堀江謙一
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ゲーム
- 『太平洋横断11,000km』(PC-8801用) ライブハウスアロー、1983年8月。堀江の太平洋横断のシミュレーションゲーム。
脚注
関連項目
外部リンク
- 堀江謙一 公式ウェブサイト
- 関西ヨットクラブ
- 堀江さん ヨットで太平洋横断 - NHK放送史
- ほぼ日刊イトイ新聞 風に近づいていく人。(2020年)
- 現代のお仕事 様々な大人たち
- Kenichi Horie and the MERMAIDS 展示されていた時のマーメイド号 - サンフランシスコ海事博物館
注釈
- ^ 尾鷲海上保安部所属の巡視船『かみしま』である。
- ^ 交信ではなく、一方的な発信である。また、堀江は遭難信号「SOS」は発信していない。
- ^ 左右のフロートを支えるアームが折損した。
- ^ 同時期、日本大学北極点遠征隊(北極点に到達したときは5人)と植村直己(単独)が犬ぞりで北極点到達を目指していた。
- ^ 正確には、徳島県の蒲生田岬と和歌山県の日ノ御埼を結ぶ線上である。ここをゴールに設定したのは、大阪湾に入ると波がなくなり、航行できないことが予想されたためである。
- ^ 植村直己の故郷の地である。
- ^ 優勝は戸塚宏である。
- ^ 衿子は、ヨットの帆走技術は持っていなかった。
- ^ 沖縄海洋博の太平洋横断シングルハンドレースに使用した船体である。可動式だったバラストキールを固定式に改造した。
- ^ 正しくは、『SIKRINERK』である。これは、エスキモー語で「太陽」という意味である。
- ^ 1963年に菊池寛賞を授賞されたが、これは堀江の小型ヨットによる太平洋横断という行為に対してのものであり、著書に対してのものではない[9]。
- ^ 児童向けに平易に書き直し、写真を多数収録し再編したものである。
- ^ 写真撮影・菊池東太、写真協力・朝日新聞社、毎日放送、東京12チャンネル、敷島紡績。
- ^ 1989年の世界最小(全長2.80m)の外洋ヨットによる単独太平洋横断の航海記である。
- ^ 堀江の航海記に、西村一広のレポートが挿入されている。
- ^ 堀江謙一/著『太平洋ひとりぼっち』が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『マーメイドへのラブレター』が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『北風よ早く来い』が収録されている(全19ページ)。
- ^ 原題は『Pleasure boating : sail and power』。
- ^ 日本語版総監修 : 堀江謙一、日本語版監修 : 林賢之輔。
- ^ 原題は『ICE BIRD』。
- ^ 『人間価値への共感 : 堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」評』と題する文が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『太平洋に挑む』が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『「太平洋ひとりぼっち」(抄)』が収録されている。
- ^ 『人魚は死んだ - 堀江謙一』と題する節が収録されている。
- ^ 『人魚は死んだ - 堀江謙一』と題する節が収録されている(全25ページ)。
- ^ 1978年春、日本人初の北極点到達を果たした日本大学遠征隊を軸に、同時期に北極点に挑戦した堀江謙一と植村直己についても記述されている。
- ^ 三浦雄一郎の対談集。堀江謙一との対談が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『北風よ早く来い』が収録されている(全10ページ)。
- ^ 『堀江謙一さんのソーラーボート』という項が収録されている。
- ^ 1982年、堀江謙一の地球縦回り航海のハワイへのゴール等を取材しており、堀江についての記述がある(約2ページ)。
- ^ 堀江謙一との対談が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『太平洋ひとりぼっち』が紹介されている(全9ページ)。(初出『諸君!』1995年1月号)
- ^ 「まれびとよ」と読む。
- ^ 『ヨットマン・堀江謙一』と題する節が収録されている(全10ページ)。
- ^ 『太平洋ひとりぼっち人生ひとりぼっち?』と題する、堀江謙一との対談が収録されている(全14ページ)。
- ^ 植村直己の対談・鼎談集である。『北極点へ夢かけて : やるぞ氷の冒険行』と題する、堀江謙一らとの鼎談が収録されている(全18ページ)。
- ^ 新井満の対談集。堀江謙一との対談が収録されている。
- ^ 堀江謙一/著『ヨットマンの幸福』が収録されている(全6ページ)。
- ^ 堀江謙一の言葉が紹介されている。
- ^ 『夢を目標に変えると、すべてが楽しくなる』と題する、堀江謙一との対談が収録されている(全7ページ)。
- ^ 「No reason」という堀江の言葉が紹介されている。
- ^ 内田暁/著『ひとりで渡った太平洋 : 堀江謙一』が収録されている(全17ページ)。
- ^ 別タイトルは『the wise remarks of Explorers』。
- ^ 「チャンスの女神は平等ではありません。しかし、(チャンスを)つかむか逃すかの選択は平等に訪れる」という堀江謙一の言葉が紹介されている。
- ^ 『人間価値への共感 : 堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」評』と題する文が収録されている(全2ページ)。
- ^ 『8月30日 : 堀江謙一が、世界最小のヨットによる太平洋横断に成功した日』という項が収録されている。
- ^ 『堀江謙一インタビュー : 「太平洋ひとりぼっち」とは何だったのか : 共鳴しあう冒険と日本社会』が収録されている(全31ページ)。
出典
- ^ “世界最高齢の太平洋横断挑戦へ、海洋冒険家・堀江謙一さん”. 産経ニュース (2021年11月24日). 2021年11月24日閲覧。
- ^ a b c 『堀江謙一』 - コトバンク
- ^ a b c d 『太平洋ひとりぼっち』(1962年刊)
- ^ 個人での海外渡航の自由化は、約2年後の1964年4月1日である。
- ^ 朝日新聞・東京版(朝刊) 1962年(昭和37年)8月11日 15面『ヨット、行方不明に : 太平洋単独横断目ざし』。
- ^ a b 朝日新聞・東京版(夕刊) 1962年(昭和37年)8月13日 7面『“人命軽視の冒険” : 大阪海上保安監部が警告』。
- ^ 毎日新聞・東京版(夕刊) 1962年(昭和37年)8月13日 7面『“人命軽視の暴挙” : 送還後調べる』。
- ^ 朝日新聞・昭和37年8月14日記事 [要ページ番号]
- ^ a b c 公益財団法人日本文学振興会. 菊池賞受賞者一覧。 2020年4月20日閲覧。
- ^ 毎日新聞・東京版(夕刊) 1972年(昭和47年)11月14日 11面『堀江さんのマーメイドニ世号 マストが折れる : 出港三日でUターン』。
- ^ 毎日新聞・東京版(朝刊) 1972年(昭和47年)11月16日 22面『ナゾ残し捜索中止 : マーメイドニ世号“遭難”手掛かりなし、イタズラの場合も』。
- ^ 読売新聞・東京版(朝刊) 1972年(昭和47年)11月20日 18面『冒険し過ぎた第2の冒険 : 外洋訓練せず : 実績ゼロの新マスト』。
- ^ 毎日新聞・東京版(朝刊) 1972年(昭和47年)11月21日 18面『無残な姿でマーメイド : 「反省してます」堀江さん : SOSの緊迫感なかった』。
- ^ 朝日新聞・東京版(朝刊) 1972年11月21日 3面『マーメイド二世号無念の帰港 : 「いま一度挑みたい 自力で帰れると思った」』。
- ^ 自著『マーメイド号 : 挫折と栄光の全記録 : 写真ドキュメント』 講談社、1974年8月28日。16頁。
- ^ 自著『マーメイド号 : 挫折と栄光の全記録 : 写真ドキュメント』 講談社、1974年8月28日。82頁。
- ^ 毎日新聞・東京版(朝刊) 1972年(昭和47年)11月21日 18面『「責任追及」と保安庁 : 問直される“冒険”』。
- ^ 週刊プレイボーイ1975年11月25日号
- ^ “INAGAWA KOUEI” (PDF). 大前学園のあゆみ. 猪名川甲英高等学院. p. 4 (2015年9月14日). 2016年7月19日閲覧。
- ^ “名誉校長あいさつ”. 西宮甲英高等学院 (2016年5月6日). 2016年7月19日閲覧。
- ^ “83歳の堀江謙一さん、最高齢での太平洋無寄港横断に挑戦…来年3月出航へ”. 読売新聞オンライン (2021年11月25日). 2021年11月26日閲覧。
- ^ “太平洋横断へ 堀江謙一さんがヨットの出港地アメリカへ出発|NHK 兵庫県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2022年3月22日閲覧。
- ^ “堀江謙一さんのヨット、父が初代、今回は息子が設計…世界最高齢の挑戦支える工夫凝らす”. 読売新聞オンライン. (2022年3月16日) 2022年3月22日閲覧。
- ^ “堀江謙一さんに米最高栄誉賞 世界最高齢で太平洋横断を表彰”. 47NEWS (2023年3月5日). 2023年3月5日閲覧。
- ^ “堀江謙一さん、83歳で単独無寄港太平洋横断を達成 世界最高齢(毎日新聞)”. Yahoo!ニュース. 2022年6月4日閲覧。
- ^ 「WiLL」2016年11月号の『こんなに恥ずかしい日本国憲法』【「太平洋ひとりぼっち」で考えたこと─自衛隊に名誉を与える憲法にしてくれ】
[前の解説]
固有名詞の分類
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