王累とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 三国志小事典 > 王累の意味・解説 

王累Wang Lei

オウルイ
ワウルヰ

(?~211
益州従事

劉璋従事広漢郡新都の人《華陽国志》。『華陽国志』は「忠烈従事王累」と称えている。

建安十六年(二一一)、曹操張魯討伐のため漢中軍勢差し向けた聞き、それを恐れた益州劉璋は、別駕従事張松献策を容れて荊州から劉備招き入れようとした。王累は我が身を州城の城門逆さ吊りにして諫めたが、劉璋聞き入れなかった《劉璋伝》。王累はその計画不可主張するため、城門において自刎して果てた華陽国志》。

参照曹操 / 張松 / 張魯 / 劉璋 / 劉備 / 益州 / 漢中郡 / 荊州 / 広漢郡 / 新都県 / 従事 / 別駕従事 / 牧 / 華陽国志


王累

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 01:49 UTC 版)

王累
後漢
従事
出生 生年不詳
益州広漢郡新都県
死去 建安16年(211年
益州蜀郡成都
拼音 Wáng Lèi
主君 劉璋
テンプレートを表示

王 累(おう るい、生年不詳 - 211年? )は、中国後漢末期の武将。益州広漢郡新都県の人[1]

略伝

劉璋の忠実な家臣で、その才能を認められ従事に任じられた。

211年、劉璋が張魯に対抗するため、劉備を益州に招こうとした時、城門に自分の身体を逆さ吊りにして諫言した。しかし、劉璋が彼の言葉を受け入れなかったため、王累は縄を解いて門前で首を掻き切って自決し、反対の意志を貫いた。このため『華陽国志』では、彼のことを「忠烈公、従事王累」と崇められている。

小説『三国志演義』第六十回でも、逆さ吊りとなって劉璋を諫めるが、聞き容れられなかったため、大いに叫ぶこと一声、自ら縄を切って地面に落下死している。

注釈

  1. ^ 華陽国志』「広漢士女」

王累

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)

三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「王累」の解説

劉璋幕僚玄徳迎え入れようとする劉璋を、城門逆さ吊りになって諌めた。しかし聞き入れられず、「惜しいかな蜀」と言い残し縄を切って自殺した

※この「王累」の解説は、「三国志 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
「王累」を含む「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事については、「三国志 (横山光輝の漫画)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「王累」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「王累」の関連用語

王累のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



王累のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2024 mujin. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの王累 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三国志 (横山光輝の漫画) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS