神話での記述とは? わかりやすく解説

神話での記述

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トヨクモノ」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』では、神代七代二番目国之常立神次に化生したとしている。国之常立神同じく独神であり、すぐに身を隠したとある。 『日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊国狭槌尊次の三番目豊斟渟尊化生したとしており、これらの三の神は男神であると記している。 第一一書では、国常立尊国狭槌尊次の三番目化生した神を豊国主尊(とよくにぬしのみこと)とし、別名がして豊組野尊(とよくむののみこと)、豊香節野尊(とよかぶののみこと)、浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)、豊国野尊(とよくにののみこと)、豊齧野尊(とよかぶののみこと)、葉木国野尊(はこくにののみこと)、見野尊(みののみこと)であると記している。「豊」がつく名前が多く豊雲野神豊斟渟尊同一神格考えられている。第二から第六一書には、同一とみられる神名登場しない『古事記』『日本書紀』とも、これ以降豊雲野神神話登場することはない。

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神話での記述

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保食神」の記事における「神話での記述」の解説

天照大神月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた月夜見尊保食神所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯吐き出し、海を向いて口から吐き出し、山を向いて口から吐き出し、それらで月夜見尊もてなした月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月昼と夜とに別れて出るようになったのである天照大神保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神死んでいた。保食神屍体頭から牛馬、額から粟、眉から、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。その種は秋に実り、この「秋」は『日本書紀』記され最初季節である。

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ホデリ」の記事における「神話での記述」の解説

兄の海幸彦火照命)は、海でなどを猟って暮していた。ある日、山で狩りなどをして暮らしていた弟の山幸彦火遠理命)と互い道具交換しよう提案した山幸彦三度断ったが、少しの間だけ交換することにした。しかし山幸彦はその釣針を海の中になくしてしまい、海幸彦はそれを決して許さなかった。その後海神から復讐方法呪具与えられ帰ってきた山幸彦によって海幸彦苦しめられ最終的に服従した此等は、隼人または熊襲平定服従元に説く神話であるとされる詳細は、山幸彦と海幸彦参照のこと。

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アメノタヂカラオ」の記事における「神話での記述」の解説

岩戸隠れの際は岩戸の脇に控えており、アマテラス岩戸から顔をのぞかせた時、アマテラス引きずり出して『日本書紀』一書や『古語拾遺』では「引き開けて」)、それにより世界明るさ戻った天孫降臨の際、アマテラス三種の神器オモイカネタヂカラオ天石門別神副えたとあり、その後伊勢佐那県(三重県多気町佐奈)に鎮座したとしている。

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サルタヒコ」の記事における「神話での記述」の解説

邇邇芸命天降りようとしたとき、天の八衢やちまた。道がいくつも分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さ七尺(ななさか)、目が八咫鏡やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神高木神天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神猿田毘古神で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来た。 邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命天宇受売命に、その名を明らかにしたのだから、猿田毘古神送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った。そこで天宇受売命は「猿女君」と呼ばれるようになったという。なお、『日本書紀』では、猿田彦天鈿女命(あめのうずめ)に自分送り届けるように頼んだとなっている。猿田毘古神故郷である伊勢国五十鈴川川上帰った猿田毘古神伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村、現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ溺れる。この際、海に沈んでいる時に「底度久御魂」(そこどくみたま)、猿田毘古神吐いた息の泡が昇る時に「都夫多都御魂」(つぶたつみたま)、泡が水面弾ける時に「阿和佐御魂」(あわさくみたま)という三の神が生まれた。この時に海中溺れた際に生じた泡の三の神は阿射加神社三重県松阪市阿坂と小阿坂に2社存在する)に現在は鎮座されている。 『倭姫命世記』(神道五部書一つによれば倭姫命天照大神祀るのに相応しい地を求めて諸国巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命先導して五十鈴川川上一帯献上したとされている。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し代々伊勢神宮玉串大内人任じられた。しかし、大田命猿田彦の子孫と主張し始めたのは鎌倉時代成立した伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』や『倭姫命世記』であり、延暦期成と見られる皇太神宮儀式帳』や後三条朝までの編年記事見える『大神宮雑事記』では、宇治土公は単に大田命の子孫であるとだけ主張しており、大田命遠祖猿田彦架上したもの指摘される。「児島系図」では久斯比賀多命三世孫の久斯気主命を祖とし、石部公や人部同族であるとされており、これに従えば三輪氏族となる。 椿大神社三重県鈴鹿市)の社伝によると伊勢の阿邪訶にて溺れた際に命を落とし、後に同神社高山土公神御陵葬られたとされており、これが猿田彦命御陵とされている。 また、二見興玉神社三重県伊勢市二見町)の由緒書によれば神社境内海中位置する興玉神石天孫降臨の際に猿田彦降り立たれた神跡であると伝えられている。

