ギリシア神話 神話3:オリュンポスの世界

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ギリシア神話の解説 > 神話3:オリュンポスの世界 

ギリシア神話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 02:20 UTC 版)

神話3:オリュンポスの世界

オリュンポス山

神々は、ホメーロスによれば、オリュンポスの高山に宮敷居まし、山頂の宮殿にあって、絶えることのない饗宴で日々を過ごしているとされる。神々は不死であり、神食(アムブロシアー)を食べ、神酒(ネクタール)を飲んでいるとされる[37]

十二の神々

ゼウスの王権の下、世界の秩序の一部をそれぞれ管掌するこれらの神々は、オリュンポスの神々とも呼ばれ、その主要な神は古くから「十二の神」(オリュンポス十二神)として人々に把握されていた。十二の神は二つの世代に分かれ、クロノスレアーの息子・娘(ゼウスの兄弟姉妹)に当たる第一世代の神々と、ゼウスの息子・娘に当たる第二世代の神々がいる。

時代と地方、伝承によって、幾分かの違いがあるが、主要な十二の神は、第一世代の神、1)秩序(コスモス)の象徴でもある神々の父ゼウス、2)ヘラー女神、3)ポセイドン、4)デーメーテール女神、5)ヘスティアー女神の5柱に、第二世代の神として、6)アポロン、7)アレース、8)ヘルメース、9)ヘーパイストス、10)アテネ女神、11)アプロディーテー女神、12)アルテミス女神の7柱である。また、ヘスティアーの代わりに、ディオニューソスを十二神とする場合がある。ハデスとその后ペルセポネは、地下(クトニオス)の神とされ、オリュンポスの神ではないが、主要な神として、十二神のなかに数える場合がある[38][注釈 12]

それぞれの神は、崇拝の根拠地を持つのが普通で、また神々の習合が起こっているとき、広範囲にわたる地方の神々を取り込んだ神は、多くの崇拝の根拠地を持つことにもなる。アテナパルテノン神殿小壁には、十二の神の彫像が刻まれているが、この十二神は、上記の一覧と一致している(ディオニューソスが十二神に入っている)。

オリュンポスの神々 1

オリュンポスを代表する十二の神と地下の神ハーデース等以外にも、オリュンポスの世界には様々な神々が存在する。彼らはオリュンポスの十二神や他の有力な神が、エロースの力によって互いに交わることによって生まれた神である。また、広義のティーターンの一族に属する者にも、オリュンポスの一員として神々の席の一端を占め、重要な役割を担っている者がある。

神々のあいだの婚姻あるいは交わりによって生まれた神には次のような者がいる。

ゼウスの息子と娘

神々の父ゼウステティス

神々の父ゼウスは、真偽を知る知恵の女神メーティスを最初の妻とした。ゼウスはメーティスが妊娠したのを知るや、これを飲み込んだ。メーティスの智慧はこうしてゼウスのものとなり、メーティスよりゼウスの第一の娘アテナが生まれる。ゼウスの正妻は神々の女王ヘラである。ヘラとのあいだには、アレースヘーパイストス、青春の女神ヘーベー、出産の女神エイレイテュイアが生まれる。また、大地の豊穣の女神デーメーテールとのあいだには、冥府の女王ペルセポネをもうけた。

ゼウスはまた、ティーターン神族のディオーネーとのあいだにアプロディーテーをもうける。アプロディーテーは、クロノスが切断した父ウーラノスの男根を海に投げ入れた際、そのまわりに生じた泡より生まれたとの説もあるが[40]、オリュンポスの系譜上はゼウスの娘である[注釈 13]。ゼウスは、ティーターンの一族コイオスの娘レートーとのあいだにアルテミス女神とアポロンの姉弟の神をもうけた。更にティーターンであるアトラースの娘マイアとのあいだにヘルメースをもうけた。最後に、人間の娘セメレーと交わってディオニューソスをもうけた。

アテネはメーティスの娘であるが、その誕生はゼウスの頭部から武装して出現したとされる。また、これに対抗して妃ヘラは、独力で息子ヘーパイストスを生んだともされる。

ゼウスは更に、ティーターンの女神達と交わり、運命季節芸術の神々をもうける。法律・掟の女神テミスとのあいだに、ホーライの三女神とモイライの三女神を、オーケアノステーテュースの娘エウリュノメーとのあいだにカリテス(優雅=カリス)の三女神を、そして記憶の女神ムネーモシュネーとのあいだに九柱の芸術の女神ムーサイムーサ)をもうけた。

