「第二次世界大戦で獲得したロシアの領土」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
「北方領土問題」の記事における「「第二次世界大戦で獲得したロシアの領土」」の解説
ロシア連邦政府は、南クリル諸島(北方四島)について「同国が第二次世界大戦の結果として獲得したロシアの領土であり、日本が根拠のない領有権の主張を行っている」と認識している。 同国の著述家 B. I. Tkachenko によれば、その根拠は主に次のようになる。 日本は1855年の下田条約(日露和親条約)に基づいた国境線(南クリル諸島を日本領とした)を要求しているが、ロシアと日本との国境線はのちに1875年の平和的なサンクトペテルブルク条約(樺太千島交換条約)および1905年のポーツマス講和条約で二度も変更されている。 そして、最も決定的かつ本質的な国境線は1945年以降の第二次世界大戦の終結によって画定されたのである。よって、日本が1855年の国境線のみに基づいて領有権を主張することは正当性を欠く。 また、1855年の国境線では南クリル諸島のほかにも、ロシアが現在領有しているサハリン(樺太)を「ロシアと日本のどちらの領土でもなく、両国民が混住する地」と規定していたため、その国境線へ逆行することで日本がサハリンについてもロシアの主権を脅かそうとする危険がある。 ソビエト連邦(ソ連)が第二次世界大戦において対日参戦するための条件として、ソ連が南クリル諸島をふくむクリル列島を獲得することをアメリカおよびイギリスから約束されていた(ヤルタ協定、ポツダム会談において)。 そして日本はその条件(ポツダム宣言)を受諾し、ソ連をふくむ連合国に降伏した。その後、日本を占領した連合国最高司令官の命令により、日本は南クリル諸島をふくむ多くの島々への施政権を失った。 さらに日本は連合国との平和条約を批准する際、国会において南クリル諸島の主権を放棄すると宣言した 。これにより、日本は同諸島を失い、ソ連が同諸島を獲得した。 ソ連およびロシア連邦が南クリル諸島を所有している法的根拠は、カリーニングラード州(東プロイセン)を所有している根拠と等しい(同州は中世以降にドイツの領土となっていたが、第二次世界大戦の結果として現在ではロシアの領土となっている)。
※この「「第二次世界大戦で獲得したロシアの領土」」の解説は、「北方領土問題」の解説の一部です。
「「第二次世界大戦で獲得したロシアの領土」」を含む「北方領土問題」の記事については、「北方領土問題」の概要を参照ください。
- 「第二次世界大戦で獲得したロシアの領土」のページへのリンク