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栲幡千千姫命」の記事における「神話での記述」の解説

葦原中津国平定天孫降臨の段に登場する『古事記』および『日本書紀』本文第二第六第七第八一書では高皇産霊神高木神)の娘としている。『日本書紀』第一一書では思兼命の妹、第六一書では「また曰く」として高皇産霊神の子の児火之戸幡姫の子(すなわち高皇産霊神の孫)。天照大神の子天忍穂耳命結婚し天火明命瓊瓊杵尊産んだ高皇産霊神の孫とする説もあるが、これは『日本書紀』原文読み違えたものとされる原文には「一書曰、天忍穗根尊、娶高皇産靈尊女子栲幡千千姬萬幡姬命・亦云高皇産靈尊兒火之戸幡姬兒千千姬命、而生兒天火明命、次生天津彦根火瓊瓊杵根尊。其天火明命天香山、是尾張連等遠祖也。」とある。「兒(児:子と同じ意味)」で区切って読んだ思われるが、一見して「姬兒」が名前の一部であることが判る。「火之戸幡姬兒千千姬命」で一個人の名前であり、高皇産靈尊の子の火之戸幡姬の子千千姬命とは読まない。[独自研究?]

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ニニギ」の記事における「神話での記述」の解説

詳細は「天孫降臨」を参照史料は、特記のない限り『日本書紀』本文拠る瓊瓊杵尊天照大神の子である天忍穂耳尊高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命との間に天で生まれた高皇産霊尊はこの孫を特にかわいがり葦原中国の主にしたいと考えた。そこで天穂日命天稚彦派遣され経津主神と武甕槌神によって葦原中国平定された(葦原中国平定参照)。高皇産霊尊皇孫すめみま)たる瓊瓊杵尊真床追衾(まとこおふすま)で覆い地上降ろした。これを天孫降臨と呼ぶ。皇孫は天盤座から天八重雲押し分けて神聖な道を進み日向の襲(そ)の高千穗峯に天降った。さらに良い国を探し求めて吾田の長屋の笠狭岬に至ると事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と名乗る者が現れた。「国はあるか」と尋ねてみると「ここにあります思いのままにしてください」と返されたのでそのまま留まることにした。 国には一人美人がいた。皇孫が「おまえは誰の子か」と尋ねると「カヤノヒメ大山祇神が娶って生んだ子です」と答えた。名を鹿葦津姫(かしつひめ)、またの名を木花開耶姫という。彼女を気に入った皇孫一夜を共にした。すると姫は身ごもった。しかし皇孫は「天神でも一夜孕ませることはできない。それは私の子ではない」と暴言吐いた怒った鹿葦津姫出口のない小屋に籠った上で「私の子天孫(あめみま)の子であればつかないそうでなければ焼け死ぬ!」と誓約(うけい)をし小屋に火をつけさせた。三人の子供が無事に生まれてきたので天孫の子であることが証明された。兄の火闌降命成長して海幸彦に、弟の彦火火出見尊山幸彦となったしばらくして瓊瓊杵尊崩御し可愛山陵(えのみささぎ)に葬られた。 一書『古事記』でも大筋同じだ細部異なる。『古事記』では高御産巣日神ではなく天照大御神命令受けた建御雷神天鳥船神大国主神から国譲り受けて葦原中国統治権確保するその後天照大御神の命により邇邇藝命葦原中国統治するため高天原から地上降りたという。降臨の地については「竺紫の日向高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に天降りまさしめき」と記述している。『日本書紀』のように国を探し求めることはな高千穂に留まって大きな宮殿立てる。一書『古事記』では降臨の際に随伴し神々記載されている。また事勝国勝長狭代わりに猿田毘古神現れ地上までの道案内をする。木花之佐久夜毘売との結婚の際にも共に嫁いできた姉の石長比売いわながひめ)を追い返したために邇邇藝命その子孫は神としての永遠の命失ったという逸話がある。火中出産についても生まれてくる子供たち内訳『日本書紀』本文と一書『古事記』間でそれぞれ異なる。

