万歳!とは? わかりやすく解説

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ばん‐ざい【万歳】

読み方:ばんざい

【一】[名](スル)古くは「ばんぜい」。「ばんざい」は近代以降の読み方》

祝い喜び気持ち込めて【二】唱えること。多く威勢よく両手上げ動作を伴う。また、その動作のこともいう。「—を三唱する」「—の姿勢

めでたいことうれしいこと。「これが成功すれば—だ」

1動作から》

降参すること。お手上げ。「もう食べられない。—するよ」

野球で、野手フライ捕球しようとして両手上げながら、打球頭上抜かれること。→ばんぜい歳)

【二】[感]めでたいときやうれしいときに、その気持ち込めて発する語。「—、合格だ」


ばん‐ぜい【万歳】

読み方:ばんぜい

長い年月万年。「千秋—」

いつまで生きることまた、永く栄えること。

「君天下を保たせ給はん事、—是より始まる可し」〈太平記二八

めでたいこと寿命などを祝福して唱える語。ばんざい。

「—の喜びをぞ唱へける」〈曽我・五〉


まん‐ざい【万歳】

読み方:まんざい

万年よろずよまた、長寿末長い繁栄を祝う言葉ばんぜい。ばんざい。

新年家々訪れて祝言述べ、舞を演じ門付け芸人また、その芸能烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)または素襖(すおう)姿で扇を持った太夫(たゆう)と、大黒頭巾(だいこくずきん)にたっつけ姿で鼓を持った才蔵二人一組が普通。千秋万歳(せんずまんざい)に始まる。のち、こっけいな掛け合いをする寄席の芸にもなった。太夫出身地により三河万歳尾張万歳秋田万歳などがある。今日漫才のもと。《 新年》「山里は—おそし梅の花芭蕉


万歳

読み方:バンゼイ(banzei)

めでたいという意のほか貴人の死の意もある。


万歳


ばんざい 【万(萬)歳】

万才とも書く。古くバンゼイ諸橋大漢和辞典』に次のように説明する。①よろずよ万年。②古、酒を飲めば必ず寿を上り、慶を称して歳という。上下通用して慶賀の辞としたが、のちには酒を飲まなくても、めでたい時には叫ぶようになった初め一私人にも用いていたものが、唐代からは主として天子限られるようになった。③いつまで長寿。④祝すべき。めでたい。→

万歳

作者上田謙二

収載図書足音
出版社日本随筆家協会
刊行年月1993.8
シリーズ名純文学新鋭選書


万歳

作者井伏鱒二

収載図書井伏鱒二全集 第8巻
出版社筑摩書房
刊行年月1997.4


万歳

読み方:バンザイbanzai

初演 万治1.1(江戸出羽守邸)


万歳

読み方:マンザイmanzai

分野 歌謡

年代 成立年未詳

作者 作者未詳


万歳

読み方:バンサイ(bansai)

作者 川端康成

初出 大正14年

ジャンル 小説


萬歳

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

万歳

読み方
ながよ
ばんざい
ばんだい
まんざい
ばんざい

万歳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/21 15:46 UTC 版)

万歳
中国語
繁体字 萬歲
簡体字 万岁
発音記号
標準中国語
漢語拼音wànsuì
注音符号ㄨㄢˋ ㄙㄨㄟˋ
呉語
ローマ字vae soe
客家語
客家語拼音van55 soi55
粤語
粤拼maan6 seoi3
閩南語
閩南語白話字bān suè
日本語
旧字体 萬歲
ひらがな ばんざい
朝鮮語
ハングル만세
漢字萬歲
発音記号
RR式'manse'
ベトナム語
クオック・グーvạn tuế 漢越語
muôn năm (固有語)
チュハン萬歲(漢越語)
チュノム𨷈𢆥 () (固有語)

