王統の断絶、タウングーとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 16:17 UTC 版)
「アヴァ王朝」の記事における「王統の断絶、タウングーとの戦い」の解説
トハンブワの即位後間も無くソーロンは部下によって殺害され、ビルマ族の城市であるタウングーと戦い、1542年にピェーを包囲するタウングー王タビンシュウェティの妹婿バインナウンとの戦いに敗れて没落した。非仏教徒であるトハンブワはビルマ族が信仰する仏教の弾圧、寺社仏塔の破壊、僧侶の殺害、経典の焼却を行って民衆の反感を買い、国内で一定の勢力を保っていた宗教団体のアラニャ僧団も大きな被害を被った。また、トハンブワ即位後の宮廷ではシャン族出身の廷臣が権勢をふるい、ビルマ族は彼らより侮辱を受けるようになる。ビルマ族の廷臣はトハンブワの腹心であるビルマ人軍人ミンチーヤンアウンに非道を訴え、トハンブワはミンチーヤンアウンの手で殺害された。トハンブワの死後、ビルマ族の廷臣はミンチーヤンアウンに即位を乞うが彼はその願いを断り、シポーのシャン族領主コンマインをアヴァの王に推薦して隠棲した。 コンマインの子モビー・ナラパティは城市間の争いを統制することができず、1552年にサリンの領主シトゥチョーティンに譲位してタウングーの王となったバインナウンに臣従した。1555年にバインナウンの攻撃によってアヴァは陥落し、王朝は滅亡した。
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