評価と反響
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「三匹の子ぶた (1933年の映画)」の記事における「評価と反響」の解説
この映画は当時の観客の間で目ざましい成功を呼び起こし、公開後何か月にもわたり上映され続けた。多くの映画館ではこの作品がどれだけロングランを続けているかの指標として、映画のポスターにあごひげを書き加えた。 アニメーション史研究家の間では、『三匹の子ぶた』は、単純な「善玉」と「悪玉」ではない個性を備えた複数のキャラクターを描き分けた、最初のアニメーション作品であると考えられている。わらの家と木の枝の家を建てた子ぶたは軽はずみで無用心であり、レンガの家を建てた子ぶたは用心深く生真面目である。 ビッグ・バッド・ウルフが戯画化されたユダヤ人の行商人に扮装する場面は、後に配給されたフィルムでは削除され、ウルフがフューラー・ブラッシュ社(アメリカの有名なブラシ販売会社)の訪問販売員を装うという、比較的差し障りのない場面が代わりに挿入された。 この作品のためにフランク・チャーチルにより作曲されたオリジナル曲『狼なんかこわくない』(原題:Who's Afraid of the Big Bad Wolf?)は、ベストセラー・シングルとなった。人々は世界恐慌を「大きな悪い狼」になぞらえて笑い飛ばすためにこの曲を歌い、恐慌に立ち向かうための応援歌として愛唱した。第二次世界大戦に先立つ数年間にナチス・ドイツがドイツの領土を拡張し始めると、この歌は戦争を行うことなくヒトラーに領土拡張を許した欧米諸国の無関心さを非難するのに使われるようになった。
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評価と反響
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「Last Labyrinth (ゲーム)」の記事における「評価と反響」の解説
評価少女を連れて脱出するというコンセプトから、本作は『ICO』との類似性に触れて説明されることもある。プレイしたライターの蚩尤は際に遊んだ際の実感としては異なるものだったと評し、『MYST』との類似性を感じたと述べている。髙橋は日本国外で“ICO meets SAW (or CUBE)”と評されていたことに触れている。本作は失敗の過程でプレイヤーのみならずカティアが死んでしまうことから、気軽なトライアルアンドエラーが難しいと蚩尤は評している。ライターのシェループは本作を昨今珍しいゲームでのミスをプレイヤーに重く感じさせる作品と評している。またカティアと自身の命がかかっているため、プレイヤーが謎解きに尽力せざるを得ないとの考えを述べている。Pittはカティアのためにパズルを解こうとする点は他の作品にはなかった特徴だと述べている。一方で髙橋は日本市場で髙橋が思っていたよりもプレイヤーがカティアに対して感情移入してしまい、最初の1、2面以降プレイができなかった層がいたことに触れている。その一方でカティアがあまりに死ぬ回数が多くなることから、プレイヤーがカティアの死に慣れてしまうことをライターのGabriel Mossは指摘している。パノラプロ代表取締役の広田稔は、本作のレビューにてネットへの投稿を想定するならばカティアの死に対する他のキャラクターの反応が気になるとして、第三者視点があればよかったと評している。 本作は『ICO』や『ワンダと巨像』の制作者が関わっていたため、同タイトルを挙げたレビューがいくつか存在する。ライターのDoc Nealeは過去作品のファンであるため本作への酷評が楽しいものではないとしつつも、Questでの最悪の体験で、VRの使い方を間違っていると述べている。ライターのMark Steighnerは『ICO』や『ワンダと巨像』と比較すると本作は酷い作品だと述べ、本当に前述のクリエイターが関わっているとは思えないと述べている。ライターのAntonello "Kirito" Belloは『ICO』や『ワンダと巨像』の制作に携わった上田文人の過去の同僚が携わった作品として関心を持ち、上田が制作した『人喰いの大鷲トリコ』ほどの完成度はないものの、複雑なパズルによって全体的に楽しめる作品と評している。その一方で本作は既存のゲームの断片的な要素を持っているものの、ピンポイントで特定のゲームに近いと表現できないと、アストネスの店長は述べている。 