蜀志(三国志正史)での扱い
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「五虎大将軍」の記事における「蜀志(三国志正史)での扱い」の解説
五虎大将軍の起源は、3世紀に書かれた歴史書『三国志』(「正史」)に遡る。 5人の伝が、『蜀志』第6巻 「関張馬黄趙伝」として、1巻にまとめて記述されている。 関羽、張飛、馬超、黄忠の4人が、それぞれ前将軍、右将軍、左将軍、後将軍に任じられた。 趙雲はこのなかで比較的、昇進は遅く、新参の馬超、黄忠らに追い抜かれていた。 正史での評価 『蜀志』「関張馬黄趙伝」の「評」によれば、関羽・張飛は「万人之敵(一人で一万人と戦えるほどの猛者)」。また、『張飛伝』でも、程昱らが同様の賞賛をしている。 『馬超伝』本文では、馬超は「剛力(の持ち主)」、楊阜が曹操に進言した際には、「韓信・黥布の武勇」。「評」では「猛勇」。 『黄忠伝』本文では、「勇毅冠三軍(黄忠は三軍筆頭の勇者)」。 趙雲は、『季漢輔臣賛』に「忠義と勇猛さを兼ね備えていた」陳寿の評では黄忠とならび壮猛で軍の爪牙となった、と記述されている。 正史での関羽のプライド(馬超、黄忠に対するもの) 『関羽伝』には、馬超が劉備に下った際、「彼は誰に並ぶ者か?」と手紙で問いかけている。これに対し、諸葛亮が「張飛将軍には匹敵しますが、美髯公(関羽)には及びません」と返信している。関羽は返信に喜び、来客に見せびらかした、とある。 劉備が黄忠を後将軍に任命する際、諸葛亮が「大抜擢であり、関羽将軍が納得しないのではないでしょうか?」と進言している。これに対し、劉備が「私自身が雲長に説明する」と答えている(『黄忠伝』)。
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