き‐し【騎士】
【騎士】(きし)
Knight.
中世の西欧諸国で発展した騎兵の一形態。
戦術的な分類としては重騎兵に類するが、馬上試合や儀礼的決闘を行う事に特化され、見栄えよく取り繕われていた。
戦場では騎士同士が各々名乗りを上げて「公正に」戦い、勝者は敗者の身柄と引き替えに身代金や利権・領土を得るものとされる。
非道な扱いを受けないよう、また身代金の支払いが滞らないよう互いに礼儀が求められ、捕虜となった騎士は愛馬共々大切に扱われた、という。
中世後期、経済発展と共に高度で大規模な戦争が生じると共に、騎士は歴史の表舞台から退場を余儀なくされた。
生き残った騎士は仇討ち強盗、傭兵、荘園領主などに変質していく事になる。
騎士道
前述の通り、騎士は名誉と儀礼を極端に重んじ、そのために高度な規範を作り上げていたという。
その徳目は時代ごとに虚飾されていく傾向にあったが、おおむね以下の通り。
- 「武勇」
- 武勇に優れていなければ、騎士の名誉は守れない。
これは道徳論ではなく、おおむね厳然たる事実であった。
領主が城に引き籠もったまま部下だけ死地に送り出すようなら、その部下は敵軍に合流して領主の城を攻めるだろう。
末端の騎士にしても、食卓には自分で狩猟をした肉を並べるのが普通であったし、賭け試合などで喧嘩に興じる機会には事欠かなかった。
……とはいえ、全く何の武術も心得ない騎士などいないにせよ、嘲笑の種になるほど軟弱な騎士はいた。 - 「信義」
- 約束を守らない者には名誉はない。
もちろん、騎士にとっては主従の契約、決闘のルールが最も重要な約束であった。
ただし、これは相手も信義を解するだけの名誉を備えている事が大前提であり、裏切り者には信義ではなく武勇で応えるのが常である。
身分の卑しい者や異教徒との間に信義は成立しないので、そんな連中との約束はしなくていいし、したとしても守らなくて良い、とされていた。
あげくには、自分自身こそ裏切り者である事を隠蔽するために犠牲者を捕らえ、さんざんに辱め、名誉を傷つけて信望を失わせるなどということもあった。 - 「寛容」
- キリスト教の道徳と、それ以前の部族社会における経済観念の薄さから、不必要な蓄財は極めて不名誉な事であるとされていた。
実際、十分なプレゼントや報酬、定期的に行われる豪華な宴会、子弟らを預かって教育を与える事などは領主の義務であった。
そうした権勢の維持費はしばしば領主が自然に捻出できる限度を超え、借金に喘ぎながら豪奢に散財する貴族も皆無ではなかった。 - 「敬虔」
- キリスト教に対して敬虔な信仰を持ち、慎ましく暮らす事……はさておき、キリスト教に入信する事は騎士の必須条件であった。
名誉を共有するためには、まず価値観を共有しなければならず、でなければ異教徒として皆殺しにする以外に紛争解決の手段がない。
つまり、端的に言って、当時のヨーロッパ人には異文化と融和するための土壌がなかった。
欠けていた土壌とはすなわち、学識である。
これは必然的に、キリスト教の教義を正しく理解する能力にも欠けていたという事である。
男根を模した木の棒の周りで春の女神たるマリア様に生け贄を捧げて踊る騎士がいたとして、近隣の神父がそれを咎めるとは限らなかった。
神父達のほとんども、子供の頃から故郷でそのような祭りに参加していたからだ。 - 「貴婦人への献身」
- 美しい姫君や貴婦人を崇拝し、その愛、肉体的な愛ではなく精神的な結びつきを得る事、捧げる事は名誉とされていた。
……身も蓋もない話をすれば、騎士階級は戦士階級であるから、自然、女性と接触する機会は稀少であった。
そしてまた、貴族がいざ戦場へと出征したとなれば、その間の領地を護るのはその妻である貴婦人の仕事だった。
従って、貴婦人が若い騎士達をまるで恋人のように侍らせて所領を安堵し、お気に入りの騎士を「護衛」として連れ歩くのは自然な成り行きである。
そもそも騎士の結婚はすべからく政略結婚であったから、職業的な連帯意識はともかく、恋愛感情を持つものとは限らなかった。
それでも人間は恋をする生き物であったが、夫の恋人がしばしば妾であったのと同様、妻の恋人はしばしば夫の家臣であった。
一方で一介の騎士にとって、貴婦人の愛は政治的にも有利な事であったが、反面で恨まれる事などあろうものなら命にさえ関わる。
多くの騎士は真摯な(そしてしばしば取り返しの付かない)愛を避け、集団で、半ば冗談めいた形で崇拝してみせるに留まった。
こうした規範は後世まで「騎士道」として伝わっているが、実際の戦闘でどこまで遵守されていたかは疑わしい。
人質解放交渉が難航したか頓挫した場合、虜囚になった騎士や貴族が地下牢で獄死するのも珍しい事ではなかった。