ハード面での利点として、酔いにくいことや、座ったまま遊べることが挙げられている。一方でライターの馬淵寛昭は、カティアとのやり取りで首を振る必要があるため、首への負担を調整する方法が欲しいと述べている。また馬淵はVIVEコントローラーの場合は振動のオンオフが選択できるようにしてほしいとも述べている。ライターのKyle Durantはレーザーポインターの誤作動が煩わしかったと述べている。ライターのRob PittはDUALSHOCK操作時の動作が移動か×ボタンのみで、簡単だったと述べている。ライターのBartosz Kwidzińskiは、本作はPlayStation Moveを2本使用することもできるが、不要と評している。 “ゲーム”のルールに関して、本作はあまりに説明が足りないとSteighnerは指摘している。馬淵はパズルの難易度が途中から急に上がるため、一度攻略に詰まると停滞しやすいと述べた。シェループはどうぶつしょうぎがシナリオの重要な個所で存在し、ルール説明もないため、できないプレイヤーへの救済措置がないと指摘している。Belloはどうぶつしょうぎでルールを知らない日本国外の人間には相当の失敗を要したと述べている。ライターのJason Flickは本作で最も手こずった箇所にどうぶつしょうぎのルールの理解を挙げている。Kwidzińskiは問題によっては等式を書く必要があったと述べている。ライターのAzario Lopezはゲームが進み難易度が上がるに連れ、不安感がフラストレーションに変わっていったと述べている。 プレイヤーは逐一カティアによる動作の補助が必要なため、ゲームのテンポが悪くなることがNealeに指摘されている。Nealeによると、このじれったさはカティアの動作が遅くて不自然なことや、彼女の経路探索が洗練されていないことも影響している。本作はムービーのスキップ機能が付与されているが、NealeやPittはないものと認識しており、Pittは待たされるのに苛々したと述べている。髙橋はこの点についてVRは3次元で連続した出来事を見せることが一つの特徴でもあるため、スキップすると興ざめとなってしまうことや、プレイヤーを飽きさせないような工夫が必要だと述べている。また周回プレイを前提としているため、回答が分かっている謎解きを複数回行わなくてはならないことが『ファミ通』で言及されている。物語の構造上、複雑な手順を踏む必要のある仕掛けほど繰り返さなくてはならないのはやりすぎだとシェループは指摘している。またシナリオ上カティアが必ずひどい目に遭う個所が存在し、完全な攻略を目指すにはその個所を周回する必要がある点についても言及している。Lopezは、カティアが謎解きそのものを助けてくれるわけではないと言及している。 本作はVRであるにもかかわらずメニューや表現にPlayStation 2(PS2)の名残があるとNealeは述べ、Steighnerは色味やカティアの緩慢な動作にPS2らしさを感じたとしている。Belloは暗くて不思議な雰囲気の部屋は脱出する部屋としてゲームに合っており、プレイヤーに緊張感を与えると評している。髙橋はアメリカのPlayStationのYouTubeチャンネルでトレーラーが出された際にPS2時代のホラーゲームとの類似性を指摘するコメントがあったことに触れ、自身がその世代のクリエイターであることを認識しつつも、複雑な心境だと述べている。グラフィックに関してNealeは質が低い、Steighnerは平均以下と評している。ライターのJohn Shoupは2000年代のゲームと変わらないレベルとして失望感を示している。ライターのTodd EgglestonはVRゲームでもグラフィックが追い付いてきていることと、アニメ調のデザインがカティアの話し方などがマンネリズムとマッチしていると述べている。BelloやPittは最低限以外の音楽を排したことが、作品にマッチしていたと述べている。Steighnerはサウンドデザインや声、音楽を評価しているが、それらは長時間のプレイで疲弊してしまう故に、カティアの生き生きとした動作と同様に印象に残らないと述べている。Flickは暗くて集中できる環境での音響を評価している。Kwidzińskiはアニメーションが滑らかで自然だと評している。Flickは雰囲気の他キャラクターの作り込みを評価しており、特に複数の言語を扱えるヨーステンの演技がカティアの話す架空の言語を作り上げていると述べている。Nealeはカティアのキャラクターデザインを際立ったデザインではないと評している。カティアの話す言語についてShoupは初めに日本語のように感じたと述べており、Steighnerはカティアは漠然と日本語のような言語を話していると述べている。値段については複数のレビューで、高額すぎると評されている。 髙橋は日本国外の評価では、アメリカよりヨーロッパの方が反響が大きかったともしている。2020年12月時点でVRによる制作は続けるものの、続編については考えていないと髙橋は語っている。