万歳(異字体:万才、旧字体:萬歲、ばんざい、ばんぜい)とは、喜びや祝いを表す動作などを指していう言葉。動作を表す場合は、「万歳」の語を発しつつ、両を上方に向けて伸ばす。また、より強調して、「万々歳(ばんばんざい)」と言われる場合もある。

成り立ち

天安門にある、「中華人民共和国万歳」と、「世界人民大団結万歳」のスローガンの簡体字版(2005年)と繁体字版(1953年)

元々は中国において使用される言葉で「千秋万歳」の後半を取ったもの。万歳は一万年で皇帝の寿命を示す言葉であり、本来皇帝以外には使わなかった。諸侯の長寿を臣下が願うときは「千歳(せんざい)」を使っていた。代に専権をふるった宦官魏忠賢は自分の一党の者に「九千歳!」と唱和させていたという。また、太平天国では首領である天王洪秀全に対しては「万歳」を唱え、東王楊秀清には「九千歳」、以下各王の序列に従って「八千歳」「七千歳」「六千歳」「五千歳」と続いていたという[1]

現代では中国語では「萬歲(繁体字)・万岁(簡体字)」と書き「ワンスェイ(wànsuì)」と言う。朝鮮語では「만세/萬歲」と書き、韓国北朝鮮では「マンセーマンセ」と言う。ベトナム語では「vạn tuế(萬歲)/muôn năm(𨷈𣦮/𨷈𢆥)」と書き、ヴァン・ツェーあるいはムオン・ナムと読む。このように漢字圏で使われる言葉であるが、非漢字圏で同様の使い方をする言葉としては、ロシア語の「ウラー (ура/ura) 」[2]があり、万歳と同様に単独で発声する。またラテン語圏ではイタリア語「ヴィヴァ(viva)」、スペイン語「ビバ(viva)」(スペイン語はvの音はbと混用される)、フランス語「ヴィーヴ(vive)」があり、次に讃える人名や組織名、国名などを続ける(例:ヴィヴァ・イタリア、ヴィーヴ・ラ・フランスなど)。いずれも「生きろ」という意味で長生きを願うことになり、万歳と同様の意味である。これは必ずしもめでたくない場面でも使われるものであり、例えばアルフォンス・ドーデの小説「最後の授業」では、普仏戦争によってアルザスドイツに割譲されたためフランス語を教えられるのは今日までという背景の中、最後の場面で「ヴィーヴ・ラ・フランス(フランス万歳)」と唱和する描写がある。

ドイツ語では「ホーホ(Hoch)」という言葉が使われ、単独で「ホーホ」、あるいは「エス・レーベ・ホーホ(es lebe hoch!)」と唱える。また「フラー(Hurra)」や「ハイル(Heil)」という表現もあり、ナチス時代には「ハイル・ヒトラー」という言葉がヒトラー万歳という意味で使われ、また「ジーク・ハイル(勝利万歳)」などの言葉も使用された。Hurraは歓喜や激励の叫び、またHeilは本来ラテン語のSalve(敬礼)にあたる単語で、「万年長寿を祝う」とは若干意味が異なる。

日本においては、まず平安時代に成立した雅楽には、千秋楽と共に万歳楽(まんざいらく)という曲が伝えられており、共に君主の長久を祝うめでたい曲とされている。芸能の万歳はここから出たものという。江戸時代に成立した常磐津浄瑠璃)には「乗合船恵方萬歳(のりあいぶねえほうまんざい)」という曲があり、「おや萬歳(まんざい)、へへ萬歳、萬歳萬歳萬歳、萬歳楽で御喜びだ、あっはっはっはっは」というセリフ回しがある。