ルール無用の無礼討ち・騙し討ちも多く、特に攻城戦ではおよそ公正な決闘など望めるものではない。
「騎士道」に関する逸話・説話のほとんどは、騎士が軍事的価値を失った後の時代に創作されたものと思われる。
当時、まだ王権神授説は生まれておらず、貴族の血統を神聖視し伝統として守っていくような哲学もなかった。
往時の騎士は大半がサクソン・ゲルマン・スラブ諸部族の有力者であり、キリスト教に帰依してから数世代以下の家系も少なくなかった。
そうでない騎士にしても、やはり血筋を遡ればいずれ開拓民や山賊に行き当たるのが大半で、ローマ帝国まで血筋を遡れる事は稀だった。
単に領土と軍事力を持ち、それをさらに有力な族長に提供する代わりに支配権を確立している傭兵――それが騎士の実態であった。
その領地が大きい者は貴族なり王なりを自称したが、こうした宣言の有効性は法や血筋でなく軍事力で決まるのが常であった。
実際、戦乱の度に仕える王を変えるような騎士もそう珍しい存在ではなかった。
すなわち、騎士が名誉と儀礼を極端に重んじていたのは、名の知れた相手か、誰にでもわかる方法でなければ意志の疎通すら危うかった事の裏返しでもある。
歴史的経緯
西欧では、古代から中世に至る過程で騎兵戦術が退化していた。
騎兵や騎士の戦いを描くフィクションでは、しばしば「騎兵の隊列が先陣を切って突撃する」という描写が為される。
文学史によれば、そうした演出は少なくとも中世の騎士物語にまで源流を遡る事ができる。
その当時、まだ「虚構性」の観念は定着していなかったので、騎士物語もまた「実在した騎士の姿」として受け止められていたと思われる。
つまり、当時の騎士は「騎兵の隊列が先陣を切って突撃する」のを物語に謡われるような誉れ高い行為と考えていた。
騎士は、状況が許す限りそうした英雄的業績を残すことを望んでいたし、成し遂げる事ができれば大いに賞賛を受け名声を博した。
もちろん、これは騎兵の運用教則には反する。
騎兵だけが真っ先に突撃すれば、騎兵だけが敵中で孤立し各個撃破される。
そうなると、随伴の歩兵は、騎兵が戦っているのをただ眺めているしかない上に、味方の騎兵が撃破されてしまえば、何のために戦場に来たのかもわからないまま追撃で殺されていく。
そんな戦術が常態化していたので、必然、当時の農民歩兵は練度も士気も極めて劣悪にならざるを得なかった。
実際の所、敵騎士の単身突撃に呼応して「敵ながら天晴れ」とばかりに騎士だけを迎撃に出す、などという事態もザラにあったようではある。
だがそうした「騎士道精神」は同じ騎士に対してのみ発揮され、どちらにしても戦場に付き添わされる歩兵は悲惨であった。
中世ヨーロッパが後世において「暗黒の時代」と称される所以は多くあるが、この野蛮な戦術形態もその一つである。
古代ギリシャで既に確立されていた歩兵・騎兵の連携戦術が、なぜ中世で完全に忘れ去られたのかについては諸説ある。
一般的には、古代の名将が編み出した戦術をキリスト教が「冒涜的」だと批判・弾圧したからだとされる。
しかし一方で、騎士階級の形成は経済的な理由によるものだという説もある。
またそもそも急激に拡大したキリスト教社会の歪み、要約すれば識字率と教導体制の問題であるという説もある。
どちらにせよ、騎兵戦術を含む軍事学(これに限ったことではないが)の知識は相当に失伝し、欧州全体で軍隊・参謀の質が低下していた事は疑いない。
中世前半の王侯貴族にとって、軍事力ではなく姻戚関係による縁戚外交で紛争を避ける事が防衛戦略の要であった。
騎士は対外戦争よりも領内の治安維持、野盗に対する警察力を期待して配置されたものだが、時には野盗と同一人物であったりもした。
「危険な賭け試合」程度のトラブルはどう統治しても避けようがなく、時にはそれが大規模な紛争に拡大してしまう事もあった。
こうしたことから、中世後期に再び「戦争」が起きると共に騎士は存在意義を失っていったものとされる。
シベリウス:騎士
英語表記/番号 | 出版情報 | |
---|---|---|
シベリウス:騎士 | Kavaljeren | 作曲年: 1900年 |
騎士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:21 UTC 版)
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騎士(きし)は、騎乗して戦う者を指す。
- ヨーロッパにおける騎士とは、主に中世において騎馬で戦う者に与えられた名誉的称号、およびそれから派生した(必ずしも騎兵、騎乗戦士ではない)階級を指す。称号としての騎士を騎士号という。