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評価と反響
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評価週刊ファミ通でのメーカーアンケートによると、本作は原作が好きな人と、無双シリーズやアクションゲームが好きな人を消費者としてターゲットに据えている。フリーライターの結木千尋は、無双シリーズの功績を本来ライトゲーマー層や若年層が高難易度故に手の出しにくかったアクションゲームのカジュアル化としている。その中で無双シリーズと人気IPのコラボレーション作品の成功は、コラボレーション先の作品への愛とリスペクトによるものだとして、発売前の本作に対して同様のものが見られる期待感を述べている。 本作での刀剣男士たちのアクションについて、『週刊ファミ通』ではレビュアーの4人とも好意的な評価をしている。『週刊ファミ通』レビュアーのウワーマンと本間ウララは、刀剣乱舞のファンであれば本作は必見と述べている。ウワーマンはアクションや負傷、それらを記録できるフォトモードを評価し、本間はアクションの他刀剣男士の細かい動作に着目している。『週刊ファミ通』レビュアーのジゴロ☆芦田は映像表現を重視している。ライターのアサミリナは15人の3Dモデルの作り込みから、登場する中に1人でも好きな刀剣男士がいるのであればプレイすべきと明言している。一方で日本ジャーナル出版とINCLUSIVEによるウェブメディア『まいじつエンタ』にてNintendo Switch版でのハード性能が原因となるグラフィックや、キャラクターモデリングや鎧などの装備が安っぽく見えるなどのコメントにて、課題が示されている。 アクションゲーム初心者に対する配慮について、芦田はアクションゲームに不慣れなユーザーへのフォローが充実していると評している。ウワーマンは簡単モードについて、手軽に遊びたい際に重宝するとしている。本間は簡単モードについて、自分の手で刀剣男士が華麗な動きを見せることについて喜びつつも、自分の普段のプレイスタイルについて考えることにもなったと述べている。ライターの怪しい隣人は、気軽に楽しめる点から簡単モードを考案した人物を絶賛したいと述べている。また怪しい隣人は過去に無双シリーズをプレイしていたものの、シリーズ作品が増えるにつれてシステムが複雑化したことでシリーズから離れたことを踏まえて、かつて無双シリーズを遊んでいた人にも合うとする考えを述べている。その一方で、高難易度のゲームクリアを目指す人に本作は向かないとする考えを述べている。それぞれの難易度設定と操作設定を試したアサミリナは、簡単モードかつ難易度が易しいであればアクションゲーム初心者でもストーリークリアが可能と評し、通常モードの難易度が普通であれば、他の無双シリーズと比べて難易度は低めと評している。通常モードの難易度難しいであれば、アクションゲームとして手ごたえがでるものの、アサミリナは難易度でベリーハードに当たるものが欲しいと述べている。 フォトモードについて、怪しい隣人は機能が充実しているとして、本編より写真に力を入れるユーザーが出るとの考えを述べている。アサミリナはフォトモードの充実ぶりから、本作のコンテンツがフォトモードに集約されると、極論である可能性には触れつつも言及している。 ゲーム性について、ウワーマンは無双シリーズならではの爽快感はあるが、その一方でシリーズとしての新鮮味が弱いことに触れている。『週刊ファミ通』レビュアーのローリング内沢は、ユーザーインターフェースの感触やゲームの爽快感を褒めつつ、アクションは他の無双シリーズと変わらないと評している。芦田はマップの規模の小ささについて、ファン層に向けた調整と捉えている。また、アサミリナはロード時間の改善について要望を述べている。 一方で豪華版に付属するドラマCDについて、怪しい隣人は本作をより楽しめるよう、ダウンロードコンテンツなどで全員が聞けるようにしてほしいと要望している。 開発チームは発売後もグッズ展開を進める他、続編についても制作したいと2022年2月の『週刊ファミ通』のインタビューでは述べている。また2022年1月に刊行された『Pash!』2022年2月号でも、庄と襟川が次回作への意欲を示している。DMM GAMESプロデューサーの稲垣順太は自身の一存では決められないとしつつも、幕末を舞台とした製品への期待を示している。