十二神の息子と娘

有翼のエロス

オリュンポスの十二の神々は、ゼウスを例外として、子をもうけないか、もうけたとしても少ない場合がほとんどである。ポセイドーンは比較的に息子に恵まれているが、アンピトリーテーとのあいだに生まれた、むしろ海の一族とも言えるトリートーンベンテシキューメー、ヘーリオスの妻ロデーを除くと、怪物や馬や乱暴な人間が多い[42]

美の女神アプロディーテーは人気の高い女神であったからか数多くの神話に登場し、多くの子どもを生んだが、その父親は子どもの数と同じくらい多かった。彼女の夫は鍛冶の神ヘーパイストスとされるが、愛人のアレースとのあいだに、デイモス(恐慌)とポボス(敗走)の兄弟がある。またヘーシオドスが、原初の神として最初に生まれたとしている愛神エロスはアプロディーテーとアレースの息子であるとされることもある[43]。この説はシモーニデースが最初に述べたとされる[44]。しかしエロスをめぐっては誰の息子であるのかについて諸説あり、エイレイテュイアの子であるとも、西風ゼピュロスエーオースの子であるとも、ヘルメースの子、あるいはゼウスの子であるともされる[注釈 14][注釈 15][45]。エロースと対になる愛神アンテロースもアレースとアプロディーテーの子だとされる。

他のオリュンポスの有力な神々、ハデス、ヘルメース、ヘーパイストス、ディオニューソスには目立った子がいない。アポロンは知性に充ちる美青年の像で考えられていたので、恋愛譚が多数あり、恋人の数も多いが、神となった子はいない。ただし、彼の子ともされるオルペウス[注釈 16]アスクレーピオスが、例外的に死後に神となった。

オリュンポスの神々 2

エーオースアポロン

広義のティーターンの子孫も、オリュンポスの神々に数えられる。ティーターンたちはティーターノマキアーでの敗北の後、タルタロスに落とされたが、後にゼウスは彼らを赦したという話があり、ピンダロスは『ピューティア第四祝勝歌』のなかで、ティーターンの解放に言及している[46][注釈 17]。戦いに敗れたティーターンはその後、神話に姿を現さないが、その子供たちや、ウーラノスの子孫たちは、オリュンポスの秩序のなかで一定の役割を受けて活動している。

イーアペトスの子アトラスは、天空を背に支え続けるという苦役に耐えている。兄弟のプロメテウスは戦争には加わらなかったが、ゼウスを欺した罪でカウカーソスの山頂で生きたまま鷲に毎日肝臓を食われるという罰を受けていたところ、ヘラクレスが鷲を殺して解放した。ヒュペリーオーンテイアーの子エーオースセレネヘーリオスは、オリュンポスの神々のなかでも良く知られた存在である。エーオースは星神アストライオスとのあいだに、西風ゼピュロス、南風ノトス、北風ボレアースなどの風の神と多数の星の神を生んだ。またアテーナーの傍らにあるニーケー(勝利)もティーターンの娘であるが、ゼウスに味方した。

原初の神でもあったポントスとその息子の海の老人ネーレウスは、ポセイドーンに役職を奪われたように見えるが、彼らの末裔は、数知れぬネーレイデス(海の娘たち)となり、ニュンペーとして、あるいは女神として活躍する[注釈 18]。ポントスの一族であるの女神イーリスは神々の使者として活躍している。また、広義のティーターン一族に属するアトラースは、オーケアノスの娘プレーイオネーとのあいだにプレイアデスの七柱の女神をもうけた。彼女たちは、星鏤める天にあって星座として耀いている。

ニュンペーと精霊たち

ニュンペー

ティーターノマキアーの勝利の後、ゼウス、ハーデース、ポセイドーンの兄弟はくじを引いてそれぞれの支配領域を決めたが、地上世界は共同で管掌することとした。地上はガイアの世界であり、ガイアそのものとも言えた。地上には陸地と海洋があり、河川湖沼、また緑豊かな樹木の繁る森林や、の咲き薫る野原、清らかななどがあった。

地上は人間の暮らす場所であり、また数多くの動物たちや植物が棲息し繁茂する場所でもある。そして太古よりそこには、様々な精霊が存在していた。精霊の多くは女性であり、彼女たちはニュンペー(ニンフ)と呼ばれた。nymphee(νυμφη)とはギリシア語で「花嫁」を意味する言葉でもあり[47]、彼女たちは若く美しい娘の姿であった[注釈 19]

ニュンペーは、例えばある特定の樹の精霊であった場合、その樹の枯死と共に消え去ってしまうこともあったが、多くの場合、人間の寿命を遙かに超える長い寿命を持っており、神々同様に不死のニュンペーも存在した[注釈 20]

森林や山野の処女のニュンペーはアルテミス女神に付き従うのが普通であり、また、パーンヘルメースなども、ニュンペーに親しい神であった。古代のギリシアには、ニュンペーに対する崇拝・祭儀が存在したことがホメーロスによって言及されており、これは考古学的にも確認されている[47]。ニュンペーは恋する乙女であり、神々や精霊、人間と交わって子を生むと、母となり妻ともなった。多くの英雄ニュンペーを母として誕生している。

ニュンペーの種類

ニュンペーはその住処によって呼び名が異なる[48][47]

ネーレイデス

陸地のニュンペーとしては次のようなものがある。1)メリアデス(単数:メリアス)はもっとも古くからいるニュンペーで、ウーラノスの子孫ともされる。トネリコの樹の精霊である。2)オレイアデス(単数:オレイアス)は山のニュンペーである。3)アルセイデス(単数:アルセイス)は森や林のニュンペーである。4)ドリュアデス(単数:ドリュアス)は樹木に宿るニュンペーである。5)ナパイアイ(単数:ナパイアー)は山間の谷間に住むニュンペーである。6)ナーイアデス(単数:ナーイアス)は淡水の泉や河のニュンペーである。

これらのニュンペーは陸地に住処を持つ者たちである。一方、海洋にはオーケアノスの娘たちやネーレウスの娘たちが多数おり、彼女らは美しい娘で、ときに女神に近い存在であることがある。

海洋のニュンペーはむしろ女神に近い。1)オーケアニデス(単数:オーケアニス)は、オーケアノスがその姉妹テーテュースのあいだにもうけた娘たちで、3000人、つまり無数にいるとされる。この二柱の神からはまた、すべての河川の神が息子として生まれており、河川の神とオーケアニスたちは姉弟・兄妹の関係にあることになる。冥府の河であるステュクスや、ケイローンの母となったピリュラーアトラースプロメーテウス兄弟の母であるクリュメネーなどが知られる。2)ネーレーイデス(単数:ネーレーイス)は、ネーレウスオーケアノスの娘ドーリスのあいだの娘で、50人いるとも、100人いるともされる。アンピトリーテーテティスガラティアカリュプソーなどが知られる。

山野の精霊と河神

ケイローンと少年

ニュンペーは自然界にいる女性の精霊で、なかには神々と等しい者もいた。他方、地上の世界にはニュンペーと対になっているとも言える男性の精霊が存在した。彼らはその姿が、人間とはいささか異なる場合があった。彼らは山野の精霊で、具体的には1)パーン(別名アイギパーン、「山羊の姿のパーン」の意)、2)ケンタウロス、3)シーレーノス、4)サテュロスなどが挙げられる。彼らの姿は、上半身は人間に近いが、下半身が馬や山羊であったり、額に角があったりする。

上記の中でパーンは別格とも言え、ヘルメースドリュオプスの娘ドリュオペーのあいだの子で、オリュンポスの神の一員でもある。ただしパーンが誰の子かということについては諸説ある。シューリンクスという笛を好み、好色でもあった。ケンタウロスは半人半馬の姿で、乱暴かつ粗野であるが、ケイローンだけは異なり、医術に長け、また不死であった。シーレーノスとサテュロスは同じ種族と考えられ、前者は馬に似て年長であり、後者は山羊に似ていた。粗野で好色で、ニュンペーたちと戯れ暴れ回ることが多々あった[49]

彼らが山野の精霊であるのに対し、地上の多数の河川には、オーケアノステーテュースの息子である河川の精霊あるいは神がいた(『イーリアス』21章。『神統記』)。彼らは普通「河神(river-gods)」と呼ばれるので、精霊よりは格が高いと言える。3000人いるとされるオーケアニデスの兄弟に当たる。河神に対する崇拝もあり、彼らのための儀礼と社殿などもあった。スカマンドロス河神とアケローオス河神がよく知られる[50]

異形の神・怪物

ゴルゴーン

始原の神や、または神やその子孫のなかには、異形の姿を持ち、オリュンポスの神々や人間に畏怖を与えたため、「怪物」と形容される存在がいる。例えばゴルゴーン三姉妹などは、海の神ポントスの子孫で、本来は神であるが、その姿の異様さから怪物として受け取られている。

ゴルゴーン三姉妹はポルキュースケートーの娘で、末娘のメドゥーサを除くと不死であったが、頭部の髪が蛇であった。また、その姉妹である三柱のグライアイは生まれながらに老婆の姿であったが不死であった。ハルピュイアイタウマースの娘たちで、女の頭部に鳥の体を持っていた。ガイア(大地)が原初に生んだ息子や娘のなかにはキュクロープス(一眼巨人)や、ヘカトンケイル(百腕巨人)のような異形の者たちが混じっていた。またガイアは独力で、様々な「怪物」の父とされる、天を摩する巨大なテューポーンを生み出した。

栄誉とペーガソス

エキドナは、上半身が女、下半身が蛇の怪物で、ゴルゴーンたちの姉妹とされるが出生には諸説がある。このエキドナとテューポーンのあいだには多数の子供が生まれる。獅子の頭部に山羊の胴、の尾を持つキマイラヘーラクレースに退治されたヒュドラー(水蛇)、冥府の番犬、多頭で犬形のケルベロスなどである。またエジプト起源のスピンクスはギリシアでは女性の怪物となっているが、これもエキドナの子とされる。

それらの多くは、神、あるいは神に準ずる存在である。ポセイドーンデーメーテールの姿となって交わってもうけたのが、名馬アレイオーンである。他方、ポセイドーンはメドゥーサとのあいだに有翼の天馬ペーガソスや、クリューサーオール(「黄金の剣を持つ者」の意)をもうけた。

セイレーンは『オデュッセイア』に登場する海の精霊・怪物であるが、人を魅惑する歌で滅びをもたらす。ムーサの娘であるともされるが、諸説あり、元々ペルセポネーに従う精霊だったとも想定される。『オデュッセアイア』に登場する怪物としては、六つの頭部を持つ女怪スキュラ渦巻きの擬人化とされるカリュブディスなどがいる[49]


注釈

  1. ^ 古代ギリシア人は、ギリシア本土に紀元前二千年紀に南下して後、ミュケーナイを中心に紀元前16世紀頃よりミュケーナイ文化を築き始め、紀元前13世紀にはこの文化は東地中海を席巻した。しかし紀元前12世紀に、ドーリス人を代表とする別系統のギリシア人が南下を始め、アテーナイとアルカディアを残す領域を征服した。先住のギリシア人は小アジアに逃れ、そこにアイオリスとイオーニア方言の領域を造った。ドーリス人を代表とする西ギリシア民族のこの進出によりミュケーナイ文化は凋落し、ギリシアの「暗黒」時代が訪れる[3]
  2. ^ 他方、考古学的発掘では、トロイア遺跡丘第七a層の都市が紀元前13世紀半ばに火災で壊滅したことが確認されている。この年代は文献学の立場からのトロイア戦争の時期と一致する。『イーリアス』と『オデュッセイア』以外にも古く叙事詩が存在したことが知られており、ミュケーナイ時代の出来事の遠い反響とも言える。英雄叙事詩は暗黒時代を通じて口承で伝えられ洗練され、紀元前9世紀または8世紀のホメーロスの二大作品として世に知られることになる。
  3. ^ とはいえ、ミューケナイ王朝はワカナと呼ばれる帝王を頂点として、オリエント風の官僚組織を備えた一種の専制国家であったことが線文字Bの解読を通じて知られている。遠いミュケーナイ時代の事件は伝わったが、物語の枠組みとしては、暗黒時代を通じて育成されて来た新しいポリス的国家の自由に充ちた気風がホメーロスの叙事詩では表現されている。帝王アガメムノーンに反抗する若き戦士アキレウスの人間像は、ミュケーナイ時代のものではありえないと考えられている[5]
  4. ^ ヘーシオドスは文字を知っており、彼の作品は朗唱されただけではなく文字記録の形を最初から持っていたとする説がある[8]。ただしこの説の真偽は不確かである。しかし、彼の作品はホメーロスの叙事詩とは異なり吟唱詩人が詠い伝えたものではない。そのような記録が残っていない。ヘシーオドス自身が文字化したのではなくとも、彼の詩は早期に文字化されていたと考えられる。
  5. ^ カリマコス、カッリマコスとも書く。彼は貧しく生まれたが苦学し、プトレマイオス2世に認められ、アレクサンドレイア図書館の司書となった。「司書」というのがどのような役割か判然としないが、公職かそれに準じるものと考えられる。
  6. ^ ペレキューデースの名を持つ神々の系譜記録者は二人いた。紀元前7世紀-6世紀の哲学者シューロスのペレキューデースと紀元前5世紀のアテーナイのペレキューデースである。呉茂一はレーロスのペレキューデースの名をあげている[12]。高津春繁はシューロスの哲学者を挙げている(『ギリシア文学史』p.92)。系譜学者は「レーロスとアテーナイのペレキューデース」という記述もあり、シューロスの哲学者としばしば混同されるともされる(Companion to Classical Literature p.430)。
  7. ^ グリマルは、このように古い起源を持ち、かつ全ギリシア中に伝承が存在する英雄伝説・物語圏として、代表的に六個を挙げている。1)アルゴナウタイ遠征譚、2)テーバイ伝説圏、3)アトレウス家伝説圏、4)ヘーラクレース伝説圏、5)テーセウス伝説圏、そして6)オデュッセウスの物語である。[20]
  8. ^ ヘシオドスがうたう三代の王権の推移は、紀元前二千年紀のオリエントにおいて、アッカドの『エヌマ・エリシュ』やヒッタイトの『クマルビ神話』などで語られている[23]
  9. ^ オルペウス教の教義について触れた文書としては、1)アリストパネースの『』に含まれるパロディ。2)「デルヴェニ・パピュルス」。3)アテナゴラスの伝える説。4)ヒエロニュモスとヘラニコスによる宇宙誕生譚。5)『二四の叙事詩からなる聖なる言説』。6)ロドスのアポローニオスアルゴナウティカ』所収のオルペウス説、等がある[26]
