鳥人間コンテスト選手権大会
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各大会の優勝者・記録
各部門の太字になっている記録は現在の大会記録。
滑空機部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
操縦者 | 所属団体 | ||||
第 | 1回1977年7月 2日 | 82.44m | 岡良樹 | 東京ハングライダークラブ | 優勝機設計は本庄季郎 (一式陸上攻撃機設計者) |
第 | 2回1978年7月21日 | 79.78m | 大平英二 | ニューウィングス | |
第 | 3回1979年7月20日 | 88.53m | 島根俊夫 | 日本自作航空機連盟 | |
第 | 4回1980年7月19日 | 101.60m | 鈴木正人 | 日大駿河台航空研究会 | 大会初の100m越え。鈴木は、後に数々の出場機(大会優勝機やトンボ(昆虫)を模した複葉滑空機を含む)の設計を手がける。また、初の湖岸着陸(墜落ではない)による失格者でもある。 |
第 | 5回1981年8月 8日 | 95.83m | 菊池守男 | 車山ハンググライディング | |
第 | 6回1982年8月 7日 | 144.00m | 村山智彦 | 日本大学理工学部航空研究会 | |
第 | 7回1983年8月 6日 | 162.62m | 岡崎利彦 | 日本フライングクラブ | 大会発足当初の出場機は、ハンググライダーに類似した開放構造の機体のみだった。しかし、時代の流れとともに機体構造に対する設計思想の変遷がみられ、この大会時には、優勝機および上位入賞機は、空気抵抗の削減を目的としたキャノピーの採用が標準となっていた。 |
第 | 8回1984年8月 4日 | 163.03m | 楠正彰 | (個人での出場) | 第1回大会から連続出場で初優勝。楠は、少なくとも第11回大会まで連続出場を果たし、第6回大会以降は上位常連であったが、後に事故のため他界。第13回大会において、この第8回大会の優勝機を復元し、第4回大会優勝者の鈴木正人が追悼フライトを行った。 |
第 | 9回1985年8月 3日 | 214.51.m | 木島明良 | 茂原市フリーフライト | 滑空機初の200m越え。第9回大会は人力プロペラ機が290m台を記録し第1位となったため、当該フライトは大会記録上では第2位。翌年以降、滑空機部門と人力プロペラ機部門の部門別開催となる端緒となった。 |
第10回 | 1986年8月 2日 | 158.38m | 柴野敏彦 | POINT ONE MILE | |
第11回 | 1987年8月 1日 | 176.71m | 木島明良 | 茂原市フリーフライト | |
第12回 | 1988年7月30日 | 261.90m | 糸谷浩 | 西富士友の会 | 無尾翼機による優勝。無尾翼機は設計、操縦とも困難な課題を抱えているが、糸谷は初出場となる第3回大会以降、無尾翼機による挑戦にこだわり続けていた。 |
第13回 | 1989年7月29日 | 225.90m | 宮崎祥代 | チームアクティブギャルズ | 部門優勝はTOA鳥人間の会・佐々木正司の205.10mであるが、本大会における滑空機最高は、レディース部門エントリーの当記録。2020年現在、大会史上、唯一の女性総合優勝であり、かつ優勝操縦者が十代(第6回大会の村山以来)という偉業を達成 |
第14回 | (1990年8月 | 4日)記録なし | 台風に伴う強風のため中止 | ||
第15回 | 1991年8月 3日 | 318.75m | 木島明良 | フリーフライト | 滑空機初の300m越え。木島は、キャノピーの前面投影面積を可能な限り削減し、空気抵抗を更に削減するスタイルの草分け的存在のひとりである。 |
第16回 | 1992年8月 1日 | 232.08m | 中村克 | チームエアロセプシー | |
第17回 | 1993年7月31日 | 248.31m | 栗野けんじ[注 13] | 東京都立大学人力飛行機研究会 | |
第18回 | 1994年7月30日 | 274.72m | 佐々木正司 | TOA鳥人間の会 | 佐々木は、地面効果を極限まで追求する低翼配置、胴体と主翼が一体化した強靭なモノコック構造、操縦桿を機体下面から突き出す形で延長し、水面を感知することで昇降舵を操作する等、独特のアイデアを満載した機体で出場を続け、後に大会審判長を長年務めた。 |
第19回 | 1995年7月29日 | 329.83m | 佐々木正司 | TOA鳥人間の会 | |
第20回 | 1996年7月27日 | 300.36m | 佐々木正司 | TOA鳥人間の会 | |
第21回 | (1997年7月26日) | 中止 | 台風9号による荒天のため中止 | ||
