マラソンへの関心の高まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 08:35 UTC 版)
「大分国際車いすマラソン」の記事における「マラソンへの関心の高まり」の解説
1975年 アメリカの車いすの青年がボストンマラソンに参加 1978年2月の別府大分毎日マラソンにおいて、宗茂が40kmまで当時の世界最高記録(デレク・クレイトン:2時間8分34秒)を上回るペースで快走し、世界歴代2位、日本人初の2時間10分以内となる2時間09分05秒で優勝。 1979年4月、早稲田大学4年だった瀬古利彦がボストンマラソンに出場、学生新記録の2時間10分12秒で2位、同年12月の福岡国際では瀬古が宗兄弟(茂・宗)との接戦を制して連覇、1980年のモスクワオリンピックには、宗兄弟、瀬古が日本代表に選出され、メダル独占もと期待された。 1980年、ボストンマラソン車いすの部に出場したクート・ブリンクマンが、初めて2時間の壁を破って優勝。
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