パリ ― ラ・リューシュ
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「ミシェル・キコイーヌ」の記事における「パリ ― ラ・リューシュ」の解説
1914年、キコイーヌはミンスク高校で知り合ったローザ・ブニモヴィッツと結婚して、パリ15区の集合アトリエ「ラ・リューシュ」(モンパルナス地区; パッサージュ・ド・ダンツィーグ2番地)に引っ越し、ここでクレメーニュ、スーティンと再会した。このアール・ヌーヴォー様式の3階建てロタンダ(円形建築物)は、1900年のパリ万国博覧会の際にギュスターヴ・エッフェル (1832-1923) がヴォージラール屠殺場(フランス語版)(1978年から1985年にかけて廃止・解体され、跡地にジョルジュ・ブラッサンス公園が造られた) の近くにボルドー・ワイン館として設計したものだが、1902年に彫刻家アルフレッド・ブーシェ(1850-1934) がこれを買い取り、周囲にアトリエを増築し(計140室)、欧州各国からやってきた貧しい画家や彫刻家らに提供していた。特に1910年代にはソ連や中東欧のユダヤ人弾圧を逃れてきた若い芸術家がここに集まり、「貧乏人のヴィラ・メディチ」と呼ばれていた。キコイーヌはここで、マルク・シャガール (1887-1985) 、オシップ・ザッキン (1888-1967)、ジャック・リプシッツ(フランス語版)(1898-1986)、アメデオ・モディリアーニ (1884-1920)、フェルナン・レジェ (1881-1955) らに出会った。妻ローザは1915年に第一子クレール (1915-2013)、1920年に第二子ジャックを出産し、二人とも「ラ・リューシュ」で育てられた。ミシェルとローザはジャックの出生時にユダヤ系ロシア人の「ヤコブ」という名前を付けたが、出生届の際にフランス語読みの名前「ジャック」にするよう命じられたという。なお、ジャック・キコイーヌは現在、画家・彫刻家ジャック・ヤンケル(フランス語版)としてパリで活動している。
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