蜀将
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「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「蜀将」の解説
諸葛亮 声:速水奨(三国志大戦(第2期)) 蜀の軍師。玄徳の死後、物語後半の主人公。(21 - 59巻) 字は孔明。水鏡先生から「伏竜」と称された逸材だが、荊州の草蘆に隠棲し、その才能を知る者は限られていた。 発明家の一面も併せ持ち、木牛流馬や木獣、連弩などを発明したこともある。重要な会話を盗み聞きされないよう羽扇を常に携え、四輪車で行動するのが特徴。 玄徳に三顧の礼によって迎えられ、「天下三分の計」を提案する。幕下に迎えられてのちは「水魚の交わり」と比喩される親密な主従関係を結ぶ。神算鬼謀によって赤壁の戦いや蜀平定戦などにおいて貢献し、玄徳の臨終の際には蜀の後事を託される。玄徳の遺志を継ぎ、出師の表を劉禅に提出して数度に渡り北伐を実行する。何度も魏軍を追いつめるも長安を落とすことはかなわず、病に倒れ、姜維らに後を託して没する。 龐統 声:中村悠一(三国志大戦(第2期)) 玄徳の副軍師。 字は士元。水鏡先生から「鳳雛」と称された逸材で、孔明に匹敵する智謀を持つ。 周瑜の招きにより呉陣営に加わり、蔣幹を欺いて曹操のもとへ赴き、彼に連環の計の実行を進言した。曹操のもとから帰途する際に旧友の徐庶に遭遇して、戦いに巻き込まれない秘策を授けた。 名声は轟いていたものの、汚い身なりと無愛想な態度をとっていた。周瑜の死後、魯粛の推挙で孫権に招かれるも、その横着な態度により怒らせたため起用されず、孔明の推挙で玄徳に執り立てられた。 玄徳の蜀侵攻の際には軍師の役割を担う。玄徳に絶対的な信頼を置かれる孔明に多少の嫉妬感を抱き、孔明の考えとは別に成都を二方向から挟み撃ちするという策を実行する。その内の一隊を自ら率いることになるが、落鳳坡にて張任配下が放った矢に当たって戦死した。 関羽 声:速水奨(三国志大戦(第2期)) 玄徳の義弟であり、義兄弟の中では次兄にあたる。五虎大将軍の一人。(1 - 42巻) 字は雲長。大きな体躯と立派な顎鬚が特徴の豪傑で徐州で王忠と戦う以前は太刀を、それ以降は青龍偃月刀を武器とする。義弟の張飛とは異なり理知的な性格である。 子供を相手に塾を開き学問を教える生活をしていたが桃園の誓いにより玄徳の義兄弟となり、以後付き従うことになる。張飛とともに一騎当千の武芸と、「関羽の不覚は一度も見たことがない」と称されるほどの用兵で天下に恐れられる。 一時曹操の下に降るも、玄徳が生きていることを知ると曹操の下を去る。その後は荊州の守備に就いた。部下には人望が厚かったが、プライドの高さから内部の武将・名士の意見を軽んじることがあり呉による荊州侵略の遠因となる。当時無名だった陸遜を侮って不覚を取ってしまい、呂蒙による荊州を攻略され捕らわれる。最期は養子の関平と共に斬首された。享年58。 その首は魏に送られ蜀の注意を魏に向ける計略に使われたが、司馬懿に見破られ曹操の手により国葬とされた。 張飛 声:関智一(三国志大戦(第2期)) 玄徳の義弟で末弟。五虎大将軍の一人。(1 - 43巻) 字は翼徳(史書『三国志』では「益徳」とされる)。玄徳と知り合う前は幽州の鴻家に仕え、それまでの戦いで808人もの敵を倒したことから「八百八屍将軍(はっぴゃくはっししょうぐん)」と呼ばれる。その後鴻家は黄巾賊に滅ぼされ、主君の仇を討つため黄巾賊に入り機会を窺っていたところで玄徳と出会う。桃園の誓いにより義兄の関羽同様、玄徳に付き従うことになる。 荒々しい風貌で玄徳と再会した際に顔に初登場時にはなかった刀傷ができていた。関羽と並ぶ巨躯を誇る豪傑で蛇矛を武器とする(玄徳が徐庶を召し抱えた頃から蛇矛を本格的に使うようになり、それまでは薙刀のような武器を使っていた)。