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評価と反響
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「17歳の瞳に映る世界」の記事における「評価と反響」の解説
17歳の瞳に映る世界総スコア出典評価Metacritic 92/100 レビュー・スコア出典評価Rotten Tomatoes 99 % Allociné 3.4/5 Rolling Stone 4.5/5 Indiewire A- Stuff (en) 5/5 Algemeen Dagblad 4/5 Le Devoir 4/5 CTV 4/5 Le Parisien 3/5 Première 3/5 Fotogramas 4/5 週刊朝日 15/16 キネマ旬報 14/15 本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには172件のレビューがあり、批評家支持率は99%、平均点は10点満点で8.59点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「演技・演出は実に見事なものである。『17歳の瞳に映る世界』を鑑賞すれば、ヒットマンが極めて豊かな感受性とずば抜けた洗練度合いを兼ね備えていることを再確認できる。」となっている。 本作は物語が単純で、台詞と音楽を最小限に抑え、代わりに人物のクローズアップを利用している。映画監督の城定秀夫は、この演出が少女たちの心情を描いていると述べている。映画ジャーナリストの野島孝一は『週刊エコノミスト』にて、2人の少女を淡々と映す手法からドキュメンタリー映画を鑑賞しているように感じると述べている。野島は撮影を担当しているエレーヌ・ルヴァールはドキュメンタリー映画でのリアルな描写を得意とすることに言及し、その中で少女たちの戸惑いや臨場感が伝わると述べている。 映画批評家の常川拓也は、本作をジリアン・ロベスピエール(英語版)のObvious Childの流れを組む、プロチョイス映画の一つとして捉えている。常川は1956年に改正されたヘイズ・コードにて、中絶の話題を扱うことが推奨されず、仮に触れた場合は非難するものと規定したことに触れている。2007年に公開された『JUNO/ジュノ』や『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』での中絶の扱いから、映画やドラマの世界では中絶を検討したとしても最終的に出産を選択するを美徳としていたと述べている。常川はこの流れが変わったのは、2014年に公開されたObvious Childだとしている。この作品での中絶とロマンティックコメディの両立以降、望まない妊娠と中絶を扱った映画が製作されていると述べている。常川は本作を2021年に公開された『Plan B』と、田舎で暮らす未成年が中絶のために、親の同意が不要な州に所在のあるプランド・ペアレントフッドへ友人と向かう共通点を指摘している。また、2018年に公開された『ヘヴィ・ドライブ(英語版)』などを並べ、ロウ判決以降存在する中絶へのアクセスのための移動となる中絶ロードムービーが制作されていることに言及している。これらの作品の中の特徴として、常川は『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』にも見られるように苦難を明るく描くことで、重いテーマをポジティブに描いているのに対し、本作は日常的に性的な対象として消費される姿や中絶に至る経緯をリアルで詳細に描いていると述べている。 本作についていくつかの批評では、女性間の連帯について言及されている。