「第二連作」とは? わかりやすく解説

「第二連作」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 02:16 UTC 版)

睡蓮 (モネ)」の記事における「「第二連作」」の解説

その後しばらく『睡蓮』の制作中断し再開されるのは1903年である。この間1901年モネは池の拡張工事とりかかっている。1903年から1908年にかけての時期制作された『睡蓮』は80点が確認され、これらは「第二連作」と呼ばれる(w.1654 – 1691, 1694 - 1735)。モネはこの連作1907年発表するつもりでいたが、彼自身作品出来納得できなかったため、展覧会の開催1909年まで延期された。そして1909年5月 - 6月9年前展覧会と同じパリデュラン=リュエル画廊で「睡蓮水の風景連作」と題した展覧会開かれ1903年から1908年にかけて制作した睡蓮』のうち48点が展示された。この時期作品からは日本風姿を消し水面とそこに映る虚像樹木や空の反映実像である睡蓮などが複雑に交錯し画面となっている。池の対岸地面や、画面上方から垂れ下がるなどが描き込まれることもあるが、1906年以降は、ほとんどの作品において、画面のすべてを水面占めるようになってくる。この時期制作され80点のなかには、さらにいくつかのシリーズがある。1907年集中して描かれ縦長画面連作もその一つである。これらの縦長構図作品15点知られ(w.1703 - 1717)、いずれも日没直前時間描かれたと思われるもので、水面の右には、左にはポプラ樹影映り込んでいる。15点構図はほとんど同一だが、色調微妙に異なっている。 1909年の『睡蓮』展を見た批評家のロジェ・マルクスは、『ガゼット・デ・ボザール』誌に寄稿し次のようなモネ言葉紹介している。「彼ら〔=昔の日本人〕のまれに見る趣味良さはいつも私を魅了してきた。影によって存在を、断片によって全体暗示するその美学に、私は共感をおぼえる」。モネ日本浮世絵版画愛好し収集もしていた。日本事物モネ画面直接現れることはまれだが(例外としては、着物姿モネ夫人モデル描いたラ・ジャポネーズ』(1876年)がある)、構図のとり方、遠近法排除した画面構成固有色にとらわれない色使いなどには日本版画影響指摘される西洋絵画伝統では、風景は人の視線の高さで眺められ、画中には水平線設定されて、地上と空とを分けていた。ところが、モネの『睡蓮連作では池の岸の地面徐々に描かれなくなり画面全体水面占めるようになるこのような作品は、描かれ画面の外にも水面続いていることを暗示し水面に映る虚像が、空や岸辺生え樹木存在暗示するモネの言う、「影によって存在を、断片によって全体を」暗示するという、西欧絵画伝統とは一線を画し表現がここにはみられる

※この「「第二連作」」の解説は、「睡蓮 (モネ)」の解説の一部です。
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