マラソン選手としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > マラソン選手としての意味・解説 

マラソン選手として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 14:00 UTC 版)

工藤一良」の記事における「マラソン選手として」の解説

マラソンは、21歳時の第37回毎日マラソン1982年)が初めてだった。同大会でいきなり2位入り俄然注目集めた優勝水久保美千男新日鐵八幡〉)。その後低迷続いたが、1986年福岡国際マラソンで4位に入り復活した。翌1987年12月6日福岡国際マラソンにも出場する日本陸上競技連盟は、この大会を「ソウルオリンピックマラソンへの一発選考大会」と位置付けていた。この大会で安定した走り見せて中山竹通新宅雅也に次ぐ日本人3位総合4位、2時間1136秒のタイムフィニッシュした。だが、日本陸連中山新宅ソウルオリンピック代表に内定させたものの、工藤については経験不足を理由保留とした(他の選考レースである東京国際マラソンびわ湖毎日マラソン結果見て内定者決めるとした)。 結局1988年3月13日開催された、第43回びわ湖毎日マラソン優勝した瀬古利彦福岡国際負傷のため欠場した)を最後3人目の代表に選出し工藤補欠に回ることになり、オリンピック出場逃した一連の経緯については国内日本陸連対す批判なされた瀬古オリンピック本番で9位と入賞逃した日本陸連次の1992年バルセロナオリンピック代表選考以降2020年東京オリンピック選考会マラソングランドチャンピオンシップ実施するまで、事実上一発選考みなされる表決定を一切しなかった。補欠決定直後4月17日行われたロンドンマラソンでは2時間1059秒の自己最高記録出し3位入ったその後あさひ銀行現在のりそな銀行埼玉りそな銀行陸上部移籍し1993年の上シティマラソン最後に現役引退した。 引退後指導者の道を進み日産自動車しまむらコーチ教え子大島めぐみがいる)を歴任2008年には日清食品グループ陸上競技部コーチとなり、かつての恩師白水監督再会果たした2010年2012年ニューイヤー駅伝優勝貢献し2013年6月より愛知製鋼陸上競技部コーチ務めている。

※この「マラソン選手として」の解説は、「工藤一良」の解説の一部です。
「マラソン選手として」を含む「工藤一良」の記事については、「工藤一良」の概要を参照ください。


マラソン選手として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 09:41 UTC 版)