- 日本においては江戸時代、馬に乗り「御目見」の資格を持つ武士の称として用いられ、主に徒士(歩兵)との比較語として用いられた。
以下、主として前者のヨーロッパの騎士について叙述する。近代以降の栄典(勲章)としての騎士については、ナイトを参照のこと。
各言語における名称
フランス語では
西洋
欧州の貴族階級 |
---|
![]() |
皇帝 / 女皇 / 王・皇帝 / 女王・女皇 / カイザー / ツァーリ |
上級王 / 上級女王 / 大王 / 大女王 |
王 / 女王 |
エァッツヘァツォーク(大公) / 皇女 / ツェサレーヴィチ(皇太子) |
ヴェリーキー・クニャージ(大公・皇太子) 大公 / 女大公 |
選帝侯 / プリンス / プリンセス / クラウンプリンス / クラウンプリンセス / プランス・エトランジェ / 血統親王 / インファンテ/ インファンタ / ドーファン / ドーフィン / クルレヴィチ / クルレヴナ / ヤール |
公爵 / 女公 / ヘルツォーク / クニャージ / 諸侯級伯 |
フュルスト / フュルスティン / ボヤール |
侯爵 / 女侯 / 辺境伯 / 方伯 / 辺境諸侯 / 宮中伯 |
伯爵 / グラーフ / シャトラン / (カステラン) / 城伯 |
ヴァイカウント / ヴァイカウンテス / ヴィダム |
バロン / バロネス / フライヘア / アドボカトゥス / ロード・オブ・パーラメント / セイン / レンドマン |
バロネット / バロネテス / スコットランドの封建領主 / リッター / 帝国騎士 |
エクィテス / ナイト / シュヴァリエ / リッデル / レディ / デイム / 自由騎士 / セニャール / ロード |
ジェントルマン / ジェントリ / エスクワイア / レアード / エードラー / ヨンクヘール / ユンカー / ヤンガー / メイド |
ミニステリアーレ |
ローマ時代

西欧における騎士階級の起源は、先史時代のガリア人・ゲルマン人部族まで遡ることができ、それがその後西欧世界に広まったと考えられている[1]。ガリア人社会においては自由民の両親の元に生まれた全ての若者が、成人し自らの健康さを証明すると、槍と盾、ベルト、そして剣を授与される儀式を受け、部族ごとの戦闘団に入団した。この儀式こそが騎士叙任式の起源と考えられている[2]。こうした原始的な社会においては、裕福な者が騎兵部隊を成した。従って最初期の騎兵とは、馬を持っていた自由民のことだった。
土地の集約化が進み騎兵となれる経済力のある自由民の数も減っていくと、騎兵である事が社会階層としての色彩を帯びていった[2]。一例として古代ローマの兵役制度(ケントゥリア)では、騎兵として軍に加わる人間を指す「エクィテス」という社会階級があった。当時は、武器などの装備は自弁であり、イタリア半島が馬の飼育に不向きということもあって騎馬民族ではないラテン人(ローマ人)にとって個人で馬を所有し、馬術を習得できる者は、ごく限られた富裕階級のみであった。しかしローマが版図を拡大すると遠方の戦場まで馬を所有する貴族が出征することもなくなり、また騎馬民族の同盟国を傘下に収めるようになると、ローマは実戦力としての騎兵を同盟国からの補助軍(アウクシリア)や、傭兵に依存する傾向を強めていった。さらにローマの貴族と市民は、身分としてはっきり分かれており、騎士階級は、あくまで裕福な市民として別けられていた。そのため、エクィテスという言葉は「貴族」ではなく、また「騎兵」でもない、単に経済人や資産家を指すものとなっていった。
その後、元老院で議員資格に財産保持の制限を加えるクラウディウス法が可決されると、財力を背景とする富豪たちは、それまで貴族や資産家など上流層全体を含んでいた元老院から離れ、「騎士」という称号だけを佩びるようになった。彼らは元老用の純白に赤十字のトーガではなく、緋色のトーガを身に纏うことが習慣づけられた。帝政期に元老院を牽制したいと考えた歴代皇帝が重用したことで、権威はさらに高まり、帝国の体制を支える職務となった。
戦争捕虜の中で馬術を習得していた者は、剣闘士の中でも騎乗して戦う騎馬闘士(エクイテ)に割り当てられた。
中世



プレートアーマーは世間一般には中世騎士の甲冑のように思われているが、実際には中世末の15-16世紀に着用された[3]。