常人なら3人がかりで持ち上げるのがやっとの薙刀を片手で楽々と扱う桁外れの腕力を有し、関羽が曹操に対して「拙者より義弟張飛のほうが強い」と言わしめた猛将。 関羽とは対照的に武勇一辺倒で、酒癖が悪く短気な性格。それらが元で部下や兵卒に暴力を振るうこともしばしばで、玄徳らから叱責を受けることも少なくなかった。しかし、人情を重んじる涙もろい面もあり、裏切りや卑劣な行いは許さない正義感の持ち主。自らの不始末で呂布に徐州を奪われて以降は礼節をもって敵将と接したり、策略を用いるといった将としての風格を徐々に身に着けるようになる。 夷陵の戦いで范彊と張達に、「三日以内に白装束を揃えるように」という命令を下し、「できなければ斬る」と脅す。そのため刑罰を恐れた二人に、寝込みを襲われて逆に殺されてしまった。 趙雲 声:石田彰(三国志大戦(第2期)) 蜀の宿将、五虎大将軍の一人。(6 - 53巻) 字を子龍。細い目が特徴の偉丈夫。諸国を旅し袁紹、公孫瓚と仕えるが、どれも仕えるべき器の人物ではないと感じ主君を変える。やがて玄徳と主従の関係を結ぶことになる。 実直かつ冷静な性格に加え「全身肝っ玉」といわしめる度胸の良さで多くの戦に貢献する。色香に惑わされず、武士としての体面を重んじる様は玄徳に「真の武士」と称されるほどである。槍術に巧みで、関羽、張飛と並ぶ武勇の持ち主。孔明の北伐の際に一気に老け込む。街亭の戦いから帰還した後に病に倒れ、世を去った。その他の『三国志』の創作作品ではしばしば美丈夫に描かれるが、本作品では屈強な武士然とした面相で描かれている。 黄忠 声:竹内良太(三国志大戦(第2期)) 五虎大将軍の一人。(28 - 43巻) 字は漢升。関羽と渡り合うほどの腕を持ち、百発百中の弓の名手でもある老将。元は狭量な太守、韓玄に仕えていたが、荊州平定の際に玄徳に説得され配下となる。自らの年齢に対する焦りもあってか、常に戦に命を投げ打つ覚悟がある。 策を用い、成功を収める場面もあるが、自負が過ぎて無茶をしすぎてしまうこともしばしばある。 定軍山の戦いでは法正を副将に携え、大将を務め見事に夏侯淵を討ち取った。夷陵の戦いでは若い世代に負けるかと負けん気を発揮するも、重傷を負ってしまい死亡する。 馬超 声:八代拓(三国志大戦(第2期)) 五虎大将軍の一人。(30 - 49巻) 字は孟起。張飛と互角に渡り合える武勇の持ち主。曹操に父馬騰と弟達を謀殺され、韓遂と共に復讐戦を起こすも賈詡の策略により韓遂に裏切られ敗れる。 漢中の張魯に身を寄せ恩を返すために成都の援軍に向かうも、玄徳と通じた張魯配下の楊松の策謀で張魯との関係が悪化し、李恢の説得を聞き入れ玄徳の下に降り臣従する。 余人は武勇誉れな馬超をみて「西涼の錦馬超」と称し、西方の異民族も「神威大将軍」と畏敬の念を抱いている。 武勇においては許褚や張飛と互角に渡り合うほどの実力を持ち、何度か異民族の侵入も阻止している。 蜀成立以降は目立った描写がなくなり、南征が終わった後に死去したことがわずかに語られる。 姜維 声:佐藤拓也(三国志大戦(第2期)) 蜀の名将。(50 - 60巻) 字は伯約。20余歳の若武者で、長老も舌を巻く知識を持ち、趙雲、魏延との一騎討ちにも一歩も引かない文武両道の将で「天水の麒麟児」と異名を取る。母思いの親孝行な人物としても有名。 当初は魏将として登場し、孔明に初めての敗北を味わわせる。その才能を見込んだ孔明の計略によって蜀軍に加わる。 以降、孔明の軍略を受け継ぎ、孔明の臨終の際には蔣琬、費禕らと共に後事を託された。孔明死後は主役格として蜀の北伐を指導するが、幾度か奮戦するも功実らなかった(『演義』ではかつての司馬懿の部下・郭淮や、その他にも魏将を討ち取る活躍が描写されるが、本作では大幅に省略されている)。 