  10. ^ 当時のギリシア人は世界は円盤の形をした平面であり、このもっとも外側を、海流が円環をなして果てしなく流れ続けているという像を持っていた。この最果ての海流がオーケアノスである。母なるテーテュースは女性だということが分かるだけで詳細は不明である[29]
  11. ^ ヒッタイトに保存されていた「ウッリクンミの歌」においては、クマルビがアヌの性器を切断する説話があり、クロノスによるウーラノスの去勢はこの話の影響を受けている可能性がある。
  12. ^ オリュンポスの十二の神は、典型的なギリシア人に固有の神と考えられやすいが、半数が非ヘレネス起源の神である。ゼウスの后ヘーラーは、先住民の女神であり、古代ギリシア人が先住民を征服した際、両者のあいだの融和を目的として主神ゼウスの后にヘーラーを据えたと考えられる。ゼウスの第一の娘で、最高の女神とも言えるアテーナーもまたヘレネス固有の神ではない。アポローンアルテミスの両神は、その名前が印欧語起源ではなく、前者はオリエントの神の可能性があり、後者は先住民の神と考えられる。ヘルメースも先住民の神で、アプロディーテーはオリエント起源の女神である。ペルセポネーもその名は先住民の神のものと考えられる[39]
  13. ^ ゼウスとディオーネーの娘とするのはホメーロスである。泡より生まれたとするのはヘーシオドスで、後者を、アプロディーテー・ウーラニアー(天上のアプロディーテー、Aphrodite Ourania)、前者のゼウスの娘とする場合、アプロディーテー・パンデーモス(大衆のアプロディーテー、Aphrodite Pandemos)として区別した。本来「ウーラニアー」という場合は、「東洋の神」を示唆し、他方「パンデーモス」という場合は、「市民の神」、従ってヘレネスの神の含意があった。プラトーンですでに議論となっているが、後にルネッサンスで「天の愛」と「通俗の愛」という対立で再度議論される[41]
  14. ^ 呉茂一『ギリシア神話』 エイレイテュイアの子だとするのは伝説の詩人オレーンで、ゼピュロスの子だとするのは、詩人アルカイオスである。エウリーピデースは『ヒッポリュトス』のなかでエロースをゼウスの子と呼んでいる。またプラトーンは寓意であるが、エロースは充足の神ポロスと貧困の女神ペニアーの子であると述べている(プラトーン『饗宴』)
  15. ^ エロースはアプロディーテーとヘーパイストスの子であるとの説もある。
  16. ^ オルペウスはギリシア神話一般では神ではないが、オルペウス教では彼は神である。アスクレーピオスは、ホメーロスにおいては人間であったが、後に医神とされ崇拝された。
  17. ^ ピンダロスとほぼ同時代の悲劇作家アイスキュロスの作品である『プロメーテウス三部作』においては、ゼウスとプロメーテウスの和解が語られ、ティーターンたちは解放され、エーリュシオンで浄福の生活を営むことになっている。
  18. ^ アンピトリーテーアキレウスの母テティスは女神として扱われる。
  19. ^ 彼女たちは洞窟やその住まいで歌をうたったり糸を紡いだりしてときを過ごし、オリュンポスの神々や男性の精霊たちは、彼女らの魅力に引きつけられ恋をした。ニュンペーのなかには慎ましやかで処女を守ることを願う者もいたが、また好色でサテュロスなどと戯れることを好む者もいた。ニュンペーは善意ある存在であったが、時にヒュラースの例のように人間の美少年を攫うこともあった[47]
  20. ^ ニュンペーには種類があると共に、身分に近い精霊としての「格」があり、下位のニュンペーは上位の精霊に仕えることがあった(キルケーカリュプソーは、女神でもあり、ニュンペーたちは彼女らに仕えた)[47]
  21. ^ クロノスは暴君とされているが、本来、豊穣・収穫の神であり、民間信仰では後世に至っても信仰されていた。