第22回 | 1998年7月31日 - 8月 1日 | 364.08m | 福森啓太 | チームハマハマ | |
第23回 | 1999年7月30日 - 31日 | 345.92m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | 大木は、後に滑空機部門5連覇1回、3連覇2回を果たすなど、数々の好記録を達成 |
第24回 | 2000年7月28日 - 29日 | 256.53m | 雨宮健一 | 夜鳥の会 | |
第25回 | 2001年7月27日 - 28日 | 417.49m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | 滑空機初の400m越え |
第26回 | 2002年7月27日 - 28日 | 414.33m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第27回 | 2003年7月26日 - 27日 | 420.48m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第28回 | 2004年7月31日 | 173.26m | 阿知波哲史 | チームTINKER | |
第29回 | 2005年7月16日 | 370.80m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第30回 | 2006年7月22日 | 258.21m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第31回 | 2007年7月28日 | 483.47m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第32回 | 2008年7月26日 | 377.98m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第33回 | 2010年7月25日 | 421.11m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ | |
第34回 | 2011年7月30日 | 314.41m | 河原井悠 | 上智大学 Flying Turkeys | |
第35回 | 2012年7月28日 | 501.38m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学 | 滑空機初の500m越え |
第36回 | 2013年7月27日 | 460.07m | 大木祥資 | みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学 | |
第37回 | 2014年7月26日 | 407.03m | 大木祥資 | みたかもばら下横田 | |
第38回 | 2015年7月25日 | 373.75m | 石丸隆宏 | 九州大学鳥人間チーム[注 14] | |
第39回 | 2016年7月30日 | 443.80m | 大木祥資 | みたかもばら下横田 | 機体はメタルキット化された。 |
第40回 | 2017年7月29日 | 440.37m | 佐藤光 | 日本大学生産工学部津田沼航空研究会 | 学生チームの最長飛行記録で初優勝 |
第41回 | 2018年7月28日 | 446.42m | 熊倉賢人 | 日本大学生産工学部津田沼航空研究会 | 前年に達成した学生チームの最長飛行記録を更新[注 15] |
第42回 | 2019年7月27日 - 28日 | 327.72m | 内田啓介 | Umeda Lab.(大阪工業大学OBチーム) | 台風6号直撃による天候不良の影響で1日目は競技途中で中止。残りのフライトは2日目に延期された。 |
第43回 | 2021年7月31日 | 451.12m | 中島桜 | 東京都立大学MaPPL | 女性パイロットとしては初めての優勝で、チーム記録・学生記録・女性パイロット記録[注 16]を更新。参加した12チームのうち、4チームで女性がパイロットを務めた。 |
第44回 | 2022年7月23日 - 24日 | 533.58m | 清水 総一郎 | チームあざみ野 | 大木が10年間保持してきた大会記録を更新。大木自身も4年振りの出場ながら、482.23m(歴代4位の記録)で2位に入った。 |
第45回 | 2023年7月29日 | 460.76m | 大木祥資 | Team三鷹茂原下横田 | 大会最年長(53歳)のパイロットながら7年振りに優勝。社会人チームの「Team Tinker」[注 17]が、この部門としては初めての2人乗り機「Gemini-X」で75.75mを記録した。 |
- タイトル:第28回・第29回 「滑空機部門オープンクラス」