日本における「万歳」

バンザイと発音するようになったのは大日本帝国憲法発布の日、1889年明治22年)2月11日青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だという[3][4]。それまで日本には天皇を歓呼する言葉がなく、出御にあたってただ最敬礼するのみであったが、東京帝国大学の学生一同で皇居前に並び明治天皇を奉送迎しようという議が起こり、これに際して最敬礼では物足りないので歓呼の声を挙げようという話が教師の間で持ち上がった。そこで、フランス語の「ヴィヴ・ラ・フランス(Vive la France=フランス万歳)」や英語の「セーヴ・ザ・キング(Save the King=国王を護りたまえ)」のような唱和の言葉を考えることになり、和田垣謙三教授の提議した「万歳、万歳、万々歳」の唱和が決められた。しかし、当日最初の「万歳」が高らかにあがると馬車の馬が驚いて立ち止まってしまい、そのため二声目の「万歳」は小声となり、三声目の「万々歳」は言えずじまいに終わった。これを聴いた人々は「万歳」を再唱したと思ったようで、以後、めでたい時の歓呼の声として「バンザイ」が唱えられるようになり、「万々歳」は定着しなかった[5]

当初は文部大臣森有礼が発する語として「奉賀」を提案していたが、「東北人の語調を以ってすれば鼻に掛かりて面白ろからず」[4]という理由から却下された。また、「万歳」として呉音の「マンザイ」と読む案もあった(それまでの奉祝の言葉としては漢音の「バンセイ」あるいは「バンゼー」)が、「マ」では「腹に力が入らない」とされたため、謡曲高砂の「千秋楽」の「千秋楽は民を撫で、萬歳楽(バンザイラク)には命を延ぶ」と合わせ、漢音呉音の混用を問わずに「万歳(バンザイ)」とした。

「天皇陛下万歳」は、天皇の健康、長寿、ひいては日本国の永続的な安寧を祈るものである。近年でも即位の礼や在位記念式典において公式に使われ、また皇居における一般参賀などの場面において、万歳三唱する市民も一部に見られる。 また明仁の天皇在位中最後の天覧相撲となる平成31年初場所8日目において、天皇皇后が退席する際に観衆から自然に万歳が起こった。

衆議院解散時の万歳(1953年、昭和28年)

慣例として、衆議院解散時に議長より詔書が読み上げられ、解散が宣言されたとき、その瞬間失職した衆議院議員たちが「万歳!」と三唱する。この慣例の経緯は明らかではないが、衆議院議員たちが選挙戦に「突撃」してゆく気概を表しているとも、国事行為として衆議院を解散する天皇に対しての敬意とも言われている。また、万歳三唱をすると次の選挙で落ちないという迷信もあるといわれる。ただ「失職するのに何が万歳なんだ」といって万歳三唱をしない議員もいる。

太平洋戦争中の日本軍兵士が連合国軍に対して、全滅(玉砕)を覚悟して行った突入攻撃は、「バンザイ突撃」と呼ばれる。また、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍第442連隊戦闘団日系アメリカ人部隊)も、枢軸国軍に対する攻撃の際に「万歳」を掛け声に使用したと記録が残っている。敗色濃厚にも拘らず決死の突撃を行った日本人兵士の「バンザイ突撃」は連合国軍将兵に少なからぬ恐怖と畏敬を与えた(バンザイ・アタック)。このことから、英語banzai というと、本来の意味の他に「絶望的な(あるいは無謀な)試み」という意味もある。このような欧米における「バンザイ」の認識は、21世紀になっても残っている。2014年(平成26年)11月には、日本銀行審議委員に対する欧米人記者の質問の中で、「英米の市場関係者の間では、追加緩和による事実上の国債全額買い取りという明確なマネタイゼーションと、増税延期という組合せをバンザイノミクスという国債暴落政策として懸念する見方も出ている」と、「バンザイノミクス」なる新語が示された[6]。この「バンザイノミクス」とは、第2次安倍内閣による経済政策の通称である「アベノミクス」に、バンザイ突撃の無謀さを掛けた造語とみられる。

またこれとは別に、降参、投降の際に抵抗の意志がないことを示すために両手を頭上に上げることから、日本においてもいわゆるお手上げという意味で「バンザイ」という表現が使われることがある。