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ワタツミ」の記事における「神話での記述」の解説

日本神話最初に登場する綿津見神は、オオワタツミ大綿津見神大海神)である。神産みの段で伊邪那岐命伊弉諾尊いざなぎ)・伊邪那美命伊弉冉尊いざなみ二神の間に生まれた神名から海の主宰神と考えられているが、『記紀においては伊邪那岐命は後に生まれた三貴子一柱須佐之男命素戔嗚尊・すさのお)に海を治めるよう命じている。 伊邪那岐命黄泉から帰って禊をした時に、ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)、ナカツワタツミ(中津綿津見神中津少童命)、ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)の三神生まれ、この三神総称して綿津見三神呼んでいる。この三神オオワタツミとは別神であるとの説や、同神との説がある。この時、ソコツツノオノカミ(底筒之男神)、ナカツツノオノカミ(中筒之男神)、ウワツツノオノカミ(上筒之男神)の住吉三神住吉大神)も一緒に生まれている。 また、綿津見神三神の子宇都日金析命(穂高見命)が阿曇連阿曇氏)の祖神であると記している。現在も末裔宮司務め志賀海神社は、安曇氏伝承の地である。また、穂高見命は穂高の峯に降臨したとの伝説があり、信濃にも安曇氏進出している。

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天沼矛」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』によれば伊邪那岐イザナギ)・伊邪那美イザナミ)の二柱の神は、別天津神たちに漂っていた大地完成させることを命じられ天沼矛与えられた。伊邪那岐伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って天沼矛で、渾沌とした大地かき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが、積もって淤能碁呂島おのごろじまとなった伊邪那岐伊邪那美淤能碁呂島結婚し大八島神々生んだ国産み神産み)。

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イシコリドメ」の記事における「神話での記述」の解説

岩戸隠れの際に八咫鏡作ったちなみに日前神宮・國懸神宮和歌山市)には八咫鏡先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)がある。日像鏡日前神宮神体日矛鏡國懸神宮神体となっている。 天孫降臨の際邇邇芸命(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、天宇受売命(あめのうずめ)、玉祖命たまのおや)と共に五伴緒の一人として随伴した。

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八尺瓊勾玉」の記事における「神話での記述」の解説

日本神話では、岩戸隠れの際に後に玉造連の祖神となる玉祖命作り八咫鏡とともに太玉命捧げ持つ木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊授けられたとする古事記には、八尺瓊勾玉(緒に通した勾玉)の後ろに、さらに『五百津之美須麻流之珠』(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)という、数の多さ形容した語が付く。 尚、日本書紀神代八尺瓊曲玉言及される別の部分として、六段一書(あるふみ)第二で羽明玉という神が素戔嗚尊に、スサノヲ天照大神に会う(アマテラスとスサノオの誓約前に「瑞八坂瓊曲玉」を渡している。

