王累
王累
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 01:49 UTC 版)
王累 | |
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後漢 従事 | |
出生 | 生年不詳 益州広漢郡新都県 |
死去 | 建安16年(211年) 益州蜀郡成都 |
拼音 | Wáng Lèi |
主君 | 劉璋 |
王 累(おう るい、生年不詳 - 211年? )は、中国後漢末期の武将。益州広漢郡新都県の人[1]。
略伝
劉璋の忠実な家臣で、その才能を認められ従事に任じられた。
211年、劉璋が張魯に対抗するため、劉備を益州に招こうとした時、城門に自分の身体を逆さ吊りにして諫言した。しかし、劉璋が彼の言葉を受け入れなかったため、王累は縄を解いて門前で首を掻き切って自決し、反対の意志を貫いた。このため『華陽国志』では、彼のことを「忠烈公、従事王累」と崇められている。
小説『三国志演義』第六十回でも、逆さ吊りとなって劉璋を諫めるが、聞き容れられなかったため、大いに叫ぶこと一声、自ら縄を切って地面に落下死している。
注釈
王累
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)
「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「王累」の解説
劉璋の幕僚。玄徳を迎え入れようとする劉璋を、城門に逆さ吊りになって諌めた。しかし聞き入れられず、「惜しいかな蜀」と言い残し縄を切って自殺した。
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