王統史での最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/30 07:36 UTC 版)
ペグーの領主となっていたヤマンカンが反乱を起こした後、ソウルーはチャンシッターを再び呼び戻して反乱鎮圧への従軍を命じた。ソウルーは堅固に守りを固める敵陣を慎重に攻めるべきだというチャンシッターの忠言に耳を貸さず、沼地で守りを固めていたヤマンカンの軍に攻撃を行って大敗し、捕虜となった。ソウルーは敵陣に単身忍び込んだチャンシッターによって一度は救出されるが、迫害された恨みを持つチャンシッターより報復を受けることを恐れ、ヤマンカンの元に留まっていた方が安全だと考えて、大声を上げて敵兵に助けを求めた。憤慨したチャンシッターは彼を敵陣に置いて脱出し、残された彼は頼みにしていたヤマンカンによって処刑された。
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