滑空機の日本記録とは? わかりやすく解説

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滑空機の日本記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:53 UTC 版)

河辺忠夫」の記事における「滑空機の日本記録」の解説

1940年昭和15年1月19日美津濃グライダー製作所尼崎工場所属吉川精一一級滑空士は、美津濃301ソアラーで9時間5730秒滑空機滞空日本新記録絶対高度2,810m、獲得高度2,320mの日本新記録達成皮切りに第二次世界大戦前記録ラッシュ続き1941年昭和16年1月26日美津濃グライダー製作所所属常国隆二級滑空士による10時3330秒滑空機滞空日本新記録並びに、未公認ながら3,600m絶対高度滑空機日本新記録美津濃301型)、更に前述記録達成の2時間後、大阪飛行少年団教官金光二級滑空士(免許返納中)により、搭乗機アカシヤ巻雲1型)で、11時間40分の滑空機滞空日本新記録更新続いた河辺記録は、第二次世界大戦後1953年昭和28年2月27日小田特級滑空士(1942年昭和17年免許)に28時間08分の滑空機滞空日本新記録により更新されるまで12年間日本の公認滑空機滞空日本新記録保持した近年においては、滑空機滞空時間更新機体の性能向上、原則滑空機夜間飛行禁止などでスポーツとしての滑空競技は、滑空士の生命の危険を伴う体力限界挑む滞空競技から、三角点飛行や距離飛行目的地飛行などとなり小田滑空士の記録を以て新たな挑戦行われていない。 河辺忠夫一級滑空士、二等航空士記録達成時満20歳で、1920年大正9年4月1日生誕の満20歳10ヶ月あまりでの記録であった

※この「滑空機の日本記録」の解説は、「河辺忠夫」の解説の一部です。
「滑空機の日本記録」を含む「河辺忠夫」の記事については、「河辺忠夫」の概要を参照ください。

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