マラソン転向とは? わかりやすく解説

マラソン転向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:58 UTC 版)

ポーラ・ラドクリフ」の記事における「マラソン転向」の解説

初マラソンとなった2002年4月14日ロンドンマラソンでは、スベトラーナ・ザハロワ、リュドミラ・ペトロワ、デラルツ・ツル土佐礼子などの強豪選手相手積極的に集団引っ張り前半ハーフ1時間12分台から後半ハーフ1時間7分52秒の驚異的なビルドアップレース展開で快走、2時間1856秒のゴールタイムでいきなりマラソン初優勝世界歴代2位当時)の記録出した同年10月13日シカゴマラソンでは、当時世界記録保持者だったキャサリン・ヌデレバや、ロンドンでも対決したザハロワ、地元強豪選手ディーナ・カスター日本からも渋井陽子千葉真子などの有力選手出場する中、ロンドンとは違い前半からハイペース飛ばし有力選手次々とふるい落としヌデレバ記録を1分以上更新する、2時間1718秒の世界最高記録マークしてマラソン2連勝を果たす。 そして翌2003年4月13日ロンドンマラソンでは、男子ペースメーカー用いながらも、序盤から独走で5km15分台の驚異的なペース進み自身記録を約2分近く更新する2時間15分25秒の驚異的な世界最高記録打ち立て初マラソンからのマラソン3連勝達成した2004年8月アテネオリンピックでは、マラソン10000mとの2種目で金メダル獲得目指す事となった(2種目出場は周囲から反対意見有りラドクリフ自身当初どちらか1種目に絞る予定だった)。しかし、女子マラソンでは優勝した野口みずきの25Km過ぎのスパートについていけず、優勝争いから脱落。それから4位に落ちた後36km地点立ち止まり悔し泣きしながら途中棄権した。さらに5日後、女子10000mにも強行出場したが、マラソンでの疲労影響もあって精彩欠きライバルたち置いていかれた後、8周を残して途中棄権した。結局2種目ともメダル獲得入賞はおろか完走出来ないまま終わってしまった。気温30度を超える猛暑影響と、脚の故障による消炎剤過剰な服用により、内臓悪影響及ぼしたことが敗因と言われる2004年11月7日行われたニューヨークシティーマラソンにて、アテネ五輪からわずか3ヶ月間隔フルマラソン出場、2時間2310秒でアテネ五輪雪辱を果たす優勝果たしたレース後、2位ゴールしたスーザン・チェプケメイに抱き抱えられ祝福された。 2005年4月ロンドンマラソン2年ぶり3度目優勝果たした途中23マイル地点腹痛のため15秒ほどロスしたが、序盤から独走2位に5分以上の大差をつける快走で2時間1742秒で圧勝し復調示した。このレース4回目サブ20記録し、現在でも女子マラソン選手サブ20回数最多記録として君臨している(2位タイヌデレバ、メアリー・ケイタニー、ティルネシュ・ディババブリジット・コスゲイ3回)。 同年8月世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソンでは、気温15度下回る好条件もあって、レース序盤から自らハイペース飛ばしていった。粘るヌデレバコンスタンティナ・トメスクなどの優勝候補選手達を振り落とした後もペース落ちことなく終盤独走となり、2時間2057秒の大会新記録優勝初の世界一タイトルを手にした。 2006年7月妊娠発表2007年1月17日出産母子共に元気であると公式HP上にて告知された。同年6月頃より練習再開させるが、ワイルドカード出場があった同年9月開催世界陸上大阪大会女子マラソン欠場した2007年11月4日行われたニューヨークシティーマラソン2年3か月ぶりにフルマラソン出場、2時間2309秒で復帰戦を制した2008年4月13日行われたロンドンマラソン出走予定だったが、右足爪先ケガにより欠場したその後臀部故障発生し診断結果大腿骨疲労骨折起こしている事が判明する2008年8月17日開催され北京オリンピック女子マラソンには、同じイギリス代表マーラ・ヤマウチと共に出場したが、レース中に足の故障再発。38Km付近前回アテネ五輪同様立ち止まってしまったが、その後は足を引きずりながら走り続け、なんとか完走こそしたが結局順位23位、2時間3238秒の平凡な結果終わったオリンピックには4大連続出場果たしたものの、五輪メダル一度獲得出来なかった。 2008年11月2日開催ニューヨークシティーマラソン出走、2時間2356秒で2年連続3回目優勝果たし北京五輪惨敗雪辱果たした2009年11月1日開催ニューヨークシティーマラソン3年連続出走したが、優勝したデラルツ・ツルらに敗れて2時間2927秒の4位に終わり同大会の3連覇逃したニューヨークシティマラソン後に競技生活休養入り2010年10月第二子となる長男出産した2011年09月25日開催ベルリンマラソンで、ニューヨークシティーマラソン後約2年ぶりとなる第二子出産後初のマラソン出走果たした。2時間1944秒のサブ20好記録優勝したフローレンス・キプラガト、ベテラン強豪選手イリーナ・ミキテンコ敗れて3位終わったが、2時間2346秒のタイム復活アピールして、2012年地元開催ロンドンオリンピック女子マラソンイギリス代表選出決定づけた。 2012年07月29日ロンドンオリンピック女子マラソン出場予定だったが、足の負傷理由大会欠場する発表したロンドン五輪開催決まってから良い走り見せることを目標としてきたことを明らかにしたラドクリフは、「私にとって5度目五輪母国開催されるということで、過去2大会悔しさ払拭するのにこれ以上舞台はないと思っていました。それを励み長くつらい時期乗り越えてきただけに、走れないと認めなければならないのはとても辛いことです」とコメントしている。 2013年0327日、英BBC放送電子版)は、ラドクリフが長引く足のけがにより、「現実問題として(競技に)復帰できない可能性があることを認識している」と語り引退危機にあると報じた39歳ラドクリフは、ロンドン五輪欠場し2012年8月手術受けたが、現在も短時間ジョギングしかできていないという。「わずかな希望だが、レース走って現役生活終えたい」と意欲を示す一方で、「ここ数ヶ月は、子どもを追いかけて走ることもできない」「20年後に健康な足でいたい」と、揺れる心明かした2014年09月21日ラドクリフは足の手以来2年ぶりに、英国ウースターシティの10kmロードレース復帰出走した

※この「マラソン転向」の解説は、「ポーラ・ラドクリフ」の解説の一部です。
「マラソン転向」を含む「ポーラ・ラドクリフ」の記事については、「ポーラ・ラドクリフ」の概要を参照ください。

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