「第二の国歌」へとは? わかりやすく解説

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「第二の国歌」へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:15 UTC 版)

美しく青きドナウ」の記事における「「第二の国歌」へ」の解説

1867年4月パリ万博開催されると、シュトラウス2世は弟のヨーゼフエドゥアルトウィーン任せて単身パリ向かった。そして万博会場においてしばらく遠ざかっていた『美しく青きドナウ』を演奏すると、今度期待以上に高い評価受けた5月28日パリオーストリア大使館でのイベントでは、臨席したフランス皇帝ナポレオン3世からも賞賛受けたという。ジュール・バルビエ(フランス語版)によってフランス語新しい歌詞が贈られ、やがて人々はこの歌詞口ずさむほどになった。このパリでの大成功の後、8月上旬シュトラウス2世ロンドン渡ったが、こちらでもパリ同様に絶賛された。また、こうした評判ウィーンにも届くとウィーンでも演奏されるようになり、たちまち世界各地演奏されるようになった各国ごとに大量楽譜印刷され、そのいずれも好調な売り上げ記録した当時シュトラウス一家楽譜出版一手担っていたC.A.シュピーナ社は、一万印刷可能銅板を『美しく青きドナウ』のために100枚も必要としたという。これはラジオ誕生以前楽譜売れ行きとしては最高の数字であったシュトラウス2世演奏旅行の際には必ずこの曲を披露するようになった1872年6月17日シュトラウス2世招いてアメリカ合衆国ボストン催された「世界平和記念国際音楽祭英語版)」では、2万人もの歌手1000人のオーケストラ、さらに1000人の軍楽隊によって、10万人の聴衆の前でこのワルツ演奏された。 日増しに高まる名声受けて初演から7年後1874年か)、エドゥアルト・ハンスリックはこう論評している。 「 皇帝王室祝ったパパ・ハイドンの国歌並んでわが国土と国民歌ったもう一つの国歌、シュトラウスの『美しき青きドナウママ)』ができたわけだ。 」 このハンスリック論評は、歌詞の内容をまったく考慮していない、曲名メロディーだけを評価したものであったが、やがて「国歌」にふさわしい歌詞が伴うようになる1890年、フランツ・フォン・ゲルネルト(ドイツ語版)による現行の歌詞改訂されのである。ゲルネルトもやはりヴァイル同様にウィーン男声合唱協会会員で、彼は作曲詩作たしなむ裁判所判事であった新たに付けられ歌詞は、かつてヴァイル付けたものとはまった異な荘厳な抒情詩であった。 (ドイツ語Donau so blau,so schön und blaudurch Tal und Auwogst ruhig du hin,dich grüßt unser Wien,dein silbernes Bandknüpft Land an Land,und fröhliche Herzen schlagenan deinem schönen Strand. (日本語訳)いとも青きドナウよ、なんと美しく青いことか谷や野をつらぬきおだやかに流れゆき、われらがウィーン挨拶を送る、汝が銀色の帯は、国と国とを結びつけ、わが胸は歓喜高鳴りて、汝が美しき岸辺にたたずむ。 改訂新版初め歌われたのは1890年7月2日で、この後広くハプスブルク帝国第二国歌」と呼ばれるようになったウィーン流れドナウ川ヨーロッパの国々に繋がる一本の帯に見立てた国土謳う立派な歌詞付けられたことで、このワルツハプスブルク帝国およびその帝都ウィーン象徴する曲に生まれ変わったのである合唱団はいずれもこの新しい歌詞のほうを好みヴァイルによる歌詞歌われなくなった現行の歌詞は、ウィーン少年合唱団による歌唱でも有名である。 オーストリアで帝政廃止された後、ハイドンによる皇帝讃歌神よ、皇帝フランツを守り給え』から別の国歌変更され、さらに紆余曲折経て1946年には(かなり疑わしいが)モーツァルト作品とされる山岳の国、大河の国』に変更された。その一方で美しく青きドナウ』は、オーストリア=ハンガリー帝国時代変わらず第二国歌としての立ち位置維持した1945年4月オーストリアナチス・ドイツ支配から解放されたが、独立後の国歌未定だったことから、オーストリア議会とりあえ正式な国歌が決まるまでの代わりとして『美しく青きドナウ』を推奨した戦後20年ほどが経過した1964年ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともにテアトロ・コロン客演旅行出たカール・ベームは、最後演奏会で「ここで我々は感謝のためにさらにオーストリア国歌演奏いたします」と述べて国歌聞いて反射的に起立した聴衆の前で『美しく青きドナウ』を演奏したベームはこの曲のことをのちに出版した回想録なかでも三拍子オーストリア国歌」と表現している。現在のオーストリアでも、このワルツ依然として第二国歌」と呼ばれ続けている。

※この「「第二の国歌」へ」の解説は、「美しく青きドナウ」の解説の一部です。
「「第二の国歌」へ」を含む「美しく青きドナウ」の記事については、「美しく青きドナウ」の概要を参照ください。

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