パリからポン=タヴァンへ(1885年-1886年)
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「ポール・ゴーギャン」の記事における「パリからポン=タヴァンへ(1885年-1886年)」の解説
ゴーギャンは、1885年6月、6歳の息子クローヴィスを連れてパリに戻った。その他の子は、コペンハーゲンのメットの元に残り、メットの稼ぎと家族・知人の助けで生活することとなった。ゴーギャンは、画家として生計を立てようと思ったが現実は厳しく、困窮して、雑多な雇われ仕事を余儀なくされている。クローヴィスは病気になり、ゴーギャンの姉マリーの支援で寄宿学校に行くことになった。パリ最初の1年に制作した作品は非常に少ない。1886年5月の第8回(最終回)印象派展に19点の絵画と1点の木のレリーフを出展しているが、ほとんどがルーアンやコペンハーゲン時代の作品であり、唯一『水浴の女たち』が新たなモチーフを生み出した程度で、新味のあるものはほとんどなかった。それでも、フェリックス・ブラックモンはゴーギャンの作品を1点購入している。この時の印象派展で前衛画家の旗手として台頭したのが、新印象派と呼ばれるジョルジュ・スーラであったが、ゴーギャンは、スーラの点描主義を侮蔑した。この年、ゴーギャンは、ピサロと反目し、ピサロはその後ゴーギャンに対して敵対的な態度をとるようになる。 ゴーギャンは、1886年夏、ブルターニュ地方のポン=タヴァンの画家コミュニティで暮らした。最初は、生活費が安いという理由で移ったのであるが、ここでの若い画学生たちとの交流は、思わぬ実りをもたらした。シャルル・ラヴァルもその1人であり、彼は、後にパナマやマルティニーク島への旅をともにすることとなる。 この年の夏、ゴーギャンは、第8回印象派展で見たピサロやエドガー・ドガの手法をまねてヌードのパステル画を描いている。また、『ブルターニュの羊飼い』のように、人物が表れるものの主に風景を描いた作品を多く制作している。『水浴するブルターニュの少年』は、彼がポン=タヴァンを訪れる度に回帰するテーマであるが、デザインや純色の大胆な使用において、明らかにドガを模倣している。イギリスのイラストレーターランドルフ・コールデコットがブルターニュを描いた作品も、ポン=タヴァンの画家たちの想像力を刺激し、ゴーギャンは、ブルターニュの少女のスケッチで、意識的にコールデコットの作品を模倣している。ゴーギャンは、後にこの時のスケッチをパリのアトリエで油絵に仕上げているが、コールデコットの素朴さを取り入れることで、初期の印象派風の作品から脱皮したものとなっている。 ゴーギャンは、パナマやマルティニーク島から帰った後も、ポン=タヴァンを訪れており、エミール・ベルナール、シャルル・ラヴァル、エミール・シュフネッケル、その他多くの画家と交流した。このグループは、純色の大胆な使用と、象徴的な主題の選択が特徴であり、ポン=タヴァン派と呼ばれることになる。ゴーギャンは、印象派に至る伝統的なヨーロッパの絵画が余りに写実を重視し、象徴的な深みを欠いていることに反発していた。これに対し、アフリカやアジアの美術は、神話的な象徴性と活力に満ちあふれているように見えた。折しも、当時のヨーロッパでは、ジャポニズムに代表されるように、他文化への関心が高まっていた。 『水浴する女たち』1885年。国立西洋美術館(東京)。 『ブルターニュの羊飼い』1886年。Laing Art Gallery。 『ブルターニュの4人の女』1886年。ノイエ・ピナコテーク。 『ブルターニュの少女』1886年。バレル・コレクション(英語版)。 『水浴するブルターニュの少年』1886年。シカゴ美術館。 ゴーギャンの作品は、フォークアートと日本の浮世絵の影響を受けながら、クロワゾニスムに向かっていった。クロワゾニスムとは、批評家エドゥアール・デュジャルダン(英語版)が、ベルナールやゴーギャンによる、平坦な色面としっかりした輪郭線を特徴とする描き方に対して付けた名前であり、中世のクロワゾネ(七宝)の装飾技法から来ている。 クロワゾニスムの真髄と言われる1889年の『黄色いキリスト』では、重厚な黒い輪郭線で区切られた純色の色面が強調されている。そこでは、古典的な遠近法や、色の微妙なグラデーションといった、ルネサンス美術以来の重要な原則を捨て去っている。さらに、彼の作品は、形態と色彩のどちらかが優位に立つのではなく、両者が等しい役割を持つ綜合主義に向かっていく。 『黄色いキリスト(英語版)』1889年。オルブライト=ノックス美術館。 『ラヴァルの横顔のある静物』1886年。インディアナポリス美術館。
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