滑空機部門
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「鳥人間コンテスト選手権大会」の記事における「滑空機部門」の解説
回数開催日記録優勝備考操縦者所属団体第01回 (1977年7月02日) 082.44m 岡良樹 東京ハングライダークラブ 優勝機設計は本庄季郎(一式陸上攻撃機設計者) 第02回 (1978年7月21日) 079.78m 大平英二 ニューウィングス 第03回 (1979年7月20日) 088.53m 島根俊夫 日本自作航空機連盟 第04回 (1980年7月19日) 101.60m 鈴木正人 日大駿河台航空研究会 大会初の100m越え。鈴木は、後に数々の出場機(大会優勝機やトンボ(昆虫)を模した複葉滑空機を含む)の設計を手がける。また、初の湖岸着陸(墜落ではない)による失格者でもある。 第05回 (1981年8月08日) 095.83m 菊池守男 車山ハンググライディング 第06回 (1982年8月07日) 144.00m 村山智彦 日本大学理工学部航空研究会 第07回 (1983年8月06日) 162.62m 岡崎利彦 日本フライングクラブ 大会発足当初の出場機は、ハンググライダーに類似した開放構造の機体のみだった。しかし、時代の流れとともに機体構造に対する設計思想の変遷がみられ、この大会時には、優勝機および上位入賞機は、空気抵抗の削減を目的としたキャノピーの採用が標準となっていた。 第08回 (1984年8月04日) 163.03m 楠正彰 (個人での出場) 第1回大会から連続出場で初優勝。楠は、少なくとも第11回大会まで連続出場を果たし、第6回大会以降は上位常連であったが、後に事故のため他界。第13回大会において、この第8回大会の優勝機を復元し、第4回大会優勝者の鈴木正人が追悼フライトを行った。 第09回 (1985年8月03日) 214.51.m 木島明良 茂原市フリーフライト 滑空機初の200m越え。第9回大会は人力プロペラ機が290m台を記録し第1位となったため、当該フライトは大会記録上では第2位。翌年以降、滑空機部門と人力プロペラ機部門の部門別開催となる端緒となった。 第10回 (1986年8月02日) 158.38m 柴野敏彦 POINT ONE MILE 第11回 (1987年8月01日) 176.71m 木島明良 茂原市フリーフライト 第12回 (1988年7月30日) 261.90m 糸谷浩 西富士友の会 無尾翼機による優勝。無尾翼機は設計、操縦とも困難な課題を抱えているが、糸谷は初出場となる第3回大会以降、無尾翼機による挑戦にこだわり続けていた。 第13回 (1989年7月29日) 225.90m 宮崎祥代 チームアクティブギャルズ 部門優勝はTOA鳥人間の会・佐々木正司の205.10mであるが、本大会における滑空機最高は、レディース部門エントリーの当記録。2020年現在、大会史上、唯一の女性総合優勝であり、かつ優勝操縦者が十代(第6回大会の村山以来)という偉業を達成 第14回 (1990年8月04日) 記録なし 台風に伴う強風のため中止 第15回 (1991年8月03日) 318.75m 木島明良 フリーフライト 滑空機初の300m越え。木島は、キャノピーの前面投影面積を可能な限り削減し、空気抵抗を更に削減するスタイルの草分け的存在のひとりである。 第16回 (1992年8月01日) 232.08m 中村克 チームエアロセプシー 第17回 (1993年7月31日) 248.31m 栗野けんじ 東京都立大学 (1949-2011)人力飛行機研究会 第18回 (1994年7月30日) 329.83m 佐々木正司 TOA鳥人間の会 佐々木は、地面効果を極限まで追求する低翼配置、胴体と主翼が一体化した強靭なモノコック構造、操縦桿を機体下面から突き出す形で延長し、水面を感知することで昇降舵を操作する等、独特のアイデアを満載した機体で出場を続け、後に大会審判長を長年務めた。 第19回 (1995年7月29日) 274.72m 佐々木正司 TOA鳥人間の会 第20回 (1996年7月27日) 300.36m 佐々木正司 TOA鳥人間の会 第21回 (1997年7月26日) 中止 台風9号による荒天のため中止 第22回 (1998年7月31日 - 8月01日) 364.08m 福森啓太 チームハマハマ 第23回 (1999年7月30日 - 31日) 345.92m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 大木は、後に滑空機部門5連覇1回、3連覇2回を果たすなど、数々の好記録を達成 第24回 (2000年7月28日 - 29日) 256.53m 雨宮健一 夜鳥の会 第25回 (2001年7月27日 - 28日) 417.49m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 滑空機初の400m越え 第26回 (2002年7月27日 - 28日) 414.33m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第27回 (2003年7月26日 - 27日) 420.48m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第28回 (2004年7月31日) 173.26m 阿知波哲史 チームTINKER 第29回 (2005年7月16日) 370.80m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第30回 (2006年7月22日) 258.21m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第31回 (2007年7月28日) 483.47m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第32回 (2008年7月26日) 377.98m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第33回 (2010年7月25日) 421.11m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ 第34回 (2011年7月30日) 314.41m 河原井悠 上智大学 Flying Turkeys 第35回 (2012年7月28日) 501.38m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学 滑空機唯一の500m越え 第36回 (2013年7月27日) 460.07m 大木祥資 みたか+もばらアドベンチャーグループ×神奈川工科大学 第37回 (2014年7月26日) 407.03m 大木祥資 みたかもばら下横田 第38回 (2015年7月25日) 373.75m 石丸隆宏 九州大学鳥人間チーム 第39回 (2016年7月30日) 443.80m 大木祥資 みたかもばら下横田 機体はメタルキット化された。 第40回 (2017年7月29日) 440.37m 佐藤光 日本大学生産工学部津田沼航空研究会 学生チームの最長飛行記録で初優勝 第41回 (2018年7月28日) 446.42m 熊倉賢人 日本大学生産工学部津田沼航空研究会 前年に達成した学生チームの最長飛行記録を更新 第42回 (2019年7月27日 - 28日) 327.72m 内田啓介 Umeda Lab.(大阪工業大学OBチーム) 台風6号直撃による天候不良の影響で1日目は競技途中で中止。残りのフライトは2日目に延期された。 第43回 (2021年7月31日) 451.12m 中島桜 東京都立大学MaPPL 女性パイロットとしては初めての優勝で、チーム記録・学生記録・女性パイロット記録を更新。参加した12チームのうち、4チームで女性がパイロットを務めた。 タイトル:第28回・第29回 「滑空機部門オープンクラス」
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