ジグミ・ワンチュクとは? わかりやすく解説

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ジグミ・ワンチュク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 14:13 UTC 版)

ジグミ・ワンチュク
ブータン龍王
ジグミ・ワンチュク(1926年)
在位 1926年8月21日 - 1952年3月30日
戴冠式 1927年3月16日

全名
ジグミ・ワンチュク
出生 1905年
死去 1952年3月30日
配偶者 プンツォ・チョデン
  ペマ・デチェン
王朝 ワンチュク朝
父親 ウゲン・ワンチュク
母親 アシ・ツェンデュ・ラモ
宗教 チベット仏教
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ジグメ・ワンチュクゾンカ語: , ラテン文字転写: Jigme Wangchuk, ワイリー方式: 'Jigs med dBang pyug)は第2代ブータン国王

生涯

1905年 、父ウゲン・ワンチュクと母アシ・ツェンデュ・ラモの間に長男として誕生。1921年、17歳でトンサ・ドニェに親任され、18歳でブムタンのワンデュチョリン宮殿のアシ・プンツォ・チョデンと成婚し、1926年に21歳の若さで即位した。

1933年には大英博物館の植物学者2人にブータン東部への入域を許可するなど、鎖国政策を緩和し、1947年にはニューデリーで開かれたアジア関係会議への参加、1948年にはインドの独立に伴う対ブータン関係協議のために代表団を派遣した。 ブータン・インド両国はプナカ条約を継承するかたちで1949年8月8日ダージリンでインド・ブータン条約に調印した。この条約には「インドはブータンの内政には干渉しないが、外交に関しては助言を行う」という文言も継承されたため、ブータンはインドとの特殊な依存関係を構築することになった。後に両国関係は経済発展関係へも拡大した。

関連項目

先代
ウゲン・ワンチュク
ブータン龍王
1926年 - 1952年
次代
ジグミ・ドルジ・ワンチュク




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