猫ひろし」の記事における「マラソン選手として」の解説

足が速く毎朝ジョギング行っているという。TBSテレビ特番オールスター感謝祭』に初め出演した際、番組恒例企画である赤坂5丁目ミニマラソンにてその健脚披露し、何かギャグ見せるのかと思いきや真面目に走ったことも含めて多く驚きの声があった。ただし、1周目圧倒的に速かったものの、2周目以降次々と後続ランナー抜かれている。その後2008年平成20年)春・2011年平成23年春・秋2013年平成25年)秋と4回優勝しその結果プロランナー次に重いハンデ課されるまでになっている東京マラソン2010では、開催前3時以内での完走目標とし、この目標達成しなかった場合芸名本名の“ 瀧崎邦明 ”に戻すと宣言していた。 谷川真理育てたコーチ中島進の指導受けており、中島進がヘッドコーチ務めるプーマランニングクラブ所属日々メニューこなしている。マラソン速い理由は「練習賜物とのこと国際試合好成績残し始めた頃、2010年平成22年12月アンコールワット国際ハーフマラソン3位入賞したのをきっかけカンボジア側からオリンピック代表への打診があり、2011年平成23年2月カンボジアへの国籍変換の手続き申請受理されることがほぼ確実になったことで、同年6月21日にはカンボジアオリンピック委員会のバス・チョモラン理事長とともにマスコミ向けの記者会見臨んだ。この会見2012年平成24年)のロンドンオリンピック男子マラソンカンボジア代表として出場することを目指していること、国籍変更ができた場合2011年平成23年11月インドネシア開催される東南アジア競技大会カンボジア人として出場することを公表2011年平成23年11月9日カンボジア国籍を取得し同月16日代表選考レース臨んだ練習拠点は、国籍変更後も日本である。 猫ひろし本人ブログでは、2009年平成21年8月29日出演した放送番組カンボジア帰化する計画堀江貴文らから出された事が語られている。これにおいては東大受験」「国籍変えてオリンピック出場」など挙げられプランの中で、国籍変更選んだが、この時点では企画のままで終わった。しかし個人的に国籍変更してオリンピック出場への思い強くなっていった2012年平成24年2月5日別府大分毎日マラソンにおいて、カンボジア代表のヘム・ブンティン2011 - 2012年シーズン最高タイム2時間31分58秒を上回る記録出した北京オリンピックカンボジア代表内定基準とされている「2時間31分台」をクリアした。2012年平成24年3月25日ロンドンオリンピックカンボジア代表に決定したことが明らかになった。しかし、国籍変更してオリンピック出場目指すことに、日本では倫理的な問題指摘され有森裕子は「これが本当にいいことなのかと考えると、複雑な気持ちだ」と発言した。その一方でカンボジアではこの件はほとんど論争とならずマラソン人気のあるスポーツではなかったため、世論反発少ないと考えられていた。北京オリンピックカンボジア代表だったヘム・ブンティン差し置いて代表に選ばれ理由には、ブンティンがカンボジアオリンピック委員会対立していることと、日本向けカンボジアマラソンPRしたいカンボジア政府意向があったという説が挙げられている。 その後代表として資格疑問抱いた国際陸上競技連盟カンボジア陸連説明求めていることが、2012年平成24年4月12日明らかになり、同年5月8日には国際陸連は「過去国際競技会での代表経験がない」「(ロンドン五輪時点で)国籍取得から1年未満かつ連続1年以上居住実績がない」ことから参加資格満たしていないと正式に判断特例認めないことをカンボジア陸連通達した。その後カンボジア側は決定受け入れると報じられたため、ロンドンオリンピック出場することは不可となった。この件を有森裕子は「世界共通ルール判断されたことはスポーツ界にとって大事なことだと思う」とカンボジア側の判断支持した。カンボジア・オリンピック委員会のワット・チョムラーン専務理事は「さんには今後カンボジア選手でいてほしいが、それは彼次第だ。もし彼が(カンボジア人を)やめるようなことがあれば残念だ」とコメントした2013年平成25年9月12日同年12月ミャンマー首都ネピドー開催され東南アジア競技大会カンボジア代表選考会で2時間3639秒で優勝しカンボジア代表に選ばれた 。 2014年平成26年8月17日、アンコール・エンパイア・フル&ハーフマラソン優勝した2014年アジア競技大会には、カンボジア代表として出場した。その翌日には、『オールスター感謝祭』の赤坂5丁目ミニマラソン出場している。 2016年平成28年6月3日、カンボジア・オリンピック委員会より、リオデジャネイロオリンピック男子マラソン・カンボジア代表に選出されたことが発表された。本名の Kuniaki Takizaki でエントリーし5km通過時点では一旦全選手最下位になりながらも、最終的に完走した140人中139位となる2時間45分55秒の記録で、オリンピック初出場完走果たした日本国籍に戻すことはしない公言しており、カンボジアとの関わり続けていきたい旨を述べている。その一方で自宅東京都江東区にあり活動拠点日本である。 2020年インタビューで「住んで仕事をするところは基本的に日本で、カンボジアにいるのは大会前にぐわーっと練習行ったりして、年に3カ月ぐらいですかね。去年日本永住権取りました。」と述べており、「にとって国籍とは何か?」と問いには「結局国籍変えて人は変わらないじゃないですか。カンボジア人になっても僕は僕だし、前から知っている日本友達変わらずつき合ってくれる。僕は変わらないっていうのが答えかな。カンボジア人になって本当によかったなと思ってます。ニャー。」と答えている。

※この「マラソン選手として」の解説は、「猫ひろし」の解説の一部です。
「マラソン選手として」を含む「猫ひろし」の記事については、「猫ひろし」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「マラソン選手として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マラソン選手として」の関連用語

マラソン選手としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マラソン選手としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの工藤一良 (改訂履歴)、猫ひろし (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS