ロドスのアポローニオスとは? わかりやすく解説

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ロドスのアポローニオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 16:14 UTC 版)

ロドスのアポローニオス古代ギリシア語: Ἀπολλώνιος Ῥόδιος / Apollōnios Rhodios, 紀元前3世紀初期 - 紀元前246年以降)は、叙事詩人、学者である。またアレクサンドリア図書館の第2代館長。金羊毛を求めてのイアソンアルゴナウタイの冒険を描いた、叙事詩史上重要な作品の1つである『アルゴナウティカ』の作者として知られる。

アポローニオスはロドス島の出身ではない。ロドス島には人生の一時期居ただけで、そこにいた時に「ロドスの」という添え名をつけた。

生涯

史料

アポローニオスの生涯についての情報源の主なものが4つある。アポローニオスに関する注釈の中に見つかった、ともに『アポローニオスの生涯』と題された2つのテキスト(以下、2つを区別する場合は『生涯(1)』『生涯(2)』と表記)。10世紀の百科事典『スーダ辞典』の中にもアポローニオスは登場する。さらに、紀元前2世紀オクシリンコス・パピルス1241には、複数のアレクサンドリア図書館長の名前の中にアポローニオスの名前が出てくる。オクシリンコス・パピルス1241は、アポローニオスの生きていた時代とそう離れていないので、その情報量は他の文献より断然比重が重い。それ以外の種々雑多のテキストからもさらなる情報が得られる。

出生

2つの『生涯』と『スーダ辞典』は、アポローニオスの父親の名を Silleus または Illeus としている。『生涯(2)』では母親を Rhode としているが、これはありえそうもない。Rhodē は「ロドス人女性」という意味で、おそらくアポローニオスの「ロドスの」を説明するためにそうしたのだろう。『生涯』、『スーダ辞典』、それに地理学者ストラボン[4]、アポローニオスの出身地はアレクサンドリアだとしている。また、アテナイオスクラウディウス・アエリアヌス (Claudius Aelianusは、アレクサンドリアの南70kmのところにあるナイル川に面したナウクラティス (Naucratisの出身だと言っている[5]。なお、彼の生年月日に触れた文献は存在しない。

カリマコスの弟子

『生涯』と『スーダ辞典』は、アポローニオスが詩人で学者のカリマコスの弟子だったと書いている。『生涯(2)』はさらにアポローニオスを埋葬したのはカリマコスだと「何人かが言っている」と付け加えている。

アレクサンドリア図書館長

『生涯(2)』と『スーダ辞典』、オクシリンコス・パピルス1241は、アポローニオスがこの職に就いていたと書いている。オクシリンコス・パピルス1241はさらに、エラトステネスをアポローニオスの後任としている。それはプトレマイオス3世 (Ptolemy III Euergetesが即位した紀元前247年/紀元前246年以降だったに違いない。なぜならエラトステネスを登用したのはプトレマイオス3世と見られるからである。

『スーダ辞典』は逆にアポローニオスがエラトステネスの後任だと書いているが、これはありえない。アポローニオスは紀元前240年頃に亡くなったカリマコスの下で学んでいた。『生涯(1)』はアポローニオスはプトレマイオス3世と同時代人だと書いている。エラトステネスは少なくとも紀元前204年まで図書館長の地位にあった[6]

アレクサンドリアからロドス島への転居

『生涯』と『スーダ辞典』はそうだと書いている。それで「ロドスの」という添え名がついたのだと。しかし、アポローニオスがそこで死んだのか、または図書館長に就任するためにアレクサンドリアに戻ったかについては、はっきりしない。

2つの『生涯』だけがアポローニオスの死について書いている。しかし、それは一致していない。『生涯(1)』は、アポローニオスはロドス島で死んだと書き、『生涯(2)』はアレクサンドリアに戻った後に死んだと書いている。

結論として、

  1. アポローニオスはアレクサンドリアもしくはナウクラティスの生まれである。
  2. ロドス島に住んでいたことがある。
  3. 少なくとも紀元前246年まで、アレクサンドリア図書館長の地位にあった。

さらに、アポローニオスは紀元前3世紀の初期から中期にかけて生きていたという推測もできる。それ以上のことは憶測でしかない。

センセーショナルな逸話

ギリシア詞華集 (Greek Anthologyには、文法学者のアポローニオスの作とするエピグラム(警句)が収められている。それはカリマコスと、その代表的な詩『アイティア(縁起談)』を嘲ったものである[7]

Καλλίμαχος, τὸ κάθαρμα, τὸ παίγνιον, ὁ ξυλινὸς νοῦς,
αἴτιος, ὁ γράψας Αἴτια Καλλιμάχου.

カリマコス:脳の代わりにゴミ・まがい物・木。
aitios(罪):カリマコスの『アイティア』を書いた人。

さらに、複数の文献がカリマコスの詩Ibis (現存していない)はアポローニオスと確認できる敵に対する反論であると書いている[8]。二人の間にセンセーショナルな文学的確執があったことを彷彿とさせる。しかし、この話が本当かどうかは現代の学者たちの間でも賛否両論の議論が続いている。2つの『生涯』は二人の詩人の友情を強調していて、とくに『生涯(2)』は埋葬するほどだったとさえ書いている。『Ibis』をアポローニオスへの反論とする文献を疑う学者も何人かいる。いまだ合意は得られていないが、ヘレニズム文学の研究者のほとんどは、確執が何かあったにせよ、それが途方もなくセンセーショナルに扱われたのではないかと考えている[9]

アポローニオスのセンセーショナルな逸話がもう1つ、『生涯』の記述の中にある。アポローニオスは若い頃にアレクサンドリアで『アルゴナウティカ』を上演した。しかし嘲られ、恥ずかしくてロドス島に逃げた。ロドス島では歓迎を受け、市民権も与えられた。『生涯(2)』によると、その後、アポローニオスはアレクサンドリアに凱旋し、まもなくアレクサンドリア図書館長まで登り詰めたということである。どこまでが事実かはわからない。おそらく、「田舎少年の立身出世」や「前犬の英雄的凱旋」が混ざり合ったものだろう。こうしたおとぎ話的な要素は古代の伝記の特色であった。

『アルゴナウティカ』

アポローニオス作の叙事詩『アルゴナウティカ』に関する意見は時代とともに変わっている。古代の一部の批評家はこれを可もなく不可もない二流の作品だと考えていた[10]。一方、近年の批評家たちは詩に対する関心とその特性の認識のルネサンス(復興)と見ていた。多くの学術書が定期的に出版されていて、たとえばウェルギリウスのような後世の詩人たちへの影響も今では認められている。叙事詩の歴史を扱った、現代の著作のいくつかは、判で押したように、アポローニオスに相当の関心を払っている。

脚注

  1. ^ アポロニオス』 - コトバンク
  2. ^ 高橋宏幸『ギリシア神話を学ぶ人のために』世界思想社、2006年。 左ii頁。
  3. ^ アポロニオス・ロディオス著、堀川宏訳『アルゴナウティカ』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2019年。 
  4. ^ ストラボン 14.2.13.
  5. ^ Athenaeus Deipnosophistae 7.19; Aelian On the nature of animals 15.23.
  6. ^ 『スーダ辞典』の「エラトステネス」の項目には、エラトステネスはプトレマイオスの治世からプトレマイオス5世 (Ptolemy V Epiphanesの治世まで図書館長の地位にあったと書いているSuda 2898 s.v. Ἐρατοσθένης.
  7. ^ Pal. Anth. 11.322. The translation given here is modelled on that of H.J. Rose.
  8. ^ たとえば、『スーダ辞典』の「カリマコス」の項目 Suda 227 s.v. Καλλίμαχος.
  9. ^ Thus D.P. Nelis 1999, review of P. Green 1997, Apollonius: the Argonautica (Berkeley), in Journal of Hellenic Studies 119: 187. For a recent summary of contrasting views, see e.g. A. Cameron 1995, Callimachus and his Critics (Princeton).
  10. ^ 偽ロンギヌス(偽ロンギノス、en:Longinus (literature))『On the sublime』 33.4; クインティリアヌス『弁論家の教育』10.1.54.

参考文献

読書案内

  • Beye, C.R. 1993, Ancient Epic Poetry: Homer, Apollonius, Virgil, 2nd ed. (Ithaca) ISBN 0-86516-607-2
  • Clare, R.J. 2002, The Path of the Argo: Language, Imagery and Narrative in the Argonautica of Apollonius Rhodius (Cambridge) ISBN 0-521-81036-1
  • Harder, M.A., and M. Cuypers (edd.) 2005, Beginning from Apollo: Studies in Apollonius Rhodius and the Argonautic Tradition (Leuven) ISBN 90-429-1629-X
  • Hunter, R.L. 1993, The Argonautica of Apollonius: Literary Studies (Cambridge) ISBN 0-521-41372-9
  • Nelis, D.P. 2001, Vergil's Aeneid and the Argonautica of Apollonius Rhodius (Leeds) ISBN 0-905205-97-9

外部リンク


ロドスのアポローニオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 02:37 UTC 版)

アプシュルトス」の記事における「ロドスのアポローニオス」の解説

ロドスのアポローニオスによればアプシュルトスメーデイア奸計従ったイアーソーン殺された。メーデイアアルゴナウタイとともに逃げたとき、アプシュルトスアイエーテース命令大軍率いて追跡した。そしてアルゴー船より先にイストロス河(ドナウ川)をさかのぼりアドリア海出てイリュリア沿岸島々に軍を上陸させ、海路封鎖してアルゴー船待ち受けた。しかしブリュゴイ人の2つの島だけはアルテミス聖域だったので上陸しなかった。そこでアルゴナウタイはブリュゴイ人の2つの島のうち、アルテミス神殿ないほうの島に上陸した追い詰められメーデイアイアーソーン奸計勧めた。そこでイアーソーン財宝アプシュルトスもてなしメーデイアアプシュルトス伝令使説得してアプシュルトス会って話をつける伝えさせた。このためアプシュルトスアルテミス神殿がある島でメーデイアと会う約束をして、1人会い行き隠れていたイアーソーン殺された。その地は今はアプシュルテイス人の土地(アプシュルティデス諸島)であり、この地名アプシュルトス由来するとされるアプシュルトス殺されると、兵たちはアイエーテース恐れ、この土地イリュリアなど様々な土地住みついた。

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