  22. ^ オリュンポスの女王ヘーラーはヘーロースの女性形と解釈するのが妥当で、「オリュンポスの女主人」の意味となる[54]
  23. ^ 彼らに対する儀礼・供儀は天の神に対する犠牲を焼いた煙ではなく、地下(クトニオス)の神に対すると同様に、犠牲の血を地下に献げることでもあった。後に悲劇が発達したとき、悲劇が演じられる劇場のコロスの舞台中央には地下に向けて通じる坑が掘られていた[57]
  24. ^ グリマルによると、ディオーネー女神の息子であるエーリス王ペロプスは彼の息子への不埒な振る舞いをもって、当時彼の元に亡命していたラーイオスに呪いをかけた。ラーイオスは帰国してテーバイ王となるが、ペロプスの呪いはその子オイディプースや孫娘アンティゴネーなどの悲劇を生み出した。ペロプスはオリュンピア競技祭の創始者ともされ、英雄の条件を十分過ぎるほどに満たしている。なお別の説では、ラーイオスに呪いをかけたのは、ペロプスの息子クリューシッポスとされる。
  25. ^ 松村一男は、『世界神話辞典』の「英雄」の章において、英雄崇拝が顕著なのは「個人としての名誉や武勇がなお意味を持」ち、「英雄の栄光」の賛美が有意味であった「古代社会」であるとし、また英雄は「高貴で悲劇的な神話存在」であると述べている[60]。このような把握に従い、松村はギリシア神話の英雄について記述して、アキレウスこそ英雄であり、智将オデュッセウスは今日から見れば真の英雄であるが、ギリシア神話では、悲劇性を欠いているため英雄崇拝には向いていない旨述べている[61]。しかし、これらの松村の言説は、一般概念としての英雄あるいは英雄崇拝を念頭しており、古代ギリシアにおける「ヘーロース」概念や「ヘーロース崇拝」の実質内容に踏み込んだ話ではない。
  26. ^ エリクトニオスの名は、erion(羊毛)+khton(大地)の合成のようにも思えるので通俗語源解釈とも考えられる[62]
  27. ^ この規準は、現代の科学が設定している規準とは明らかに異なっている。しかしホメーロスもヘーシオドスも、共に彼らのうたう作品に作為的な造話あるいは様式的な虚構が入っていることは自覚していた。
  28. ^ ヘーシオドスは、ヘリコーン山のムーサイたちより、「真実らしきもの」ではなく「真実」を開示されたと作品のなかで宣言している[78]
  29. ^ 紀元前4世紀末の人口調査では、アッティカの自由市民は2万1千人であるのに対し、奴隷は40万人いたとされる[81]
  30. ^ ヘーシオドスは労働を称賛したが、この時代、プラトーンやアリストテレースも含め、労働の蔑視が市民の常識となった。自由市民はポリス共同体の一員として祖国の危機にあっては兵士として戦ったが、奴隷の増大は、ポリス市民の道徳・倫理を著しく低下させた。
  31. ^ アテーナイにはしかし、アカデーメイア、リュケイオン、そしてエピクーロスの園とゼーノーンによるストア派は残った[91]
  32. ^ グリマル & 高津 訳 (1992, p. 20, 訳注(2))によれば、ツェツェースらは膨大な注釈を記し考証を行ったが、それらは不正確で無意味なものであった。ただ、膨大な注釈や文学史の記録に彼らが引用した古代の著作の断片は貴重な史料である。時代が十世紀ほど戻るが、ヒュギーヌスの『ギリシア神話集』の訳者は、アポロドーロス以上に支離滅裂で場当たり的な話の集成について疑問を呈している。
  33. ^ 「天のアプロディーテー(Aphrodite Ourania)」と「大衆のアプロディーテー(Aphrodite Pandemos)」の対比はすでにプラトーンの頃から議論されていたが、本来、「オリエント対ヘレーネス」の対比であったものが、キリスト教文化と混じり合い、「聖愛と俗愛」のような対比にも発展する余地があった。それは古代ギリシアに起源するというより、西欧ルネサンスの持つ「光と影」にむしろ対応する。

