「第三高商」としての長崎高商
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 14:41 UTC 版)
「長崎高等商業学校」の記事における「「第三高商」としての長崎高商」の解説
長崎高商は公式の校史などではしばしば「(官立)第三高商」とされているがそれは以下のような事情に基づくものである。すなわち、山口高商は明治38年(1905年)2月24日勅令第40号に基づき山口高等学校(旧山高)から転換された一方、長崎高商は同年3月28日勅令第96号により開設され同年9月に授業を開始した。このため法的設置順、開校順とも山口が長崎に先行していたが、同勅令第96号(改正文部省直轄諸学校官制)中の記載順序が、山口高商が高等学校からの改称であったため第七高等学校造士館の次位のままとなっていたのに対し、長崎高商は新設であったことから東京高商・神戸高商の次位とされていた(山口高商も参照のこと)。 なお、官制上の記載順序は、3年後の明治41年勅令第86号「『長崎高等商業學校』ノ次ニ『山口高等商業學校』ヲ加ヘ『第七高等學校造士館』ノ次『山口高等商業學校』ヲ削リ『第八高等學校』ヲ加フ:他略」によって見直された。この勅令改正の理由書には、「本案中山口高等商業學校の順序を變(変)更せんとするは本校は元山口高等學校の改稱なるが故に其位置從來の儘なるも東京、神戸、長崎の各高等商業學校は一所に列記しあり獨り山口高等商業學校のみ第七高等學校造士館の次位にあるか為め他の高等商業學校と組織及程度等全く別種のものとの誤解を來すの恐あり随て生從募輯(集)上及卆業生就職等に不便尠からさるに依る」と記されている。
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