魏の蜀侵攻時には剣閣に陣を張って迎撃し、魏の大軍を相手に一歩も引かなかったが、鄧艾が成都を降伏させたことを知ると、部下と涙しながら自らの剣を折って無念を嘆じた。 史実ではその後、魏将の対立に巻き込まれて死亡。演義においては蜀復興の陰謀が失敗して亡くなったとされるが、本作では描かれなかった。 魏延 声:杉田智和(三国志大戦(第2期)) 蜀の猛将。(28 - 59巻) 字は文長。韓玄から黄忠を助けるために立ち上がる。韓玄を裏切ったことで孔明から危険視されるが、玄徳のとりなしで配下になる。 実は曹操が荊州に攻めて来た時にも襄陽城へ誘導しようとして登場しているが玄徳達は城内が混乱しているため入城を断念している。 五虎大将軍が全員亡くなった後、蜀の主力として活躍するが、孔明とは戦略を巡って度々衝突するようになり、不遜さが目立ち始める(演義における反骨の相の話が出るのはこの時)。その後、呉の孫権からもこのことを指摘されている。 孔明亡き後、楊儀と対立し謀反を起こし自ら蜀の覇者を目指すも、馬岱に斬られる。 劉封 樊城の県令劉泌の甥で元の名は寇封。玄徳が樊城を陥落させた際、面会した劉泌の傍らにいたところを劉備に気に入られて養子となる。 作中において、当初、関羽の養子である関平と組むことが多かったが、関平が養父の関羽に従い荊州の守りにつくと代わりに孟達と組むことが多くなる。初登場から20年近くに渡り玄徳配下の将として活躍しているが、一貫してあどけなさの残る若武者といった容貌に描かれている。 関羽が麦城で苦戦に遇い、援軍を要請されたが孟達に反対され、やむなくこれを断ったため、関羽戦死の一因を作ってしまう。 その後魏に寝返った孟達の討伐を命ぜられるが敗走。激怒した玄徳は処刑を命じたが、処刑後に劉封が忠実であったことを知って悔恨した。 関平 関羽の養子。元は関羽が曹操の下から玄徳の下へ帰還する際に立ち寄ったある商人の関定の次男。兄に関寧がいる。 作中では劉封と組むことが多かったが、荊州の守りについてからは父と組むことが多くなった。頭に頭巾を巻いた若武者として描かれる。 最期は関羽と共に捕えられ、処刑された。 張世平 中山の商人。黄巾賊のために故郷を追われて、甥の蘇双と共に馬商人として流浪の旅を続けていた。張飛に声をかけられて玄徳軍の旗揚げに際し、資金を提供した。 孫乾 元陶謙の幕僚。陶謙亡き後玄徳に仕える。主に外交において活躍する。なお、初登場時袁紹への使者を務めた際は、名前の読みが「そんかん」となっていた。 糜芳、傅士仁 荊州の防護を任された部将。糜芳は元陶謙軍の部将で、陶謙亡き後は兄・糜竺と共に玄徳に仕えた。 呉軍の荊州侵攻の際、虞翻の示唆により共に呉に降伏する。夷陵の戦いに際し再び呉を裏切って蜀に投降するが許されず、関興に斬られた。 范彊、張達 張飛の部下。夷陵の戦いに先立ち張飛の命令に延期を要望するが、聞き入れられず逆に殴りつけられ、「できなければ斬る」と脅される。そのため張飛の寝込みを襲って殺害し、首を持って呉に逃亡した。 後に蜀と停戦するための手土産として、張飛の首とともに蜀の陣営へと送り返され、張苞に斬られた。 周倉 元黄巾賊の大将。関羽に惚れこみ部下にしてもらう。水練が達者であり、樊城郊外の戦いでは龐徳を水中での組み合いの末捕えている。 荊州防衛の際にも、関羽の側近として仕えていた。関父子の死を知ると同時に自刃。 王甫 関羽の側近。荊州の防衛に際し、烽火台の設置を提案した。 関父子の死を知ると麦城の城壁から飛び降り、殉死した。 廖化 漢水の戦いや荊州の戦い、北伐など随所で活躍する。しかし北伐時には司馬懿を取り逃がす失態を演じており、孔明をして「将が小粒になった」と蜀の人材不足を嘆かせた。孔明亡き後の魏による蜀侵攻時にも、姜維とともに剣閣で魏軍を食い止めた武将として、名前だけ登場する。 伊籍 元劉表の幕僚。玄徳が戦場で手に入れた的盧が凶馬であると忠告した。