蜀将とは? わかりやすく解説

蜀将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)

三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「蜀将」の解説

諸葛亮 声:速水奨三国志大戦第2期)) 蜀の軍師玄徳死後物語後半主人公。(21 - 59巻) 字は孔明水鏡先生から「伏竜」と称され逸材だが、荊州隠棲し、その才能を知る者は限られていた。 発明家一面併せ持ち木牛流馬や木連弩などを発明したこともある。重要な会話盗み聞きされないよう羽扇を常に携え四輪車行動するのが特徴玄徳三顧の礼によって迎えられ、「天下三分の計」を提案する幕下迎えられてのちは「水魚の交わり」と比喩される親密主従関係を結ぶ。神算鬼謀によって赤壁の戦い蜀平定戦などにおいて貢献し玄徳臨終の際には蜀の後事託される玄徳遺志継ぎ出師の表劉禅提出して数度渡り北伐実行する何度も魏軍追いつめる長安を落とすことはかなわず、病に倒れ姜維らに後を託して没する龐統 声:中村悠一三国志大戦第2期)) 玄徳の副軍師。 字は士元水鏡先生から「鳳雛」と称され逸材で、孔明匹敵する智謀を持つ。 周瑜招きにより呉陣営加わり蔣幹欺いて曹操のもとへ赴き、彼に連環の計実行進言した。曹操のもとから帰途する際に旧友徐庶遭遇して戦い巻き込まれない秘策授けた名声轟いていたものの、汚い身なり無愛想な態度とっていた。周瑜死後魯粛推挙孫権招かれるも、その横着態度により怒らせたため起用されず、孔明推挙玄徳執り立てられた。 玄徳の蜀侵攻の際には軍師役割を担う。玄徳絶対的な信頼置かれる孔明多少嫉妬感を抱き孔明考えとは別に成都二方向から挟み撃ちするという策を実行するその内一隊を自ら率いることになるが、落坡にて張任配下放った矢に当たって戦死した関羽 声:速水奨三国志大戦第2期)) 玄徳義弟であり、義兄弟の中では次兄にあたる。五虎大将軍一人。(1 - 42巻) 字は雲長大きな体躯立派な顎鬚特徴豪傑徐州王忠と戦う以前太刀を、それ以降青龍偃月刀武器とする。義弟張飛とは異なり理知的な性格である。 子供相手に塾を開き学問教える生活をしていたが桃園の誓いにより玄徳義兄弟となり、以後付き従うことになる。張飛とともに一騎当千武芸と、「関羽不覚一度見たとがない」と称されるほどの用兵天下恐れられる一時曹操の下に降るも、玄徳生きていることを知ると曹操の下を去る。その後荊州守備就いた部下には人望厚かったが、プライドの高さから内部武将名士意見軽んじることがあり呉による荊州侵略遠因となる。当時無名だった陸遜侮って不覚取ってしまい、呂蒙による荊州攻略され捕らわれる最期養子関平と共に斬首された。享年58。 その首は魏に送られ蜀の注意を魏に向ける計略使われたが、司馬懿見破られ曹操の手により国葬とされた。 張飛 声:関智一三国志大戦第2期)) 玄徳義弟末弟五虎大将軍一人。(1 - 43巻) 字は翼徳史書『三国志』では「益徳とされる)。玄徳知り合う前は幽州家に仕えそれまで戦いで808人もの敵を倒したことから「八百八将軍はっぴゃくはっししょうぐん)」と呼ばれるその後家は黄巾賊滅ぼされ主君の仇を討つため黄巾賊入り機会窺っていたところで玄徳出会う桃園の誓いにより義兄関羽同様、玄徳付き従うことになる。 荒々しい風貌玄徳再会した際に顔に初登場時にはなかった刀傷ができていた。関羽と並ぶ巨躯を誇る豪傑蛇矛武器とする(玄徳徐庶召し抱えた頃から蛇矛本格的に使うようになり、それまで薙刀のような武器使っていた)。