「第四章」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 09:37 UTC 版)
第四章では、1932年(昭和7年)の「福澤ルネッサンス」について考察している。石河が編纂した大正版『全集』の刊行の後、1932年(昭和7年)に石河が執筆した『福澤諭吉伝』全4巻が出版された。 『福澤諭吉伝』第1巻(1932年(昭和7年)2月10日)ISBN 4-00-008648-0 『福澤諭吉伝』第2巻(1932年(昭和7年)3月25日)ISBN 4-00-008649-9 『福澤諭吉伝』第3巻(1932年(昭和7年)4月25日)ISBN 4-00-008650-2 『福澤諭吉伝』第4巻(1932年(昭和7年)7月15日)ISBN 4-00-008651-0 この伝記の第3巻では、朝鮮を領有し中国を分割し侵略を主張する福澤像を描いているため、侵略的絶対主義者としての評価が生れたのである。これが福澤ルネッサンスである。この評価は1932年(昭和7年)における読者に迎合して作られたものであり、時局的な執筆者としての石河自身の思想を表現するものなのである。 また、この『福澤諭吉伝』に描かれていない福澤像の例として、1898年(明治31年)9月26日に福澤が脳溢血で倒れた後に失語症になったことを挙げている。
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