ヨーロッパ概念の嚆矢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 21:32 UTC 版)
歴史家ヘロドトスは『世界』にて、ヨーロッパが単に「西」の地を指すのみならず、アジアと異なる世界である事を記述した。彼は第7章にて、ペルシア戦争時のクセルクセス1世と亡命スパルタ人デマラトスとの会話を記しているが、ここでクセルクセス1世は統率者不在で自由放任にあるギリシア人がペルシアの大軍に反抗するとは思えないと語る。それに対しデマラトスは、ギリシアの自由民は自ら定めた法に忠実であり、降伏勧告を受諾する事はないであろうと返す。ヘロドトスは、神聖的絶対君主に「隷属」するアジアと、国民たちによる規律ある「自由」のヨーロッパを対比させている。しかし厳密にはヨーロッパではなくギリシャを対比させている。ヨーロッパは比較的自由だがギリシャは自由だ、としている後代のアリストテレスと共に、ヨーロッパと自己を区別したギリシャの自意識がここにある。 このような対比はアイスキュロスの『ペルシア人』にもあり、ペルシア人の合唱隊がクセルクセス1世の母アトッサを神の妃であり母と讃えるのに対し、決戦に向かうギリシア人が「祖国に自由を」と叫ぶ姿を描写した。古代ギリシアでは、このように隷属を特徴とするアジアとは異なる社会形態を持つ地として、自らの社会を区分する概念を持っていた。 以下は 「ヨーロッパ史」を参照
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