パリでの大成功
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1664年1月29日、『強制結婚』の初演がルーヴル宮殿にて行われた。『はた迷惑な人たち』に次ぐ第2作目のコメディ=バレエであるが、前作が「王の楽しみのために作られた喜劇」であったのに対して、今作は初めから「王のバレエ」として制作された。ルイ14世のために書かれるバレエはこれまでアイザック・ド・バンスラードが制作してきたが、今回モリエールに初めてその大役が回ってきたのだった。もっともこれはバンスラードの独占を崩したというだけで、彼にも引き続き作品制作の依頼が行われており、モリエールとバンスラードの競作は1670年まで続くこととなる。 モリエールのコメディ=バレエは「宮廷のために」制作される作品であるから、必然的に初演から市民向けの公演が行われるまでに少し空白期間がある。作品自体を見られなくても、評判くらいは市民たちの耳にも入ってくるから、その期待はどんどん膨れ上がっていくのである。それは『強制結婚』でも例外ではなく、2月15日にパレ・ロワイヤルでの上演が始まった時には、滑り出しからその成績は絶好調であった。ところが『はた迷惑な人たち』と比較して、バレエを躍るダンサーや音楽家への支払いがかさむ割に興行成績が伸びなかったので、わずか1か月、12回の上演で早々に公演を打ち切ってしまった。 同年5月7日から13日にかけてルイ14世は、母后アンヌ・ドートリッシュならびに王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュのためと称して、実は愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールのために、ヴェルサイユ宮殿にて600人を超える貴族たちを集めて「魔法の島の楽しみ(Les plaisirs de l’ile enchantée)」なる祝祭を催した。この祝祭はヴェルサイユ宮殿と庭園の素晴らしさを貴族たちに印象付けることで、国王の力を誇示する目的を有していた。モリエール劇団も国王の命令でこの祝祭に参加したが、この祝祭は彼らのための祭りであると言っても過言ではないほど大きな役割を果たした。戯曲のみに絞っても、2日目に『エリード姫』を、5日目に『はた迷惑な人たち』を、6日目に『タルチュフ』最初の三幕を上演し、最終日に『強制結婚』を上演している。 『エリード姫』は国王の制作依頼から上演までの時間が少なかったこともあり、途中まで韻文、残りは散文で制作されている。モリエールはこの作品によって喜劇だけではなく、上品で格調高い宮廷の趣味を満足させるような作品も制作できるという自身の技量を示し、大好評をとったことでそれを認められた。この作品の主役を妻・アルマンドに演じさせたことで、彼女の評価も一気に高まったが、その一方でマルキーズ・デュ・パルクが与えられたのは単なる端役に過ぎなかった。『はた迷惑な人たち』では華麗な舞踊を披露して大評判をとった彼女にとっては、このような配役は屈辱でしかなかった。この5か月後には劇団で重要な位置を占めていた夫も死去し、劇団にいる意味を見いだせなくなった彼女の不満は募るばかりであった。
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