マラソンへの転向
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福士は2004年のアテネ五輪時に「2時間走るなら映画を見ていた方が楽しい」と述べるなど、フルマラソン転向について消極的であることを公言していた。しかし、世界陸上大阪大会を目前にした2007年8月23日に突如、マラソンに転向して翌2008年の北京オリンピックを狙う可能性があることを発表。一部の報道では、長距離走種目で五輪内定した場合でも、内定を蹴ってマラソンで五輪代表を狙うともいわれていた[要出典]。 女子マラソンでは、土佐礼子(三井住友海上)が世界陸上大阪大会で銅メダルを獲得し、北京五輪代表の内定を得たため、残る枠は2つとなる。さらに同年11月の東京国際女子マラソンでは、アテネ五輪女子マラソン金メダリストである野口みずきが大会新記録で圧勝し、ほぼ五輪代表決定との報道をされ、事実上残る枠は1つになった。この1つの枠を、2000年シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子(ファイテン)らを始め、数多くの国内有力選手と争うことになるため、福士には慎重な判断が求められており、マラソン転向に関しては断定を避けていた。 2007年12月18日、日本陸上競技連盟を通して翌年1月に行われる大阪国際女子マラソンに、「一般参加選手」として初マラソンに挑戦することを表明。福士本人は「まだ本格的な練習をしていないので期待と不安が有りますが、期待に応えられるよう頑張ります」と文書でコメントした。
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