映画ジャーナリストの林瑞絵はアニエス・ヴァルダの『歌う女・歌わない女』と比較し、それぞれ不安や孤独に対し明るい音楽やトーンと対照的であるとしつつ、共通点として女性同士の繋がりがあることに触れている。映画執筆家の児玉美月は、「#MeToo」運動が行われる時代において、女性間のシスターフッドが必要とされることに言及している。その際クリスティアン・ムンジウによる『4ヶ月、3週と2日』に触れ、主人公が中絶を受ける友人よりも奔走する姿に、とある女性の問題が別の女性の問題と繋がっているとの考えを述べている。児玉はこの姿をスカイラーがオータムのために自身を切り売りする姿と、二人が小指を繋ぐ仕草から、自分が被害者たりうる可能性からくる連帯であると述べている。 日本ではcinemacafe.netがYouTubeにて「Let’s Keep Updated vol.1」と称し、7月19日に映画や女性の身体に関するトークイベントとのライブ配信を行った。
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評価と反響
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「Déraciné (ゲーム)」の記事における「評価と反響」の解説
評価発売前から意欲作と評されているものの、一方で過去にフロム・ソフトウェアが制作した作品の傾向から、登場人物のうち誰かが死んでしまうのではないかという不安がユーザーから発されていた。4gamer.netのレポートしたフロム・ソフトウェアの新作タイトル体験会である「FROMSOFTWARE GAMES EVENT Autumn 2018 in OSAKA」では、同社の製品で登場人物の多くが死ぬことからくる不安や、妖精という言葉を訝しむ司会やSIEのプロデューサーの様子が見られた。デモンストレーションを試遊した『Engadget』のライターMat Smithは自身がイギリス人であるというバックボーンに触れつつ、冒頭のナレーションが薄気味悪さを感じさせるものでもあったと述べている。またスペインのビデオゲーム雑誌である『Hobby Consolas』では、超自然的な存在、孤児院、屋敷などがホラーアドベンチャーの構成要素として完璧だと述べつつも、本作はそうではないとしている。 発売後のゲームの評価は賛否両論となっている。メタクリティックは28の海外の業界紙のレビューに基づいて、100点満点中69点と評価している。業界紙のレビューでは刺激的な物語、初心者向けの難易度、PS4 Proにおける映像の完成度が強調されている。IGN Japan編集部で毎年実施されているライターごとの年内ゲームトップ10の発表において、エスラは本作を4位に、福山は2位に挙げた。福山は本作についてVRで平易に遊べることに力を入れているとして、VRによるストーリーテリングが今後発展するという展望を述べている。また本作はIGN JapanによるPS4のオススメゲームTOP20の20位にランクインした。またアメリカの雑誌『ペースト』では2018年のベストVRの5位にランクインした。 批判のポイントとしてはプレイ時間が5-6時間程度と短いことや一本道のストーリー仕掛け、ゲームにおける世界が止まっていて生気がないように感じられることが多い点などが挙げられている。GameSparkはいくつかの日本国外のゲームレビューサイトの結果に基づいて、フロム・ソフトウェアらしい「物語り」に力を入れたところが評価されているが、その点に興味が薄いプレイヤーやゲームプレイに重きを置く層からは評価が低いと述べている。エスラは本作がクリエイターとして宮崎がプレイヤーに求められたところとは異なった作品だったことが、この評価につながったとする考えを述べている。福山は自身の読んだ海外レビューにて、『DARK SOULS』のような作品を期待されていたと述べている。ライターの千葉芳樹はプレイヤーが前述の作品のようなものを期待していたとする話を、分からなくはないとしつつも、そういう作品でないことは明確だったとしている。 確かに『Déraciné』は特別な魅力を発揮している。VRでの冒険は静かなゲーム性と雰囲気のあるプレイで魅了する。Moveコントローラでの操作は最も正確な動作をしたわけではなかったが、試験中は適切に動作した。『Déraciné』は控えめな、時に少し引き伸ばされたところもあるが、控えめなカーソルで指してクリックするアドベンチャーであり、タイムトラベルとそれに伴う変化を適切に使っているだけのものとなっている。