ブータン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 13:56 UTC 版)
軍事
志願制の陸軍であり、総兵力は約1万人(ブータン王国軍約7,000人、ブータン国王親衛隊約2,000人、警察官約1,000人も含む)。軍事費がGDPに占める割合は約2パーセント程度で、約1,700万ドル(2006年推計)。
陸軍の装備品は迫撃砲や分隊支援火器等の小火器のみである。砲兵戦力および機甲戦力は有さず、装甲兵員輸送車も一部の部隊に若干数が配備されるにとどまる。小火器は、84ミリ迫撃砲、AK-101、FN FAL、H&K G3、FN ブローニング・ハイパワーの装備が確認されている[要出典]。
内陸国ゆえに海軍は存在せず、大きな河川も無いため河川軍も編成していない。空軍も存在せず、防空はインド軍に一任している。ブータン軍が保有している航空機はヘリコプターのMi-8(7機)と固定翼機のドルニエ 228(1機)のみである。 また、世界軍事力ランキング(world global fire)ではブータンは最下位となっている。
国内にインドの軍事顧問団と陸軍部隊が1000~1500人駐留[32]している。また、インド政府はブータン軍人のインド留学を随時受け入れている。
2003年、ブータン軍はアッサム独立運動に参加するインド系ゲリラ集団3,000名と交戦。インド軍と連携し、ブータン軍の「大元帥」である第四代国王自ら前線で指揮を執り、国内の拠点をほぼ壊滅させている(オールクリア作戦)[9]。
地理
インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州とアッサム州で接しており、その国境線は605kmに達する。また、北の国境線470kmは中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。
ヒマラヤ山脈南麓に位置し、ブータン最高峰は標高7,561mガンカー・プンスム。国土は、南部の標高100mから、北部の標高7,561mまで、7,400m以上の高低差がある。
気候は、標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、標高1,200m未満の南部タライ平原の亜熱帯性気候が並存する。
殺生を禁じている宗教上の理由と、資源保護の観点から、川で魚を取る事を禁じており、食用の魚は川の下流にあたるインドからの輸入に頼っている。
ブータン国内に鉄道は通っていない。地方には悪路が多く、自動車事故は衝突事故よりも崖下への転落事故が多い。転落事故に関しては、シートベルトを着用しているほうが救命率が低くなるという考えから、着用は法で強制されておらず、民間では着用を勧めていない。
地方行政区分

20のゾンカク(Dzongkhag、県)に分かれている。各県の県庁には基本的にゾン(城砦)があり、聖俗両方の中心地(行政機構、司法機関及び僧院)として機能している。ゾンカクの下に205のゲオ(Gewog、郡)が設置されている。ただし、首都ティンプーなどの人口密集地にはトムデ(Thromde)という独立した行政区分がある。複数のゲオをまとめたドゥンカク、ゲオの下のチオといった単位もあるが、行政区画というよりも、ドゥンカクは司法区、チオは選挙区として機能している[33]。
都市
順位 | 都市名 | 人口(2017年) | 県 |
---|---|---|---|
1. | ティンプー | 114,551 | ティンプー県 |
2. | プンツォリン | 27,658 | チュカ県 |
3. | パロ | 11,448 | パロ県 |
4. | ジェレフ | 9,858 | サルパン県 |
5. | サムドゥプ・ジョンカル | 9,325 | サムドゥプ・ジョンカル県 |
6. | ワンデュ・ポダン | 8,954 | ワンデュ・ポダン県 |
7. | プナカ | 6,262 | プナカ県 |
8. | ジャカル | 6,243 | ブムタン県 |
9. | ナングラム | 5,418 | ペマガツェル県 |
10. | サムツェ | 5,396 | サムツェ県 |
経済
IMFの統計によると、ブータンの2020年のGDPは25億ドルであり[2]、日本の人口6万人程度の市に相当する経済規模である。同年の一人当たりのGDPは3359ドルであり[2]、世界平均と比較すると大幅に低い水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と推定されており、国民のおよそ25%を占めている[34]。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類されている[35]。
主要産業はGDPの約35%を占める農業(米、麦など、林業も含む)だが、最大の輸出商品は電力である。国土がヒマラヤの斜面にあることをいかし、豊富な水力による発電を行い、インドに電力を売却することにより外貨を得ている。輸出品は電力、珪素鉄、非鉄金属、金属製品、セメントなどで、輸入品は高速ディーゼル、ポリマー、石油、米など。2007年統計では貿易総額は輸出入合わせて約10億ドルで貿易収支は若干黒字。
なお、2007年の一人あたりGNIは1,800ドル(2021年は3,040ドル[36])、経済成長率は19%であった。