馬良を玄徳の配下に引き入れたり、呉を動かし合肥城を攻めさせたりする活躍を見せる。 馬良 荊州に隠遁する有能な士。馬謖の兄。 白い眉をもった若者で、馬良の兄弟の一人で「馬氏の五常、白眉最も良し」と最も評価が高かった。 その事から、孔明の推挙と伊籍の口添えにより劉備配下になる。長沙、桂陽などの四郡取りを進言する。 孔明が南蛮平定に向かった際、出立の前に死亡したことが馬謖によって伝えられた。 馬謖 馬良の弟。 若くしてその才能を孔明に見出され、馬謖もまた孔明を師父と仰いだ。「司馬懿に叛意有」の噂を魏で流させ、司馬懿を国政から遠ざけたのは、馬謖の案によるもの。司馬懿からは「才能はあれど将たる器ではない」と評される。 街亭の戦いの大将を務めたが功を焦り、己の才能への過信もあって大失態を犯し、優勢だった蜀軍は総撤退となった。その責任をとる形で処刑され「泣いて馬謖を斬る」の語源となった。 馬岱 声:菅沼久義(三国志大戦(第2期)) 馬超の従兄弟。(30 - 59巻) 馬超と共に劉備に降る。南征、北伐で活躍する。 蜀に尽くし孔明に「忠義の士」と評された。劉備の死後あたりからは一気に老けた顔立ちになった。 孔明が魏延を始末しようとして失敗し魏延が激怒した際には、馬岱に責任があるとされ、五十杖の刑を受け一般兵へと降格させられる。その後魏延の希望によりその配下となる。しかしそれは孔明の策であり、孔明死後反乱を起こした魏延と行動を共にし隙を見て魏延を討ち果たし、魏延の官爵を引き継いだ。 王平 蜀の武将。(39 - 59巻) 元は魏に仕えていたが、徐晃が背水の陣を敷いて敗戦した際、救援に行かなかったため罪を擦り付けられることを恐れ、蜀に降る。その後は、蜀軍の主力の一人として活躍する。何事にも慎重に取り掛かり軍令を厳守する。 李厳 蜀の食料長官。 元は劉璋に仕えていたが後に劉備に降る。黄忠との一騎討ちに引き分けたこともある優れた将。孔明も南蛮出兵の際には陸遜に太刀打ちできるとまで信頼していた。 北伐中に兵糧輸送に手間取り、「魏と呉が手を結んだ」と偽って蜀軍を総撤退させ、それが露見し責任を問われ処刑されそうになるが、かつて劉備に後事を託された功臣でもあったため費禕により助命され、平民に落とされる。 子の李豊がその後を継いで、諸葛亮から食料長官に任じられた。 法正 元は劉璋の配下であるが、蜀の未来を憂いて暗愚な劉璋を見限り、友人である張松・孟達らと共に玄徳に味方する。 知略に優れ、その頭脳は孔明からも認められており、定軍山の戦いでは黄忠の軍監として参戦し、彼を支えた。蜀内部の人事に関しても詳しい。 孟達 元は劉璋の配下であるが、蜀の未来を憂いて暗愚な劉璋を見限り、友人である張松・法正らと共に玄徳に味方する。 知勇兼備の武将だが、後に己の利害を優先し、関羽戦死の一因を作ってしまい、魏に亡命する。しかし孔明は「義を知り詩書を読む人物に良心がないわけがない」と評し、魏が玄徳の死の直後に立てた五路侵攻作戦では、親友の李厳と戦うことを躊躇し、仮病を使って軍を動かさなかった。 後に曹叡の代になって冷遇され始めたことと、蜀軍の勢いに恐れをなしたことから蜀に帰参しようとするが、司馬懿を甘く見たのが祟り、最後の悪あがきで徐晃を射殺するも、司馬懿の電撃的攻撃によって謀反に失敗して、共謀した申兄弟に討たれて命を落とす。 呉懿 元劉璋の配下。玄徳の蜀侵攻に際して応戦し、張任の策により張飛を追いつめるが、そこに現れた趙雲との一騎討ちに敗れて捕らわれ、玄徳の説得に応じて降伏する。北伐では呉班と共に魏軍を攻め、呉班は張虎に討たれたものの呉懿は苦戦する魏延軍を援護したため、難を逃れている。 厳顔 元劉璋の配下。張飛を相手に一歩も引かず応戦するが、彼の計略にかかり捕らわれる。捕らわれて尚毅然とした態度で抵抗し、その態度に感服した張飛から説得され、玄徳の配下となる。 黄忠と共に「老将コンビ」として描かれている。 呉蘭 元劉璋の配下。