1990年代には、万歳三唱令と題した偽書が官庁を中心に広まった。これは、明治時代に施行された太政官布告の体裁を取っており、「万歳三唱の細部実施要領」なる詳細な作法まで記述された文書である。しかし、そのような内容の太政官布告その他の法令が公布・施行された事実はなく、類似の法令や公式文書等もない。なぜこのようなイタズラ文書が作成され、広まったのか、その作成者や作成の意図は不明であったが、2018年に制作者が判明した[要出典]

所作

即位礼正殿の儀で万歳三唱する海部俊樹総理(当時)

万歳の所作・作法について、公式に定められた文書等は存在しない。前述の偽書『万歳三唱令』においては、足運びを含めてまことしやかな所作が定められているが、如何せん偽書であるため、この文書に書かれた所作が正式なものとは解されていない。

2010年(平成22年)には、木村太郎衆議院議員が内閣に対する質問主意書において、天皇陛下御在位二十年記念式典で行われた鳩山由紀夫内閣総理大臣の所作が「手のひらを天皇陛下側に向け、両腕も真っ直ぐに伸ばしておらず、いわゆる降参を意味するようなジェスチャーのように見られ、正式な万歳の作法とは違うように見受けられた。」と難じ、「日本国の総理大臣として、万歳の仕方をしっかりと身につけておくべきと考えるが、その作法をご存知なかったのか、伺いたい。」と問うた[7]。これに対して内閣は、「万歳三唱の所作については、公式に定められたものがあるとは承知していない。」と答弁している[7]

この質問主意書のように、「万歳の正しい姿勢」と目されるのは、先の偽書『万歳三唱令』に示されるところの「両腕から指までをまっすぐ上に伸ばし掌は内側」であるが、これがそもそも偽書であり、また所作自体としても公式であるという典拠に欠き、共通認識として扱われていない[7]。この状況は、多くの公式行事で万歳三唱が行われた戦前においても同様で、たとえば、1940年(昭和15年)の大政翼賛会発足式における万歳の写真では、掌の向きは前であったり内側であったりと、まちまちな様子が見て取れる[8]。1990年(平成2年)に行われた即位礼正殿の儀では、高御座の前で万歳三唱した海部俊樹総理(当時)は天皇側に向け肘はやや曲がっていた。

一方、歓喜の表現として古くから類似する所作は存在したが、それらも余り明確な決まりは無かったようである。たとえば、1927年(昭和2年)、田中義一内閣の成立が決定した際に、田中義一と政権与党の立憲政友会メンバーらが祝杯を挙げる場面の写真では、奥のほうには歓喜の表情の人物らが数名両手を挙げているものの、掌は手前を向いていたり握られていたりとまちまちである[9]

このように、正式な万歳の所作というようなものは、歴史的にも慣例上も定まっているとは言い難いが、おおむね「威勢よく両手を上げる動作」が万歳の所作と解されている[10]

脚注

  1. ^ 高島俊男「中国の大盗賊・完全版」講談社現代新書、P216
  2. ^ ウラー とは - コトバンク
  3. ^ 『明治事物起原』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ a b 「万歳元祖争い」『新聞集成明治編年史. 第十二卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 若槻禮次郎『明治・大正・昭和政界秘史 -古風庵回顧録-』講談社学術文庫、26-27頁、若槻はこの時旗手として参加していた。
  6. ^ 日本銀行 (2014年11月13日). “宮尾審議委員記者会見要旨”. 講演・記者会見. http://www.boj.or.jp/announcements/press/kaiken_2014/kk1411b.pdf 2014年11月16日閲覧。 
  7. ^ a b c 衆議院 (2010年2月12日). “質問名「天皇陛下御在位二十周年に関する質問主意書」の経過情報”. 質問答弁経過情報. https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/174070.htm 2014年11月16日閲覧。 
  8. ^ 『日本20世紀館』(小学館)ISBN 4-09-623011-1 P.423掲載
  9. ^ 『日本20世紀館』(小学館)ISBN 4-09-623011-1 P.336掲載
  10. ^ 小学館. デジタル大辞泉 