常人なら3人がかりで持ち上げるのがやっとの薙刀片手楽々と扱う桁外れ腕力有し関羽曹操に対して拙者より義弟張飛のほうが強い」と言わしめた猛将関羽とは対照的に武勇一辺倒で、酒癖悪く短気な性格。それらが元で部下兵卒暴力振るうこともしばしばで、玄徳らから叱責を受けることも少なくなかった。しかし、人情重んじる涙もろい面もあり、裏切り卑劣な行い許さない正義感持ち主。自らの不始末呂布徐州奪われ以降礼節をもって敵将接したり、策略用いるといった将としての風格徐々に身に着けるうになる夷陵の戦い范彊張達に、「三日以内白装束揃えるように」という命令下し、「できなければ斬る」と脅す。そのため刑罰恐れた二人に、寝込み襲われ逆に殺されてしまった。 趙雲 声:石田彰三国志大戦第2期)) 蜀の宿将五虎大将軍一人。(6 - 53巻) 字を子龍。細い目が特徴偉丈夫諸国旅し袁紹公孫瓚仕えるが、どれも仕えるべき器の人物ではないと感じ主君変える。やがて玄徳主従の関係を結ぶことになる。 実直かつ冷静な性格加え全身肝っ玉」といわしめる度胸良さ多くの戦に貢献する色香惑わされず、武士としての体面重んじる様は玄徳に「真の武士」と称されるほどである。槍術巧みで、関羽、張飛と並ぶ武勇持ち主孔明北伐の際に一気老け込む街亭の戦いから帰還した後に病に倒れ世を去ったその他の『三国志』創作作品はしばし美丈夫描かれるが、本作品では屈強な武士然とした面相描かれている。 黄忠 声:竹内良太三国志大戦第2期)) 五虎大将軍一人。(28 - 43巻) 字は漢升。関羽渡り合うほどの腕を持ち百発百中の弓の名手でもある老将。元は狭量な太守韓玄仕えていたが、荊州平定の際に玄徳説得され配下となる。自らの年齢対す焦りもあってか、常に戦に命を投げ打つ覚悟がある。 策を用い成功を収める場面もあるが、自負過ぎてをしすぎてしまうこともしばしばある。 定軍山の戦いでは法正副将携え大将務め見事に夏侯淵討ち取った夷陵の戦いでは若い世代負けるかと負けん気発揮するも、重傷負ってしまい死亡する馬超 声:八代拓三国志大戦第2期)) 五虎大将軍一人。(30 - 49巻) 字は孟起張飛互角に渡り合え武勇持ち主曹操父馬騰と弟達を謀殺され、韓遂と共に復讐戦を起こす賈詡策略により韓遂裏切られ敗れる。 漢中張魯身を寄せ恩を返すために成都援軍に向かうも、玄徳通じた張魯配下楊松策謀張魯との関係が悪化し李恢説得聞き入れ玄徳の下に降り臣従する。 余人武勇誉れ馬超をみて「西涼錦馬超」と称し西方異民族も「神威大将軍」と畏敬の念抱いている。 武勇においては許褚張飛互角に渡り合うほどの実力持ち何度異民族の侵入阻止している。 蜀成立以降目立った描写なくなり南征終わった後に死去したことがわずかに語られる姜維 声:佐藤拓也三国志大戦第2期)) 蜀の名将。(50 - 60巻) 字は伯約20余歳の若武者で、長老舌を巻く知識持ち趙雲魏延との一騎討ちにも一歩引かない文武両道の将で「天水麒麟児」と異名を取る。母思い親孝行人物としても有名。 当初魏将として登場し孔明初めての敗北味わわせる。その才能見込んだ孔明計略によって蜀軍に加わる。 以降孔明軍略受け継ぎ孔明臨終の際には蔣琬費禕と共に後事託された。孔明死後主役格として蜀の北伐指導するが、幾度か奮戦するも功実らなかった(『演義』ではかつての司馬懿部下郭淮や、その他に魏将討ち取る活躍描写されるが、本作では大幅に省略されている)。 