玄徳に捕らわれ厳顔から説得され配下となる。南山の戦いで馬超の部下として登場し、曹操軍をなめてかかり敗北する、その後漢中の戦いで曹彰と一騎討ちになり、討ち取られた。 雷同 元劉璋の配下。呉蘭と共に玄徳の配下となる。巴西の戦いでは張飛の部下となり、彼と魏延と共に張郃を打ち破る。しかしその後の戦いで勢いに乗って張郃を追い詰めたが、伏兵にあって殺された。 李恢 元劉璋の配下。字は徳昂。馬超と戦う玄徳に味方し、馬超を説き伏せ降伏させることに成功する。 その後は、蜀漢の武将として活躍した。 彭義 元劉璋の配下で、法正、孟達の親友。字は永年。龐統と面会した際、床に寝そべり彼に対し尊大な態度をとったため、いぶかしんだ彼が法正に引き合わせたことで素性が判明。玄徳に面会し、涪水の堤防を決壊させる冷苞の策を示唆した。 後に孟逹が関羽を見殺しにしたことで立場が危うくなったことを告げようと使者を送るが、この使者は馬超に捕まってしまう。さらに馬超が探りを入れたところ謀反の誘いを持ち掛けたため、馬超はこれを玄徳に報告する。即刻逮捕され処刑されたが、親友の処刑に危機感を抱いた孟逹が魏に亡命することを決定づけてしまった。 初登場の回と処刑される回で風貌が全く異なっている。 黄権 元劉璋の配下。当初は玄徳を警戒し、王累らと共に、玄徳を蜀に招かぬよう劉璋を諌めるが、聞き入れられなかった。玄徳の入蜀後は彼に仕える。 夷陵の戦いでは水軍を率いて呉と戦った。その後魏に降る点については本編では触れられていない。 楊儀 北伐の際に孔明の側近として登場する。文官として孔明に重用され、魏延の行為を事細かに孔明に報告したために、これが魏延の恨みを買う結果となった。 孔明の死去の際には蜀軍撤退の宰領を任され、孔明の生前の秘策で見事に魏延を討ち取る結果を残した。 しかし、孔明が後事を託したのは楊儀ではなく蔣琬、費禕であった。そのことを不満に思い酒の席で従者に叛意を露見させるも、それを恐れた従者が通報した。話を聞いた劉禅が怒り討伐しようとするも、それを諫めた蔣琬から功績を考慮されて助命されて、平民に落とされる。後に平民に落とされたのを恥じて自害した。 なお、孫権が蜀の使者として訪れた費禕に「魏延も楊儀も会ったことはないが伝え聞くに大した人物ではない、孔明ほどの人がなぜそんな小人を用いているのか」と言う描写がある。 費禕 蜀の文官。蔣琬と共に孔明亡き後の中枢を担う存在として描かれた。劉禅の教育係も務めていたようだが、彼の自堕落な生活ぶりを見た孔明から諭されている。 後に蜀の丞相となるが、魏の降将である郭循に宴席で刺殺された。 蔣琬 蜀の文官。費禕や董允と共に蜀の中枢を担う存在として描かれた。孔明からも自分の後丞相を継ぐ者として真っ先に彼の名をあげられている。 孔明死後に楊儀は蔣琬が丞相に就任したことを不満に持ち、楊儀の従者から通報を受けた費禕が「楊儀は魏延の元配下とはかって魏に投降する」旨を劉禅に上奏して、それを聞いた劉禅が激怒して楊儀を討伐するように命じるも、蔣琬はかえって官職を剥いで流罪にすべきと助命をした。 関興 関羽の息子で、父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦。 張苞と義兄弟の契りを結び、関羽に勝るとも劣らない武勇で後期の蜀の戦闘に度々参加し蜀を盛り立てた。しかし若くして病死し、孔明を嘆かせ、蜀の人材不足の一因となる。 張苞 張飛の子で、父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦。 関興と義兄弟の契りを結ぶ。父である張飛に勝るとも劣らない武勇で後期の蜀の戦闘に度々参加し蜀を盛り立てた。しかし、北伐の際に谷に落馬し深傷を負って、破傷風により死亡した。 関索 関羽の息子で関興の弟。荊州が奪われた際に重傷を負うが一命を取り留め、南蛮遠征より参戦。