滑空機部門フォーミュラクラス
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | 備考 | |
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操縦者 | 所属団体 | ||||
第28回 | 2004年7月31日 - 8月 | 1日30.79m | 漆山雅史 | TEAMフライング朱鷺 | |
第29回 | 2005年7月16日 | 50.77m | 谷川英樹 | 創価大学鳥人間研究会 | |
第30回 | 2006年7月22日 | 157.37m | 竹内彰 | 創価大学鳥人間研究会 | |
第31回 | 2007年7月28日 | 151.31m | 瀬戸うらら | Team Ocean Man | |
第32回 | 2008年7月26日 | 140.57m | 石原直人 | 大阪工業大学体育会航空部 |
人力プロペラ機ディスタンス部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
操縦者 | 所属団体 | ||||
第 | 9回1985年8月 3日 | 290.45m | 石本豪 | 豊田飛行愛好会 | 初の人力プロペラ機による優勝。翌年以降、滑空機部門と人力プロペラ機部門の部門別開催となる端緒となった。1979年にドーバー海峡横断に成功した「ゴッサマー・アルバトロス」に類似した先尾翼構造を採用 |
第10回 | 1986年8月 2日 | 512.20m | 田中紀彦 | Team Aeroscepsy | 人力プロペラ機部門として独立しての第1回。しばらくは滑空機と合わせて飛距離を競う総合優勝という制度も併用されていたが、後に廃止され、各部門は同格の別物として扱われるようになった。 |
第11回 | 1987年8月 1日 | 435.56m | 上田稔 | 日本大学 理工学部 |
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第12回 | (1988年7月30日) | 記録なし
|
午後から強風のため中止 | ||
第13回 | (1989年7月29日) | 記録なし
|
台風に伴う強風のため中止 | ||
第14回 | 1990年8月 4日 | 1,810.54m | 小林稔 | 日本大学 理工学部 |
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第15回 | 1991年8月 3日 | 500.20m | 阪本佳久 | 日本大学 理工学部 日大バードマン |
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第16回 | 1992年8月 1日 | 2,019.65m | 中山浩典 [注 18] |
チーム |
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第17回 | 1993年7月31日 | 2,180.78m | 野呂元紀 | 日本大学 理工学部 |
|
第18回 | 1994年7月30日 | 2,371.65m | 宮脇康成 | 日本大学 理工学部 日大バードマン |
|
第19回 | 1995年7月29日 | 8,764.00m | 中山浩典 | チーム |
|
第20回 | 1996年7月27日 | 9,761.56m | 中尾誠 | 大阪府立大学 |
|
第21回 | (1997年7月26日) | 中止
|
台風9号直撃のため全面中止 | ||
第22回 | 1998年8月 1日 | 23,688.24m | 中山浩典 | チーム |
大会初の琵琶湖横断に成功 |
第23回 | 1999年7月31日 | 4,913.46m | 大倉彰浩 | 大阪府立大学 |
|
第24回 | 2000年7月28日 | 7,945.85m | 嘉藤伸一 | 大阪府立大学 |
|
第25回 | 2001年7月28日 | 3,823.70m | 成相健太郎 | 東京工業大学 Meister | |
第26回 | 2002年7月28日 | 6,201.74m | 梶原聖太 | 東京工業大学 Meister | |
第27回 | 2003年7月27日 | 34,654.10m | 平綿甲斐 [注 19] |
日本大学 理工学部 |
琵琶湖大橋まで到達し強制着水。準優勝の田中宗介(東京工業大学Meister)の32,177.99m、3位の中谷好博(東北大学Windnauts)の24,823.01mも共に前回までの大会記録を更新。東北大学は北ルート制覇。 |
第28回 | 2004年8月 1日 | (参考記録)
|
944.11m渡邊峰生 | 早稲田大学 |
18チーム中半数が天候不良でフライトできず、競技不成立。 |