観光業は有望だが、文化・自然保護の観点からハイエンドに特化した観光政策を進めており、フォーシーズンズなどの高級ホテルの誘致に成功した。外国人観光客の入国は制限されており、バックパッカーとしての入国は原則として不可能。かならず旅行会社を通し、旅行代金として入国1日につき200米ドル以上(交通費、宿泊代、食事代、ガイド代を含む。ローシーズンは若干減額される)を前払いし、ガイドが同行する必要がある。ただし、治安の悪い南部地域への渡航制限を除き、自由旅行が禁止されているわけではない。
ブータン政府は、1961年以降は5年毎の開発計画に基づく社会経済開発を実施している。2002年7月からは新たに第9次5ヶ年計画が開始されている。国内経済では、農業がGDPの約36%、就労人口の約9割を占める最大の産業であり、対外経済では貿易をはじめインドとの関係が圧倒的に高い割合を占める。
1972年代にワンチュク国王が提唱した国民総幸福量(いわゆる幸せの指標、GNH (Gross National Happiness))の概念に基づき、「世界一幸せな国ブータン」として、特にGDP/GNP増加を主眼としている先進国から注目されている。日本も経済援助などを通じブータンのGNH発現と実現に貢献をしている[37]。昨今、日本においてもGNHに関するシンポジウムが行われるなど、その最先端の概念の理解と導入への取り組みがみられる[38][39]。ただしGNH達成はいまだ目標の段階にとどまっており[40]、2010年の調査で示された平均幸福度は6.1と、日本の6.6を下回っている[41]。
2012年からは国際連合が世界各国の幸福度をランキング化しており、当初ブータンは世界8位と「世界一幸せな国ブータン」を裏付ける結果となっていた。しかし、年を追うにつれて急激に順位が低下し、2010年代後半にはランキング圏外となった。これは国の経済発展とともに様々な情報が国外から入るようになり、国民が他国の生活水準と比較するようになったためと見られている[42]。
農業
ブータン経済において農業は非常に重要な基幹産業である。1990年時点では労働人口の9割が自給的な農業、もしくは放牧業に従事していた。これらの農民の多くは国民経済計算の対象となる貨幣経済に属していなかったため、ブータン経済は実態よりも小さくみえる。国内総生産においても農業部門が43%(1991年)を占めていた。平原であるわずかな低地部ではコメが、国土の50%を超える山岳部では果樹などが栽培されている。ブータン農業は自家消費が目的であり、自給率はほぼ100%だった。例外は輸出が可能な果樹、原木、キノコ類である。マツタケは国内で食べる習慣が無かったが、1990年代からは日本向けに輸出されている[43]。
ブータン農業の問題点は生産能力が向上しないことにある。人口が増え続けているにも関わらず、労働人口に占める農業従事者の割合は高い数値で横ばいに推移しており、農民の数は増え続けている。一方、厳しい地形に阻まれて農地の拡大は望めない。小規模な農地が大半を占めるため、土地生産性も改善されない。このため、1986年・1987年時点と、2003年・2005年時点を比較すると、農民が倍加しているにも関わらず、生産量がかえって微減している。
具体的には、1986年時点の国土に占める農地の比率が2.2%、牧草地4.6%、森林70.1%だったものが、2003年に至ると、同2.7%、同8.8%、同68.0%に変化している。農地は約2割拡大した。
ここで生産量が1万トンを超える農産物を比較すると、
- 1987年時点 米8.5万トン、とうもろこし8.5万トン、ばれいしょ5.0万トン、コムギ1.9万トン、サトウキビ1.2万トン、オレンジ5.0万トン
- 2005年時点 米4.5万トン、とうもろこし7.0万トン、ばれいしょ4.7万トン、コムギ0.5万トン、サトウキビ1.3万トン、オレンジ3.6万トン
となっており、主食のコメが半減している。2003年時点ではブータンの輸入品目に占める穀物の割合は7.6%に達した。この傾向は牧畜業にも及び、主力のウシは同じ期間に51万頭から37万頭に減少している。
労働力
失業率は4%(ブータン政府資料2009年)。
注釈
出典
- ^ “Bhutan” (英語). ザ・ワールド・ファクトブック. 2022年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g “World Economic Outlook Database, October 2021” (英語). IMF (2021年10月). 2021年11月10日閲覧。
- ^ “Frequently Asked Questions”. Royal Monetary Authority of Bhutan. 2021年4月18日閲覧。
- ^ ブータン王国教育省教育部 2008 pp. 16-19.
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- ^ a b JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03050965100、各国内政関係雑纂/英領印度ノ部 第一巻(外務省外交史料館)、1910年、5頁
- ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03050965100、各国内政関係雑纂/英領印度ノ部 第一巻(外務省外交史料館)、1910年、6頁
- ^ 朝日新聞社中央調査会 1942, p. 277.
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