仙台藩の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 08:42 UTC 版)
佐々木中沢 父・玄沢高弟の蘭学者。大槻宗家の清臣の長女・恵和子を娶ったため、大槻家と縁戚関係がある。磐渓より12歳年長にあたり、磐渓にとってはよき兄貴分であった。磐渓17歳の頃の東北旅行にも同行し、非常に親しい関係が長く続いた。仙台藩医学校蘭方外科助教も務めている。 但木土佐・玉虫左太夫 戊辰戦争期の仙台藩の中核・主戦論者。共に磐渓の教え子で、彼の佐幕思想・開国論に大きな影響を受けた。両者とも戦後斬首刑に処せられている。 星恂太郎 仙台藩士。以前は過激な攘夷論者で、開国論を唱える磐渓と但木土佐の暗殺を謀ったところ、逆にその愚を諭され、脱藩したという逸話がある。後に仙台藩の洋式歩兵部隊・額兵隊を率い、土方歳三・榎本武揚らとともに箱館戦争まで戦い抜いた。 岡鹿門 儒学者。直接の弟子ではないが、磐渓に影響を受けたと彼自身が語っている。磐渓が養賢堂の学頭時代、「指南役見習」を命じられたが、上司の磐渓とは方針が対立した。尊攘倒幕論者でもあったため後に磐渓の批判に回り、敗戦責任を追及したり、磐渓をかばう息子達に非難を浴びせることもあった。
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