蜀志での扱いとは? わかりやすく解説

蜀志(三国志正史)での扱い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 10:07 UTC 版)

五虎大将軍」の記事における「蜀志三国志正史)での扱い」の解説

五虎大将軍起源は、3世紀書かれ歴史書『三国志』(「正史」)に遡る。 5人の伝が、『蜀志第6巻 「関張馬黄趙伝」として、1巻まとめて記述されている。 関羽、張飛馬超黄忠の4人が、それぞれ前将軍右将軍左将軍後将軍任じられた。 趙雲このなかで比較的、昇進遅く新参馬超黄忠らに追い抜かれていた。 正史での評価蜀志』「関張馬黄趙伝」の「評」によれば関羽・張飛は「万人之敵(一人一万人と戦えるほどの猛者)」。また、張飛伝』でも、程昱らが同様の賞賛をしている。 『馬超伝』本文では、馬超は「剛力(の持ち主)」、楊阜曹操進言した際には、「韓信黥布武勇」。「評」では「猛勇」。 『黄忠伝』本文では、「勇毅三軍黄忠三軍筆頭勇者)」。 趙雲は、『季漢輔臣賛』に「忠義勇猛さ兼ね備えていた」陳寿の評では黄忠とならび壮猛で軍の爪牙となった、と記述されている。 正史での関羽のプライド馬超黄忠対するもの) 『関羽伝』には、馬超劉備下った際、「彼は誰に並ぶ者か?」と手紙問いかけている。これに対し諸葛亮が「張飛将軍には匹敵しますが、美髯公関羽)には及びません」と返信している。関羽返信喜び来客見せびらかした、とある。 劉備黄忠後将軍任命する際、諸葛亮が「大抜擢であり、関羽将軍納得しないのではないでしょうか?」と進言している。これに対し劉備が「私自身雲長説明する」と答えている(『黄忠伝』)。

※この「蜀志(三国志正史)での扱い」の解説は、「五虎大将軍」の解説の一部です。
「蜀志(三国志正史)での扱い」を含む「五虎大将軍」の記事については、「五虎大将軍」の概要を参照ください。

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