フン族、アヴァール人、マジャル人といった遊牧騎馬民族は、古代末期よりたびたびヨーロッパに侵攻して乗馬技術や騎馬戦法をもたらした(騎馬戦法は古代スキタイに発し、3世紀頃のパルティアで完成したと言われている)[4]。ゲルマン諸部族の戦士は、もともと歩兵が多かったが騎兵もフン族やサルマタイ人の影響を受けて次第に増加していった[5]。中世初期のメロヴィング朝でも軍の主力は歩兵であったが、カロリング朝初期の800年前後には少数精鋭の重装騎兵が軍の中心に据えられた。一説には馬から降りて戦う(下馬騎士)ことが多かったとも言われている[6]。騎乗して戦う騎兵が活躍するようになった背景には、鐙(あぶみ)をはじめとする馬具の改良があった[7]。8世紀初頭にフランク族に伝わった鐙は、騎乗したたま身体をしっかり支えて武器を振るうことを容易にした[8]。9-10世紀には蹄鉄と拍車が普及した[9]。こうして重装騎兵は11世紀後半頃までに有力な戦力として戦闘の主役となるに至った[6]。
西方ラテン世界の公式言語での騎士の呼称「ミーレス」(羅: miles)は本来、単なる戦士という意味であった。カロリング朝の公権力崩壊にともなう封建制の成立期には、領主と主従関係を結び、主君のために軍役などの奉仕を行う人々が出現した。大貴族に従属する家臣にして支配階級の下部に位置するかれらもまたミーレスと呼ばれた。こうして騎士は(たんなる騎馬戦士を指す場合もあったが)有力者に軍事奉仕をする見返りに授与される特別な身分を意味するようになった[10]。さらに、尚武の風潮の高まりとともに12世紀には高位の貴族や王までも騎士を自称するようになった[11]。騎士になるにはまず、7歳頃から小姓(ペイジ)となり、主君の下に仕え、使い走りなどの仕事をする一方で、騎士として必要な初歩的技術を学んだ。14歳頃で従騎士(エスクワイア)となると、主人である先輩騎士について、身の回りの世話をはじめ、甲冑や武器の持ち運びや修理も担当し、実際の戦闘にも参加するようになった。20歳前後で一人前の騎士と認められると、主君から叙任を受け、金もしくは金メッキの拍車をつけるようになった。
叙任の儀式(アコレード)は基本的には、主君の前に跪いて頭を垂れる騎士の肩を、主君が長剣の平で叩くというものである。騎士の戦士としての重要性が薄れると、かえって叙任の儀式は複雑化して、宗教色や騎士道精神といったものが強調されるようになり、聖職者が式に絡むことも多くなった。
こうした中世騎士の制度は封建制度の中核を成し、また「ベテラン兵の指導を受けて技術を学ぶ」という点は封建制自体と同じくゲルマン系文化の従士制度から影響を受けている。ただし、儀礼的な部分に限って言えばむしろローマ(ラテン)的であり、またケルト的であった[12]。肩を剣で叩くという儀式は古代ローマの貴族階級で行われた儀式に起源を持ち、その際に両膝をついて跪くことで忠誠を示す様はケルト系の諸民族で見られた習慣であった。儀礼が異文化から取り入れられた経緯は詳しくは分かっていない。
騎士道
騎士道においては、一般にキリスト教的観念に基づく忠誠、公正、勇気、武勇、慈愛、寛容、礼節、奉仕などが徳とされた。ただし現実問題として、それらの建前が忠実に守られていたかといえばそうでもない。大方の騎士はそうした理想とは程遠く、クレティアン・ド・トロワをはじめとする12-13世紀の詩人たちが美化して謳い上げた騎士道は、多分に虚像であった。攻城戦の末に落とした町での略奪や破壊、虐殺は当時では一般的なことであったが、騎士もそうした狼藉をはたらいたのである。騎士の中には、農民のように平凡に暮らす貧しい小城主もいれば、富裕な捕虜の身代金を取ったり略奪を事とする粗暴な者もおり、13世紀のローマ王ルドルフ1世は強盗騎士の根城を攻撃して136人の強盗を処刑した[13]。
また、自らの力を試したり、ロマンチックな冒険を求めて方々を渡り歩く騎士を遍歴騎士と呼んだ。各地の大領主が主催する武芸試合に出て金を稼ぐ騎士もいた。そうした武芸試合の呼び物には騎士たちによる模擬戦があり、勝ったほうのグループが捕虜を取って獲得する身代金は、騎士の収入のひとつであった[14]。
騎士の身分