関連項目


萬歳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 02:11 UTC 版)

19世紀の「萬歳」のスタイル。

萬歳(まんざい、万才)とは、日本伝統芸能の一つである。新年の言祝ぎの話芸として全国で興り、現代の漫才の元になった。地名を冠して区別することが多い。

形式

編成

萬歳は太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の2人が1組となるものが基本となるが、門(かど)付けではなく座敷などがある。

扇・楽器

多くの萬歳は舞扇のような扇子を用いるが、三河萬歳中啓能楽で使う扇の一種で、閉じた状態を横から見た時に先が広がっている)を用いる場合が多い。

楽器について、基本は才蔵が持つ小だけだが、演目によりさらに三味線胡弓を加えたり、太鼓・三味線・拍子木を使用するものもある。越前萬歳加賀萬歳はすり太鼓(小太鼓を細い竹の撥で擦るように鳴らす)を用いる。

衣装

古くは舞楽の装束をまね、太夫は鳥兜(とりかぶと)をかぶっていたが、室町時代になると侍烏帽子(さむらいえぼし)をかぶり、素襖(すおう)に平(ひらばかま)姿に、才蔵は大黒頭巾風のものをかぶり、大袋を背負う格好が普通であったようである。また、室町時代中期に門付けが一般化してくると、その際に太夫は裁着袴(たつつけばかま)をはいた。江戸時代には三河出身の徳川家によって優遇された三河萬歳は、武士のように帯刀、大紋の直垂の着用が許された。各地に広まった萬歳は、後に歌舞伎などの要素を取り入れたりしたことによって、さらに衣装が多様化した。

歴史

起源

起源については定かではないが、奈良時代の「踏歌(とうか)」(踏歌は宮中などにおいて春を寿ぐ行事で、男踏歌の舞人が舞楽の「万春楽(ばんすらく)」を足を踏み鳴らすように舞う際には万春楽と囃し、女踏歌の時は千春楽(せんずらく)と囃した)より、変遷したものと考える説がある。また雅楽には君主の長久を祝うめでたい曲として、千秋楽と共に萬歳楽(まんざいらく)という曲が伝えられていて、ここから千秋萬歳(せんずまんざい)となり、単に萬歳となったともいわれる。他にも、新年になると歳神が家々を訪れて寿福を授けるという民間信仰より来たものなどの説がある。これは、歳神に扮し自ら神の依代(よりしろ)となって祝福を与え歩いていたものが、やがて宮中に出入りするようになったというもので、豊年の秋を千回万回と迎えられるように長寿を祝う言葉の「千秋萬歳(せんしゅうばんぜい)」が名前の由来であるとする。

11世紀に当時の芸能や世相の一端を書き記した『新猿楽記』の「千秋万歳之酒祷(せんずまんざいのさかほがい)」という記述からも、平安時代頃すでに芸能として成立していったことが窺える。

変遷

千秋萬歳は平安時代の末期には貴族の間で毎年正月の慣習となっており、千秋萬歳法師が訪れ祝い言を述べ舞を舞った。貴族の衰退と入れ替わるように、武家が権力を持った鎌倉時代以降は、寺社や武家など権門勢家を訪れるようになり、室町時代になると、声聞師が千秋萬歳法師のかわりをするようになって、中頃には一般民家にも門付けしてまわるようになった。

伝播と拡大

大和奈良県)の萬歳が千秋萬歳として京の都で行われ、後に尾張萬歳三河萬歳へと伝わり、さらに全国各地に広まったものと思われるが、尾張萬歳、三河萬歳とも、伝承由来はこの通りとしていない。また越前萬歳(野大坪万歳)については、約1500年前の継体天皇にまつわる伝承を由来と主張するものもある。しかし江戸時代以降に伝わった地域の萬歳は、大体継承過程を明らかにしている。加賀萬歳は越前萬歳の流れを汲むものであるが、秋田萬歳会津萬歳などは三河萬歳からの派生であり、伊予萬歳は尾張萬歳の系統であるといわれる。