魏の蜀侵攻時には剣閣に陣を張って迎撃し、魏の大軍相手一歩も引かなかったが、鄧艾成都降伏させたことを知ると、部下涙しながら自らの剣を折って無念を嘆じた。 史実ではその後魏将対立巻き込まれ死亡演義においては復興陰謀失敗して亡くなったとされるが、本作では描かれなかった。 魏延 声:杉田智和三国志大戦第2期)) 蜀の猛将。(28 - 59巻) 字は文長韓玄から黄忠助けるために立ち上がる韓玄裏切ったことで孔明から危険視されるが、玄徳とりなし配下になる。 実は曹操荊州攻めて来た時に襄陽城へ誘導しようとして登場しているが玄徳達は城内混乱しているため入城断念している。 五虎大将軍全員亡くなった後、蜀の主力として活躍するが、孔明とは戦略巡って度々衝突するようになり、不遜さが目立ち始める(演義における反骨の相の話が出るのはこの時)。その後、呉の孫権からもこのことを指摘されている。 孔明亡き後楊儀対立し謀反起こし自ら蜀の覇者を目指すも、馬岱に斬られる。 劉封 樊城県令劉泌の甥で元の名は寇封。玄徳樊城陥落させた際、面会した劉泌の傍らにいたところを劉備気に入られ養子となる。 作中において、当初関羽養子である関平と組むことが多かったが、関平養父関羽従い荊州守りにつくと代わりに孟達と組むことが多くなる初登場から20年近く渡り玄徳配下の将として活躍しているが、一貫してあどけなさの残る若武者といった容貌描かれている。 関羽が麦城で苦戦遇い援軍要請されたが孟達反対され、やむなくこれを断ったため、関羽戦死一因作ってしまう。 その後魏に寝返った孟達討伐を命ぜられるが敗走激怒した玄徳処刑命じたが、処刑後劉封忠実であったことを知って悔恨した。 関平 関羽養子。元は関羽曹操の下から玄徳の下へ帰還する際に立ち寄ったある商人の関定の次男。兄に関寧がいる。 作中では劉封と組むことが多かったが、荊州守りについてからは父と組むことが多くなった。頭に頭巾巻いた若武者として描かれる最期関羽と共に捕えられ、処刑された。 張世平 中山商人黄巾賊のために故郷追われて、甥のと共に商人として流浪の旅続けていた。張飛に声をかけられ玄徳軍旗揚げ際し資金提供した孫乾陶謙幕僚陶謙亡き後玄徳仕える。主に外交において活躍する。なお、初登場時袁紹への使者務めた際は、名前の読みが「そんかんとなっていた。 糜芳、傅士仁 荊州防護任され部将糜芳は元陶謙軍の部将で、陶謙亡き後は兄・糜竺と共に玄徳仕えた呉軍荊州侵攻の際、虞翻示唆により共に呉に降伏する夷陵の戦い際し再び呉を裏切って蜀に投降するが許されず、関興に斬られた。 范彊、張達 張飛部下夷陵の戦い先立ち張飛命令延期要望するが、聞き入れられ逆に殴りつけられ、「できなければ斬る」と脅される。そのため張飛寝込み襲って殺害し、首を持って呉に逃亡した。 後に蜀と停戦するための手土産として、張飛の首とともに蜀の陣営へと送り返され張苞に斬られた。 周倉黄巾賊大将関羽惚れこみ部下にしてもらう。水練達者であり、樊城郊外戦いで龐徳水中での組み合いの末捕えている。 荊州防衛の際にも、関羽側近として仕えていた。関父子の死を知ると同時に自刃王甫 関羽側近荊州防衛際し烽火台設置提案した。 関父子の死を知ると麦城の城壁から飛び降り殉死した廖化 漢水戦い荊州戦い北伐など随所活躍する。しかし北伐時には司馬懿取り逃がす失態演じており、孔明をして「将が小粒になった」と蜀の人材不足を嘆かせた。孔明亡き後の魏による蜀侵攻時にも、姜維とともに剣閣で魏軍食い止めた武将として、名前だけ登場する伊籍劉表幕僚玄徳戦場手に入れた的盧が凶馬であると忠告した馬良玄徳配下引き入れたり、呉を動かし合肥城を攻めさせたりする活躍見せる。 