騎士は叙任されるもので、生まれついての身分・階級ではなかった。その点において単純に騎士を貴族とみなすことはできない。貧しい兵士が騎士身分に取り立てられることもあり、いったん騎士身分を得るとその長子も騎士となることが多かった[15]。フリードリヒ1世(1122年-1190年)は農民が騎士になることを禁じたが、12世紀に作られた武勲詩『ジラール・ド・ルシヨン』には、実際には農奴が騎士身分を得ることもあったことをうかがわせるくだりがある[15]。とはいえ騎士は、その装備や馬を維持できるだけの財力のある領主階級と事実上重なる部分が大きかった[16]。12世紀に騎士修道会が創設されて宗教的騎士道が確立するとともに、騎士は社会的に認められた上流階級となり、13世紀にかけて一種の排他的・閉鎖的身分集団と化した[15]。なお騎士修道会の構成員は公的には修道士であるためウォリアーモンク(戦う修道士)と呼ばれ区別された。ドイツでは、騎士の黄金時代を迎えたホーエンシュタウフェン朝の後、次第に騎士の身分は一種の貴族としての性格を強めた[17]。他方、商売などで富裕になった者が金で騎士の身分を得ることも珍しいことではなくなった[15]。
騎士全盛期のドイツでは、多くの平騎士は聖俗の領主や王に臣従する非自由民たるミニステリアーレ(家士)であった。貴族にせよミニステリアーレにせよ、大多数のさほど裕福でない下級騎士は平時は農耕や牧畜を行っていた[18]。ミニステリアーレは不自由身分のまま騎士として戦っていたが、やがて自由身分の封臣同様に封土を得るようになり、下級貴族と同化してドイツの騎士の中心的な担い手となった。一部の騎士はローマ王直属の帝国騎士となり[19]、皇帝自身や貴族の男子も叙任を受けて広義の騎士身分に属していた[20]。16世紀初頭の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は最後の騎士と呼ばれた[17]。
イングランドでは騎士階級は、男爵以上の爵位貴族とは区別され[21]、今日の英国ではナイト爵は一代限りの爵位となっている。英国では騎士の敬称は Sir(卿)という(ただし、騎士は中国や日本の卿に比べてはるかに低い階級である)。また、英国貴族の敬称 Lord も同じく卿と訳されるため誤訳・誤用を招くこともある。
近世

(メトロポリタン美術館)
騎士が軍事的価値を喪失し始めたのは1400年頃からだと言われている。傭兵部隊が軍事の主力となると、騎士は自分の連隊を率いて傭兵隊長となるなどの転身をしなければ軍人としては生き残れなくなっていった。多くの騎士は強盗騎士と呼ばれるようになり、フェーデを悪用した合法ギリギリの強盗、恐喝、身代金誘拐などで生計を立てるようになったが、フェーデの全面禁止に伴い生活基盤を失って単なる傭兵となるなどして没落していった。16世紀以降、火器の使用により槍騎兵の意義が薄れ、また、馬や鎧、武器の調達に莫大な費用がかかることから、軍役に実際に参加することなく金銭(軍役代納金)の支払いによって済ませることが多くなり、騎士は戦士としての役割を終えて、純粋な社会的階級となった。現在でもイギリスなどでは、男爵、準男爵に次ぐ爵位として、ナイト爵が勲章システムと結びついて存在している。別称は勲功爵、勲爵士ともいう。
16世紀のドイツでは、帝国騎士のフランツ・フォン・ジッキンゲンが国王と騎士による国家再建を目指して騎士戦争を起こしたが、騎士軍は諸侯に敗北し、帝国騎士没落の流れは止まらなかった。中には自身の軍事的価値を放棄して土地を所有して荘園領主として自活する道へと進んでいった者たちもいる。現代まで存続している騎士の家系の多くはこの系統である。ドイツの帝国騎士はフライヘル(男爵)の称号をもつ下級貴族の身分として残った。
現代
現代では、勲章の授与に伴う栄誉として騎士の叙任が一部で続けられている。現代国際法は、騎士を叙任する主体(羅: fons honorum)は主権を有する必要があると定めており、この条件を満たす存在として主権国家に加え、ローマ教皇、君主、そして一部の王位請求者が認められている[22]。ローマ教皇庁は、これらの主体は神の恩寵により(by the grace of god)、「血の権利(iure sanguinis)により騎士団への騎士の叙任権(Ius Collationis)を有する」としている[23]。
英国においては、今日でも大英帝国勲章など特定の勲章の授与時に王室が臣民を騎士に叙任することがあるが、これは英国君主としての「血の権利による叙任権」の行使の例である。さらに、既に国を持たない王家(王位請求者)であっても、国王の座にあった時に教皇から明示的に叙任権を認められていた王家に限り、引き続き騎士叙任を行うことが教皇庁により認められている[23]。こうして認められた騎士叙任の例としては旧イタリア王家サヴォイア家の聖マウリッツィオ・ラザロ騎士団がある[24]。またマルタ騎士団は現在、独立国家として引き続き騎士の叙任を行っており、これも国際法で認められた主権による騎士叙任である。
