健田須賀神社とは? わかりやすく解説

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健田須賀神社

読み方:タケダスガジンジャ(takedasugajinja)

教団 神社本庁

所在 茨城県結城市

祭神 健田大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

健田須賀神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 16:20 UTC 版)

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健田須賀神社
所在地 茨城県結城市結城195
位置 北緯36度18分08秒 東経139度52分29秒 / 北緯36.30222度 東経139.87472度 / 36.30222; 139.87472 (健田須賀神社)座標: 北緯36度18分08秒 東経139度52分29秒 / 北緯36.30222度 東経139.87472度 / 36.30222; 139.87472 (健田須賀神社)
主祭神 武渟川別命
須佐之男命(津島牛頭天王
社格 式内社(小)
県社
創建 不詳(旧健田神社)
仁治3年(1242年)(旧須賀神社)
本殿の様式 神明造
別名 天王社
例祭 11月15日
地図
健田須賀神社
健田須賀神社所在地
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健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)は、茨城県結城市にある神社である。旧社格県社。明治時代に健田神社須賀神社を合祀したもので、このうち健田神社は式内社である。

武渟川別命(旧健田神社祭神)と須佐之男命(旧須賀神社祭神)を祀る。

歴史

健田神社は、創建の由緒は不詳であるが、結城国造の竹田臣が祖神の武渟川別命を祀ったものと伝えられる。武渟川別命は四道将軍の一人として東国を平定・開拓した人物である。延喜式神名帳に「下総国結城郡 健田神社」として下総国11社のうちの1社として記載され、小社に列している。宝暦14年(1764年)、結城本郷小塙村にある結城家の菩提所である見龍山覺心院乘國寺(曹洞宗)の境内に遷座した。

須賀神社は、当地に封じられた結城氏が、仁治3年(1242年)6月に尾張国津島神社より勧請を受けて「天王社」として創建したものである。康永2年(1343年)、結城直朝結城七社を定め、当社を結城郷の総社とした。明治元年、神仏分離令により天王社から須賀神社に改称した。

明治3年、健田神社は乗国寺から別れ、須賀神社に合祀されて健田須賀神社と称した。明治6年に郷社に列格し、昭和5年に県社に昇格した。

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