仙台育英高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 10:16 UTC 版)
「サムエル・ワンジル」の記事における「仙台育英高校時代」の解説
2002年4月、仙台育英高校に入学する。在学当初は初めて体験する仙台の冬の寒さや、言葉の壁に悩み、ホームシックにもなったが、アニメ番組を見て日本語を勉強するなどし、1年後には日本語の日常会話を流暢にこなすようになった。ケニアでは一日30分しか練習していなかったワンジルにとって、最初の一年間は仙台育英高校での練習が非常にきつく感じたと後に語っている。高校生当時は渡辺高夫監督指導の下、駅伝やクロスカントリーに力を入れ、千葉国際クロスカントリー大会を2度、福岡国際クロスカントリー大会を3度制し、全国高等学校駅伝競走大会では3年連続区間賞の快走を見せ、同じケニアからの留学生、メクボ・ジョブ・モグスらに勝つなど、仙台育英高校の黄金時代に貢献した。しかし、1km2分45秒のペースで2kmを走るロード用のペース走練習にこだわったあまり、スピード練習が不足していたワンジルは高校総体5000mでは1年次3位、2年次2位、3年次3位に終わり栄冠には届かなかった。3年次には同競技で日本人選手の佐藤悠基にも先着を許している。そのため自分にはスピードの才能がないと誤解したワンジルは早期のマラソン転向を志すようになる(とはいえワンジルの高校3年生当時の自己ベスト記録5000m:13分38秒98、10000m:28分00秒14はいずれも日本高校記録を上回っている)。
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