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オオカムヅミ」の記事における「神話での記述」の解説

古事記 『古事記』では黄泉の国の条に登場する伊邪那岐命が、亡き妻の伊邪那美命連れ戻そうと、死者の国である黄泉の国赴くが、失敗して予母都色許売(よもつしこめ)や8雷神黄泉軍(よもついくさ)に追われる地上との境にある黄泉比良坂よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を3個取って投げつけると、雷神黄泉軍撤退していった。 この功績により桃の実は、伊邪那岐命から「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」の神名授けられる。そして、「汝、我を助けしが如く 葦原中津国に有らゆるうつくし青人草の、苦しき瀬に落ちて 患(うれ)へ悩むとき これを助くべし」(お前が私を助けてくれたように葦原中津国地上世界)のあらゆる生ある人々が、苦しみ激流落ち悩み悲しみ苦しむことがあったときには、これを助けてやってくれ。)と命じられた。 日本書紀 『日本書紀』では神産み第九一書登場する『古事記』同様にイザナギ命は黄泉の国で8雷公追われるその時道端があり、そのの下に隠れて桃の実を採って投げつけると、雷公は退走していった。これが、用いて鬼を避け由縁であると記されている。

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カヤノヒメ」の記事における「神話での記述」の解説

神産みにおいて伊邪那岐命いざなぎ)・伊邪那美命いざなみ)の間に生まれた『古事記』においては山の神である大山津見神との間に、4対8の神を生んだ

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イワナガヒメ」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』では石長比売『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫表記する。他に苔牟須売神とも称される大山津見神おおやまつみ)の娘で、木花之佐久夜毘売このはなさくやびめ)の姉。 木花之佐久夜毘売とともに天孫邇邇芸命(ににぎ)の元に嫁ぐが、石長比売醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り、「石長比売差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売差し上げたのは天孫花のように繁栄するようにと誓約立てたからである」ことを教え石長比売送り返したことで天孫寿命短くなるだろうと告げた『日本書紀』には、妊娠した木花開耶姫磐長姫呪ったとも記され、それが人の短命起源であるとしている。 また『古事記』において大山津見神の娘で、須佐之男命の子八島士奴美神結婚する木花知流比売このはなちるひめ)は石長比売の別名であるとする説もある。

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四道将軍」の記事における「神話での記述」の解説

大彦命は、孝元天皇の第1皇子で、母は皇后欝色謎命(うつしこめのみこと)。開化天皇同母兄で、娘は崇神天皇皇后御間城姫命(みまきひめのみこと)、垂仁天皇外祖父に当たる。舟津神社福井県鯖江市)、敢国神社三重県伊賀市)、伊佐須美神社福島県会津美里町)、古四王神社秋田県秋田市)等に祀られている。敢国神社社伝によると同神社より北東1.5Kmの所に位置する御墓山古墳大彦命御陵とする。敢国神社鎮座する三重県伊賀市大彦命の子孫である阿閉臣(阿敢臣)の発祥の地とされる伝承残されている。 武渟川別は、大彦命の子阿倍朝臣等の祖と伝えられる津神社岐阜県岐阜市)、健田須賀神社茨城県結城市)等に祀られている。 また『古事記』によれば北陸道平定し大彦命と、東海道平定し建沼河別命合流した場所が会津であるとされている。(会津地名由来説話)。このときの両者行軍経路阿賀野川大彦命)と鬼怒川武渟川別)と推察する見解哲学者中路正恒から出されている。 吉備津彦は、孝霊天皇皇子で、母は倭国香媛やまとのくにかひめ)。別名は五十彦(いさせりひこ)。吉備国平定したために吉備津彦名乗った考えられているが、古事記には吉備津彦の名は出てこない。桃太郎モデル一つであったとも言われている。吉備津神社吉備津彦神社岡山県岡山市)、田村神社香川県高松市)等に祀られている。 丹波道主命は、古事記によると開化天皇の子彦坐王の子。なお、古事記では彦坐王丹波派遣されたとある。母は息長依比売娘(おきながのみずよりひめ)。娘は垂仁天皇皇后日葉酢姫(ひばすひめ)。景行天皇外祖父に当たる。神谷神社京都府京丹後市)等に祀られている。

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スサノオ」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』記述によれば神産みにおいて伊邪那岐命黄泉の国から帰還し筑紫日向小戸阿波岐原で禊を行った際、天照大御神月読命次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたとする阿波岐原は江田神社のある宮崎市阿波岐原町比定される)。これは神道祝詞祓詞にもある。 『日本書紀』本文では伊弉諾尊イザナミ伊弉冉尊伊邪那美命)の間に産まれ天照大神ツクヨミ月読)・ヒルコ児)の次に当たる。 統治領域文献によって異なり三貴神のうち天照大御神は天(高天原)であるが、月読命は天、滄海原(あおのうなばら)または夜の食国(よるのおすくに)を、須佐之男命には夜の食国または海原または天下治めるように言われたとあり、それぞれ異なる。須佐之男命記述エピソード月読命児と被る部分がある。 『古事記』によればスサノオはそれを断り母神イザナミのいる根の国行きたい願いイザナギ怒り買って追放されてしまう。そこで母の故地出雲伯耆の堺近辺根の国向う前に姉の天照大御神別れ挨拶をしようと高天原上るが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対するスサノオ疑いを解くために誓約(うけひ)を行った。 我の潔白誓約によって証明されたとしたが、勝った任せて次々と粗暴行い天照大御神恐れて天の岩屋隠れてしまった。そのため、彼は高天原追放された(神逐)。 スサノオ大気都比売食べ物乞うが、オオゲツヒメが鼻や口や尻から食べ物を出すのを見て怒って殺したオオゲツヒメの体の各部分から生じた穀物五穀起源となった出雲髪山(現在の船通山)へ降った建速須佐之男命は、その地を荒らしていた巨大な怪物八俣遠呂智への生贄にされそうになっていた美し少女櫛名田比売命出会うスサノオは、クシナダヒメ姿形を歯の多い変えて髪に挿しヤマタノオロチ退治する。そしてヤマタノオロチの尾から出てきた那藝之大刀くさなぎのたち、紀・草薙剣)を天照御大神に献上し、それが古代天皇権威たる三種の神器一つとなる(現在は、愛知県名古屋市熱田神宮御神体となっている)。その後から元に戻したクシナダヒメを妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地へ行きそこに留まった。 そこで、 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁(古事記)夜句茂多菟 伊弩毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓都倶盧 贈廼夜覇餓岐廻(日本書紀やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを(読みふりがな八雲立つ 出雲八重垣 妻籠八重垣作る その八重垣を と詠んだ記紀最初の歌であることから、我が国最初和歌ともされるまた、ここから八雲」は出雲象徴する言葉ともなった。「八雲立つ」は出雲掛かる枕詞である。 クシナダヒメとの間に八島士奴美神産まれその子孫大国主神解釈されてきた(『日本書紀』では大已貴命おおあなむちのみこと)で『古事記』では大国主神彼の6代の子孫としている)。 また、神大市比売を娶って大年神宇迦之御魂神産んでいる。 『日本書紀』における八岐大蛇記述がある一書第4では、天から追放されスサノオは、新羅曽尸茂梨そしもり)に降り、この地吾居ること欲さず「乃興言曰 此地吾不欲居」と言い息子五十猛神(いそたける)と共に土船で東に渡り出雲国斐伊川上の上の峰へ到った(「遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所上之峯」)後、八岐大蛇退治した。 また続く一書第5では、木がないと子が困るだろうと言い体毛抜いて木に変え種類ごとに用途定め息子五十猛命 、娘の大屋津姫命(おおやつひめ)、枛津姫命(つまつひめ) に命じて全国植えさせたという。 大国主の神話において根の国スサノオ元にやってきた葦原色許男神あしはらしこを、後の大国主命)は、スサノオの娘である須世理比売(すせりひめ)と互いに一目惚れするが、スサノオ葦原色許男神様々な試練与える。葦原色許男神は須世理比売の助けを得ながらそれらを克服したので、スサノオ葦原色許男神に、須世理比売を妻とすることを認め生大刀、生弓矢、天詔琴を譲り大国主という名を贈った

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神話での記述

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ウガヤフキアエズ」の記事における「神話での記述」の解説

『日本書紀』によれば鸕鶿草葺不合尊誕生した産屋全て鸕鶿(う)の羽を(かや)としてふいたが、屋根頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうかやふきあえず)」と名付けたという。 事績『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である(後述)。

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神話での記述

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ホオリ」の記事における「神話での記述」の解説

詳細は「海幸山幸」を参照史料は、特記のない限り『日本書紀』本文拠る彦火火出見尊天津彦彦火瓊瓊杵尊第二子である。別名は火折尊。母は大山祇神の娘の木花開耶姫火中出産時に「熱を避りて居たるときに生り出ずる児」であるという。『日本書紀』拠れば兄に火闌降命、弟に火明命がいる。ただし火明命一書では兄とも伯父ともされ『古事記』には登場しない。 兄の火闌降命と弟の彦火火出見尊生まれながら各々釣針弓矢という「幸」を持っていた。そこで火闌降命海幸彦彦火火出見尊山幸彦呼ばれるようになった『古事記』での海幸彦火照命という神であり、火闌降命何の事績もない系譜だけの神となっている)。 あるとき海幸彦と山幸彦試しに「幸」を交換してみたが、どちらもうまくいかなかった。そこで「幸」をお互いに返すことにしたが弟は兄の釣針無くしてしまっていた。激怒した兄は弟がいくら代わり釣針作っても許さなかった。 困った山幸彦塩土老翁出会い海神の宮に送ってもらった。宮はとても立派なのだった。門の前の井戸のそばにあった湯津ゆつかつら)のの下でさまよっていると一人美人(おとめ)が扉を開けて出て来た。海神の娘の豊玉姫である。豊玉姫はただちに父母相談して山幸彦招き入れ海に来た理由尋ねた海神大小集めて問いただすと赤女()がこのごろ口の中が痛いと言っているので、その口を探す失った釣針見つかった。しかし海神釣針をすぐには山幸彦渡さず豊玉姫を娶らせて海に留めた。 山幸彦が海の宮に住んで三年経った。そこは安らか楽しかった故郷懐かしく、たまにひどくため息をつくことがあった。豊玉姫はそれを聞いて父に「もうかわいそうなので返してあげましょう」と語った海神山幸彦釣針渡して身を守るための呪文と玉を授けた帰る時になって豊玉姫自分妊娠していることを告げ産屋建てて待っているように言った山幸彦地上本宮(もとのみや)に帰り海神教え通り海幸彦征した海幸彦は吾田君の小橋などの隼人の祖とされる豊玉姫は妹の玉依姫連れて約束通り陸にやってきた。産屋こもった豊玉姫絶対に中を覗かないよう言った。しかし我慢できない山幸彦がこっそり覗くと豊玉姫は龍に姿を変えていた(『古事記』では八尋和邇)。姫はのぞき見られたことを恥じて海に去った。遺された子の名を彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことと言う久しくして山幸彦こと彦火火出見尊は崩じ、日向高屋山上陵葬られた。『古事記』では高千穂宮580年居住し高千穂山の西に葬られたとする『日本書紀』一書によれば豊玉姫鸕鶿草葺不合尊を養うために自らの妹の玉依姫派遣したという。『先代旧事本紀によれば火折尊玉依姫の間には武位起命がうまれたというが、記紀にはこの記載はなく、武位起命を玉依姫の甥とする系図もある。なお、玉依姫はのちに自らの甥にあたる鸕鶿草葺不合尊の妃となり、神武天皇初代天皇)などを産んでいる(後述)。

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神話での記述

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鳥之石楠船神」の記事における「神話での記述」の解説

神産みの段でイザナギイザナミの間に産まれた神である。『古事記』葦原中国平定の段では、天鳥船神建御雷神副使として葦原中国派遣され事代主神意見をきくために使者として遣わされた。しかし『日本書紀』の同段では天鳥船神登場せず、事代主神派遣されたのも稲背脛という別のになっている。稲背脛は「熊野諸手船、またの名を天[合+]船」という船に乗っていったというが、『古事記』では天鳥船神使者となっている。また熊野諸手船美保神社諸手船神事の元である。 これとは別に『日本書紀』神産みの段本文で、イザナギ・イザナミが産んだ児を天磐櫲樟船(あめのいわくすふね。一書では櫲樟船(とりのいわくすふね))に乗せて流したとの記述があるが、『古事記』では蛭子乗って行ったのは鳥之石楠船神ではなく葦船あしぶね)である。

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神話での記述

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アメノオシホミミ」の記事における「神話での記述」の解説

詳細は「アマテラスとスサノオの誓約」および「葦原中国平定」を参照史料は、特記のない限り『日本書紀』本文拠る天忍穗耳尊素戔嗚尊が天で自身の清い心を示すために生んだ皇子長男である。『日本書紀』神代紀第六段によると素戔嗚尊は姉の天照大神の前で「自分の心が清らかならば男神生まれそうでなければ女神生まれる」と誓約(うけい)を行ったという。そして姉から借り受けた勾玉カリカリ噛んで掃き出し皇子生んだ誓約勝った素戔嗚尊勝ち名乗りが「正哉吾勝」「勝速日」と考えられ最初に生まれた天忍穗耳尊の名前の一部となっている。天照大神同時に素戔嗚尊から剣を受け取って女神生んでおり、これが宗像三神である。誓約終わったあと天照大神素戔嗚尊は剣と勾玉返すという形でお互いに生んだ子を取り替えた。そのため天忍穗耳尊たちは勾玉持ち主である天照大神の子とされている。『日本書紀』一書『古事記』先代旧事本紀』などでは剣と勾玉交換有無、神を生む所作、神が生まれた順番などで細かな違いがある。一貫しているのは素戔嗚尊天忍穗耳尊男神を生み、天照大神ひきとって自分の子にしたということである。 天忍穗耳尊高皇産霊神の娘である栲幡千千姫命との間に瓊瓊杵尊もうけた高皇産霊尊がこの孫を葦原中国の主にしようと画策するのが『日本書紀』神代紀第九段の内容である。以降天忍穗耳尊事績無く系譜上のみの神となっている。第一一書『古事記』だと葦原中国平定天照大神天忍穗耳尊降臨させるために行われ実際に天忍穗耳尊が天降ろうとする場面がある。しかし下界物騒だとして途中で引き返してしまう。使者神達によって大国主神から国譲りがされると再び天忍穗耳尊降臨の命が下る。天忍穗耳尊その間生まれた息子瓊瓊杵尊行かせるようにと進言し、瓊瓊杵尊天降ることになる(天孫降臨)。

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神話での記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 02:53 UTC 版)

アメノウズメ」の記事における「神話での記述」の解説

『日本書紀』一書では、アマテラスとスサノオの誓約の前、スサノオ高天原に昇ってくるのをアメノウズメが見つけ、日神アマテラス)に報告した岩戸隠れ天照大御神天岩戸隠れて世界暗闇になったとき、神々大い困り天の河の川原に集まって会議をした。思金神発案により、岩戸の前で様々な儀式行った『古事記』では次のように記述されている。「伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」つまり、アメノウズメうつぶせにした(うけ 特殊なの上乗り、背をそり胸乳あらわにし、裳の紐を女陰まで押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草巻いた矛、『古事記』では笹葉振り)、力強くエロティック動作踊って八百万の神々大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメ言って天手力男神引き出して貰って、再び世界に光が戻った『日本書紀』似た記述であるが、胸乳記述無く女陰については「火処(ほところ焼き」と記され神々反応記されていない天孫降臨の際、邇邇芸命(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神(=猿田毘古が行く手を阻んだアメノウズメ天照大御神高木神に、「手弱女だが顔を合わせて気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われた。この時のアメノウズメ『日本書紀』では次のように記述されている。「その胸乳あらわにかきいでて、裳帯(もひも)を臍(ほそ=ヘソ)の下におしたれて、あざわらひて向きて立つ。」つまり、乳房あらわにし、裳の紐を臍の下まで押したれて、あざわらいながら猿田毘古に)向かって言ったとある。その後、名を問い質すと、その神は国津神猿田毘古神名乗り道案内をするために迎えに来たと言ったアメノウズメ天児屋命(あめのこやね)、布刀玉命(ふとだま)、玉祖命たまのおや)、伊斯許理度売命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一柱としてニニギ随伴して天降りした。アメノウズメ猿田毘古神の名を明かしたことからその名を負って仕えることになり、猿女君祖神となった一説には猿田毘古神の妻となったとされるアメノウズメ猿田毘古神送って日向国(または志摩国)に帰った後、大小集めて天孫邇邇芸命)に仕えかどうか尋ねた。みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、アメノウズメはその口を小刀裂いてしまった。それでナマコの口は裂けている。アメノウズメ功績により、代々天皇志摩国から新鮮な海産物献上される時は、猿女君与える。

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神話での記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 09:45 UTC 版)

オオヤマツミ」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』では、神産みにおいて伊邪那岐命伊邪那美命との間に生まれたその後と野の神である鹿野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。 天之狭土神・国之狭土神 天之狭霧神・国狭霧神 天之闇戸神・国之闇戸神 大戸子神大戸女神 『日本書紀』では、イザナギ軻遇突智を斬った際に生まれたとしている。 天之狭霧神の娘の遠津待根神は、大国主神8世孫の天日腹大科度美神との間に遠津山岬多良斯神産んでいる。 オオヤマツミ自身について記述はあまりなく、オオヤマツミの子名乗る神が何度登場する八俣遠呂智退治において、須佐之男命(すさのを)の妻となる櫛名田比売くしなだひめ)の父母足名椎手名椎(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子名乗っている。 その後スサノオ系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神宇迦之御魂神うかのみたま)をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子八島士奴美神やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流比売このはなちるひめ)と結婚し布波能母遅久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主神である。と 天孫降臨の後、邇邇芸命オオヤマツミの娘である木花之佐久夜毘売出逢いオオヤマツミコノハナノサクヤビメとその姉の石長比売差し出したニニギ容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメ添えたのは、天孫が岩のように永遠いられるようにと誓約立てたからで、イワナガヒメ送り返したことで天孫寿命短くなるだろう」と告げた

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神話での記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 13:52 UTC 版)

トヨウケビメ」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』では伊邪那美命いざなみ)から生まれた和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物穀物司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神うけもち)などと同様に稲荷神宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し同一視されるようになった伊勢神宮外宮社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇夢枕天照大神現れ、「自分一人では食事安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近く呼び寄せなさい」と言われたので、外宮祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。 『丹後国風土記逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人老夫婦羽衣隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され漂泊した末に奈具至りそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。 尚、『摂津国風土記逸文に、 止与宇可乃売神は、一時的に摂津国稲倉山(所在不明)に居たことがあったと記されている。また、豊受大神荒魂あらみたま)を祀る宮を多賀宮高宮)という(外宮境内社)。

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神話での記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 04:50 UTC 版)

伊豆能売」の記事における「神話での記述」の解説

『古事記』にのみ登場し『日本書紀』には登場しない『古事記』でも出自事跡についての記述一切ない。神話中では「伊豆能売」とだけ書かれていて、「神」「命」などの神号つけられていない

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神話での記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 01:59 UTC 版)

国狭槌尊」の記事における「神話での記述」の解説

『日本書紀』本文では、天地開闢の後国常立尊国狭槌尊登場し次に豊斟渟尊化生したとしており、これらの三の神は男神であると記している。 第一第二第四一書では、国常立尊次に国狭槌尊登場し、他の一書には同一とみられる神名登場しない『日本書紀』にこれ以降国狭槌尊神話登場することはない。

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