家(* 1785年)
- 4月9日 - ウィレム5世、オランダ総督(* 1748年)
- 4月30日(文化3年3月12日) - 小野川喜三郎、第5代横綱(* 1758年)
- 5月9日 - ロバート・モリス、アメリカ独立宣言署名者(* 1734年)
- 5月31日 - ジョージ・マカートニー、外交官(* 1737年)
- 6月17日 - ヘンリー・ホランド、建築家(* 1745年)
- 7月4日 - シャルル=アンリ・サンソン、フランス革命期の死刑執行人(* 1739年)
- 7月10日 - ジョージ・スタッブス、画家(* 1724年)
- 8月10日 - ミヒャエル・ハイドン、作曲家(* 1737年)
- 8月16日(文化3年7月3日) - 志筑忠雄、蘭学者・通詞(* 1760年)
- 8月22日 - ジャン・オノレ・フラゴナール、画家(* 1732年)
- 8月23日 - シャルル・ド・クーロン、物理学者(* 1736年)
- 9月7日(文化3年7月25日) - 伴蒿蹊、歌人(* 1733年)
- 10月7日(文化3年8月26日) - 藤堂高嶷、第9代津藩主(* 1746年)
- 10月10日 - ルイ・フェルディナント、プロイセンの王族(* 1772年)
- 10月17日 - ジャン=ジャック・デサリーヌ、ハイチの独立運動指導者(* 1758年)
- 10月19日 - ベンジャミン・バネカー、天文学者(* 1731年)
- 10月25日 - ヘンリー・ノックス、アメリカ合衆国陸軍長官(* 1750年)
- 10月31日(文化3年9月20日) - 喜多川歌麿、浮世絵師(* 1753年)
- 11月11日 - ヨーゼフ・ゴットリープ・ケールロイター、植物学者(* 1733年)
- 12月9日(文化3年10月30日) - 市川團十郎 (5代目)、歌舞伎役者(* 1741年)
- 12月14日 - ジョン・ブレッキンリッジ、アメリカ合衆国司法長官(* 1760年)
関連項目
1806年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 15:34 UTC 版)
詳細は「1806年」を参照 フランス、大陸封鎖令を発布。 神聖ローマ帝国の終焉。
※この「1806年」の解説は、「1800年代」の解説の一部です。
「1806年」を含む「1800年代」の記事については、「1800年代」の概要を参照ください。
「1806年」の例文・使い方・用例・文例
- ナポレオンがプロシアを決定的に打ち破った1806年の戦い
- 複数のヨーロッパ国家の統治者を出し、1440年から1806年にかけて神聖ローマ帝国の王冠を戴いたドイツの王家
- 英国の詩人で、その夫ロバート・ブラウニングに対して書かれたラブソネットでよく知られる(1806年−1861年)
- 英国の政治家で、アメリカの独立とフランス革命を支持した(1749年−1806年)
- ロココ調絵画が18世紀のフランスの王立高等法院における生活の軽薄さを象徴したフランスのアーティスト(1732年−1806年)
- アメリカの海洋探検家で、2度の地球を周航し、コロンビア川を発見した(1755年−1806年)
- アイルランドの数学者(1806年−1865年)
- 英国の哲学者、経済学者で、経験主義と実利主義の解釈で知られる(1806年−1873年)
- アメリカ革命のリーダーで、独立宣言に署名し、大陸軍のために金を工面した(1734年−1806年)
- スコットランド人のアフリカの探検家(1771年−1806年)
- アメリカ革命のリーダー(アイルランド生まれ)で、憲法制定会議のメンバー(1745年−1806年)
- 英国の政治家で大ピットの子(1759年−1806年)
- 米国の技術者(ドイツ生まれ)で、ブルックリン橋を設計し着工した(1806年−1869年)
- 1806年1月2日に書かれたものだ。
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