第29回 | 2005年7月17日 | 22,813.05m | 田中丸真輔 | 日本大学 理工学部 |
初の18km折り返し成功。初めて折り返しラインを越えたのは2年前に続き2回目の準優勝となる田中宗介(COOLTHRUST)。 |
第30回 | 2006年7月22日 | 28,628.43m | 宮内空野 [注 20] |
東北大学 Windnauts | 宮内は、11年後(2017年)に開かれた第40回大会にもROKKO WORKS(東北大学OBが中心の社会人チーム)のパイロットとして出場すると、第30回大会の自己記録を上回る30,221.54mで準優勝。 |
第31回 | 2007年7月29日 | 3,998.51m | 山田洋平 | 東京工業大学 Meister | チームが2006年7月に世界初の有人乾電池飛行を成功させた電動機「オキシフライヤー」(オキシライド単3乾電池160本搭載)に酷似するが、主翼等が別設計 |
第32回 | 2008年7月27日 | 36,000.00m | 西脇渉 | 東北大学 Windnauts | 18km折り返しルールの下で、初めて往復に成功。 |
第33回 | 2010年7月25日 | 18,556.82m | 宮本翔 | 東京工業大学 Meister | |
第34回 | 2011年7月31日 | 18,687.12m | 中村拓磨 [注 21] |
東北大学 Windnauts | |
第35回 | 2012年7月29日 | 14,129.34m | 谷口周平 | 東北大学 Windnauts | 前年度の機体と複合した復元機を、 |
第36回 | 2013年7月28日 | 20,399.24m | 斎藤圭汰 | 東京工業大学 Meister | |
第37回 | 2014年7月27日 | (参考記録)
|
1,849.41m佐々木颯清 | 東北大学 Windnauts | 強風と雨による天候不良のため、競技不成立[注 22]。 |
第38回 | 2015年7月26日 | 35,367.02m | 松島昴汰 | 東北大学 Windnauts | 2位の日本大学理工学部航空研究会も折り返しに成功(記録は22892.36m)[注 23][15] |
第39回 | 2016年7月31日 | 21,415.53m | 山﨑駿矢 | 日本大学 理工学部 |
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第40回 | 2017年7月30日 | 40,000.00m (「完全制覇」と認定)
|
渡邊悠太 | BIRDMAN HOUSE伊賀 | 1時間38分20秒。右旋回を経て往復成功(40km完全制覇)によって大会最長記録を達成[注 24]。 |
第41回 | 2018年7月28日 | (参考記録)
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2,347.58m越野陽也 | 東北大学 Windnauts | 台風12号の接近に伴う強風の影響で、フライト中に機体の主翼が突然折れて着水するチームが続出したため、8チームのフライトを残した状況で競技不成立[注 25][16]。 |
第42回 | 2019年7月28日 | 60,000.00m (「完全制覇」と認定)
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渡邊悠太 | BIRDMAN HOUSE伊賀 | 台風6号直撃の影響で、1日目のフライトは中止。渡邊が、競技不成立の前回を挟んでの2連覇および、同じパイロットでは初めて2度目の完全制覇を達成。 |
第43回 | 2021年8月 1日 | 5,221.04m | 前川純也 | 東京都立大学 |
「常識外れの設計」とされる小型機[注 26]で大会3連覇と「70km完全制覇」を狙った渡邊(BIRDMAN HOUSE伊賀)は、竹生島付近を旋回するルートの往復によって35kmを飛行していながら、記録上「失格」とみなされた。プラットフォーム付近で方向転換(2度目の旋回)を試みたあげく、危険を回避する目的で着水した場所が着水禁止区域内であったことによる。 |
第44回 | 2022年7月24日 | 36,868.80m | 丹治開 | 東北大学 Windnauts | プラットフォームから南西方向のルートで「1往復」を果たした末に、チーム記録を14年振りに更新。その一方で、前回優勝のT-MITをはじめ、強風の影響で記録を伸ばせないチームが相次いだ。 |
第45回 | 2023年7月30日 | 69,682.42m | 渡邊悠太 | BIRDMAN HOUSE伊賀 | 36歳で臨むこの大会限りでの「引退」を表明したうえテイクオフ。2時間31分ものフライトの末に、「完全制覇」(70000m)と認定されるゾーンから約18m手前の地点で着水した[注 27]ものの、歴代1位の記録で3度目の優勝を果たした[17]。2位の岩田大地(東北大学Windnauts)も、歴代3位の記録(42,837.78m)で学生記録を更新。 |
