美空 ひばりとは? わかりやすく解説

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みそら‐ひばり【美空ひばり】


美空ひばり

作者マキノ雅裕

収載図書時代小説大全集 6 人物日本史 昭和
出版社新潮社
刊行年月1991.9
シリーズ名新潮文庫


美空ひばり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 09:52 UTC 版)

美空 ひばり(みそら ひばり、1937年昭和12年〉5月29日 - 1989年平成元年〉6月24日)は、日本歌手女優実業家神奈川県横浜市磯子区出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校卒業


注釈

  1. ^ 磯子区杉田四丁目の横須賀街道に面した劇場で、日本飛行機の関連工場を改装したもの。建物の裏は海だった。なお2005年3月開館の区営ホール、横浜市磯子区民文化センター 杉田劇場とは別物であるが、ひばりデビュー公演のチラシなど旧劇場の関連資料を保存・展示している(杉田劇場の歴史)。
  2. ^ 戦後間もない当時は、警察の力が弱く、地回りへの挨拶は必要不可欠であった。
  3. ^ ひばり母子はこの記事を長く保存しハチローに敵愾心を持っていたと言われるが、後にハチローと和解している。
  4. ^ ただし、ひばりには既に1953年1月第3回の時点で、出演のオファーがかけられていたが、第3回は正月興行、その次の1953年12月第4回は年末の公演との兼ね合いから、ひばりサイドから出演を見送られた経緯があり、NHKにとっては3度目の「ラブコール」が実った形となった。
  5. ^ 当時、那覇を含む沖縄は日本本土から分離され、琉球政府を通じたアメリカ合衆国による沖縄統治が行われていた。
  6. ^ 元々はひばりのために書かれた曲ではなく、1960年に北見沢淳が歌った曲であった。
  7. ^ 岡田は1964年に東映京都撮影所所長に就任し、興行不振の続く時代劇から任侠映画に徐々に切り替えを行う(【訃報】“任きょう映画の父”が87歳で『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した)。ひばり主演の時代劇は安定した人気を保っていたが、1966年頃からひばり作品まで当たらなくなるほど深刻な状況に陥った(立松和平『映画主義者 深作欣二』文藝春秋、41頁)。やむを得ず、岡田がひばりに直接「ひばりちゃん、悪いがもう(ひばりちゃんの)映画は撮らんよ」と伝えた。ひばりは「これで私には映画の話は来なくなるわね」と寂しい顔をされ、岡田を困惑させた (『映画主義者 深作欣二』、41頁)。1963年12月26日、東映との専属契約を解除(資料文献:西川2021, pp154 - 179)。映画を通じての付き合いは無くなったが、岡田とひばりの交遊は生涯にわたって続き、ひばりは1989年に病状が悪化し、順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院したが、これは岡田の広島高等学校時代からの親友で(サンケイスポーツ、1975年5月21日号、15頁、『沢島忠全仕事』、197、478–479頁)、同院の石井昌三(元順天堂堂主、理事長)の手引きによるもの(脇田巧彦著『特ダネ人脈 記者50年』2016年、埼玉新聞社、203頁)。岡田も系列の順天堂大学医学部附属練馬病院で亡くなっている。
  8. ^ 哲也は、1957年、小野透の芸名でひばりの全盛期には歌手デビューし、多くの東映映画に出演、主演を務めたこともあったが1962年に引退。元々ひばりの弟という売り込みでひばり関連の興行などで役者や間つなぎの歌手もこなしていたが、三代目山口組益田組(組長は益田佳於)の舎弟頭となっていた。翌1963年には賭博幇助容疑、賭博開帳図利等、1964年には拳銃不法所持、1966年には傷害、暴行、拳銃密輸、1972年には暴行で逮捕と刑事事件が続いていた。
  9. ^ 事実上は落選。この頃NHKには「ひばりを出すな」という苦情も多く来ており、また数年ヒット曲に乏しかったこともあって理事会ではほぼ満場一致で決まったという。
  10. ^ ただし、1979年の第30回には藤山一郎と特別出演、『ひばりのマドロスさん』、『リンゴ追分』、『人生一路』の3曲をメドレー形式で歌った。
  11. ^ 美空ひばりは当時12歳頃。主人公の男女がのど自慢大会を見物をしていたシーンでおよそ40秒出演していて、「涙の紅バラ」を歌っていた。映画会社が作品完成後倒産してしまい、行方不明であったが、神戸市にある神戸映画資料館が約40年前にフィルムを購入しており、文化庁の助成により内容を精査していたところ、2016年1月に出演が確認された。
  12. ^ 1974年第25回島倉千代子フランク永井がいずれも18回目の出場を果たし、更新。
  13. ^ ひばりのマドロスさん(2回目)・リンゴ追分人生一路のメドレー。

