ヨーロッパ活動年譜とは? わかりやすく解説

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ヨーロッパ活動年譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 14:56 UTC 版)

竹本忠雄」の記事における「ヨーロッパ活動年譜」の解説

第一回滞仏期 (1963-1974) 1963年31歳)、仏政府給費留学試験仏文学コース仏語作文一位入学。春、渡欧鈴木大拙による出光美術館コレクション禅画欧州巡回展カタログ仏訳。その展覧会随行として、ロンドン展、ハーグ展を回る。全欧州の美術館巡りをする。 1964年32歳)11月ソルボンヌ大学美学主任教授ジャン・グルニエ の指導のもと「サクレとネアン」(聖なるものと無)の論文後年、この論文は、『反世界への超降/ 聖なるものと無』(美術公論社、1978年)として出版1965年33歳)、パリ中心に文芸美術批評講演活動開始イタリアトリノ美術誌『D'ars』、4月号に「禅」を、同10月号に「東洋現代絵画引き裂かれ空間」を発表1966年34歳)、三島由紀夫との交流がはじまる。ここから三島交流のあった詩人高橋睦郎横尾忠則澁澤龍彦金子国義中村哲郎等が、日本から来訪し親交を持つ。 1967年35歳1月ル・アーブル文化会館で「雨月物語日本幻想世界講演10月19日銅版画長谷川潔訪ね一代記書き取りはじめ、2年後長谷川潔回想録』を完成11月外務省委嘱により、ソ連体制下のルーマニア派遣ブカレスト国立美術館開催中の「日本現代版画展コミッショナーとして人民大学で「国際スタイルのかなた/日本現代版画展寄す」を講演ルイ・アラゴン選、ジョアン・ミロ等の7人の画家と7人の詩人の本『Paroles Peintes』に、詩「Le Tireur à l'arc ou le Commencement de l'Amour 」が選ばれる。後に詩集Concerto』(思潮社1994)に採録1968年36歳2月パリ人間認識協会で禅文化をめぐり連続講演7月パリ大学都市で「現代日本建築における想像的空間講演ルーマニア美術誌『アルタプラスティカ』に評論インターナショナルスタイルのかなた/日本現代版画は何に答えようとするのか」を発表フランス文芸新聞レットルフランセーズ』に評論現代日本美術伝統」を発表エディションエルヌ社 (Herne)「ド・ゴール特集」において、「一剣を磨く/フランス日本」を発表1969年37歳)、ジャン・グルニエの薦めで、エディションエルメス社(Hermès)でエッセイ空無芸術」を発表4月イタリアミラノコルティナ画廊で「日本の美術建築における連続断絶講演6月日本大使館委嘱により、ミュルーズ主催日本美術コミッショナー及び開幕記念講演日本的霊性とその展開」。日本大使館文化技術顧問として初め民間から起用される。ユネスコ委嘱により、南仏エクス・アン・プロヴァンスアンドレ・マッソン会見し、「アンドレ・マッソンとの対話」を執筆11月、ヴェリエールにてアンドレ・マルロー初めての対話1970年38歳3月、フラテルニテ・モンディアル(Fraternité mondiale)協会主催講演象徴神話日本文化の展開」が評価され文芸誌『ヌーベル・リテレール』にて講演家として認められる7月フランス語圏国際誌『フランコフォーニー』(la Francophonie) に、評論アンドレ・マルロー日本」を掲載。後にマルロー研究誌『マルロー・メランジュ』(1972) に採録10月、ついに面識なく終わった三島由紀夫から献辞つきの小説豊穣の海』が送られてくる。その当時三島への想いを『パリ憂国忌』(日本教文社)に記す。12月7−13日フィガロ (新聞)』(Le Figaro)の三島由紀夫追悼特集に「ある歌舞伎ヒーローパラドックス」(Le paradoxe d'un acteur d'un Kabuki掲載澁澤龍彦賞賛される。 