- タイトル:第10回 - 第29回 「人力プロペラ機部門」
人力プロペラ機タイムトライアル部門
- 第30 - 32回 1km折り返し(全長2km)
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
操縦者 | 所属団体 | ||||
第30回 | 2006年7月23日 | 7分02秒61 | 中山浩典 | チームエアロセプシー | 30回大会唯一の完走者 |
第31回 | 2007年7月28日 | 4分37秒62 | 野口雅弘 | 大阪府立大学 堺・風車の会 | 31回大会唯一の完走者 |
第32回 | 2008年7月26日 | 5分10秒00 | 宮本大地 | 大阪府立大学 堺・風車の会 | 32回大会唯一の完走者 |
- 第33回 - 39回 500m折り返し(全長1km)
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
操縦者 | 所属団体 | ||||
第33回 | 2010年7月24日 | 1分55秒02 | 田村裕貴 | Team 'F' | |
第34回 | 2011年7月30日 | 2分08秒63 | 菊地デイル万次郎 | ドボン会 | |
第35回 | 2012年7月29日 | 2分08秒50 | 池田遼輔 | ドボン会 | |
第36回 | 2013年7月27日 | 1分43秒03 | 田村裕貴 | Team 'F' | 折り返しルールの改定後では最高記録[注 28] |
第37回 | 2014年7月26日 | 1分43秒31 | 渡辺幹志 | 名古屋大学AirCraft | |
第38回 | 2015年7月25日 | 2分2秒29 | 久田賢史 | 大阪府立大学 堺・風車の会 | 強風の影響で、機体がスタートラインへの到達前や折り返し地点の旋回中に着水するチームが続出。 |
第39回 | 2016年7月30日 | 1分46秒11 | 伊藤誠一朗 | 名古屋大学AirCraft |
レディース部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | |
---|---|---|---|---|
操縦者 | 所属団体 | |||
第10回 | 1986年8月 | 2日92.83m | 上田みゆき | TEAM TONDORUDO |
第11回 | 1987年8月 | 1日94.27m | 相良美幸 | TOA鳥人間の会 |
第12回 | 1988年7月30日 | 103.80m | 笠原朋子 | みたか飛行少女の会 |
第13回 | 1989年7月29日 | 225.90m | 宮崎祥代 | チームアクティブギャルズ |
第14回 | 1990年8月 | 4日64.41m | 長岡美子 | 東みたかアドベンチャーグループ |
第19回 | 1995年7月29日 | 189.01m | 鋤柄千穂 | 九州大学鳥人間チーム |
第20回 | 1996年7月27日 | 264.66m | 吉澤祐子 | 沿岸驚備隊 |
- タイトル:第10回 - 第14回 「女性パイロット部門」
- 以上の部門が廃止されてからも、女性パイロットが男性と同じ部門・条件で出場することがある。
人力ヘリコプター部門
回数 | 開催日 | 記録 | 優勝 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
操縦者 | 所属団体 | ||||
第25回 | 2001年7月27日 | 6秒30 | 上岡健治 | 東大阪青年会議所トライズ | 参考競技 |
第26回 | 2002年7月27日 | 4秒07 | Rodney Bordallo | 東大阪青年会議所トライズ | |
第27回 | 2003年7月26日 | 2秒89 | 西山雅也 | ドボン会 |
注釈
- ^ 2010年の第33回大会には、中国の飛行機模型製造会社のチームが参加。2012年の第35回大会には、オランダのチームが登場した。
- ^ 2023年の第45回大会では、岩谷産業のYouTube公式チャンネルにYouTuber(「そのちゃん」という名義)として出演している女性社員(園部のぞみ)がパイロットを初めて任された末に、この大会での女性パイロットとしては土取樹(滑空機部門の常連である社会人チーム「どん女の会」)に次ぐ2位(全体では3位)の337.61m(チーム史上最長記録)を達成した。
- ^ 2週に渡って放送された。
- ^ 広島テレビでは、プロ野球広島東洋カープ対中日ドラゴンズ戦中継のため、8月17日に放送された。
