仙台藩 知行地構成

仙台藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 14:14 UTC 版)

知行地構成

藩領

飛び地を除く陸奥国内21郡は、20の代官区に分けられ、これを奥・中奥・北方・南方の4人の郡奉行が統括した。

郡奉行 代官区 代官所
奥郡奉行 江刺郡 岩谷堂代官所(江刺郡片岡村)
胆沢郡上胆沢 水沢代官所(胆沢郡塩竈村)
胆沢郡下胆沢
磐井郡西岩井
前沢代官所(胆沢郡前沢村)
山目代官所(磐井郡山目村)
磐井郡東山北方
磐井郡東山南方
大原代官所(磐井郡大原村)
千厩代官所(磐井郡千厩村)
気仙郡
本吉郡北方
今泉代官所(気仙郡今泉村)
気仙沼代官所(本吉郡気仙沼本郷)
中奥郡奉行 栗原郡一迫
栗原郡二迫
宮野代官所(栗原郡かみ・しも宮野村)
栗原郡三迫
磐井郡流
金成代官所(栗原郡金成村)
栗原郡佐沼
登米郡
佐沼代官所(栗原郡北方村)
本吉郡南方
桃生郡桃生
横山代官所(本吉郡北沢村)
飯野川代官所(桃生郡相野谷村)
牡鹿郡 石巻代官所(牡鹿郡石巻村)
北方郡奉行 遠田郡
栗原郡栗原
田尻代官所(遠田郡田尻村)
桃生郡深谷 広淵代官所(桃生郡広淵村)
玉造郡
志田郡
岩出山代官所(玉造郡岩出山本郷)
古川代官所(志田郡古川村)
加美郡
黒川郡黒川
中新田代官所(加美郡中新田村)
吉岡代官所(黒川郡今村)
宮城郡高城
黒川郡大谷
桃生郡宮戸島
高城代官所(宮城郡高城本郷)
南方郡奉行 宮城郡国分 原町代官所(宮城郡南目村)
宮城郡陸方
宮城郡浜方
塩竈代官所(宮城郡塩竈村)
名取郡北方
名取郡南方
長町代官所(名取郡根岸村)
増田代官所(名取郡増田村)
柴田郡
刈田郡
大河原代官所(柴田郡大河原村)
白石代官所(刈田郡白石本郷)
伊具郡
亘理郡
宇多郡
金津代官所(伊具郡尾山村)
亘理代官所(亘理郡小堤村)

関ヶ原の戦いの功績により、慶長5年(1600年)に刈田郡3万8000石の加増を受けるが、政宗は不服を訴え続け、慶長6年(1601年)には近江国蒲生郡内5000石、慶長11年(1606年)には常陸国信太郡、筑波郡、河内郡内1万石、寛永11年(1634年)には近江国蒲生郡内5000石の加増を勝ち取った。この結果、陸奥国内の一円知行地に60万石、陸奥国外の飛び地として近江国に1万石、常陸国に1万石で合計62万石となり、これが幕末までの仙台藩の基本的な石高となった。その後、常陸国内で伊達氏所領の替地が何度か行われ、正徳2年(1712年)に下総国豊田郡内が組み込まれたことにより、以降幕末まで本土における支藩を含む仙台藩の所領62万0056541億1185万1999リットル9.3 - 9.9万トン)が確定した。