出典

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美空 ひばり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:46 UTC 版)

三人娘 (1955-)」の記事における「美空 ひばり」の解説

詳細は「美空ひばり」を参照 愛称: 「お嬢」「歌謡界女王」「昭和の歌姫」など 本名加藤 和枝 生年月日1937年5月29日 没年月日1989年6月24日 配偶者: なし(1962年小林旭俳優・歌手)と結婚1964年離婚子供長男養子)・加藤和也実業家1949年に「河童ブギウギ」で歌手デビュー同年悲しき口笛」がヒットし一躍スターとなる。以後も、「東京キッド「リンゴ追分」お祭りマンボ」「港町十三番地」など立て続けブレイク1954年第5回NHK紅白歌合戦に「ひばりのマドロスさん」で初出場1972年までに通算17出場しそのうち13トリ務める。1965年には、「柔」で第7回日本レコード大賞受賞その後も、「悲しい酒」真赤な太陽」とミリオンセラー記録する大ヒット曲を連発し、「歌謡界女王」の地位不動のものにした。しかし、1987年慢性肝炎特発性大腿骨頭壊死症により緊急入院。約3か月間の療養後一旦退院するも、1989年に再入院同年突発性間質性肺炎症状悪化による呼吸不全のため52歳没した死後女性としては初となる国民栄誉賞追贈された。

※この「美空 ひばり」の解説は、「三人娘 (1955-)」の解説の一部です。
「美空 ひばり」を含む「三人娘 (1955-)」の記事については、「三人娘 (1955-)」の概要を参照ください。


美空ひばり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)

松本清張」の記事における「美空ひばり」の解説

親しかった報知新聞社長からの勧誘を受け、コンサートを観ている。その後清張はひばりに歌を作詞する約束をし、「雑草の歌」というタイトル資料集めを実施内容検討していたが、ひばりの死(1989年)により実現せず終わった

※この「美空ひばり」の解説は、「松本清張」の解説の一部です。
「美空ひばり」を含む「松本清張」の記事については、「松本清張」の概要を参照ください。


美空ひばり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:45 UTC 版)

とんねるず」の記事における「美空ひばり」の解説

とんねるずは美空ひばりとも生前親交が非常に深く、「お嬢」「タカ」「ノリ」と呼び合う間柄だった。 両者出会いきっかけは、とんねるず大ファンだったひばり息子加藤和也(現:ひばりプロ社長)の誕生会2人呼ばれたことである。その後も『とんねるずのオールナイトニッポン』にひばりが急遽飛び入り出演しとんねるず出演していた同番組生放送中にひばり本人から電話が入るなどの過去もある。 彼らが出演していた番組見てたひばりから放送終了後に2人元へ電話かかってきて、深夜にも拘らずひばりの自宅呼び出され11時頃から番組内での行き過ぎたパフォーマンスに対して説教受けたことがあるその際にはひばりのコンサートビデオを延々とさせられ、ひばりが席をはずすなり石橋ビデオ早送りして何とか見終わった思いきや、そのビデオ上巻で、続けて下巻ビデオ結局翌朝5時頃まで見させられたというエピソードがある。 1988年東京ドーム単独コンサート第一号として、不死鳥コンサートが行われ、政界芸能界から沢山の有名人駆けつけていた中、とんねるず来ており石橋は隣に居た木梨感動泣くところを見られたくなかったので、必死に我慢していたがついに堪え切れず涙腺崩壊しかけ、「ヤバい」と隣の木梨見たところ木梨の方が先に号泣していたという。石橋はひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われ以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年から芸歴としてカウントすることがある

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美空ひばり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:46 UTC 版)

「ザ・ベストテン」記事における「美空ひばり」の解説

川の流れのように」(1989年) - 本人の没後ランクインしている。1989年8月31日、「今週のスポットライトコーナーで、生前のひばり自身歌唱披露していた、1989年昭和64年1月4日TBS放映特別番組春一番!熱唱美空ひばり ~いま誓い新たに燃え不死鳥25!!~」からの映像流していた。また、初登場サイン上述石原裕次郎同じく生前宣材写真署名加えたものが提供された。それから2週間後の9月14日に第10位へ唯一のランク、この日にも上記特番動画再放送する。なお、没後ベストテン入りした歌手上述石原裕次郎以来2年振り2人目の出来事だった。

※この「美空ひばり」の解説は、「ザ・ベストテン」の解説の一部です。
「美空ひばり」を含む「ザ・ベストテン」の記事については、「ザ・ベストテン」の概要を参照ください。

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