衰退と復興

明治時代に、さらに多くの地域に分かれて各地の名前を冠する萬歳が登場するようになったが、その多くは三河萬歳と尾張萬歳の系統であった。仏教色の濃い陰陽道の影響下にあった三河萬歳は、神道に変化して国家神道の政策の中で残っていき、大正時代の中頃まで萬歳の参内はあったようである。一方、尾張萬歳は娯楽性を高め、通年で興行として成立するものも現れた。こういった新しい尾張萬歳の中から漫才の基礎となる形のものも生み出された。また、正月に行われる従来の萬歳も、民間での門付は第二次世界大戦頃までは盛んであった。しかし多くの萬歳は第二次大戦後に衰退し、大和萬歳については継承が無く途絶えてしまった。

現在ある、各地の萬歳には継承者を捜し出して復興させたものが多いが、成立時期が古いとされる三河萬歳(愛知県安城市西尾市など)と越前萬歳(福井県越前市)が1995年平成7年)に、尾張萬歳(愛知県知多市)が1996年(平成8年)にそれぞれ国の重要無形民俗文化財に指定された。

お笑いコンビのすゑひろがりず狂言を元にしたネタを持つが[1]、メンバーの三島はM-1グランプリ2019の決勝に際してWikipediaの萬歳の項目を引用して「萬歳やって参ります」とツイートしている[2]

全国の萬歳

主な萬歳

沖縄萬歳

沖縄県の高平良萬歳(たかでーらまんざい)は、一般的に組踊「万歳敵討」(まんざいてぃちうち)の一場面を抜き出した琉球舞踊の演目であって、この項目でいう萬歳とは異なる。本来の沖縄の萬歳は、首里郊外の安仁屋部落にいた萬歳行者(まんざいこーしー)が年のはじめに各家々の門に立ちよって祝言をとなえ人形を舞わせていたようであるが、大正時代には今帰仁などではすでに見受けられず、萬歳行者という言葉だけが伝えられていた。

関連書籍

  • しかたしん『ぼくと化け姉さん』(金の星社) - 主人公「ぼく」の親友「ありんこ松」が萬歳師の家系。
  • 木内昇『笑い三年、泣き三月。』(文春文庫) - 戦後間もない浅草が舞台、万歳芸人の善造らの話。

脚注

  1. ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “すゑひろがりず 着物姿で古語のかけ合い、いとをかし|エンタメ!|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 2021年3月13日閲覧。
  2. ^ すゑひろがりず三島 [@SUEmishima] (2019年12月22日). "本日はM-1決勝!!!萬歳やって参ります!!!" (ツイート). Twitterより2021年3月13日閲覧

関連項目


万歳

出典:『Wiktionary』 (2021/08/16 01:50 UTC 版)

別表記

名詞

  (ばんざい、ばんぜいまんざい)

  1. (ばんざい)祝い喜び込めて両手挙げて唱えること。その動作
  2. (ばんざい)めでたいこと。うれしいこと。
  3. (ばんざい)打開方法がないこと。なすがまま任せること。降参お手上げ
  4. (ばんざい)野球野手フライ捕球ようとして両手挙げながら目測誤っての上通り越すこと。
  5. (ばんざい、ばんぜい長寿長久願い祝福すること。
  6. ばんぜいまんぜい万年長い年月
  7. ばんぜいいつまで生きること栄えること。めでたいこと
  8. ばんぜい貴人の死。
  9. まんざい新年家々回り祝言述べて舞を見せ門付芸能

感動詞

  (ばんざい)

  1. めでたい時や嬉しい時、長久を祈る時などに両手挙げて唱えること。

発音(?)

東京アクセント

ば↗んざ↘い

翻訳


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