徳川家宣の『継目判物』記載の石高(表高)と維新期の『旧高旧領取調帳』記載の石高(内高)
旧国 郡名 継目判物 旧高旧領取調帳
村数 石高(表高) 村数 石高(内高)
陸奥国 桃生郡 一円 65 19,748.470 65 73,441.62000
牡鹿郡 一円 60 5,420.460 60 14,927.35000
登米郡 一円 24 18,271.060 24 41,791.37000
磐井郡 一円 86 59,317.010 86 84,007.06000
本吉郡 一円 33 15,173.100 33 21,682.68000
気仙郡 一円 24 12,900.700 24 15,626.76000
胆沢郡 一円 37 47,582.450 37 75,764.26000
加美郡 一円 38 24,779.650 38 39,247.46000
玉造郡 一円 21 17,723.070 21 24,906.98000
栗原郡 一円 92 81,354.890 93 136,492.99000
志田郡 一円 64 29,256.060 64 57,192.83000
遠田郡 一円 58 31,040.770 58 62,372.49000
刈田郡 一円 33 19,991.560 33 23,539.23000
柴田郡 一円 35 19,885.620 35 30,527.78000
伊具郡 一円 36 26,534.810 36 39,442.94000
亘理郡 一円 26 15,867.700 26 23,581.81000
名取郡 一円 61 44,514.940 61 64,249.90000
宮城郡 一円 78 47,578.630 78 75,435.82000
黒川郡 一円 49 31,311.410 49 43,611.09000
江刺郡 一円 41 26,627.400 41 38,815.27000
宇多郡之内 9 5,120.240 9 7,012.74700
小計 970 600,000.000 971 993,670.43700
常陸国 信太郡之内 13 5,344.970 13 5,598.66466
筑波郡之内 3 3,202.929 3 3,662.04050
河内郡之内 1 1,238.249 1 2,213.82700
小計 17 9,786.148 17 11,474.53216
下総国 豊田郡之内 1 270.396 1 295.99000
近江国 蒲生郡之内 18 8,842.794 18 12,220.49600
野洲郡之内 2 1,157.206 2 1,157.20600
小計 20 10,000.000 20 13,377.70200
合計 1,008 620,056.544 1,009 1,018,818.66116

江戸時代後期になると、蝦夷地にも領地や警衛地が存在した。幕府は北方からのロシアの脅威の備えるため、寛政11年(1799年)に東蝦夷地を、文化4年(1807年)には西蝦夷地を天領とし、奥羽四藩(津軽・盛岡・久保田・荘内)に警備を命じた。文化5年(1808年)には幕府は仙台藩に対しても箱館国後・択捉への出兵を命じ、仙台藩は約2,000名の兵を派遣している。派兵は文政4年(1821年)まで続いたのち、これらの地域は一旦松前藩領に復した。

また幕末期の安政2年(1855年)、再び幕府は松前藩領を除く蝦夷地を天領とし、奥羽6藩(盛岡・仙台・会津・久保田・荘内・津軽)に警備を命じ、仙台藩は東蝦夷地の白老から択捉までの警備を担当することとなった。その際、仙台藩は現在の北海道白老町に陣屋を置き、また、根室・厚岸・択捉・国後にそれぞれ出張陣屋を構えた。安政6年(1859年)11月には白老、十勝、厚岸、国後、択捉を仙台藩の所領とすることが認められ、仙台藩預りの天領の警備衛地(日高釧路歯舞色丹)を含む仙台藩の領地・警備地は、北海道の全面積のほぼ三分の一を占めることとなった。

現在との対応

陸奥国内

現在の岩手県南部(仙台藩陸奥国領の面積の約1/3)、宮城県全域(同2/3)、福島県浜通り北部におよび、表高は60万石(=1億0823万4000リットル≒9.0 - 9.6万トン)。なお、現在の当地での水稲生産量は、江戸時代の表高の5倍以上、実高の3倍以上にあたる50万トン以上(300万石以上)となっている。

現在の自治体との対比

自治体 総面積 2010年
水稲生産量
2005年
国勢調査
(km2) (%) (トン) (人) (%)







岩手県 北上市 相去村域(地図
稲瀬村域(地図
福岡村域(地図
65.33[17] 32.5 不明 11,299[18] 13.8
釜石市 唐丹村域(地図 81.25[19] 不明 2,258[20]
胆沢郡金ケ崎町地図 全域 179.77[21] 12,700[22] 16,396[23]
奥州市地図 993.35[21] 60,800[22] 130,171[23]
西磐井郡平泉町地図 63.39[21] 3,770[22] 8,819[23]
一関市地図 1,256.25[21] 38,920[22] 135,722[23]
気仙郡住田町地図 334.83[21] 1,120[22] 6,848[23]
大船渡市地図 323.30[21] 776[22] 43,331[23]
陸前高田市地図 232.29[21] 1,860[22] 24,709[23]
宮城県
地図
35市町村 7,285.76[21] 67.1 400,032[24] 2,360,218[25] 85.9
福島県 相馬郡新地町地図 46.35[21] 0.4 3,500[26] 8,584[27] 0.3