1971年39歳3月、『ル・モンド』(Le Monde)に、評論解放笑い寒山からジョルジュ・バタイユまで」(Le rire libérateur de HanShan à Georges Bataille)の掲載により、同新聞社から依頼を受け、「我は他者なりや/川端康成安部公房大江健三郎日本小説家作品」(4月19日)、「自らの起源を索める民族日本」(1973年5月13/14日)を寄稿し、在パリ文芸評論家として定評を得る。5月5日恩師ジャン・グルニエの葬儀5月ブルージュ武術協会において「肚について」を講演6月22日ベルリン経て来訪した黛敏郎とともにパリ憂国忌」 を主催するエール・フランス機内誌アトラス10月号に「神道/鏡の霊性」(Le shintô/ La spirutialité d'un miroir掲載しフランス伊勢神宮写真西行などを紹介する10月1日昭和天皇の御来仏前夜、フランスラジオのインタビュー天皇マッカーサー会見秘話を語る。10月2日昭和天皇皇后日本大使館公邸にて、在留邦人二百人余とともに迎える。 1972年40歳5月3日マルローとの第二対話その内容独占会見を『週刊産経』に掲載1973年41歳12月ド・ゴール研究機関誌『ラペル』(ラペル)に、マルロー日本における死/竹本忠雄との対話」が掲載され、後の『マルロー全集6巻プレイアード叢書André Marlaux『André Malraux Œuvres complètes, VI Essais』, edition/la Pléiade, 2010) に収録1974年42歳3月22日マルローとの第三対話4月フランス最高の文芸批評誌『NRF』に評論ミシマバタイユ」(Michima pour ou contre Bataille)を発表11年間のパリ生活を収めて帰国する帰国期 (1974-2001) 1974年42歳5月15日最後訪日中のマルローによる明仁皇太子美智子妃への進講東宮御所実現され、2時間その通訳務める。5月27日出光美術館において、出光佐三を、マルロー紹介5月27日那智滝マルロー感応する光景を見る。翌々日伊勢神宮同行しマルロー忘我を見る。このマルロー訪日の3週間同行中、誓ってこの出来事伝えよう決意する6月1日ホテルオークラマルローとの第四対話パリ再訪し、第五対話1975年43歳)4月13日マルローとの第六対話11月24日マルローとの第七対話1976年44歳)4−5月、ユネスコ創設30周年記念パリ日本祭』の企画委嘱され日本アジアユネスコ事務局長として、アイヌユーカラ」劇、「日本空想美術館展」、パノラマ展「南蛮渡来から原爆まで」を企画しパリユネスコ本部公開する。特にヨーロッパ初の原爆展は、大反響であった浦上天主堂の「被爆した天使像」のイサム・ノグチ庭園美術館での永久保存開幕式にて、日本発のメッセージ世界伝えたマルロー書き下ろしエッセイ『ネオクリティック』に協力寄稿マルロー夫人監修の『マルロー存在言葉』に「マルロー日本/滝の下での出遭い」を寄稿マルロー曰くの、協力の書であった5月2日マルローとの第八最後対話11月23日マルロー没。フランス国営ラジオフランス・キュルチュール (France culture) の「マルローへの畏敬放送で、追悼述べる。 1978年46歳5月ジャン=マリー・ドロー (Jean-Marie Drot) 監督映画マルローとの空想旅日記日本篇』(Journal de voyage avec André Malraux à la recherche des arts du monde entier, série documentaire 13 épisodes) ロケ協力出演11月完成映画朝日講堂にて『アデュー・マルローの夕べ』にて上映フランスにおいてもロングラン記録ドロー監督の同シリーズ13本は「世界美術映画祭グランプリ」を受ける。マルロー没後2年記念し出光佐三提案し出光美術館においてフランス政府全面協力のもと大規模なアンドレ・マルロー永遠日本』展を実現する1982年50歳)、フランス国営ラジオフランス・キュルチュール (France culture) からの委嘱で、『秘境日本尋ねて』(à la recherche de Japon secret)を構想し、三週間にかけてフランス・キュルチュールオリヴィエ・ジェルマントマ (Olivier Germain-Thomas) の取材班を、飛騨高山から出雲経て高野山まで案内する。