さらに、君主制の国家ではないものの、政府として騎士号を授与する国もある。この場合、騎士の叙任の方法や叙任された騎士の地位は教会法ではなく、各国の国家法で定められる。従ってその効力が及ぶ範囲は、その国家に限定される[23]。この例としては、共和国法第646号においてリサール騎士団の創設と騎士叙任を認めたフィリピン共和国の例がある[25]。
さらに現代では、名誉称号として騎士の肩書を与える民間団体も増えている。食文化を守る団体としてはフランスのシャンパーニュの伝統を守るシャンパーニュ騎士団などが有名であるが、その他、フランス、ドイツを中心にワイン騎士、ベルギービールの騎士号やフランスチーズ鑑評騎士などの称号があり、それぞれの食文化において活躍する人材に対してこれらの民間称号が授与されている[26]。こうした民間称号の授与にあたっても「叙任」という表現が使われる場合があるが、国際法上の騎士への叙任には当たらない事に留意する必要がある[22]。日本でも、とりわけ国内の著名人などが授与されるケースも多い。
他文化の同様の武人称号
日本
独特の美学を有する、名誉と社会的地位を持つ戦闘員、戦士階級という意味では、武士が騎士に類似した存在である。西洋の「騎士道」と類似したものとして、「武士道」があり、新渡戸稲造は「武士道」で広く世界に紹介した。また騎士(
過去の日本において西欧から導入した爵位の制度が存在したが、これらは騎士または騎士団の制度とは根本的に違うものである。
現代の日本では、欧州の騎士の称号に因み、地方公共団体や業界団体が騎士の名前を冠した称号を贈る例がある。具体的には、青森県の商工会議所が雪かきの功績者に対して「スノーナイト」という騎士号を授与する例や[27]、日本吟醸酒協会が開催する吟醸酒大学校の受講生の中で一定の要件を満たした人に「吟の騎士」の称号を授与しているのが、その例(さらにその上級課程を修了すると「吟の衛士」の称号が授与される)である[28]。
2008年以降、和歌山県は県内で功績のあった人物・動物などに対し、「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」を送るとしている。第1号は、猫の駅長であるたま。
なお、これらの場合、称号と言うよりも、愛称に近いものである。
アジア
- 中国
- 中国では古代から、騎乗して戦う兵士のことを「騎士」と書くことがある。
- モンゴル
イスラム世界
イスラム国家において非ムスリムが捕虜、被征服民として同化すると奴隷として見做され、先祖が奴隷である以上、改宗・奴隷解放を経た後もアラブ人とは一線を画する身分に位置付けられた。その中でも騎馬民族出身の奴隷は、騎兵戦力として重要な位置を占め、マムルークと呼ばれた。マムルークは、十字軍との戦いで活躍し、イスラム騎士道なども生まれた。彼らは、騎士や武士と同じく純粋な戦闘員からやがて特権階級になり、マムルーク朝などでは事実上の支配階級にまで栄達した。オスマン帝国では、他にスィパーヒーという騎士階級が存在した。彼らは、騎兵戦力を供出させるため封土が与えられ、領主としての身分が認められた。これは、オスマン帝国のテュルクメン人がもともと騎馬民族であったために他のイスラム国家とは、異なる制度を採用できたことから発生した。
しかしヨーロッパや日本と違い、イスラム世界では早くに火砲の発達に伴い大砲や銃を扱う歩兵で被征服民のキリスト教信者の子弟から構成されるイェニチェリがスィパーヒーら騎士階級に取って代わったため騎士が名誉称号として残ることはなかった。またマムルークも新エジプト王国によって駆逐された。
- 追加
- アスワラーン - サーサーン朝ペルシアの騎士称号
創作物としての騎士
現在でも騎士や騎士道、騎士団を扱ったさまざまな作品が数多くあり、作品によって騎士の在り方、捉え方も多岐にわたる。ただし、それらの作品中の騎士は必ずしも実際の歴史上の騎士像に忠実ではなく、近代的ではない世界観を表現する演出のひとつとして取り入れられ、馬に騎乗するか否かやキャラクターの社会的身分に関係なく、ただの鎧の戦士が騎士として扱われることもある。(馬に騎乗しないのであれば、本来は歩兵、重装備である事を強調するなら重装歩兵と呼ぶべきである)
脚注
- ^ Léon Gautier (1884). La Chevalerie. Sanard et Derangeon
- ^ a b Francis Warre-Cornish (1908). Chivalry. Swan Sonnenschein & Co., Ltd.
- ^ プレティヒャ 1961; 平尾訳 2010 [1982], pp. 159-160.
- ^ 堀越 2013, p. 85.