合計 10,861.87 100.0 523,478 2,748,355 100.0
陸奥国外

現在の茨城県南部と滋賀県中央部に飛地が分散して存在しており、それらの合計の石高は約2万石に及んだ。以下に2012年(平成24年)12月1日時点での住所を付記する[28][29]

支藩・分家

内分支藩としては、陸奥国内に岩沼藩一関藩中津山藩があり、仙台藩知行域内に浮かぶ島のような形[30]で存在した。これらの藩は仙台藩からも一門の家格を与えられて仙台城下に屋敷を持っていた。

  • 岩沼藩主および後期の一関藩主である田村氏は、外戚の姓を名乗っているが伊達氏の一門である。
  • 中津山藩 - 第3代藩主綱宗の子・伊達村和が3万石を分知され立藩。江戸城登城中に旗本との諍いを起こしたため一代で改易された。

また、仙台藩の分家として伊予国に政宗の長男・秀宗を藩祖とする宇和島藩とその支藩・吉田藩があるが、宇和島藩領は秀宗の大坂の陣における軍功に対しての新恩給与であり、仙台藩からの分知による支藩ではない。

明治維新後の藩領の変遷

明治元年(1868年)、明治政府より戊辰戦争の責任を問われて減封された仙台藩は、以下の変遷をたどった。

仙台藩から没収された白石城に盛岡藩が転封したことで白石藩が発足したが、わずか半年で盛岡に復帰したため、同地には白石県(のち角田県に改称)が設置された。

仙台藩として存続した地域は廃藩置県仙台県となった。仙台県は角田県および登米県の一部を編入ののち宮城県に改称し、現在に至る(磐城国の地域は平県に、玉造郡と登米県の残部は一関県に編入された時期もある。宇多郡のみ現在は福島県)。

また、旧盛岡藩領と統合された胆沢県と江刺県は、一関県への編入を経て、現在は岩手県となっている(気仙郡は宮城県に編入された時期もある)。

蝦夷地の領地については、いったん全域が開拓使直轄領とされた後、改めて日高国沙流郡の一部を領有し、さらに開拓から撤退した熊本藩から根室国標津郡目梨郡佐賀藩から千島国振別郡高知藩から紗那郡蘂取郡の移管を受けた。また、仙台藩士の伊達邦成が胆振国有珠郡(後に虻田郡室蘭郡も領有)、石川邦光が胆振国室蘭郡、片倉邦憲が胆振国幌別郡伊達邦直伊達宗広亘理胤元石狩国空知郡をそれぞれ領有した。




注釈

  1. ^ ただし、江戸時代初期の武鑑では、薩摩藩石高のうちの琉球王国分12万石を含めないで序列を決めために、薩摩藩より上の第2位に書かれることもあった。
  2. ^ この時期、政宗がスペインや大久保長安と結んで倒幕を図っていたという説がある。こうした説は明治時代から存在したが[6][7]、これには批判もある[8]
  3. ^ 仙台藩では、本陣のことを外人屋と称した。現在の仙台市青葉区国分町二丁目。のちに南條小児科医院が開院した場所。現在、同院はない。
  4. ^ 後見人に伊達宗勝田村宗良
  5. ^ 後見人に堀田正敦
  6. ^ 『読書余適』は仙台侯国の石高を200万石と記述しているが、その根拠を記せず、それにもかかわらず飢饉で餓死者数万人を出したという文章に繋がる。一方『東潜夫論』は、仙台藩について「150万の人口と伝えられており、250万石を越えるに違いない」という、前提となる人口自体が過剰となる伝聞による石高推論である。『東潜夫論』では佐渡12万石(1万7,000石)、隠岐6万石(5,000石)と、太閤検地の10倍の数値が示されており注意を要する。
  7. ^ ただし、幕末の仙台藩は、幕府に対してほぼ毎年50万石の損毛高を報告し続けており、実態以上の被害を報告することで普請免除を正当化したとみられる。
  8. ^ 人口の復元方法は主に高木正朗・新屋均(2006年)による。なお人口に関しては古文書にみられる数字を尊重し、記録のない時期に関しては、江戸時代初期の人口は会津藩の公式人口記録(『会津家世実記』)、江戸時代末期の人口は西磐井郡狐禅寺村・下油田村・峠村・中村、東磐井郡赤生津村・大籠村・新沼村・増沢村・保呂羽村の人別改帳の人口を元に再現している。