『豊穣の海』の大神神社から『黒蜥蜴』の舞台中継までの三島由紀夫コースも含む制作は、フランスで大当たりになり、何度も再放送されている。エディションエルヌ社 (Herne) に「我ら対話彼岸まで」(Notre dialogue continue à travers l'aude-là)を寄稿1984年52歳11月筑波大学において、フランス・キュルチュール (France culture) との共催国際シンポジユム『科学・技術精神世界』を稲盛和夫全面協力のもと、事務局長務め実現した。会討議内用は、フランス側では『認識への道』(Les voies de la conscience)と題して20時間放送されるも、日本では特別放送皆無であった。この会議内容は、日本語版『科学・技術精神世界』全五巻(1986-1987、青文社) として、フランス語版認識への道』(Les voies de la conscience)(エディション/アルバン・ミッシェル社)として出版1986年54歳)、マルロー周忌ローマヴィラ・メディチ家で開催された『マルロー詩人予言者芸術のメタフィジシィァン?』会議画家バルチュスルーブル美術館館ジャン・レマリー等と招かれ参加ヴィラ・メディチ発行アルバム論考掲載11月、パリド・ゴール研究所主催ド・ゴールマルロー 二重肖像会議招かれ、「文武両道理想日本におけるド・ゴールマルロー」(L'idéal de la double voie des arts littéraires et militaires)を発表。『ド・ゴールマルロー 二重肖像』(エデッション/ブロン社)に、論考収録1987年55歳4月モーリス・ベジャールMaurice Béjart)の新作バレエマルロー神々変貌』 が、テアトル・ド・パリ(Théâtre de Paris)で公演されプログラムマルロー日本における死/竹本忠雄との対話」が掲載1988年56歳11月、ベジャールの新作バレエマルロー神々変貌日本公演11月コレージュ・ド・フランス招待され、『アンドレ・マルロー那智の滝』(André Malraux et la cascade de Nachi)を5回連続講演して大反響を得る。パリ、ジェルヤール社より講義録アンドレ・マルロー那智の滝』(André Malraux et la cascade de Nachi) が出版されるフランスレジスタンス戦士在日記者界のアルフレッド・ズムラーに依頼し、『反日宣伝』(L'intoxication anti-japonaise)(長塚隆二他訳)と『アウシュビッツ186416号日本死す』(竹本吉田共訳書き下ろしてもらう。前者は、1992年スイスのラージュ・ドム社で出版される1990年58歳)10月リスボン開かれたヨーロッパ文化センター主催ヨーロッパ世界文化対話』に招待されマリオ・ソアレス大統領等の前で日本文化世界的使命講演講演録は、英、仏、葡語ジュネーブEUROPE MODE誌に10月掲載和訳『りんブックス3 日本の元型』(新星書房)。恩師ジャン・グルニエを偲びエッセイ「月おちて天を離れず」(La lune à sonclin ne quitte pas le ciel)を、ジャック・アンドレ主幹『ジャン・グルニエ手帳』(エデッション/フォル・アヴォワーヌ社)に寄せる。その和文は『新潮2003年3月掲載1996年64歳11月23日マルロー二十周忌フランス政府主催「マルローパンテオン奉祀祭」にジャック・シラク大統領招待され参列1997年65歳)、仏語原文マルローとの対話』(André Malraux : entretiens avec Tadao Takemoto)を、エデッション/オ・シーニュ・ド・ラ・リコンヌ (Au signe de la Licone) 社より刊行2000年68歳9月東京倫理研究所開催された『ユダヤ教文化神道文化対話』(L−H陽光出版)に参加、「天八繁より降った根源的神聖」(Tha Hand of Yahue and