木鹿王を討ち取る功績をあげた。 趙統、趙広 趙雲の息子。第二次北伐前に孔明のもとを訪れ、父の死を伝えた。 夏侯覇 夏侯淵の長子。夏侯威らの兄。はじめは司馬懿に従って蜀漢の軍勢と戦った。 魏において親戚の曹爽が司馬懿によって処刑され、司馬氏の専横に反発して叛乱を起こすも失敗し、蜀に亡命する。彼の亡命をきっかけとして、姜維は北伐の再開を建議して認められる。 蜀漢が滅亡する前年に、劉禅に進言した黄皓が「姜維は先年に出兵した際に夏侯覇を失っている」と述べている。 『魏略』において夏侯覇の妹は張飛に囲われて妻となり張飛とその妻との娘が劉禅の妃となるが、本作中ではその言及はされていない。 同名の武将が長坂橋の戦いで張飛に一騎討ちを挑み、川に突き落とされる。この人物が若い頃の夏侯覇本人なのかどうかは、作中では言及は無い(『三国志演義』の夏侯傑の役回りである)。 鄧芝 本編では玄徳の死後登場。蜀の戸部尚書だったが、孔明にその才を見出され、呉と和平を結ぶ役目を任される。命を賭した姿勢で孫権の心を大きく動かし、和平を結んだ。 北伐の前哨戦では趙雲の副将として出陣しており、政治家でありながら槍を振るって武働きもこなす人物として描かれている。 呉班 元は張飛の部下で、張飛の死を玄徳に報せた。玄徳の死後は蜀軍の主力の一人となる。最後の北伐で水路から魏軍を攻めるが逆手に取られてしまい、張虎の部隊に弓で射られ部隊は全滅、呉班も死亡した。 張嶷 玄徳の死後より登場し、南蛮遠征、北伐へと参加し、主力の部将の一人として活躍する。作中では「ちょうぎょく」と呼ばれる。 張翼 趙雲の部下として登場したのが初登場。南蛮遠征、北伐へと参加し、主力の部将の一人として活躍する。晩年、魏による蜀侵攻時に、姜維とともに剣閣で魏軍を食い止める老将として描かれた。 馬忠 南蛮遠征より登場。以後北伐においても蜀軍の主力の部将の一人として活躍する。 陳式 玄徳の生前より登場し、当初は黄忠の副将だった。定軍山の戦いで夏侯淵と戦って敗れ捕虜となるが、夏侯尚との人質交換により蜀陣へ戻る。 北伐では魏延の副将として登場。孔明の命令を無視し魏延と共に魏軍に突っ込むが大敗、その責任を取らされて処刑された。 王伉 永昌の太守。南蛮軍に対する最後の防衛線として奮戦し、蜀を守っていた。孔明に呂凱を紹介する。 呂凱 蜀の政治家。南蛮の事情に詳しい。孔明の南蛮遠征に際し、南蛮指掌図を著し、孔明に託した。 諸葛均 孔明の弟。玄徳が2度目に孔明の家を訪れた際に応対し、孔明への伝言を預かった。 諸葛瞻 孔明の子。魏の侵攻に際し綿竹関を死守するが鄧艾の猛攻を防ぎきれず、息子諸葛尚らと共に戦死した。 靳詳 魏将郝昭の友人。蜀に仕えているが、官職は定かではない。蜀軍が陳倉城を包囲した際、孔明のもとに郝昭を説得すると名乗り出る。しかし郝昭を降伏させることはできなかった。名は『三国志演義』では靳祥とされているが、本作では靳詳となっている。 劉諶 劉禅の子。魏に対し降伏を唱える劉禅に徹底抗戦を主張するが聞き入れられず、国を奪われることを玄徳に詫びながら妻子と共に自害した。 苟安 蜀の官僚で、李厳の部下。酒癖が悪く、蜀軍に食糧を届ける役目を担いながら、酒のために期日を10日も遅れる失態をしてしまう。孔明に斬られそうになるが楊儀の助命嘆願を受けて酌量され、八十杖の刑を科せられる。そのことを恨み魏に投降、司馬懿の命で「孔明が謀反を企んでいる」という偽情報を成都内で流させ、蜀軍を撤退させた。 黄皓 劉禅の側近。蔣琬ら主な政治家達が没すると権力を握り、劉禅を言いくるめて好き放題やっていた。姜維の再三にわたる援軍の手紙を破り捨て、劉禅の目に通らぬよう画策していた。蜀漢の滅亡後、「国を滅ぼす要因となった」罪で処刑された。
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