ドイツの領土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:30 UTC 版)
第二篇(27条から30条)はドイツの境界を規定している。一部の地域に関しては住民投票による帰属決定が行われることとなった。 オイペン、モンシャウ(英語版)、マルメディをつなぐ線から以西を割譲し、ルクセンブルクに至る線をベルギー方面の国境とする。 ルクセンブルク・スイス方面の国境は1870年7月18日に定められ、1914年8月3日(第一次世界大戦開戦前日)時点での国境を維持する。 オーストリア方面については、チェコスロバキアとの国境を考慮し、1914年8月3日時点の国境を維持する。 チェコスロバキア方面の国境は、1914年8月3日時点でのドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国国境を考慮する。またオーストリア・シレジア(英語版)のうち、現在のフルチーン地域に当たる地方(316か333平方km)を割譲する。 ポーランド方面の国境は、西プロイセンとポーゼン州(英語版)の大部分、さらに海への出口となるポーランド回廊を割譲する。 オーバーシュレージェンについては住民投票で帰属を決定する。 デンマーク方面の国境は、109条と110条に基づき、シュレースヴィヒのうち、中部シュレースヴィヒと北部シュレースヴィヒの帰属は住民投票によって決定する。
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