the August Sprit of God Itsu-no-chi-The Holy through the Multilayered Clouds of Heaven)を発表12月日英バイリンガル再審南京大虐殺世界訴え日本冤罪』(The alleged Nanking Massacre-japan's rebuttal to Chinas's forged claims)(明成社)より刊行第二回滞仏期 (2001-2007) 2001年69歳9月アメリカ同時多発テロ事件直後パリ小旅行事件便乗したフランス新聞「イスラム・カミカゼは日本特攻よりまし」という記事をみて、極度歪曲反日主義表明驚き新たなる日本真実紹介が必要と痛感する。アルベールパルマ著『芸道サムライからマーシャル・アーチストへ』(エデッション/アルバン・ミッシェル社)に序文騎士道精神いま」(Actualité de l'esprit chevaleresque)を寄せる。 2002年70歳9月19日皇后美智子和歌紹介のため、渡仏パリ翻訳着手する11月30日アレクサンドル・デュマ パンテオン奉祀祭」にシラク大統領より招かれ参列その夜体験から/小説モンテ・クリストの夜」執筆。後、2003年3月新潮』に掲載2004年72歳)、エッセイ「モ・デタクセ」(Mots détaxés)を『ヨーロッパ』誌1-2月号「ジャン・グルニエ特集」に寄稿2005年73歳4月8日、『ル・モンド』(Le Monde)の「南京大虐殺特集記事抗議するも、黙殺6月17日保守系電波の「ラジオ・クールトワジー」(Radio Courtoisie) のジャン=ジル・マリアラキス (Jean-Gilles Malliarakis) より招待され、「反日宣伝やめさせるために」と銘うった90分間生放送出演。後、日本政策研究センターより、同題小冊子隔月刊ムック『NRH』に「新歴史論」(11月号)、ドミニック・ヴェルネールによる「竹本忠雄との対話三島ニヒリズムへの応答」(12月号)掲載2006年73歳5月皇后和歌五十三首を仏訳した歌集セオトせせらぎの歌』(séoto Le chant du gué)をエディション/シグナトゥラ社 (Signatura) より刊行平林博大使公邸出版記念会。シラク大統領をはじめ、大きな感銘呼びアフリカまでひろがる。 2007年74歳2月、『フィガロ (新聞)』(Le Figaro) に「武士道戦い」をコメントするヨーロッパの「歴史に自由を」運動調査し、『日本息吹』4−5月号に報ずるフランス通信より、『日本の文化宣言』(La déclaration des hommes culture japonaise)を77署名全仏メディア2000社に発信テキスト全文が、テレビ局アルテブログ常時掲載され参照件数1万件以上(2012年)の新記録更新中。11月8日ジュネーブ大学(Université de Genève)と日本大使館友の会で「武士道日本的霊性武術場合」を講演12月31日5年3か月2回目パリ長期滞在終えて帰国最終帰国後2008−) 2008年76歳)5月、『セオトせせらぎの歌』(séoto Le chant du gué)にフランスで出版反響など後記祈りポエジー」を加え日本で『皇后美智子さま 祈り御歌』(扶養社)を刊行6月6–7日秋田国際教養大学で、『マルロー・コロキアム』開催記念講演マルロー日本的霊性」(André Malaux et la spiritualité japonais)を行う。 2014年81歳)3月伊勢神宮遷宮年にあわせ、マルローの提唱ルーツルーツ対話に基づき笹川日仏財団特別協力により伊勢皇學館大学において『日仏シンポジュウムルーツルーツ対話』をおこなう。日仏同時出版大和心鏡像日本西洋2つの空が溶け合うとき』(勉誠出版)L'âme japonaise en miroir(Médicis Entrelacs)。

※この「ヨーロッパ活動年譜」の解説は、「竹本忠雄」の解説の一部です。
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