豊饒の海 豊饒の海の概要

豊饒の海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/04 03:48 UTC 版)

豊饒の海
The Sea of Fertility
著者 三島由紀夫
イラスト 装幀:村上芳正(全巻共通)
書・加屋霽堅(奔馬)
三島瑤子(天人五衰)
発行日 1969年1月5日(春の雪)
1969年2月25日(奔馬)
1970年7月10日(暁の寺)
1971年2月25日(天人五衰)
発行元 新潮社
ジャンル 小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本 布装・貼函
ページ数 269(春の雪)、402(奔馬)、
341(暁の寺)、271(天人五衰)
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「豊饒の海」とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」(ラテン語名)の日本語訳で、モデルとなった寺院は奈良市にある「圓照寺」である。最終巻『天人五衰』の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地割腹自殺した(三島事件)。

第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は認識なるものを突き詰めようとする初老の男とタイ生まれの官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人のせめぎ合いが扱われている。構成は、夢と生まれ変わりによって筋が運ばれ、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れになっており、仏教唯識思想、神道一霊四魂説、の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬、など様々な東洋の伝統を踏まえて描かれている。『浜松中納言物語』を典拠とし、「夢と転生の物語」のイメージが作られた[3]

発表経過

文芸雑誌新潮』に、先ず1965年(昭和40年)9月号から1967年(昭和42年)1月号にかけて『春の雪』が連載された。同年2月号から1968年(昭和43年)8月号にかけては『奔馬』、同年9月号から1970年(昭和45年)4月号にかけては『暁の寺』、同年7月号から1971年(昭和46年)1月号にかけては『天人五衰』が連載された。

単行本は、『春の雪(豊饒の海・第一巻)』が1969年(昭和44年)1月5日、『奔馬(豊饒の海・第二巻)』が同年2月25日、『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』が1970年 (昭和45年)7月10日、『天人五衰(豊饒の海・第四巻)』が1971年(昭和46年)2月25日に刊行された。現行版は各巻、新潮文庫から重版されて続けている。翻訳版は、Michael Gallagher訳(英題:Spring Snow、Runaway Horses)、Cecilia Segawa Seigle、D.E. Saunders訳(英題:Temple of Dawn)、エドワード・G・サイデンステッカー訳(英題:The Decay of the Angel)をはじめ、世界各国で行われている。

作品概要

『豊饒の海』について三島は、「小説家になつて以来考へつづけてゐた“世界解釈の小説”を書きたかつた」[4]と述べ、長編小説として屈指の長さを持ち、小説なるものがこの世に出現して以来、最も長い時間にわたり、かつ、国境を越え広大な空間に展開させ[4]、この人間世界全体を可能な限り覆い尽くし、この人間世界の成り立ち、その意味を解き明かすこと、小説なるものの存立の意味を示すことという「究極の小説」を目指した[1]。ちなみに、1950年(昭和25年)の『禁色』創作ノートに、「螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反歴史性、転生譚」といった言葉が記され、のちの『豊饒の海』を予告するようなことばがあり[4]、『花ざかりの森』『中世』『煙草』などにも「前世」への言及が見られ、もともと三島には早くから転生への関心を抱いていた傾向が見られる[1]

第一巻は「たわやめぶり(手弱女ぶり)」あるいは「和魂」を、第二巻は「ますらをぶり(益荒男ぶり)」あるいは「荒魂」を、第三巻は「エキゾチックな色彩的な心理小説」でいわば「奇魂」を、第四巻は「それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説」で「幸魂」へみちびかれるもの、と三島は述べている[4]

しかし、仕上がった第四巻『天人五衰』が当初の構想と全く異なるものであったことがうかがえる[5][6]。また、『天人五衰』の完結は1971年(昭和46年)末になるであろうと三島は述べていたが[4]、掲載終了が当初の予定よりも約1年余り早まった。1970年(昭和45年)3月頃、三島は村松剛に、「『豊饒の海』第四巻の構想をすっかり変えなくてはならなくなった」と洩らしたという[7]なお、第四巻の当初予定された題名は『月蝕』だった[8]

三島は死の一週間前、『豊饒の海』について次のように述べている。

あの作品では絶対的一回的人生というものを、一人一人の主人公はおくっていくんですよね。それが最終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてしまって、いずれもニルヴァーナ涅槃)の中に入るという小説なんです。

「三島由紀夫 最後の言葉」(古林尚との対談)[9][10]

また恩師の清水文雄宛てへの最後の書簡では、「小生にとつては、これが終ることが世界の終りに他ならない」[11]とし、次のように述べている。

カンボジアバイヨン寺院のことを、かつて「癩王のテラス」といふ芝居に書きましたが、この小説こそ私にとつてのバイヨンでした。書いたあとで、一知半解の連中から、とやかく批評されることに小生は耐へられません。又、他の連中の好加減な小説と、一ト並べにされることにも耐へられません。いはば増上慢の限りでありませうが……。

清水文雄宛て書簡 昭和45年11月17日付」[11]




  1. ^ a b c 松本徹『三島由紀夫を読み解く(NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学の世界)』(NHK出版、2010年)
  2. ^ a b 佐伯彰一「解説」(文庫版『春の雪(豊饒の海・第一巻)』)(新潮文庫、1977年)
  3. ^ 三島由紀夫「末尾 註」(『春の雪(豊饒の海・第一巻)』)(新潮社、1969年)
  4. ^ a b c d e 三島由紀夫『「豊饒の海」について』(毎日新聞 1969年2月26日に掲載)
  5. ^ 「創作ノート」(『決定版 三島由紀夫全集第14巻・長編14』)(新潮社、2002年)
  6. ^ 佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)
  7. ^ a b c d e 村松剛『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)
  8. ^ 「天人五衰 創作ノート」(『決定版 三島由紀夫全集第14巻・長編14』)(新潮社、2002年)
  9. ^ 古林尚との対談『三島由紀夫 最後の言葉』(図書新聞 1970年12月12日、1971年1月1日掲載)、音声は『三島由紀夫 最後の言葉 新潮CD 講演』(新潮社、2002年)に収録(初刊は新潮カセットで1989年4月)。
  10. ^ 『決定版 三島由紀夫全集第40巻・対談2』(新潮社、2004年)に収録。
  11. ^ a b 三島由紀夫「清水文雄宛て書簡 昭和45年11月17日付」(『決定版 三島由紀夫全集第38巻・書簡』(新潮社、2004年)
  12. ^ 柏倉浩造『かくも永き片恋の物語 三島由紀夫のフラクタル宇宙』(未知谷、2000年)
  13. ^ a b c d e f 三島由紀夫(武田泰淳との対談)『文学は空虚か』(文藝 1970年11月号に掲載)
  14. ^ エレノア・コッポラ『ノーツ コッポラの黙示録』(原田真人ほか訳、マガジンハウス、1992年 ISBN 4838703945)、新訳版『「地獄の黙示録」撮影全記録』(岡山徹訳、小学館文庫 2002年、ISBN 4094025669
  15. ^ 市川雷蔵『雷蔵、雷蔵を語る』(あとがき:藤井浩明)(飛鳥新社、1995年。朝日文庫、2003年)、
  16. ^ a b 三島由紀夫『「春の雪」について』(出版ニュース 1969年7月下旬号に掲載)
  17. ^ a b c d 荒木精之『初霜の記 三島由紀夫と神風連』(日本談義社、1971年)
  18. ^ 小島千加子三島由紀夫檀一雄』(構想社、1980年。 ちくま文庫で再刊、1996年)







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