パリでの業績
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外交官時代からフランシスコ・ザビエルに興味を持ち、1855年にザビエルのラテン語の書簡をフランス語で編纂した『聖ザベリオ書簡集』全2巻を1855年にパリで出版した。ザビエルの終焉の地は広東フランス総領事館とポルトガル領マカオのほぼ中間点である広東港外の上川島(現・広東州江門市)にあり、パジェスの強い関心を惹いたと考えられる。また政治にも関心が高くパリの政治ジャーナル紙『ユニベール(L’Unives 1833年-1860年 ISSN 1257-6131)』の編集者も務めた。 パジェスはヨーロッパ各所の図書収蔵機関を訪ねて日本に関する欧人の著書800余点を年代順に整理して1859年には『日本図書目録』を刊行、ついで在日オランダ商館長J.D.クルティウスの『日本文典』をオランダ人J.ホフマンが増訂したものを参考に『日本文法試論』を1861年に刊行した。さらに『日本二十六聖人殉教記』を1862年に訳刊した。
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