(中略)確かに『Déraciné』は絶対に買うべきVRゲームという訳ではないものの、気分転換としては歓迎すべき作品である。(70/100) — Olaf Bleich、Games.ch もしあなたがフロム・ソフトウェアの典型的なゲームを『Déraciné』に期待しているとしたら、おそらく少しばかり驚くことになるだろう。本作は怪物たちとの壮大な戦いではなく、幽霊を信じる寄宿学校の子供たちの感動的な物語となっている。(中略)『Déraciné』は、ストーリーという観点から見れば、決して主流の作品という訳ではない。しかしながら、発想と技術的な挑戦という2つの観点から見れば、全体としてはとても良くできていると確信する。(8,3/10) — Trooper_D5X、PlayFront 『Déraciné』について、開発をリードする宮崎英高は仮想上の登場人物とのインタラクションやその物語性のみを通じて既存のゲームの仕組みから離れたところでプレイヤーを魅了する、小さくてシンプルな作品を造ろうとしていた。しかし結果的に、不器用でぎこちないものとなってしまった。(中略)したがって、筆者はDéracinéを無条件に勧めることはできない。 — Tomislav Bezmalinovic、MIXED.de 後に宮崎はインタビューにて本作に挑戦したことで反省も多くあったものの、制作したことで得るものが多かったと述べている。『SEKIRO』との同時発表により、旧来のものはもちろん、新規開拓も進めていくというメッセージになったと述べている。一方で、人を選ぶゲームというのはコンセプト上やむを得ないところはあったものの、それを踏まえても解消できる課題はあったとも述べている。 フロム・ソフトウェアのプロデューサーである竹内正則はPlayStation VRの機能が自分たちが思っていたよりも制約が多く、技術と知識が課題となって自分たちの望むものが当時できなかったと述べている。それゆえ、2019年6月時点ではVRによる新作は考えていないとも述べている。 また本作ではイースター・エッグとして、『Bloodborne』へのオマージュが見られる人形や書籍が登場した他、ローレンスやゲールマンといった『Bloodborne』を想起させる名前が見られる。『Bloodborne』の次回作が公開されるのではという期待がIGN Japanなどで報じられた。しかし、宮崎はあくまでこれを悪戯と説明しており、『Bloodborne』の次回作の決定権は知的財産権の問題から自分たちにはないと述べている。結果的に人々の『Bloodborne 2』への期待感を高めることになったことは意図するところではなかったとして、ソニーに迷惑が掛かってしまったと述べている。
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評価と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 09:20 UTC 版)
「ONE 〜輝く季節へ〜」の記事における「評価と反響」の解説
元長柾木は『ONE』について存在自体が奇跡でありコピーできるような代物ではないとしている。 奈須きのこはパートナーの武内崇と共にこの作品の大ファンであり、「ノベルゲーム」(後の『月姫』)のシナリオライターを志した切っ掛けであると語っている。また、この作品による自作への影響があったという見解を表しており、特に『月姫』の主人公の口調が『ONE』の主人公とよく似ているところを反省点として挙げている。 本作で描かれる「永遠の世界」にはいつまでも年を取らない少女がいて、心に傷を負った主人公を受け入れてくれるが、そこへの没入の代償として現実との関係が希薄になっていく。これについて本田透は、『ONE』は空想と現実のどちらを生きるべきかというオタクの葛藤そのものを作品化したものであり、ヒロインと恋愛関係を築くことでお互いに存在意義を確立しあった主人公が、最終的に空想を放棄して現実での生を選ぶという構造になっている。もっとも、作品内で描かれる恋愛はゲーム外での現実ではおよそ到達不可能な純愛であり、テーマとは裏腹にファンのゲームへの没入を招いた、と説いた。自身も本作のヒロイン「川名みさき」を「脳内妻」と公言している。
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