- ^ 制作局の読売テレビは当日プロ野球中継のため、翌9月7日15:00から放送。それ以外のネット局は裏送りする形で放送。
- ^ 『モクスペ』枠で放送。
- ^ a b 19:00 - 21:00に放送。
- ^ 渡邊悠太、中山浩典、大木祥資、当コンテストがきっかけで2019年の第42回大会後に結婚した土取雅明(第41回・42回大会の滑空機部門へ出場した「飛ん女の会 with Fight Works」の機体設計者)・土取樹(両大会における「飛ん女の会」のパイロット)。
- ^ 大会初期は「合格」であった。
- ^ 当時の最長記録は第22回(1998年)大会において、初の琵琶湖横断に成功した約23kmであり、それを受けて北ルートと南ルートが登場したが、それを上回る事態となった。
- ^ 元々、南ルートに限れば最大約34kmの飛行可能な距離がある。
- ^ 一時は、優勝チームに150万円、2位のチームに50万円、3位のチームに30万円が贈られていた。
- ^ 東京都立大学からの卒業後に、海上保安庁へ航空パイロットとして勤務(2020年9月の時点では第五管区海上保安本部関西空港海上保安航空基地に配属)。
- ^ 前述の学生記録を出した第36回大会を含めて、第37回大会まで準優勝を6回経験。この大会で初優勝を遂げた。
- ^ 日本大学生産工学部津田沼航空研究会より前に首都大学東京MaPPLの安藤陽央が450.17mの距離を飛行したが、テイクオフの直後に、1名の補助者がプラットフォームから足を滑らせて琵琶湖の湖面へ転落した。補助者は着水後に救助されたものの、前述した大会規定がMaPPLに適用されたため、安藤のフライトは失格(参考記録)として扱われている。
- ^ 「首都大学東京MaPPL」として準優勝を成し遂げた第39回大会で、須永夏帆が記録した392.06m。
- ^ 九州大学鳥人間チームのOBで構成されているチームで、メンバーの8割が航空機業界の関係者。九州大学鳥人間チームがかつて製作していた「QX-16」(非対称機)をベースに、「Gemini-X」を造り上げた。
- ^ 後に、大会の審査員を経て、2019年の第37回大会から審判長へ就任。
- ^ 日本大学を卒業後に、技官として国土交通省に採用。2020年9月の時点では、航空機の最終安全審査業務に従事している。
- ^ 東北大学を卒業後に新明和工業へ入社。2020年9月の時点では、同社が開発した飛行艇US-2の改良業務に従事している。在職中の2017年に、第40回大会で準優勝。
- ^ 2020年9月の時点では、アメリカ合衆国のシアトルでドローンの研究に従事。ドローン操縦士の資格も取得している。
- ^ フライトを辞退した日本大学理工学部航空研究会は、機体を大会終了後に航空科学博物館へ寄贈した。
- ^ 「第37回大会で辞退を余儀なくされた経緯(注釈参照)に感極まった羽鳥が、フライトの実況中に何度も号泣する」というハプニングがあった。
- ^ 他のチームはいずれも、40km完全制覇を達成できなかった。
- ^ 最長距離を記録した東北大学Windnautsの機体も、フライト中に右の主翼が突然折れた影響で失速。前年(2017年)の第40回大会で大会最長記録(40km完全制覇)を達成したBIRDMAN HOUSE伊賀の渡邊悠太は、競技終盤の出場に向けて待機していたが、競技の不成立が発表される前にフライトの辞退を申し入れた。
- ^ 前回大会(42回)で2連覇と60km完全制覇を達成した際の機体では32mだった翼幅を25mにまで短縮したほか、プロペラを機体の中央に装着していた。
- ^ 実際には強烈な日差しを受け続けながらのフライトで、テイクオフの直後から、駆動系のトラブルに起因する異常音が機内で繰り返し発生。さらに、「2リットル分搭載していた」という水分をフライト中に摂取するためのシステムが54km地点付近で突如故障したため、この地点からは水分を一切摂取できない状況でフライトを続けていた。
- ^ 2位の名古屋大学AirCraft(2分1秒64)、および、3位の大阪府立大学 堺・風車の会(2分8秒)も、折り返しルール改定後の最高記録(35回大会)を更新。
- ^ 夫の庄司智春も、第39回大会に「応援サポーター」の1人として出演。応援ゾーンのインタビュアーなどを担当した。
- ^ 出演の時点では、乃木坂46で活動。
- ^ 2015年7月の人事異動でコンテンツビジネスセンター・コンテンツ事業部のプロデューサーに就任したが、異動後に開催の第38回大会では、アナウンサー時代に続いてアナウンスを担当。
- ^ 読売テレビ退社後の2017年4月から教授に就任したが、同年の第40回大会では肩書なしの「脇浜紀子」名義でアナウンスを再び担当。
- ^ 第44回では、「鳥人間塾」(「塾生」に当たる学生パイロットを滑空機部門へ多数輩出している茨城県内のハンググライダースクール)でのトレーニング体験取材リポート(大会前に収録)も任されていた。
