初の世界一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:23 UTC 版)
「カンザスシティ・ロイヤルズ」の記事における「初の世界一」の解説
1984年、ブレット・セイバーヘイゲンが19歳でメジャーデビュー。この年は防御率3.48、10勝11敗という成績を残し、その才能を見せ付けた。またチームも3年ぶりに地区優勝を果たすが、リーグチャンピオンシップシリーズでデトロイト・タイガースに3連敗を喫した。翌1985年にはセイバーヘイゲンが防御率2.87、20勝6敗でサイ・ヤング賞を獲得すると、ブレットも打率.335・30本塁打・112打点と素晴らしい成績を残す。チームもシーズン終盤までエンゼルスと激しい首位争いを演じたが、最終的に1ゲーム差で逃げ切って6度目の地区優勝を決めた。リーグチャンピオンシップシリーズではトロント・ブルージェイズと対戦し、1勝3敗と追い込まれたが、その後は3連勝でリーグ優勝を決めた。2度目の挑戦となったワールドシリーズではセントルイス・カージナルスと対戦。このシリーズでも1勝3敗と追い込まれたが、第6戦での誤審(世紀の誤審を参照)も味方し、ロイヤルズが2連勝。最終戦ではセイバーヘイゲンが完封勝利を収め、創設17年目にして初のワールドチャンピオンに輝いた。 1986年のシーズン途中にはハウザーが体調不良によって監督を辞任。マイク・フェラーロが代行監督を務めたが、この年は76勝86敗と負け越した。 翌1987年6月17日にはハウザーが51歳という若さで亡くなり、同年にはハウザーの背番号である10番が永久欠番に指定された。この間1986年にはボー・ジャクソンがメジャーデビュー。マルチアスリートとして同時期にNFLのロサンゼルス・レイダースでもプレーし話題を呼んだ。また1990年にはブレットが打率.329で首位打者を獲得し、3つの年代(1976年、1980年、1990年)で首位打者を獲得した唯一の選手となった。しかし、この年には地区6位(7チーム中)に沈み、翌1991年も地区6位となった。1993年限りでブレットが引退、それ以外の選手も次々と退団し、チームの黄金時代は幕を閉じることとなる。
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