馬良 荊州隠遁する有能な士。馬謖の兄。 白い眉をもった若者で、馬良兄弟一人で「馬氏五常白眉最も良し」と最も評価高かったその事から、孔明推挙伊籍口添えにより劉備配下になる。長沙桂陽などの四郡取り進言する孔明南蛮平定向かった際、出立前に死亡したことが馬謖によって伝えられた。 馬謖 馬良の弟。 若くしてその才能孔明見出され馬謖もまた孔明師父仰いだ。「司馬懿叛意有」の噂を魏で流させ、司馬懿国政から遠ざけたのは、馬謖の案によるもの司馬懿からは「才能はあれど将たる器ではない」と評される街亭の戦い大将務めたが功を焦り、己の才能への過信もあって大失態犯し優勢だった蜀軍は総撤退となった。その責任をとる形で処刑され泣いて馬謖を斬る」の語源となった馬岱 声:菅沼久義三国志大戦第2期)) 馬超従兄弟。(30 - 59巻) 馬超と共に劉備に降る。南征北伐活躍する。 蜀に尽くし孔明に「忠義の士」と評された。劉備死後あたりからは一気老けた顔立ちになった孔明魏延始末しようとして失敗し魏延激怒した際には、馬岱責任があるとされ、五十の刑を受け一般兵へと降格させられるその後魏延希望によりその配下となる。しかしそれは孔明の策であり、孔明死後反乱起こした魏延行動を共にし隙を見て魏延討ち果たし魏延官爵引き継いだ王平 蜀の武将。(39 - 59巻) 元は魏に仕えていたが、徐晃背水の陣敷いて敗戦した際、救援に行かなかったため罪を擦り付けられることを恐れ、蜀に降る。その後は、蜀軍主力一人として活躍する何事にも慎重に取り掛かり軍令厳守する李厳 蜀の食料長官。 元は劉璋仕えていたが後に劉備に降る。黄忠との一騎討ち引き分けたこともある優れた将。孔明南蛮出兵の際には陸遜太刀打ちできるとまで信頼していた。 北伐中に兵糧輸送手間取り、「魏と呉が手を結んだ」と偽って蜀軍を総撤退させ、それが露見し責任問われ処刑されそうになるが、かつて劉備後事託され功臣でもあったため費禕により助命され、平民落とされる。 子の李豊その後継いで諸葛亮から食料長官任じられた。 法正 元は劉璋配下であるが、蜀の未来を憂い暗愚劉璋見限り友人である張松孟達と共に玄徳味方する知略優れ、その頭脳孔明からも認められており、定軍山の戦いでは黄忠軍監として参戦し、彼を支えた。蜀内部人事に関しても詳しい。 孟達 元は劉璋配下であるが、蜀の未来を憂い暗愚劉璋見限り友人である張松法正と共に玄徳味方する知勇兼備武将だが、後に己の利害優先し関羽戦死一因作ってしまい、魏に亡命する。しかし孔明は「義を知り詩書を読む人物良心がないわけがない」と評し、魏が玄徳の死の直後立てた五路侵攻作戦では、親友李厳と戦うことを躊躇し仮病使って軍を動かさなかった。 後に曹叡の代になって冷遇され始めたことと、蜀軍勢い恐れをなしたことから蜀に帰参ようとするが、司馬懿甘く見たのが祟り最後悪あがき徐晃射殺するも、司馬懿電撃的攻撃によって謀反失敗して共謀した兄弟討たれ命を落とす呉懿劉璋配下玄徳の蜀侵攻に際して応戦し張任の策により張飛追いつめるが、そこに現れ趙雲との一騎討ち敗れて捕らわれ玄徳説得に応じて降伏する北伐では呉班と共に魏軍攻め呉班張虎討たれたものの呉懿苦戦する魏延軍援護したため、難を逃れている。 厳顔劉璋配下張飛相手一歩引かず応戦するが、彼の計略にかかり捕らわれる捕らわれて毅然とした態度抵抗し、その態度感服した張飛から説得され玄徳配下となる。 黄忠と共に老将コンビ」として描かれている。 