- ^ 池上 2012, pp. 5-6.
- ^ a b 池上 2012, p. 7.
- ^ 池上 2012, pp. 7-8.
- ^ 池上 2012, p. 81.
- ^ 堀越 2013, p. 84.
- ^ 池上 2012, pp. 16-19.
- ^ 池上 2012, p. 18.
- ^ 福井憲彦『新版世界各国史12 フランス史』[要ページ番号]
- ^ プレティヒャ 1961, 平尾訳 2010 [1982], pp. 25-26.
- ^ ギース 1974, 栗原訳 2005, p. 233-234.
- ^ a b c d ギース 1974, 栗原訳 2005, p. 221-227.
- ^ 渡邊 2003 [1993], pp. 51-52.
- ^ a b プレティヒャ 1961, 平尾訳 2010 [1982], p. 23.
- ^ プレティヒャ 1961, 平尾訳 2010 [1982], pp. 14-15.
- ^ プレティヒャ 1961, 平尾訳 2010 [1982], pp. 23-24.
- ^ プレティヒャ 1961, 平尾訳 2010 [1982], p. 14.
- ^ 平凡社『世界大百科事典』「爵位」の項。
- ^ a b Noel Cox (2009). “The principles of international law governing the Sovereign authority for the creation and administration of Orders of Chivalry”. Chapter in Rory Stanley (ed.), Féil-Scríbhinn Liam Mhic Alasdair – Essays Presented to Liam Mac Alasdair, FGSI: 15-25.
- ^ a b c Peter Bander van Duren (1995). Orders of Knighthood and of Merit. Colin Smythe Limited
- ^ グレゴリウス13世 (1572年11月13日). 大勅書 Pro Commissa Nobis. 教皇庁
- ^ “Republic Act No. 646”. 2018年7月19日閲覧。
- ^ ベルギービールについては、「ベルギービール普及貢献 日本人に名誉騎士章」『読売新聞』2007年9月1日東京夕刊夕二面参照。
- ^ 「青森、「スノーナイト」に5人認定 高齢、障害者のために雪かき=青森」『読売新聞』2002年12月19日東京朝刊青森版2頁参照。
- ^ 「憂楽帳"吟の騎士"」『毎日新聞』1998年3月3日東京夕刊3頁参照。
参考文献
- ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース 『中世ヨーロッパの城の生活』 栗原泉訳、講談社〈講談社学術文庫〉、2005年。
- ハインリヒ・プレティヒャ 『中世への旅 騎士と城』 平尾浩三訳、白水社〈白水Uブックス〉、2010年(初版1982年)。
- 渡邊昌美 『フランス中世史夜話』 白水社、〈白水社Uブックス〉、2003年(初版1993年)。
- 池上俊一 『図説 騎士の世界』 河出書房新社〈ふくろうの本〉、2012年。
- 堀越宏一 「騎士と騎士道文化」『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』 堀越宏一/甚野尚志[編著]、ミネルヴァ書房、2013年、84-91頁。
- 『毎日新聞』1998年3月3日東京夕刊
- 『読売新聞』2002年12月19日東京朝刊青森版
- 『読売新聞』2007年9月1日東京夕刊
関連項目
- 歴史
- 軍事
- 装備・武器
- 社会・文化・経済
- 文学
- ミュージカル
-
- 酔いどれ公爵 (1985年)
- 映画
-
- ROCK YOU! (2001年)
- 他
-
- en:Jedi Knight 映画中ではしばしば「ジェダイの騎士」と訳されている。→ジェダイ
騎士(ナイト)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/28 04:22 UTC 版)
「ラグナロクオンライン アコさんに気をつけろ!」の記事における「騎士(ナイト)」の解説
この漫画の主人公。ノービス時代に助けてくれた美しい女性アコライトに憧れ、その様な女性を守るべく彼が剣士(ソードマン)になったところから物語が始まる。自らパーティを編制し、間も無く出逢ったアコと行動を共にすることになる。「痛いのは嫌」なのでステータスはVITに全振り、ポリンだけを倒し続けていたため、アコをはじめとする仲間からは「チキン(臆病者)」呼ばわりされている。誠実だが女性に弱い性格で、結果的にクセの強い女性ばかりを中心とするパーティになってしまった。ACT.9「転職に気をつけろ!」にてジョブレベル40に達したのを機に他のメンバーにより半ば強引に騎士(ナイト)へと転職させられた。憧れのアコライトに逢うことを夢見ているが、同行している仮面アコがその本人であるとは気づいていない。
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騎士
出典:『Wiktionary』 (2021/07/31 13:32 UTC 版)
名詞
関連語
翻訳
- アイスランド語: riddari (is) 男性
- アイルランド語: ridire (ga) 男性
