トヨタ自動車九州時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 10:16 UTC 版)
「サムエル・ワンジル」の記事における「トヨタ自動車九州時代」の解説
高校卒業後は複数の実業団から誘いを受け、バルセロナ五輪男子マラソン銀メダリスト森下広一が監督を務めるトヨタ自動車九州にマラソンランナーを目指して入社。同社では人事総務部総務室に所属しトレーニングを積んだ。入社直後2005年4月の兵庫リレーカーニバル10000mで27分32秒43、翌週の織田幹雄記念国際陸上競技大会5000mで13分12秒40と、自己ベストを立て続けに記録した。これにより早期のマラソン転向は棚上げし、より短い距離での練習を積む。結果はすぐに表れ、同年7月の仙台国際ハーフマラソンで59分43秒(当時世界歴代2位)で優勝。続く8月ベルギーのブリュッセルグランプリリーグ10000mで26分41秒75のジュニア世界新記録、さらに9月オランダのロッテルダムハーフマラソンでも59分16秒の世界新記録を樹立した。 2006年1月、ハイレ・ゲブレセラシェによってハーフマラソン世界記録が58分55秒に更新されるが、ワンジルは2007年2月にアラブ首長国連邦のラスアルハイマハーフマラソンで58分53秒のタイムを出し、ゲブレセラシェの記録を上回る(しかしこのレースではEPOテストが実施されなかったため記録は公認されなかった)。 2007年3月、オランダのハーグで行われたハーフマラソンで、58分33秒の世界新記録を樹立し世界記録保持者に返り咲いた。 満を持して2007年12月2日に行われた福岡国際マラソンに出場し、初マラソン初優勝大会新記録の成績を残しハーフマラソン世界記録保持者としての実力を見せつけた。なお、この時のタイムは2時間6分39秒で、当時の藤田敦史が持っていた大会記録を12秒上回った。 2008年4月13日に行われたロンドンマラソンで優勝したマーティン・レルに次ぎ2位でゴール、世界歴代5位(当時)の2時間5分24秒を記録した。 2008年7月、ケニアから日本の弁護士を通じてトヨタ自動車九州に退職届を提出、退社につき「(同社に所属していれば)駅伝を走らなくてはいけない。今後は自分で(考えてマラソンを)やりたいと思います」と述べた。「日本人は練習しすぎて疲れちゃってる。自分は練習量を少なくしてもらってきた」とも述べ、日本のマラソン界は駅伝とオーバートレーニングにより逆に遅くなったり故障が増えていると指摘した。また、日本実業団陸上競技連合の登録規程により、外国人選手は180日以上日本に滞在する必要があり、この規定が海外の大会への参加に支障をきたすと指摘。
※この「トヨタ自動車九州時代」の解説は、「サムエル・ワンジル」の解説の一部です。
「トヨタ自動車九州時代」を含む「サムエル・ワンジル」の記事については、「サムエル・ワンジル」の概要を参照ください。
- トヨタ自動車九州時代のページへのリンク