呉蘭劉璋配下玄徳捕らわれ厳顔から説得され配下となる。南山の戦い馬超部下として登場し曹操軍をなめてかかり敗北するその後漢中戦いで曹彰一騎討ちになり、討ち取られた。 雷同劉璋配下呉蘭と共に玄徳配下となる。巴西戦いで張飛部下となり、彼と魏延と共に張郃打ち破る。しかしその後の戦い勢い乗って張郃追い詰めたが、伏兵にあって殺された。 李恢劉璋配下。字は徳昂。馬超と戦う玄徳味方し馬超説き伏せ降伏させることに成功するその後は、蜀漢武将として活躍した彭義劉璋配下で、法正孟達親友。字は永年龐統面会した際、床に寝そべり彼に対し尊大な態度をとったため、いぶかしんだ彼が法正引き合わせたことで素性判明玄徳面会し、涪水の堤防決壊させる冷苞の策を示唆した。 後に孟逹が関羽見殺しにしたことで立場危うくなったことを告げよう使者を送るが、この使者馬超捕まってしまう。さらに馬超探りを入れたところ謀反誘い持ち掛けたため、馬超はこれを玄徳報告する即刻逮捕され処刑されたが、親友処刑危機感抱いた孟逹が魏に亡命することを決定づけてしまった。 初登場の回と処刑される回で風貌が全く異なっている。 黄権劉璋配下当初玄徳警戒し王累と共に玄徳を蜀に招かぬよう劉璋諌めるが、聞き入れられなかった。玄徳入蜀後は彼に仕える。 夷陵の戦いでは水軍率いて呉と戦ったその後魏に降る点については本編では触れられていない楊儀 北伐の際に孔明側近として登場する文官として孔明重用され魏延行為事細かに孔明報告したために、これが魏延恨みを買う結果となった孔明死去の際には蜀軍撤退宰領任され孔明生前秘策見事に魏延討ち取る結果残した。 しかし、孔明後事託したのは楊儀ではなく蔣琬費禕であったそのこと不満に思い酒の席で従者叛意露見させるも、それを恐れた従者通報した。話を聞いた劉禅怒り討伐ようとするも、それを諫めた蔣琬から功績考慮され助命されて、平民落とされる。後に平民落とされたのを恥じて自害した。 なお、孫権が蜀の使者として訪れた費禕に「魏延楊儀会ったことはないが伝え聞く大した人物ではない、孔明ほどの人がなぜそんな小人用いているのか」と言う描写がある。 費禕 蜀の文官蔣琬と共に孔明亡き後中枢を担う存在として描かれた。劉禅教育係務めてたようだが、彼の自堕落な生活ぶりを見た孔明から諭されている。 後に蜀の丞相となるが、魏の降将である郭循宴席刺殺された。 蔣琬 蜀の文官費禕董允と共に蜀の中枢を担う存在として描かれた。孔明からも自分の後丞相継ぐ者として真っ先彼の名をあげられている。 孔明死後楊儀蔣琬丞相就任したことを不満に持ち楊儀従者から通報受けた費禕が「楊儀魏延の元配下はかって魏に投降する」旨を劉禅上奏して、それを聞いた劉禅激怒して楊儀討伐するように命じるも、蔣琬はかえって官職を剥いで流罪にすべきと助命をした。 関興 関羽息子で、父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦張苞義兄弟契りを結び、関羽勝るとも劣らない武勇後期の蜀の戦闘に度々参加し蜀を盛り立てた。しかし若くして病死し孔明を嘆かせ、蜀の人材不足一因となる。 張苞 張飛の子で、父の仇を討つために夷陵の戦いより参戦関興義兄弟契りを結ぶ。父である張飛勝るとも劣らない武勇後期の蜀の戦闘に度々参加し蜀を盛り立てた。しかし、北伐の際に谷に落馬し深傷負って破傷風により死亡した関索 関羽息子関興の弟。荊州奪われた際に重傷を負うが一命取り留め南蛮遠征より参戦木鹿王討ち取る功績をあげた。 趙統、趙広 趙雲息子第二次北伐前に孔明のもとを訪れ父の死伝えた夏侯覇 夏侯淵長子夏侯威らの兄。