出典

  1. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』
  2. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典4 宮城県』32-33頁。
  3. ^ 小倉博, 『仙臺』(1924)
  4. ^ 大泉光一『支倉常長 慶長遣欧使節の悲劇』中央公論新社、1999年など。
  5. ^ 田中英道『支倉常長 武士、ヨーロッパを行進す』ミネルヴァ書房、2007年、pp. 58-64.など。
  6. ^ 箕作元八「伊達政宗羅馬遣使の目的」『史学界』三の十一、1901年
  7. ^ 阿部秀助「大久保長安と伊達政宗」『史学界』五の一、1903年
  8. ^ 小林清治『伊達政宗の研究』吉川弘文館、2008年、239-242頁)。
  9. ^ 『仙台藩士幕末世界一周』荒蝦夷 2010年
  10. ^ 白鳥事件について (PDF)”. 柴田Y2ネトワーク. 2019年2月14日閲覧。
  11. ^ <奥羽の義 戊辰150年>(34)新政府兵に発砲 領主切腹”. 河北新報オンラインニュース (2019年1月13日). 2019年2月13日閲覧。
  12. ^ 『仙台市史』通史編5(近代1)46頁。
  13. ^ 『仙台市史』通史編5(近代1)49頁。
  14. ^ 逸見英夫 著 「明治・大正・昭和 仙台じけん帳」(河北新報ISBN 4-87341-162-9)の23頁。
  15. ^ a b c d e (a) 玉山勇, 「江戸時代の人口問題 ―仙台藩の場合―」 『国民経済雑誌』 73巻(1号), pp. 63–94 (1942). (b) 『岩手県史』 4巻 近世編(1). (c) 『宮城県史』 2巻 近世史. (d) 高木正朗, 新屋均, 「近世国家の人口とその趨勢 ―仙台藩郡方・一関藩村方人口の復元: 1668–1870年―」 『立命館大学人文科学研究所紀要』 (87号), pp. 7–39 (2006). (e) 土屋喬雄, 『封建社会崩壊過程の研究』, 弘文堂, 1953.
  16. ^ (a) 勧農局編, 『全国農産表』/『農産表』, 1876-1882. (b) 中村哲著, 『明治維新の基礎構造』, 未来社, 1966.
  17. ^ 1 市域の変遷 2 北上市の位置 (PDF) (北上市)
  18. ^ 国勢調査(北上市)
  19. ^ 市の面積 (PDF) (釜石市)
  20. ^ 18 地域別人口及び世帯の推移 (PDF) (釜石市)
  21. ^ a b c d e f g h i 平成22年全国都道府県市区町村別面積調国土交通省国土地理院
  22. ^ a b c d e f g 岩手県(農林水産省「市町村の姿 グラフと統計で見る農林水産業」)
  23. ^ a b c d e f g いわての統計情報(岩手県)
  24. ^ 宮城県(農林水産省「市町村の姿 グラフと統計で見る農林水産業」)
  25. ^ 平成17年国勢調査1次結果 - 宮城県統計課
  26. ^ 福島県 新地町(農林水産省「市町村の姿 グラフと統計で見る農林水産業」)
  27. ^ 平成17年国勢調査(福島県)
  28. ^ {国宝大崎八幡宮 仙台・江戸学叢書15 『本石米と仙台藩の経済』」(大崎八幡宮、2009年10月30日発行) P.15 - P.18
  29. ^ 「『仙台市史』通史編3 近世1」(仙台市、2001年9月発行) P.150 - P.154
  30. ^ 1 研究ノート 「岩手県の誕生」 (PDF) (岩手県立博物館だより)
  31. ^ 金井圓「給人前」『国史大辞典』第4巻、吉川弘文館、1984年 P248
  32. ^ 現地説明板「仙台藩祖伊達政宗 終焉の地」(2014年、仙台市)
  33. ^ 慶長15年(1610年)に秀忠の上杉邸への御成りがあり、能や茶会などの饗応が行なわれている。(「国宝 上杉家文書」)







固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仙台藩」の関連用語

仙台藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仙台藩のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの仙台藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2021 Weblio RSS