- ^ 第43回(2021年)では、前年放送の『2020 特別編』で共演した土取夫妻が「飛ん女の会 with Fight Works」として滑空機部門へ参加することを受けて、同チームの直前調整の模様に密着したロケ企画にも出演。完成目前の機体に垂直尾翼を立てる作業に携わったほか、土取の妻がその機体で300m以上のフライトを実現させた場合には、2022年開催予定の第44回にパイロットとして参加させられることになっていた(実際の記録は199.98m)。
- ^ この回は、『TVおじゃマンモス』の企画で、出場した。(『TVおじゃマンモス』1995年2月18日放送分から)
- ^ 小椋→第38回当時ytvに出向し、現在は日本テレビに帰属。
出典
- ^ 制作費難で休止、鳥人間コンテスト再開(読売新聞 2010年1月18日)
- ^ 読売テレビ「鳥人間コンテスト」休止(スポーツ報知 2009年1月16日)
- ^ a b “『鳥人間コンテスト』開催中止 緊急事態宣言受け「多くのチームで機体製作が困難」”. ORICON NEWS. (2020年4月14日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b 西川貴教「鳥人間コンテスト」来年挑戦へ前向き「滋賀県として取り組めないか」(スポーツニッポン2020年9月18日)
- ^ “鳥人間「人力プロペラ機」部門は不成立、中止に”. 日刊スポーツ. (2018年7月28日) 2018年7月28日閲覧。
- ^ “40年以上の名物番組「鳥人間コンテスト」開催中止”. 日刊スポーツ. (2020年4月14日) 2020年4月14日閲覧。
- ^ a b “ついに西川貴教が来年の鳥人間コンテストに出場…を矢部浩之が勝手に「宣言」”. スポーツニッポン. (2021年8月2日) 2021年8月2日閲覧。
- ^ “「鳥人間コンテスト」3年ぶりの有観客開催にナイナイ・矢部浩之「本当に盛り上がる。従来通りが一番」”. (2022年7月25日) 2022年7月25日閲覧。
- ^ a b c “「鳥人間コンテスト」にNHK朝ドラ「舞いあがれ!」の「なにわバードマン」モデルチームが参加”. (2022年7月30日) 2023年7月31日閲覧。
- ^ コロナで中止の「鳥人間コンテスト」静岡から特別編(『日刊スポーツ』2020年9月18日付記事
- ^ 鳥人間コンテスト 台風影響で29日中止 読売テレビの恒例イベント(『産経WEST』2018年7月28日付記事)
- ^ 『鳥人間コンテスト』TikTokでダンス動画コンテスト開催(『マイナビニュース』2019年8月9日付記事)
- ^ バードマン・サマー2009開催のお知らせ(彦根市)
- ^ 照井琢見 (2022年10月27日). “人力飛行機の「書類落ち」ホントにある? 「鳥人間」元制作者に聞く”. 朝日新聞. 2022年10月29日閲覧。
- ^ 羽鳥アナ「鳥人間」号泣実況暴露される『デイリースポーツ』2015年7月26日付記事)。
- ^ 鳥人間コンテスト、台風で人力プロペラ機部門中止「悔しい」実行委が放送後コメント(『スポーツニッポン』2018年8月29日付記事)
- ^ 『鳥人間コンテスト』BIRDMAN HOUSE 伊賀・渡邊悠太パイロットが優勝!(『エンタメRBB』2023年8月30日付記事)
- ^ a b “鳥人間コンテストを提訴「落下の衝撃で動けない身体に…」”. 女性自身 (2013年6月22日). 2020年11月7日閲覧。
- ^ @ohnuki_tsuyoshi (2019-4-2). "TLに鳥人間コンテストの話題が出てくるので、思い出して書く。". X(旧Twitter)より2020年11月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明) - ^ a b 三四郎・小宮が快挙 鳥人間コンテスト192.63メートル(『スポーツ報知』2018年8月29日付記事)
- ^ 三四郎・小宮、『鳥人間コンテスト』ドランク鈴木超え目指してテイクオフ(『ORICON NEWS』2018年7月29日付記事)
- ^ 『工学教育』第69巻(2021)第1号「座談会『鳥人間コンテストを通した技術者としての学び』」
- ^ 【二十歳のころ 大西卓哉(2)】"鳥人間"に青春捧げた東大時代p.2(『サンケイスポーツ』2018年1月10日付記事)
- ^ 【二十歳のころ 大西卓哉(2)】"鳥人間"に青春捧げた東大時代p.1(『サンケイスポーツ』2018年1月10日付記事)
- ^ 日本航空協会 日本記録/human Powerd
- ^ 堺・風車の会のtwitter公式アカウントから撮影中に発信されたツイートを参照
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