出典

  1. ^ "Introduction, Greek Mythology" Encyclopaedia Britanica CD version, 2005。
  2. ^ a b グリマル 1992, p. 5.
  3. ^ a b 高津 1952, pp. 5–7.
  4. ^ 川島 & 高田 2003, p. 28.
  5. ^ 川島 & 高田 2003, pp. 27–29.
  6. ^ ヘーシオドス & 廣川洋一 訳 1984, pp. 127-128 (訳注26)、pp.157-160 (解説).
  7. ^ 藤縄 1971, pp. 19–20.
  8. ^ ヘーシオドス & 松平千秋 訳 1984, pp. 188–189, 松平千秋による解説.
  9. ^ 藤縄 1971, pp. 22–23.
  10. ^ 藤縄 1971, p. 23.
  11. ^ 高津 1952, pp. 222–223.
  12. ^ a b 呉茂一『ギリシア神話』p.6。[要追加記述]
  13. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, まえがき, pp.5-6.
  14. ^ 川島 & 高田 2003, p. 13, 訳注10.
  15. ^ 桜井・本村 1997, pp. 65–69.
  16. ^ Hornblower & Spawforth 2003, p. 1157.
  17. ^ 桜井・本村 1997, pp. 25–28.
  18. ^ 桜井・本村 1997, pp. 28–31.
  19. ^ a b グリマル 1992, p. 74.
  20. ^ グリマル 1992, p. 73-74.
  21. ^ a b アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, まえがき、pp.8-9.
  22. ^ a b c d e ヘーシオドス & 廣川洋一 訳 1984, p. [要ページ番号]
  23. ^ a b 松本仁助 & 岡道男 1991, p. 38.
  24. ^ 呉茂一『ギリシア神話』p.19。[要追加記述]
  25. ^ 藤縄 1971, p. 34.
  26. ^ ソレル 2003, p. 不明[要ページ番号].
  27. ^ ソレル 2003, pp. 45–57.
  28. ^ 藤縄 1971, p. 66.
  29. ^ ケレーニイ 1995, pp. 3–9.
  30. ^ 藤縄 1971, pp. 42–43.
  31. ^ 吉田 2006, pp. 28–31.
  32. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一I, 3.
  33. ^ 呉茂一『ギリシア神話』pp.24-32。[要追加記述]
  34. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一I, 6-7.
  35. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一II, 1.
  36. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一V, 1-3.
  37. ^ 呉茂一『ギリシア神話』p.48。[要追加記述]
  38. ^ ヒネルズ & 佐藤 監訳 1999, p. 317.
  39. ^ 高津 1990, 『ギリシア・ローマ神話辞典』の各神の項目.
  40. ^ ヘーシオドス & 廣川洋一 訳 1984, p. 30, 行190-199.
  41. ^ グラント & ヘイゼル 1988, p. 25.
  42. ^ 高津 1990, pp. 261–262.
  43. ^ 高津 1990, p. 40.
  44. ^ 呉茂一『ギリシア神話』 p.128。[要追加記述]
  45. ^ 高津 1990, p. 75-76.
  46. ^ 『祝勝歌集/断片選』所収「ピューティア祝勝歌四」。
  47. ^ a b c d e Hornblower & Spawforth 2003, p. 1056.
  48. ^ Grimal 1986, pp. 313–314.
  49. ^ a b グラント, ヘイゼル & 西田実 [ほか]共訳 1988, 『ギリシア・ローマ神話事典』の各項
  50. ^ Classical Dictionary p.1320。
  51. ^ 藤縄 1971, p. 100.
  52. ^ ヘーシオドス & 松平千秋 訳 1984, pp. 24–25.
  53. ^ 『オデュッセイア』。
  54. ^ a b 呉茂一『ギリシア神話』 p.64。[要追加記述]
  55. ^ 松村 1999, p. 218.
  56. ^ 紀元前12世紀9世紀
  57. ^ 藤縄 1971, p. 234.
  58. ^ Classical Dictionary pp.693-694。
  59. ^ グリマル 1992, p. 83.
  60. ^ 松村 1999, p. 225.
  61. ^ 松村 1999, p. 235.
  62. ^ a b 高津 1990, p. 71.
  63. ^ 高津 1990, p. 235.
  64. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一VII, 2.
  65. ^ 藤縄 1971, pp. 142–143, トゥーキューディデース、巻一3章2節.
  66. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一VII, 3.
  67. ^ 藤縄 1971, p. 146, 148.
  68. ^ a b 高津 1990, 『ギリシア・ローマ神話辞典』
  69. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, 巻一,1-2.
  70. ^ ソレル 2003, p. 43.
  71. ^ 高津 1952, pp. 23–25.
  72. ^ 松村 1999, pp. 11–14.
  73. ^ ヒネルズ & 佐藤 監訳 1999, pp. 253–254.
  74. ^ 『宗教学入門』 pp.145-147。
  75. ^ ヴェーヌ 1985, p. 不明[要ページ番号].
  76. ^ 藤縄 1971, p. 13.
  77. ^ グリマル 1992, pp. 6–9.
  78. ^ ヘーシオドス & 廣川洋一 訳 1984, pp. 11–12, 訳注26, pp.127-128.
  79. ^ 松村 1999, pp. 13–14.
  80. ^ 藤縄 1971, pp. 230–235.
  81. ^ 『ギリシア文明史』下巻 pp.145-146。
  82. ^ 桜井・本村 1997, pp. 175–176.
  83. ^ 藤縄 1971, pp. 286–289.
  84. ^ 『ギリシア文明史』下巻 p.98。
  85. ^ グリマル 1992, pp. 115–116.
  86. ^ 『ギリシア文明史』下巻 pp.112-117。
  87. ^ 『ギリシア文明史』下巻 pp.118-159。
  88. ^ 川島 & 高田 2003, pp. 19–20.
  89. ^ アリストテレース『形而上学』巻A。
  90. ^ 高津 1952, pp. 206–211.
  91. ^ 高津 1952, p. 207.
  92. ^ 高津 2006, p. 228, 234.
  93. ^ グリマル 1992, pp. 18–19.
  94. ^ グリマル 1992, p. 19.
  95. ^ 『ギリシア神話と英雄伝説』下巻 pp.290-295。
  96. ^ 大林ほか 1994, p. 37.
  97. ^ ユング、ケレーニイ『神話学入門』[要文献特定詳細情報]
  98. ^ 高津 2006, pp. 234–235.
  99. ^ 高津 2006, pp. 238–239.
  100. ^ グリマル 1992, p. 20.
  101. ^ 川島 & 高田 2003, pp. 322–326.
  102. ^ 樺山 1996, pp. 44–45.
  103. ^ 『世界の歴史16・ルネサンスと地中海』 p.199。[要文献特定詳細情報]
  104. ^ 高階 1987, pp. 215–216.
  105. ^ 高階 1987, pp. 249–252.
  106. ^ 川島 & 高田 2003, pp. 326–327.
  107. ^ 川島 & 高田 2003, pp. 326–328.
  108. ^ 川島 & 高田 2003, pp. 328–329.
  109. ^ アポロドーロス & 高津春繁 訳 1978, まえがき p.6.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ギリシア神話」の関連用語

ギリシア神話のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ギリシア神話のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのギリシア神話 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS