後三条朝とは? わかりやすく解説

後三条朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:06 UTC 版)

大江匡房」の記事における「後三条朝」の解説

治暦4年1068年4月尊仁親王即位後三条天皇)すると五位蔵人に補せられる当初官職もなく蔵人のみを帯びていたため、蔵人式部大夫呼ばれていたが、7月欠官生じたため中務大輔に任ぜられるとともに学士の労により正五位下昇叙された。翌延久元年1069年左衛門権佐検非違使佐)・右少弁兼ね三事兼帯栄誉得たまた、東宮貞仁親王東宮学士務める。後三条朝では、天皇進めた新政延久の善政)の推進にあたって、匡房は藤原実政藤原正家とともにブレーン役の近臣として重要な役割果たしている。中でも匡房は朝から晩まで始終天皇近侍していたという。

※この「後三条朝」の解説は、「大江匡房」の解説の一部です。
「後三条朝」を含む「大江匡房」の記事については、「大江匡房」の概要を参照ください。

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