はじめは司馬懿に従って蜀漢軍勢戦った。 魏において親戚曹爽司馬懿によって処刑され司馬氏専横反発して叛乱起こす失敗し、蜀に亡命する彼の亡命きっかけとして、姜維北伐再開建議し認められる蜀漢滅亡する前年に、劉禅進言した黄皓が「姜維先年出兵した際に夏侯覇失っている」と述べている。 『魏略』において夏侯覇の妹は張飛囲われて妻となり張飛とその妻との娘が劉禅の妃となるが、本作中ではその言及はされていない同名武将長坂戦いで張飛一騎討ち挑み、川に突き落とされる。この人物が若い頃夏侯覇本人なのかどうかは、作中では言及は無い(『三国志演義』夏侯傑役回りである)。 鄧芝 本編では玄徳死後登場。蜀の戸部尚書だったが、孔明にその才を見出され、呉と和平を結ぶ役目任される。命を賭した姿勢孫権の心を大きく動かし和平結んだ北伐前哨戦では趙雲副将として出陣しており、政治家ありながら振るって働きもこなす人物として描かれている。 呉班 元は張飛部下で、張飛の死を玄徳報せた。玄徳死後蜀軍主力一人となる。最後北伐水路から魏軍攻めるが逆手取られてしまい、張虎部隊に弓で射られ部隊全滅呉班死亡した張嶷 玄徳死後より登場し南蛮遠征北伐へと参加し主力部将一人として活躍する作中では「ちょうぎょく」と呼ばれる張翼 趙雲部下として登場したのが初登場南蛮遠征北伐へと参加し主力部将一人として活躍する晩年、魏による蜀侵攻時に姜維とともに剣閣で魏軍食い止める老将として描かれた。 馬忠 南蛮遠征より登場以後北伐においても蜀軍主力部将一人として活躍する陳式 玄徳生前より登場し当初黄忠副将だった。定軍山の戦い夏侯淵戦って敗れ捕虜となるが、夏侯尚との人質交換により蜀陣へ戻る。 北伐では魏延副将として登場孔明命令無視し魏延と共に魏軍突っ込むが大敗、その責任を取らされて処刑された。 王伉 永昌太守南蛮軍対す最後防衛線として奮戦し、蜀を守っていた。孔明呂凱紹介する呂凱 蜀の政治家。南蛮事情に詳しい。孔明南蛮遠征際し南蛮指掌図を著し孔明託した諸葛均 孔明の弟。玄徳2度目孔明の家を訪れた際に応対し孔明への伝言預かった諸葛瞻 孔明の子。魏の侵攻際し綿竹関を死守する鄧艾猛攻防ぎきれず、息子諸葛尚と共に戦死した靳詳 魏将郝昭友人。蜀に仕えているが、官職定かではない蜀軍陳倉城を包囲した際、孔明のもとに郝昭説得する名乗り出る。しかし郝昭降伏させることはできなかった。名は『三国志演義』では靳祥とされているが、本作では靳詳となっている。 劉諶 劉禅の子。魏に対し降伏唱える劉禅徹底抗戦主張する聞き入れられず、国を奪われることを玄徳詫びながら妻子と共に自害した苟安 蜀の官僚で、李厳部下酒癖悪く蜀軍食糧届け役目担いながら、酒のために期日10日も遅れる失態をしてしまう。孔明に斬られそうになる楊儀助命嘆願受けて酌量され、八十の刑を科せられるそのこと恨み魏に投降司馬懿の命で「孔明謀反企んでいる」という偽情報成都内で流させ、蜀軍撤退させた。 黄皓 劉禅側近蔣琬主な政治家達が没する権力握り劉禅言いくるめて好き放題やっていた。姜維再三にわたる援軍の手紙を破り捨て劉禅の目に通らぬよう画策していた。蜀漢の滅亡後、「国を滅ぼす要因となった」罪で処刑された。

※この「蜀将」の解説は、「三国志 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
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