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鈴木俊平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/14 00:55 UTC 版)

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鈴木 俊平(すずき しゅんぺい、1927年5月7日 - 2006年6月9日[1])は、日本の小説家。

略歴

茨城県、現在の北茨城市平潟出身。本名・鈴木俊一。作家の星新一は母の従兄弟(星新一の父・星一は祖母の兄[2])。祖父の代に旅館業のかたわら始めた酒造業「住の友酒造」(1909年創業)[注釈 1]を継ぐため、一度は広島工業専門学校発酵工学科に進み招徳酒造 (伏見) の子息と同期になる。だが小説の志を貫こうと早稲田大学文学部に入学、同学卒業。生家は弟の禎が継ぐ[2]

少年時代から同人誌活動を続け、1957年『発酵』を自費出版した。1982年、結核性腸腫瘤にかかったが、一命をとりとめた。1984年、茨城県五浦海岸の風船爆弾の大津基地の跡地に記念碑「わすれじ平和の碑」を建てた[3][4][要追加記述]

著書

  • 『醗酵』講談社、1959年。
  • 『青い夢がいっぱい』土居淳男 (絵)、偕成社〈少女小説シリーズ〉、1971年。
  • 徳川家康集英社〈母と子の世界の伝記 〉、1973年。
  • うしわかまる』木村光雄 (絵)、朝日ソノラマ〈日本名作ものがたり〉、1977年。
  • 『風船爆弾』新潮社、1980年[5][6]
    • 新潮文庫 (1984年)、のち『風船爆弾 : 最後の決戦兵器』光人社〈光人社NF文庫〉(2001年) に改題。
  • 講談社〈火の鳥伝記文庫〉
    • 織田信長 戦国の風雲児』、1983年。
    • 上杉謙信 川中島の決戦』、1986年。
    • 春日局 三代将軍家光の乳母』、1988年。
    • 徳川光圀(水戸黄門) 天下の副将軍』、1990年。
    • 大隈重信 学の独立・早稲田大学創立者』、1991年。
  • 『文学的グリンプス、1983-1986』審美社、1987年。
  • 『病いとともに流転楽天』新潮社、1991年[7]
  • 『天狗彷徨 徳川慶喜水戸天狗党文藝春秋、1997年。

編纂

  • 鈴木翠村『翠村記』青河書房、1980年。
  • 『北溟の記 : 北千島薄井部隊の記録』青河書房、1984年。

短編・寄稿

短編

  • 「水泳日本軍を観る」『行動』第3年(8)、45-49頁、紀伊国屋出版部、1935年。doi:10.11501/1539201
  • 「宮崎畝傍大駅伝の側面観」『陸上競技』第13巻第11号、31-36頁、一成社、1940年。doi:10.11501/1526218
  • 「バスケットは飛躍の年」『なんでもわかるスポーツ百科. 67年版 評論・随筆篇』、日本スポーツ評論家協会 (編)、64-66頁、洋々社、1967年。
  • 「早い結婚」『現代作家掌編小説集』朝日ソノラマ、1974年。

寄稿

  • 小学館の学習雑誌
    • 『高校進学』「社会科参考 フランス革命悲話 王妃マリーアントワネットの最期」doi:10.11501/1803666ほか。 (1961年-1962年)。
    • 『中学生の友』「世界名作 ひきさかれた友情《ヘッセ原作》」池田かずお、1962年。doi:10.11501/1745701ほか。
    • 『小学』〈六年生〉「ホビータウン・小六オーディオ班」1979年、doi:10.11501/1788402ほか。
  • 講談社『婦人倶楽部』(1960年-1963年)
  • 「書いて編集して」『現代の眼』第8巻第5号、108頁-、現代評論社、1967年。doi:10.11501/1771646
  • 「夢の安楽死病院」『新潮45』1990年。doi:10.11501/3374729ほか。

書評

翻訳

脚注

  1. ^ 作家の鈴木俊平さん死去” (日本語). OFFICE-IGNIS (2018年1月). 2020年1月13日閲覧。 “鈴木 俊平さん(すずき・しゅんぺい=作家、本名俊一=しゅんいち)が9日、胃がんで死去、79歳。葬儀は近親者のみで済ませた。”、リンク元朝日新聞デジタル[リンク切れ]
  2. ^ a b c 鈴木禎「〈醸家銘々伝〉茨城県・平潟町 住の友酒造」『日本釀造協會雜誌』第78巻第4号、1983年、 279頁、 doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.78.279
  3. ^ 妹尾聡太「【戦後70年 いま茨城で伝える】北茨城市の風船爆弾 無差別兵器 国民知らず」『東京新聞』、2015年6月8日。2020年1月13日閲覧。「碑にはこう記されている。「今はもう 呪いと殺意の武器はいらない」」
  4. ^ 『現代日本人名録』
  5. ^ 鈴木俊平「小説『風船爆弾』と私」『波』第14巻1 (121)、 54-55頁、 doi:10.11501/33624812020年1月13日閲覧。
  6. ^ 入江徳郎「ほん--上坂冬子『生体解剖』--鈴木俊平『風船爆弾』--富士正晴『心せかるる』--磯村英樹『城下町金澤』--推理小説コーナーほか」『サンデー毎日』第59巻9 (3228)、 81頁、 doi:10.11501/33698662020年1月13日閲覧。
  7. ^ 病いをせんとや」『波』第25巻2 (254)、 44頁、2020年1月13日閲覧。


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