- アフリカーンス語: ridder (af)
- アラビア語: فارس (ar) (faaris) 男性
- アルーマニア語: caballeru (rup) 男性
- アルバニア語: kalorës (sq) 男性
- アルメニア語: ասպետ (hy)
- イタリア語: cavaliere (it) 男性
- イディッシュ語: ריטער (yi) 男性
- イド語: kavaliero (io)
- インドネシア語: ksatria (id)
- ウェールズ語: marchog (cy) 男性
- ウクライナ語: ли́цар (uk) 男性, ри́цар (uk) 男性, ві́тязь (uk) 男性
- 英語: knight (en)
- エストニア語: rüütel (et)
- エスペラント: kavaliro (eo)
- オランダ語: ridder (nl) 男性
- カタルーニャ語: cavaller (ca) 男性
- ガリシア語: cabaleiro (gl) 男性, cabaleira (gl) 女性
- ギリシア語: ιππότης (el) 男性
- クメール語: អស្សឬទ្ធិ (km) (ahsa’ rɨɨ tʰi’)
- グルジア語: რაინდი (ka)
- クルド語: şovalye (ku), سوارا (ku) (swara)
- コーンウォール語: marghek (kw) 男性, marghoges (kw) 女性
- 古プロヴァンス語: cavaller (pro), cavalier (pro)
- シチリア語: cavaleri (scn) 男性
- スウェーデン語: knekt (sv) 通性, riddare (sv) 通性
- スコットランド・ゲール語: ridire (gd) 男性
- スペイン語: caballero (es) 男性, caballera (es) 女性
- スロヴァキア語: rytier (sk) 男性
- スロヴェニア語: vitez (sl) 男性
- セルビア・クロアチア語: витез (sh) 男性/ vitez (sh) 男性
- タイ語: อัศวิน (th)
- タガログ語: kabalyero (tl)
- チェコ語: rytíř (cs) 男性, vítěz (cs)
- 低地ドイツ語: ridder (nds-de)
- デンマーク語: ridder (da) 通性
- ドイツ語: Ritter (de) 男性
- トルコ語: şövalye (tr)
- 西フリジア語: ridder (fy)
- ノルウェー語: ridder (no)
- ノルウェー語(ニーノシュク): riddar (nn)
- ノルウェー語(ブークモール): ridder (nb) 男性
- バスク語: zaldun (eu)
- ハンガリー語: lovag (hu)
- フィンランド語: ritari (fi)
- フランス語: chevalier (fr) 男性
- フリウリ語: cavalîr (fur) 男性
- ブルガリア語: ри́цар (bg) (rícar) 男性
- ブルトン語: marc'heg (br)
- ベトナム語: hiệp sĩ (vi) (俠士)
- ヘブライ語: פָּרָשׁ (he) (parásh) 男性, אַבִּיר (he) (abír) 男性
- ベラルーシ語: ры́цар (be) 男性, ві́цязь (be) 男性
- ペルシア語: شهسوار (fa) (šahsavâr), شوالیه (fa) (šovâliye)
- ポーランド語: rycerz (pl), raciądz (pl)
- ポルトガル語: cavaleiro (pt) 男性
- マケドニア語: витез (mk) 男性
- マルタ語: kavallier (mt)
- マレー語: kesatria (ms)
- マン島語: reejerey (gv)
- ラテン語: eques (la) 男性
- ラトヴィア語: bruņinieks (lv) 男性
- リトアニア語: riteris (lt) 男性
- ルーマニア語: cavaler (ro) 男性
- ロシア語: ры́царь (ru) 男性, ви́тязь (ru) 男性, богаты́рь (ru) 男性
「騎士」の例文・使い方・用例・文例
- 彼の態度は騎士らしからぬものだった
- 円卓の騎士
- アーサー王と円卓の騎士の物語
- 騎士は剣と盾を持っていた
- トルバドゥールたちは騎士道と貴婦人崇拝を歌った。
- 白馬の騎士とは、経営者に対して友好的な買収を提案する買い手のことです。
- 馬上の騎士をみてごらん。
- 騎士の時代には、彼等は剣での闘いによる怪我から身を守るため鎧を身に付けた。
- その勇敢なる騎士は進み出てその貴婦人の手にキスをする。
- その騎士は勇敢と言うよりも向こう見ずだ。
- 礼帯をつけた騎士.
- 黒装束の騎士.
- 騎士道時代 《ヨーロッパの 10‐14 世紀》.
- 甲冑に身をかためた騎士.
- アーサー王とその騎士たちの伝説.
- 男性が鎧(よろい)をつけた騎士であるという古い観念.
- 彼は騎士の装いをした.
- 騎士道精神を発揮して.
- その騎士は馬をとばして城へはせ参じた.
- 本当に高貴な騎士.
騎士と同じ種類の言葉
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