「第二章」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 09:37 UTC 版)
第二章では、今までに刊行された4種類の『福澤全集』について解説している。すなわち、 1898年(明治31年)・福澤自身が編纂した明治版『福澤全集』全5巻 1925年(大正14年)・石河が編纂した大正版『福澤全集』全10巻 1933年(昭和8年)・石河が編纂した昭和版『続福澤全集』全7巻 1958年(昭和33年)・富田正文と土橋俊一が編纂した現行版『福澤諭吉全集』(初版は全21巻、再版は全22巻) である。 まず、明治版『福澤全集』は福澤の単行本を発刊順に収録したもので、『時事新報』の無署名論説は含んでいない。 次に、大正版『福澤全集』は石河幹明が編纂したもので、第1巻から第7巻までに単行本を明治版と同じ順序で収録し、第8巻から第10巻までに初めて『時事新報』の論説を「時事論集」として収録したものである。その「時事論集」収録の論説224編を収録するに当っては、石河が社員のときに抄写して坐右に置いていたものを収録したと説明している。 そして、昭和版『続福澤全集』は大正版から洩れていた『時事新報』の論説を「時事論集」として第1巻から第5巻までに収録し、書翰を「書翰集」として第6巻に収録し、その他の文を「諸文集」として第7巻に収録したものである。この昭和版「時事論集」全5巻を編纂するに当って、『時事新報』の論説1246編を撰んだ基準は、第1巻の「時事論集例言」には何も説明されていない。「時事論集」第5巻には、福澤没後約10年たったときに掲載された大逆事件関連の論説10編が収録されている。これらは石河が執筆したもので、その論説に先立って石河の「附記」が記されている。この「附記」において石河は 固より社説記者は私一人のみではなかつたが、私が筆に慣るゝに從つて起稿を命ぜらるゝことが多くなり、二十四五年頃からは自から草せらるゝ重要なる説の外は主として私に起稿を命ぜられ、其晩年に及んでは殆ど全く私の起稿といつてもよいほどであつた。勿論其間にも私自身の草案に成つたものも少なくなかつたが、先生は病後も私に筆記せしめられたものがある。即ち本篇中の「先生病後篇」と題する七十餘篇がそれである。 — 石河幹明、昭和版『續福澤全集』第5巻「附記」737頁 と記している。これによると、1891年(明治24年)、1892年(明治25年)頃から石河が主として論説を起稿することが多くなり、福澤の晩年にはほとんど石河が執筆するようになったのである。さらに、福澤が脳溢血で倒れた1898年(明治31年)9月26日後も、石河が福澤の案に基づく論説を筆記していたことになるのである。 現行版『福澤諭吉全集』は上記の大正版と昭和版の『全集』を合わせて、さらに新たに発見された論説や書翰を付け加えて成立したものである。現行版の「時事新報論集」は第8巻から第16巻を占めるものであるが、その編纂については第8巻の「後記」に成立事情が記されている: 「時事新報」の社説は一切無署名で、他の社説記者の起草に係るものでもすべて福澤の綿密な加筆刪正を經て發表されたもので、漫言や社説以外の論説も殆んど無署名または變名であるから、新聞の紙面からその執筆者を推定判別することは、今日の我々では能く爲し得ない。大正昭和版正續福澤全集の編纂者石河幹明は、終始福澤の側近に在つて社説のことを擔當してゐたので、右のやうな判別はこの人でなければ他に爲し得る者はないといつてよいであらう。大正版全集の「時事論集」は、石河が時事新報社に在つたとき、自分の社説執筆の參考にするため、福澤執筆の主要な社説や漫言を冩し取つて分類整理して座右に備へておいたものを、そのまゝ收録したものであつた。昭和版續全集の「時事論集」は、やはり石河が、大正版全集に洩れたものを、創刊以來の「時事新報」を讀み直して一々判別して採録したものである。本全集では全く右の石河の判別に從つて私意を加へず、僅かにその後に原稿の發見によつて福澤の執筆と立證し得たものを追加したに過ぎない。 — 富田正文・土橋俊一、現行版『福澤諭吉全集』第8巻「後記」671頁 この「後記」によると、現行版「時事新報論集」は大正版「時事論集」と昭和版「時事論集」をそのまま収録したものということになる。すなわち「論説」の採用基準は「石河が選んだから」という理由のみになる。 平山は「論説」を4つのカテゴリーに分類している。すなわち、 カテゴリーI - 福澤がすべて執筆した「福澤真筆」 カテゴリーII - 福澤が立案し、記者が執筆した「福澤立案記者執筆」 カテゴリーIII - 記者が起筆し、福澤が添削した「記者立案福澤添削」 カテゴリーIV - 記者がすべて執筆した「記者執筆」 の4つである。そして、『福澤全集』に収録する資格があるものは、カテゴリーIとカテゴリーIIだけであると説明している。さらに石河は本当にカテゴリーIとカテゴリーIIだけを撰んで『全集』に収録したのだろうかという疑問を投げかけている。
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